【国原譜】「馬淵さん『再誕』7選」「高市さん盤石」「田野瀬さんV4」や敗北、黒星といった見出しが躍動した。本紙1日付の社会面である。▼衆院選挙の紙面は、まるでスポーツ面のようだった。選挙もスポーツも勝ち負けの結果であるのは同じなのだが、この二つは根本的に異なっているのではないか。▼五輪にしても野球、サッカーなどプロスポーツにしても、運動競技は結果がほとんどすべてである。選手は勝つことを目標に日々練習している。勝ち負けに伴うドラマが人々を感動させる。▼しかし、政治家の場合はどうだろう。今回、県の1区小選挙区は前代未聞の結果ではないか。選挙戦は馬淵さんが制したわけだが、敗れた小林さん、前川さんも党の比例代表で復活当選し、立候補した3人すべて代議士に。▼1区投票者は満足だろうが、個人的に何か解せないところがある。ただ、政治家は選挙に選ばれた時がスタートではないだろうか。大切なのは、議員として何をなすかである。▼公約を実行できるか。いかに県民、国民のために尽くせるか。バッジをつけてからが本当の勝負である。(栄)(奈良新聞・2021.11.02)
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本日は「文化の日」だそうです。もちろん、この「休日」(祝日とも祭日とも「旗日」とも、国民の休日とも)戦後にできたもので、それ以前は「明治節」あるいは「天長節」と呼ばれていました。明治天皇の誕生日だからだと言います。ある個人の誕生日が、「国民挙って祝う日」というのですから、なるほど「天皇制」というものの片鱗が、こんなところに垣間見えるのかもしれません。天皇制問題はともかくとして、先般の衆議院選挙の、いわば後遺症と言いたいところですが、実際はそんなことはなくて、法律が適正に機能した結果というべきでしょう。小選挙区比例代表並立制のことです。奈良選挙区の一区では、馬淵さんが当選。他の二名は落選したにもかかわらず、近畿ブロックでの「比例」で復活当選だと言います。法の規定ですから、問題はない。本選で負けたのに、別の土俵が用意されていて、まわしもつけず、四股も踏まない(土俵に上らない)で当選するという芸当です。奈良の選挙民は、いったい何を選んだのか。だれを議員にしたかったのか。奈良一区選挙民の「権利の侵害」じゃないですかね。

本拠地で負けたのに、それ以外のなじみの薄い土地の選挙民に救われるというか、選ばれるというのは「腑に落ちない」というべき。奈良県以外の「近畿ブロック」の選挙民が「維新がいい」と政党名を書いたので、小選挙区で負けても「復活」するというのは、まやかしであり、八百長であり、ごまかしであり、ぼくは、この制度のいい加減さが、この島社会の政治状況を著しく阻害してきたといいたいですね。一人が「二票」というのも受け入れがたいのですが、一方では「個人」を選び、他方では「政党」を選ぶ、間尺や平仄があっているようで、実は「絡繰り」以外の何ものでもなさそうです。
今回の選挙で維新の会は大躍進とか、ホントにそうですかな。この政党が出来た最初の選挙は五十数議席だったし、つぎの選挙では今回と同じではなかったか。やっと出発点に戻っただけ。その「大躍進」の中身は「復活当選」です。維新の中で突出して幸運だったのは徳島一区の吉田知代候補でした。選挙区では二万票で落選。しかし比例四国ブロックで「復活」、「惜敗率」(なんというフザケタ名称でしょうか)、は20%でした。(実際は「落選率8割」ではないですか)この算出法にどんな根拠があるのか。他地区の例を出せば、9割9分の惜敗率なんというのもありました。ぼくは「維新の会」の応援者でもなければ、妨害者でもない。しかし、この島にもこんなに出鱈目な政党が出てきたという状況に、大きな不信と不満を抱いているのは事実です。それはまた別の問題でもあります。これも、れっきとした「与党」でしょ。

いたるところに「一票の格差」が出現しています。選挙である限り、この格差問題の解決は不能でも、可能な限りで格差を縮小する必要がある。それが出来なければ、全国をいくつかの「ブロック」に分けて、すべては「比例選挙」とすべきです。「党より人」なんて言うほどの人材はいませんから、「人より党」で行くのが、ちょっとはましかなという程度ですが。実際は、どちらも変わらないでしょうが。学校のクラス委員を選ぶ選挙で、一組ではB候補は落選したのに、三組では、人気があって、なんと委員に「選ばれていた」というような、まるで「お風呂でおならをする」みたいなフヤケタ話です。こんな例は維新ばかりではないから、誰も関係者は文句を言わないんでしょ。美しくないというより、汚いね。
誰でも立候補できる選挙制度は大切だし、門戸を閉ざしている、今の状況も変えなければならないでしょう。供託金の問題です。他国に比べて、べらぼうに高額にすぎます。これだけではない、選挙運動などに要する、もろもろの費用を考えると選挙費用は数千万円です。一億五千万円も出してくれる政党には、逆立ちしても勝てない。なんでこんなことになるのか。きっと「お上意識」が永田・霞が関両町にあるんですね。運天免許更新制にも金がかかるのは、この島ぐらいだし、車検にも、つまりは「お上」という器官(機関)は収奪できるところから大枚をくすねる根性を持っている人間のたまり場、人民の健康や幸福を考えるはずがないじゃないですか。

