皇位は、世襲のものであって、国会の…(承前)

 ぼくはいくつかの点で大きな失敗をしてきたと、ときどき悔やむような心持になることがあります。大したことではないでしょうが、生きていく中で大事な、心の泉を豊かにする水分補給を怠ってっしまったという、そんな気分なんですね。持って回った言い方をしていますが、ようするに、本であれ、音楽であれ、映画であれ、もっともっと時間をかけ、思いのたけをそれらに打ち込むべきであったと。今でも本は万を超える数はある、でも、今から思えば、ろくでもないものがほとんどという為体(ていたらく)。音楽にしても、本格的にピアノを弾こうとした形跡はありますが、ほとんどなすところがなく、単なる音楽愛好家(ジレッタント)として時間を無駄にしたといういい加減さ。もちろん「音楽愛好家」でいけない理由はありません。でも、それをもっと豊かなものにするには、何か楽器をと、いまさらのように悔やまれる。いろんな楽器に手を出しては、すこしばかりものになりかけると、もう次に関心が移っていった。映画に関しては、もう最悪ですね。ほとんどまとも(記憶に残る映画)だと思われるものは一切観てこなかった。邦画(東映や大映など)は腐るほど観た。理由は簡単、近所に映画関係者がたくさんいたからです。しかし、名作・名画というか、映画史で記憶されている作品はほとんどパスしてしまったのです。そう考るだけでも、まるで干からびた生活・人生だったという苦い記憶・印象ばかりが強く残っている。 

 そんな中にあって、これまでに何回観たか。「ローマの休日」。公開は1953年ですから、まだ小学生だった。ぼくが初めて見たのはずいぶん後になってから。以来、おそらく五、六回は見た。何がよかったのか、それもあいまいで、ただ美しい、格好いい、その他、一種の「西洋かぶれ」であったかもしれない。ただ、この映画の脚本や監督の思想・信条にまつわって、いろいろと政治的な動きがあったことはずいぶん後になって知った。公開当時、アメリカでは「赤狩り」の最中だった。特に脚本を書いたトランボは、共産主義者として「リスト」に載せられていた。証言を拒否してもいた。それを承知で、ワイラーは映画化を進めた。この少し前にはチャップリンもやり玉に挙げられ、入国禁止措置が取られたほどでした。

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● ローマのきゅうじつ【ローマの休日 Roman Holiday】=1953年製作のアメリカ映画。ウィリアム・ワイラーWilliam Wyler(1902‐81)監督作品。ヨーロッパを親善旅行中の某国の若い王女(オードリー・ヘプバーン)とアメリカの新聞記者(グレゴリー・ペック)とのラブ・ロマンスを,ローマの美しい観光名所を背景に,軽快にほほえましく描くロマンティック・コメディで,オリジナルストーリーは,〈赤狩り〉のブラックリストに載せられていたドルトン・トランボDalton Trumbo(1905‐76)が,イアン・マクレラン・ハンターの仮名で書いたものである。

● 赤狩り(あかがり)red hunting、red-baiting=共産主義者や進歩的自由主義者を社会的に追放すること。このことばの語源は、中世末期のヨーロッパにおいて行われた魔女狩りwitch-huntにある。アメリカ合衆国における赤狩りりの歴史は有名で、19世紀以来、社会主義運動に対し「非アメリカ的」であるという理由でさまざまな迫害が加えられた。とくに第一次世界大戦中から戦後にかけて、ロシア革命への危機感などから、パーマー司法長官のもとで、共産主義者はもとより無政府主義者や労働運動指導者に対する大々的な取締りが実行された。その後、第二次世界大戦中に、1940年の外国人登録法などによって共産主義活動への規制が強化され、戦後、下院に非米活動委員会が常設されるに及んで赤狩りは活発化した。そしてマッカーシズムの出現で一つのピークを迎え、自由の擁護の名のもとに自由の抑圧が進行した。なお日本では、戦前、治安維持法などにより、社会主義運動のみならず自由主義者に対しても激しい弾圧が加えられた。(ニッポニカ)

