【北斗星】校舎の上に懸かる三日月、窓から漏れる明かり、男性が走って校門をくぐる。ここは東京・下町の夜間中学。年齢はばらばらで国籍も異なる。いろんな境遇の生徒が出会う人生の十字路のような所だ▼山田洋次監督の映画「学校」は生徒7人の人生模様を描く。その一人が不登校で転校してきた少女。無理やり車に乗せられて登校し、泣いて家に帰る。そんなつらい体験を抱えながらも、少しずつ周りと打ち解け笑顔が増えてゆく▼「幸福とは何か」を考える授業で答える。「それを分かるために勉強するんじゃないの」―。映画の中学は実際にあり、担任にモデルがいた。現在80代で千葉に住む。生徒に寄り添い42年。「事情が異なる一人一人に合わせないといけない」と語り、「その人に合った形」の学びを訴える▼全国の不登校の小中学生は昨年度、約19万6千人と過去最多で県内は1064人。新型コロナウイルスによる環境の変化が影響したという。沈黙しての給食、修学旅行など行事の中止。わいわいと触れ合う時間が削られ、子供の心に影を落としたのかもしれない▼不登校には数々の要因が絡み合う。コロナの影響はその一つなのだろう。大事なのは、「その子に合った学び」をきちんと大人が届けられるかだ▼学校に行かなくてもフリースクールやオンライン学習といった選択肢もある。それぞれに合った「学び」に出合う可能性が増えてきた。「幸福とは何か」に自ら答えを導き出した少女のように。(秋田魁新報・2021年10月23日)
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映画「学校」のモデルとなった見城慶和さんについては、この駄文集録のどこかで触れています。大事な仕事をされた方であると、ぼくは深甚の敬意を表しています。また記録映画「こんばんは」にも、出ておられます。この時の授業展開は見事で、ぼくはすっかり授業に惹きこまれていました。中野重治の短編「菊の花」を教材にしたものでした(左はその写真)。見城さんが「夜間中学校」の教師になられたきっかけとなった、荒川六中の塚原雄太さんにもぼくは教えられました。お会いしたことはなかったが、いろいろな機会に彼から刺激を受けてきました。また荒川六中にも何度か出かけたことがありました。いずれにしても、夜間中学一筋の教師人生に、「ここに教育が行われている」という実感を、ぼくは与えていただいた。「事情が異なる一人一人に合わせないといけない」「その人に合った形」を学習において、どのように展開してゆくか。ここに教育の極意があると、ぼくはずっと考えながら、その方句を探ってきました。「その子に合った学び」というが、三十人のクラスで、いかにしてそれは可能か。いわゆる「単元学習」というものの「必要性と重要性」は、まだまだ認識されていないように思われます。
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● 見城慶和 (けんじょう-よしかず)(1937- )=昭和後期-平成時代の教育者。昭和12年11月27日生まれ。東京学芸大を卒業後,東京都荒川区立第九中学二部(夜間部)の教員となる。平成元年江戸川区立小松川第二中学二部にうつり,同校に「夜間中学資料室」を開設。37年間,夜間中学ひとすじに教育にあたり,すぐれた成果をあげる。11年吉川英治文化賞。群馬県出身。(デジタル版日本人名大辞典+Plus)

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「不登校」あるいは「登校拒否」、いずれもある種の「価値観」を色濃く映した言葉のようにぼくには見えてきます。「あの子は不登校児だ」「彼女は登校拒否をしている」「学校に行かないなんて、どういう了見なんでしょう」などと何の疑問も持たないで使ってきたし、今でも使う。ある種の「罵りことば」であり「侮辱する表現」でもあるといえそうです。心なくこんな言葉を使うとは、いかにも不用意ではないかとぼくは思う。まず「登校」しなければ何も始まらないという大前提がありはしませんか。学校は「義務教育」機関だから、そこへ行こうとしないのは「義務を果たしていない」という価値判断があります。本当にそうですか、と何度でもぼくは問い続けている。憲法でいう「教育を受ける権利」(第二十六条)は、子どもたちの「生来の権利」として「教育を受ける」ことを示しているのです。しかし、その「権利」はいつどんな場合でも保障されるとは、誰も考えていない。そんな「権利」なんです。この「権利」は、誰かが義務を履行して「保証」しなければ、風の前の木の葉も同然、いつだって吹き飛ばされてしまう。学校に行くことだけが「権利」なのではなく、行かないことも含めて「権利」なのだと考えるべきです。学校は「子どもの教育」の独占企業じゃないでしょ。
昨年度の「不登校児童・生徒」は十九万六千人に達したという。それは「権利を放棄した」子どもがそれだけいたということか。あるいは「権利を侵害された子ども」の数をいうのでしょうか。数字の多少に興味を持つのではなく、「事情が異なる一人一人に合わせないといけない」のは、教室の中の営みと同じでしょう。数字に埋没させてしまわない、「その子に合った学び」を、この「不登校」の子どもにも、当たり前に保障する。そんなことできますかいな、というなら終わりですね。コロナ禍で「入院拒否」にあった人が「自宅待機」で、文字通り「死の待機」を強いられた。「一人に合った療養」を棄てた機関を病院とは言わない。それと同じような危機を学校はかかえながら、壊されなかったのは、その代わりに、子どもたちが「壊されてきた」からです。この先もそうするんですか、そのようにぼくたちは問われている。