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● せきはい‐りつ【惜敗率】=小選挙区選挙で、当選者の得票数に対する落選者の得票数の比率。小選挙区比例代表並立制で行われる日本の衆議院議員総選挙では、一人の候補者が比例代表と小選挙区の両方に重複して立候補でき、政党は比例代表名簿に複数の候補者を同順位で並べることができる。比例代表選挙では、政党が獲得した議席数に応じて比例名簿の上位から順に当選者となるが、同順位に複数の重複候補者がいる場合、小選挙区での惜敗率が高い順に当選となる。(デジタル大辞泉)
● 供託金(きょうたくきん)=選挙に立候補する者が届け出の際に納入しなくてはならない一定の金額。町村議会議員選挙は除かれる。選挙で得票数が一定数に達しないと没収される。無責任な立候補の乱立を防止するための制度である。供託金の額と没収の基準は選挙によって異なり,衆議院議員総選挙では,供託金は 300万円で,候補者の得票がその選挙区の有効投票総数の 10分の1に達しないと没収される。(ブリタニカ国際大百科事典)
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日本のプロ野球では「クライマックスシリーズ」とかいうのがあります。アメリカで、というかアメリカに倣ったのでしょう。リーグ三位までが「日本シリーズ」への挑戦権を得るという仕組み。何年か前にある球団がペナントレースでは二位だったか三位だったのに、日本史シリーズで優勝したことがあった。この「日本一」は本物ではないとか何とかケチを付けられていました。ことは野球だからというのではありませんが、人気を煽るための「愚策」だと、ぼくは見ていました。今ではすっかり関心の外のことにになりました。野球はまず見ませんから。政治はどうか。プロ野球並みの「人気商売」のようでもあり、もう少し娯楽味の薄い「客寄せ商売」のようでもあります。「代議士」というのですから、少なくとも選んだ人の「意向(民意)」という観点からすれば、このへんてこな制度は直ちに改正するべきだと、再言しておきます。「一流代議士」と「二流代議士」とでも言っているんじゃないですか。そもそも、月給に差があるわけでもないのに、いたるところに「格差」「差別」を好んでつけたがる輩に、「平等な社会」というものがどんなものか、分かるはずもないんですね。ともかく、この選挙法は、「数は力」で、「力は正義」などという出鱈目を許す素地にもなっています。
しかし、この「復活当選」はいかにも珍無類の「自党中心主義」の賜物でしょうね。こんな問題につきあうのも、政治的関心が旺盛であるからではありません。投票に行くのは、ぼく一個の「権利であり義務である」と確信しているから、ともかく、その「権利と義務」の「行使や履行」にふさわしい制度がなければならぬという問題意識からの駄文です。こんなことは言うまでもないのですが、やるとすれば、「比例か小選挙区か」どちらか一つ、あるいは「衆議院は小選挙区選挙、参議院は比例区選挙」か。あるいは衆議院だけで、参議院は廃止か(一院制)。その他無数の選択肢がありますが、それをあえて取ろうとしないところに、この島の政治の堕落・頽廃があるのです。もちろん、「政治家になろうという人材」の問題がもっとも等閑視されているでしょうね。誰が出てもいっしょは、だれでなければならないか、そんな関心や問題意識が育っていないという根本のところに戻ってきます。「選挙民」の質ですな。「選挙民目ざまし」を兆民が書いた所以です。

まずは「選挙制度」の適切化を図る(そのためにはどんな「政治家」を選ぶか)、次いで「選挙民」の自覚と教育の実践(倦まず弛まず、選挙に行くこと)。さらに、しかしこれがもっとも大事なことでしょうね、「選挙に出て、政治家」になろうという人間の育て方と職業意識の確かさ(この部分が最も遅れているというか、欠けていますね)、それらをぼくは、今の段階では、というより、ずっと昔から願ってきました。いっかなそれが実現しなかったのは、この「三点セット」の問題でもありますね。「北斗七星」氏が書かれている「某代議士」、ご存じですか。ぼくはよく知っています。いつでも「敵を攻撃する」に急先鋒ですが、弾がいつ自分に飛んでくるか、あるいはブーメランを恐れてか、敵に塩を送るようで、実に腰が砕けている方です。これは「野党の議員」ですか)

*余話ながら 先月の半ばに「子猫」が生まれました。家の裏にある物置きの棚の中で。親猫はずっと早くに野良になり、もう何年になるのでしょうか。拙宅の車庫や近間で産んでは、少し大きくなると、なんと拙宅に連れてきます。生まれたのは「五匹」、二日前に数がわかりました。気温が下がって来たので、家の中にでもいれましょうと、親猫と喧嘩しながら子猫を出そうとしたのでした。猫好きでもなければ、ペットとして飼う趣味もないのですが、なんとか元気でと「授乳中」です。親はどうしたわけか、育児放棄の気味で、なかなか寄り付こうとはしなくなりました。前回も前々回の出産後もそう思ったのですが、今度こそ、彼女(親猫)を病院に連れて行かなければと、すでに病院の医者には「手術」の件は話してあります。人間の幼児も大変ですが、子猫もなかなか、です。(今は十人の猫族と共同生活、育ててくれるという奇特な人がいました。さらに募集しています)
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