● ドールトン トランボ(Dalton Trumbo)1905.12.9 – 1976.9.10 米国の脚本家,小説家。コロラド州生まれ。別名ロバート リッチ。ハリウッド・テンの一人で、アメリカの下院非米活動委員会の聴聞会での証言を拒否したため、禁固刑を宣告された。脚本家として1971年「ジョニーは戦場へ行った」でカンヌ映画祭審査員特別賞を受賞。その他「栄光への脱出」(’60年)、「いそしぎ」(’65年)、「パピヨン」(’73年)等多くの映画脚本を手がけた。小説では「日食」(’35年)、「ジョニーは銃を得た」(’39年)等の作品がある。(20世紀西洋人名事典)

● ハリウッド・テン=1947年アメリカの下院非米活動委員会に喚問され証言を拒否し後に議会侮辱罪で投獄されてハリウッドを追放された10人の映画人のこと。エドワード・ドミトリク(監督),ドルトン・トランポ(脚本家)など。同委員会はハリウッドを標的にすることで冷戦下の〈赤狩り〉の風潮を全米に拡げる効果を狙ったとされる。表現の自由をめぐって制作者から俳優までハリウッド全体を巻き込んだこの事件は,米国の映画界に大きな傷を残した。(マイペディア)

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 小室眞子さんの人生行路 小欄の話題探しにニュース検索サイトのはしごをすることがある。秋篠宮家の長女眞子(まこ)さまと大学時代の同級生小室圭さんが婚姻届を出したニュースはきのう、「エンタメ」欄でも持ち切りだった▲エンターテインメントを略した言葉で、人々を楽しませる娯楽を指す。出会いから9年。昨今はコロナ禍の憂さ晴らしか、二人に注がれたのは好奇の目だったかもしれない。一挙手一投足にけちがつき、出まかせ同然の中傷さえネット上にあふれた▲「皇室として類例を見ない結婚」。まな娘の晴れの日に、そう述べざるを得なかった秋篠宮ご夫妻の胸中は察するに余りある。今なお小室家が抱える金銭トラブルが頭を去らないのだろう▲小室眞子さんとして応じた記者会見の席で、その面持ちはどこか陰って見えた。ストレスのもたらす不安からか、「心を守る」といった言葉を重ねた。かつて圭さんが「月」に見立てた例えが、今となっては痛々しい▲さりとて遠距離恋愛を貫いた二人に、希望の明かりを見る恋人たちも多かろう。ろくろく会うことがかなわぬ感染下である。皇室を離れ、新天地に乗り出す人生行路…。それは決してエンタメの種なんかではあるまい。(中国新聞・2021/10/27)

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 思いつきのように「ローマの休日」を取り上げたのですが、取り立てて言うほどの理由もありません。さる小国の王女が休暇で過ごしていたローマで起こった出来ごとを喜劇的に味付けし、そこに王女と新聞記者との「束の間の恋」を絡ませた、なんとも他愛ない映画だったかもしれません。グレゴリー・ペックの伊達ぶりに痺れたし、ヘプバーンの美貌に肝を冷やしたということだった。というと、ぼくはずいぶんませていたことになりますが、これらのイメージは、何度も観ている内に作り出されてきたもので、だから何度も観る必要があったのかもしれません。この「ローマの休日」と比べるべくもないのは、「ケイとマコ」の結婚譚の序曲とフィナーレでした。あるいは「(ICU)キャンパスの休日」という映画が、どこかで作られていたのかもしれませんが、話題は映画の中で終わらなかったところが、悶着の原因だったとも言えます。でも、問題は「ケイとマコ」にあるのではなく、この島のマスコミと「一塊の群」にあるのでしょう。これについて何かを言うのは気が進まないので、これ以上は書きません。一つはケイの母親の問題、もう一つは「皇室・皇族」にかかわる問題です。

