なやみはつきねんだな(みつを)

  刺さる言葉「隣のレジは、早い。」。街中の掲示板にこんな言葉を見つけたら、自らの経験を思い出し、確かにそうだな、と笑いながらうなずく人が多いのではないか▼これは東京のお寺の門前に掲げられていたという言葉。人生は思い通りにはいかず、つい他人をうらやんでしまう、ということだろう。人間の心理を鋭く突いた箴言(しんげん)のようだ。「隣の芝生は青い」よりも切実な生活感がある▼寺院門前の掲示板は、仏典からだけでなく、住職や著名人のものもあり、心に刺さる言葉の宝庫だ。浄土真宗本願寺派の僧侶で、仏教伝道協会に勤務する江田智昭(えだともあき)さんが着目し、2018年に「お寺の掲示板大賞」を創設した▼気になった掲示板の写真をツイッターなどの会員制交流サイト(SNS)に投稿してもらい、ありがたさやインパクトで毎年、受賞作を決める。ネットでブレークし、新聞やテレビ、雑誌が取り上げ、海外からも注目を集めた▼第1回大賞は「おまえも死ぬぞ 釈尊」だった。究極の事実を突きつけることで、今を生きる大切さを訴えている。集められた言葉は「お寺の掲示板」として19年に出版され、続編「お寺の掲示板 諸法無我」(いずれも新潮社)も出た▼数々の警句が心に響く。生きづらい世の中、気持ちが和らいだり前向きになれたりする言葉に出合えるかもしれない。(下野新聞・2021/10/25)

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 どういうわけですか、ぼくはお寺や教会の前にある掲示板の「お言葉」を見る(読む)のが大好きで、まるで趣味になったようです。これはうんと幼いころからで、これまでにどれほどの「お言葉」を見てきたか。それらはぼくの人生の指針や警告になったとは思えないのは残念ですが、洒落やジョーク、あるいは軽妙で洒脱な人生訓なら、こんな坊さんや神父さんがいるんだから、仏教界もまんざらではないのだな、そんな不信心な心持を確認してきました。この「お寺掲示板大賞」は、そんな不心得者のぼくにはぴったりのような企画で、ぼくは心待ちにしながら、世の中にはこんな姿勢や態度で生きている(生きていきたい)、そんな人がたくさんいるんだと、「同病の士」ならぬ「同好の士」を得たような喜びに満たされるのです。

 昨年(2020年)の応募作品のいくつかをお借りして、紹介してみます。どれもこれも「何とか賞」らしいけど、それは各自でご確認ください。なんでもないもののようですが、ぼくにとって、「なんでもないこと」がもっとも難しいと実感させられ通しで生きてきました。

 (どれもこれも、ぼくには、相田みつをさんの「おことば(作品)」のように見えてきます。それほど彼に毒された、いや「影響された」ということでしょう。ということは、当然でしょうけれども、相田みつをさんは、相当な人物だったということになりそうですね)

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 仏教伝道協会は、世界的精密測定機器メーカー株式会社ミツトヨの創業者 沼田惠範が、み仏の教えを広く世界に弘めるために発願し、有縁の方がたのご協力により、昭和40(1965)年に設立されて以来、「仏教聖典」の現代語訳と外国語訳による編集、刊行とその普及を事業の柱として、多くの皆さまのご賛同、ご協力を賜り、着実にそのあゆみを進めてまいりました。(略)/ 私たちは、誰であれ、決して一人だけで成り立っているのではありません。自然の恩恵と他のさまざまないのちに支えられて生かされているのです。お互いが自分のいのちのありがたさに感謝し、お互いのいのちの大切さを認めあい、共に相和し相敬うところから、慈悲と共生のこころが根づいてくるのではないでしょうか。(後略)(https://www.bdk.or.jp/kagayake2020/publication.html)

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 「困っている人がいたら、助けるんだよ」と言われて、「はい、分かりました」とは言うものの、いっかなそんなことがじゅうぶんにできないでいるのです。「そのまま」とか「ありのまま」というものを、どのように自分のものにできるか、そうしようと、「構える」のがいけないのでしょうね。構えない、構えなしというのは、いわば「合気道」の極意のようなものかもしれないと思ってみたりしています。敵や相手がいると「身構える」「戦闘モード」に火が付くというか、火を付けそうになる。それが間違いのもと。拙宅の猫の「ちえちゃん」は、当方が声を掛けたり手を掛けようとすると、きっと欠伸(あくび)をします。構えないんですね。欠伸をうることで、こちらの「気勢」をそぐ。実に見事で、こっちもそれにつられてユッタリ・ノンビリする。「欠伸」というのはまことに大事で、これがいつでもできるのは達人の域にある人ですね。授業中でも仕事中でも(車の運転中はダメ)、どんどん「欠伸」をしよう。

 閑話です。ぼくはほんの少しばかり柔道をやりましたが、合気道はまったくしたことがありませんでした。ところが、その達人に何度も直接間接に「合気」というものについてのお話を伺って、いたく感心させられたことがあります。まだ、ぼくの三十代の頃でした。以下の辞書にでてくる富木謙治さん(1900-1979)。偶然でしたが、務め先で同僚になった。すでに六十代を超えておられたと思います。そのときも、まだ道場に出ておられたと記憶しています。あまりにも近すぎて、富木さんがどんな方なのか、よく理解できなかった。その後、いろいろと知るところがあって、もっと根ほり葉ほり伺い、あわよくば「合気道」に足を入れることにつながっていればよかったと、後悔したのでした。それ以降も機会を見つけては、合気道の「達人」「師範」の技を見るようにして、さらにその「道」への興味が湧いたのでした。戦わない術、それが「合気道」、今では「護身術」として知られていますが、もっと奥には、人間を根底において鍛える訓練の法でもあると愚考しているのです。座禅につながるとは思えませんが、闘争心を培わない術もまた、生きる上では大事な姿勢ではないか。