「学校に行かないのは悪い子」という風潮があります。行くこと(登校)を前提に「教育を受ける権利」が定められているのでもなければ、行かない子には権利は付与されないというのでもない。少なくとも「権利」というかぎり、学校に行く行かないに左右されないものととらえるのが当たり前です。今、この駄文を綴っている机の上に「投票所入場整理券」という郵便物があります。昨日郵送されてきた、所謂「投票の権利」を示した証明書のようなものです。これを持っているから「選挙権」は保障されているのですが、実際に投票するかしないかにかかわらず、この「証明書」は送られてきます。それが「権利」本来の含意でしょう。権利を行使する方法は、一つではないという意味です。「教育を受ける権利」も同じではないですか。
あまり面倒なことは言いません。でも、この「不登校」問題に関しては、やはり学校に行かない・行けない子どもを「問題(児・者)扱い」をしているのは、可笑しいですね。あるいは明らかな見当違いであると言いたい。学校に行けない理由は、それぞれです。「病気・経済的理由」が初期には認められていましたが、「病気」にも多様な段階や症状があります。一概に定義することは無意味であるかもしれないと、ぼくは考えている。
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● 教育を受ける権利(きょういくをうけるけんり)=日本国憲法は「すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」(26条1項)と規定し、国民に教育を受ける権利を保障する。すべての国民がその能力に応じて、経済的な貧富の別なく、等しく教育を受けることができるように、国は、立法および行政において必要な施策を行わなければならないことを義務づけられる、いわゆる教育の「機会均等」の保障である。/ そのために教育基本法に基づく学校教育法、社会教育法、私立学校法などを設けて教育制度を整備し、また日本育英会法などによる経済的困窮者に対する育英奨学制度が設けられるようになった。さらに憲法は「すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする」(26条2項)と規定し、この権利を実現させるために、保護すべき子女に教育を受けさせることを国民の義務として課している。それは、国民の教育レベルを向上させて国民の一人一人に健康で文化的な生活を営ましめるためであり、民主的な社会を健全な能力により保持せしめようとするためである。さらに憲法の目ざす「平和で民主的で文化的」な国家の主権者を育成するためである。なお1948年の世界人権宣言は「すべての人は、教育を受ける権利を有する」(26条1項前段)と規定し、第二次世界大戦後の世界各国の憲法には、前述と同様の「教育を受ける権利」が規定されている。(ニッポニカ) *下図の出典:(https://news.yahoo.co.jp/byline/suetomikaori/20211014-00263092)

● 単元学習(たんげんがくしゅう)(unit learning)=学習内容を教材の系統性,子供の興味に基づいて単元としてまとめ,その学習の中で生きた学力を形成しようとするもの。ヘルバルト学派の教授段階説に基づいた方法的単元学習と,J.デューイらによる経験主義的単元学習の2つがあり,一般には経験主義のものを指す。経験主義の単元学習は,第2次世界大戦後の日本の新しい教育の理念と方法として採用され,生活単元学習や超教科的なコア・カリキュラム運動として広く展開された。その後,自然科学教育面における学力の低下が指摘され,歯止めがかけられたが,知識と生活を結び付けた生きた学習を成立させるという単元学習の理念は今に続いている。(ブリタニカ国際大百科事典)

● 不登校=広義には、学籍のある子ども(児童生徒)が、登校すべき日に登校しない日が多い状態。行政統計上は、病気や経済的理由など以外で長期に欠席をした者で、文部科学省が毎年5月1日現在で調べている学校基本調査においては、1990年度までは、年間50日以上欠席していた者を長期欠席者として計上しており、理由としては「学校嫌い」という用語が用いられて、それを登校拒否と呼んでいた。91年度からは、長期欠席扱いをする年間欠席日数が30日以上に変更になり、また、学校に行きたくても行かれない児童生徒も増えていることから、理由として「不登校」という言葉が使われるようになった。 教育学では、古くから、親の同意のない故意の欠席といった意味を表す怠学(truancy)という用語があるが、今日日本で問題になっている不登校は、理由の面からより広い概念である。不登校が長期化して、「ひきこもり」状態になる者が多いということもいわれており、その関連性が問題になっている。2005年度の不登校児童生徒の比率は、小学校0.32%、中学校1.13%で、統計上は減少傾向にある。(知恵蔵)
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不登校と自殺者が過去最多に 小中学生、コロナ禍の不調が浮き彫りに