 母親の件に関しては、世間によくある話で、息子に、皇族との結婚問題が起きなければ誰も興味を持たなかったこと。どこまでいっても個人の問題ですよ。問題を大きくしたのは二つ目の「天皇制と皇族」問題です。現行の天皇制は憲法で規定された政治制度です。だから、憲法改正が問題になるなら、何よりもこの部分にも触れる必要があるというのが拙論で、これまでにも話したり書いたりしてきました。「天皇」は孤立して存在はしませんから、必ず「皇族」が組織されます。これは「法の下の平等」を想定しない一群の家系です。「超法規的存在」ですね。これだけでも、時代がずれています。現在、皇統問題が議論されている。皇位継承者問題というものです。

 (*皇室典範=第二次世界大戦後、旧皇室典範は廃止され、新「皇室典範」(昭和22年法律第3号)が日本国憲法と同時(1947年5月)に施行された。名称をそのまま残したが、神道的儀部分を削除して簡素化され、普通の法律と同じく国家の統制が及ぶことになった。内容は皇位継承皇族の範囲、摂政(せっしょう)、成年・敬称即位の礼、皇族が結婚するときの手続き、皇籍離脱、皇室会議の仕組みなどについて定めている。皇室典範は現在、皇室経済法とともに特殊の法域として皇室法を形成している)(ニッポニカ)

 現行の皇室典範では「皇位継承者」は男子(「皇統に属する男系の男子」)に限られています。下図の数字は継承順位です。第二位は現在55歳、第二位は現在十五歳。第三位は85歳。法律の改正がない限り、「悠仁さま」は「最後の天皇<The Last Emperor>」となるであろうし、その周りには、身寄りが誰もいない「世界」が待っているのかもしれない。「天皇制を守る」という立場の人々は「男子に限る」という立場に立つ人が優勢であるように言われています。何年後かわかりませんが、このままでは「孤独で孤立した、かつ最後の天皇」という「未曽有」のことになり、あるいは、そこで、この制度は終焉を迎えるのでしょうか。空騒ぎ、莫迦騒ぎをしている暇に、事態は刻一刻と終末に向かっているという実感を持っている人はどれほどいるのでしょうか。さらに大事な点ですが、問題は人権問題であることを、ぼくたちは失念していないか、というのです。(下図は読売新聞・2021/19/26)

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 皇族の若い女性が「早い段階から海外で生活すると決めた」と告白したのは印象的でした。この島では住めないと決断させたのは、誰だったのか。ご当人たちは、自由や人権というものを、ことさらに言い募りはしませんが、「個人の立場」が認められない・許さないという、どうしようもない人々の感覚に、ぼくは一種の「悍(おぞ)ましさ」を抱いてしまいます。「かく悍ましくは、…絶えてまた見じ」(「源氏物語 帚木」)自らが望んで皇族でいるというのではない事情を、ぼくたちは、その根本に立ち返って再考すべきです。これ以上の人権侵害はあってはならない、暴力を伴う破廉恥行為ですから。反撃できないものに向かう攻撃ほどに卑劣なものはないんじゃないですか。

 数年間にわたるマスコミによる一連の「中傷<slandering>」報道、ネット上の匿名の「いじめ<bullying>・虐待<abuse>」の集中砲火に、ぼくの感覚は「悍ましい」「ゾッとする」、というものでした。その延長で「赤狩り」と「ローマの休日」が重なったのです。「非米活動」、「排共産主義(者)」を錦の御旗に、この島社会でも「赤狩り」ならぬ「謙韓」「謙中国」叩きに連なる、「非日」「反共産主義」という、時代おくれもいいところの「排外・排内主義」が、民間人と皇属の「ケイとマコ」を対象にした、いじめ(叩き)を通して、かなりの程度に横行しているのを表わしているように、ぼくには見えてしまうのです。現下の選挙中にも「反共産主義」の合唱が、政権党の中枢から、声高に聞こえてくる。まるで亡霊の如くに、今の世に「赤狩り」旋風が吹き荒んでいるのか。そして、この後はどのような事態が出来(しゅったい)するのか。

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