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● 合気道【あいきどう】=こんにちの合気道は,植芝盛平〔1883-1969〕が合気武術,合気武道の名で指導してきたものを,1942年,みずから合気道と改称したのが始まり。もともとは古流柔術の一流派である大東流合気柔術源流とし,〈合気〉の名を用いる日本武術のこと。伝えられるところによれば,大東流は源氏の新羅三郎義光を始祖とし,甲斐の武田家で伝承された。1574年に会津の武田家に伝えられて,殿中護身武芸となり,歴代藩によって継承された。大東流の中興の祖といわれる武田惣角は角力,棒術,小野派一刀流,宝蔵院流槍術,手裏剣術を学び,さらに会津の殿中護身武芸を取り入れ,1898年以降,大東流柔術として普及に努めた。この武田から植芝は指導を受け,1922年に教授代理となり,1931年には〈八十四ケ条御信用之手〉を伝授されて独立。1942年に合気道を起こす。1926年から植芝の指導を受けた富木謙治は,植芝の工夫した〈形〉と〈約束練習〉をもとに合気道の競技化の道をさぐり,〈合気乱取法〉(自由練習)を創案。こんにちの合気道界は,武田,植芝,富木を基点とする三つの潮流があり,さらに,細かく分派した独立組織が乱立しており,百花繚乱と呼ぶにふさわしい。合気道は古流柔術にその源を発しているように,相手を制御し,捕縛することが目的である。したがって,関節技(手首,肘(ひじ),肩など)と当て身が中心となっている。乱取りの基本の形は,関節技が9,当て身技が5,浮き技が3の合計17本。競技の方法は,徒手対徒手(有効技を競う),徒手対短刀,形の演武(採点)の3種。最近は演武に人気が集まりつつある。(ニッポニカ)

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 閑話休題かな。お寺の坊さんや教会の神父さんなどはすべてが「尊敬されるべき存在」「聖職者」かというと、まずそれはあり得ない。ぼくは無条件にだれかを信じたり受け入れたりすることが出来ない・しない人間です。その理由は単純、彼や彼女も人間だからです。先頃、フランスやカナダの教会で、どんなに残虐な人権侵害(虐殺や虐待)が行われていたかが白日の下にさらけ出されました。この島の寺域でも、事情は変わらないんじゃないですか。お坊さんや神父・シスターを見たら、それを疑えというのではなく、その人たちも苦悩や苦労が深いから、脱俗入聖の生活に入ったのだろうと、少しばかり羨望の念を交えて、対面するようにしていました。

 ぼくはお寺や教会の「掲示板」を眺めるのが好きだというのも、そこには、関係する人々(信仰者)の苦しみや悔悟の情がありありと伺われるからです。悩みから解放された人ではなく、彼や彼女は、悩みに身を引き裂かれそうになっているから、信心というものに縋(すが)るんじゃないですか。信仰を持つというのは、それをもって、弱くて儚(はかな)い自身の人生(存在)を確かなものにしたいという懇願・請願があると言ったらどうでしょう。だれだって弱いから、その反動で、強くなりたいんですね、でも、強くなるというのはどういうことか。揺るぎない信仰があるという御仁に、ぼくは近づきたくないですね。ホントに「揺るぎないか」どうか、ぼくには疑わしいから。でも、そういっている人がいることは、認めているんです。信仰に生きようとするとは、迷いに満ちた「人生を生きている」ということの裏返しでもあるんだ、ぼくはそのように考えてきました。(「救い」というのは、どういうことを言うのですか、「救われる」というのは? 問いは尽きませんね)

 (ぼくは、この数十年来、「スランプ<slump>」という意識現象(意識を規定しているのは身体という容れ物と、それを支配している情念<passions>という容れ物の蓋のような働きをする感覚、それが合体したある種の心身の「暗黒症状」でもある)に強い関心を持ってきました。「不振」「不調」「下落」「中弛み」「奔落」「転落」「下放」「自暴」「自棄(への直前状態)」などなど、あらゆる低調傾向を含んでいる「ことば」であり「状況)でもあります。そのすべてをぼくは、この何十年、大小となく、したくなくても、それに突き動かされるという経験をしてきました。ついには「命の糸」が切れてしまって…、ということにならないでいるのは、まるで「奇跡」というか「怪異」でもあります。さらに言えば「宝くじ」の五等ぐらいに当選するという「幸運」(かどうか、一概には言えませんが)に似た偶然の結果です。きっと「死に対する防御力」「死への抗体」が、ぼくの生命の根底に根を下ろしているのかもしれません。「未練とご飯を残さない」というこころがけ(思想)は、その人の「生の道」を行き止まり(袋小路)にしない「格率<maxim>」でもあると言ってみたくなります)(Dr.スランプとARALEちゃんは、いつだってぼくの用心棒でした、ジョークは真面目を凌駕して、生への意欲を生み出してくれるのかも)

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)