2020年度に30日以上登校せず「不登校」とみなされた小中学生は前年度より8・2%増の19万6127人で、過去最多だったことが文部科学省の問題行動・不登校調査でわかった。小中高校から報告された児童生徒の自殺者数も415人で最多。コロナ禍による一斉休校など生活環境の変化で、多くの子どもが心身に不調をきたしたことが浮き彫りになった。◆調査は全国の小中高校や教育委員会を対象に実施した。不登校の小学生は6万3350人(前年度比1万人増)、中学生は13万2777人(同4855人増)いた。不登校生の55%が90日以上の長期欠席をしていた。不登校の小中学生は2013年度から8年連続で増え、比較可能な1991年度の統計開始以降最多に。1千人あたりの不登校者数は20・5人(同1・7人増)だった。 主な不登校の要因は「無気力、不安」が46・9%(同7・0ポイント増)と最多で、「生活リズムの乱れ、あそび、非行」が12・0%(同2・9ポイント増)で続いた。◆また、不登校ではないものの、コロナ感染を避けるため30日以上出席しなかった小中学生は2万905人いた。不登校の高校生は4万3051人(同7049人減)だった。◆自殺した小中高生は、文科省が自殺の統計調査を始めた1974年以降最多となった。小学生は7人(同3人増)、中学生は103人(同12人増)、高校生は305人(同83人増)で、女子高校生は131人(同68人増)と倍増していた。自殺者が置かれていた状況では、家庭不和や精神障害、進路問題や父母らの叱責(しっせき)があったことが目立った。◆ただ、警察庁の統計では昨年度の小中高校生の自殺者は507人(暫定含む)で、学校側が把握できていないケースもあるとみられる。◆不登校の増加について文科省の担当者は一斉休校や分散登校などにより「生活リズムが乱れやすく、学校では行事なども制限されて登校する意欲がわかなかったのではないか」と指摘。自殺の背景として、家庭不和や親の叱責、精神障害はこれまでも多かったが、今回は前年度より件数が増えており、「コロナで在宅の時間が増え、家庭での息苦しさが増した」とみる。(朝日新聞デジタル・2021/10/13)
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学校って何だろう、こんな問いをぶら下げて、ぼくはこれまで歩いてきたというのが、率直なところです。そんなわけのわからない問いなんかやめてしまって、あるがままを受け入れればいいじゃないかと、他人にも言われ、自分でも、時にはそうだなと納得しかかったりしましたが、しかし、この「問い」は、ぼくを開放も解放もしてくれなかった。昨年度の「不登校」者が、二十万人にも届こうかという数字が報告されています。政府筋の報告類は眉唾物、正確なものではないのは百も承知で、本当に「学校には行かない・行けない」という子どもは、この数倍はいるし、不登校予備軍とでも称する子どもたちはさらに多くいます。高校生になると、不登校も限定され、長期間の不登校は処分されたにもかかわらず「自主退学」と偽装されたり、「退校」に姿を変えるからです。
いったいどれだけの数の人間が「行くべき」とされている学校を忌避したり、しようとしているのか。少しはまじめに考えたらどうですか、ぼくは、正直にそう思っている。「教育」はどこにあってもできる。学校に行かないでも、じゅうぶんに教育の成果や効果は上げられるのです。「現場」があれば、必要に迫られてきっと学ぶ。なにに役立つかわからない「準備教育」、それがこれまでの、これからの「学校教育の機能」なんだね。「不登校」というマイナスイメージがふんぷんと漂っている言葉に対して、「マジメに登校」「元気に下校」は明るい気分が感じられるかと言えば、なかなかそうはいきませんでしょう。仕方なしに通学しているという「隠れ学校嫌い」はどれくらいいるのか。想像を超えているでしょうね。また、ぼくのように「嫌いだった」が学校に行ったという、不真面目な子もいた。深い理由はなかったが、行った。教室には入ったが、「心はそこにあらず」でしたね。「居ても、居なかった」のです。いつでも、学校や教師とは「かなりの距離」を取っていた。今でいうところの <social distance>だったかな。だから、学校菌からの感染を免れたのだと、ぼくは信じています。

要するに、ある意味では、学校というのはそんな場所なんだとも言えます。嫌われるのが避けられない場所?だって、差し当たって役には立たないし、したくもないことを、いやだと言っても強いるんですからね。
「学校は嫌われている」ということですが、嫌われようが何をされようが、社会が継続していくためには必要な機関であり組織です。じゃあ、それって、「ケイムショ」ですか、と言われそう。いやいや、そんなもんじゃない。ケイムショには試験も受験もないし、もちろん宿題もありません、きっと(この辺は、ぼくには経験がないのでわかりませんが)と。いうわけで、根っ子から学校を疑わないと、自分が腐ってしまうんじゃないかという不信を募らせて学校に通っていたし、学校に務めていた(生活費を稼いでいた)、そんな人間の言うことですから、すこしは真実味があるように思われませんか。
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