本日は「旧聞」を二つばかり。学校とか教育というものを考えるヒントになりそうだと思いました。
一つは「言葉では動かすことができそうにない《対象》」を教材として提示すること、それが極度に学校の授業ではな欠けているとみられるだけに、なおさら大事であるという問題。「職人」になる、ならないではなく、自分で「物を作り上げる」、そのしんどさや喜びを、時間の経過を伴って見いだせる、そんな経験を当たり前に子どもたちに提示する必要があるのではないでしょうか。本を読んでもわからない世界があるということ。
二つ目は、子どもに連れそうて、いっしょに歩く大人がいなくなった、少なくなったのはどうしてかという問題です。いつの時代でもそうだったのか。この問題もまた、つねに学校教育の前途に立ちふさがっている壁となっているようです。教える人は「教師という神話」の世界から脱出して、いっしょに歩く(考える)、そんな教師が待望されているのではないですか。
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【筆洗】陶芸家で随筆家の河井寛次郎さんに、「町の神々」という一文がある。屋台で菓子を作る「爺(じい)さん」たちだ▼米の粉を使うしんこ細工では、たちまちクジラやツルを作り出した。うどん粉の液で鉄板に小鳥や金魚を見事に描きもして、子どもたちをすっかり魅了した。爺さんたちは昔の神々のような役を担い、「子供達を神話の海に浮かべ、新しい伝説の船に乗せて…新しい国を探しに送って行った」と書く▼この話のように幼少時、ものをつくり出す人をまぶしくながめた思い出を持つ人は多いだろう。紙のごとく薄いかんなくずが鮮やかな大工仕事、太い指が繰り出す畳針の技、靴の修理に洋服の仕立て…。子ども心にも「名工」を感じさせる姿だった▼

本年度の「現代の名工」が発表された。岐阜県可児市の矢入一男さん(➡)は、ポール・マッカートニーや井上陽水にも愛用されるギターを作り続ける。滋賀県湖南市の菊池彰仁さんは加工機械のフライス盤で金型を作る際「感覚で数ミクロンの誤差も分かる」そうだ。皆さん、匠(たくみ)というにふさわしい▼文芸評論家の清水良典さんがかつて工業高校に勤務したとき、反抗的な生徒にも文句なしに尊敬されたのは「助手」の身分で教える職人の技だったという。修練と経験の賜(たまもの)はどんな説教よりも雄弁だ、と書いていた。名工は日本のものづくりを支える一方で、浮つく時代の心もどこかで支えているのかもしれない▼ものをつくり続ける人は今日も営々と技を発揮していることだろう。今も「町の神々」のように見つめる子どもがいるに違いない。(東京新聞「筆洗」2005.11.14)
● しんこざいく【糝粉細工/新粉細工】=糝粉(しんこ)を水でこねて蒸し、彩色して人・動物・花などの形に作ったもの。江戸時代後期には一般的に縁日や大道芸などで見られたが、こんにちでは伝統技術としてわずかに伝わるものとなった。(世界の料理がわかる辞典)(*しんこ=精白した粳米(うるちまい)を乾燥して挽いた粉)をいう).
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モノを作るということと直接には結びつかないように思われますが、自分で考える、考えたところをじっくりと腰をすえて、文章に書くという作業、こんな時間のかかる行為が学校教育の場からどんどん失われていきました。それに関わることとして、一つのエピソードを。(この文章はどこかで触れたものです。何度でも触れてみたいものだと、ぼくは考えているのです】

詩人の石垣りん(1920~2004)は、ある雑誌に次のようなエピソードを語っておられます。「親戚の女子高生が言ってきたことがあるんですよ。<試験に石垣りんの詩が出たけど、正解がわからない>って。「作者が表現しようとしたのはつぎのどれか」という設問の正解が、なんと作者の石垣さんにもわからなかったとも。そんなことがあるんですか、とも思われますし、いくら作者だからと言って、それを生み出した当時の「一行一行の感覚や思想」を記憶しているかどうか怪しいし、その時の「気持ち」「感情」がそっくりそのまま残っているということはありえないでしょうよ。
「詩って、いろいろ意味がとれるでしょ。与えられた中から答えを選ばなきゃいけないって言うのは大変不都合だと思った」「洋服でも着物でも、昔は自分で作ってましたよね。いまはみんな、買う、つまり出来合い品から選ぶんです。答えも選ぶんです。自分で書くのでなくて」なんとも不自由じゃありませんか。「二択や三択」は、考えるという間(時間≒過程)を省略するんですよ。
「子どもたちが自分で考え、自分で書く。大事なそのことに付き合ってくれる大人がいなくなった。怖いことですね」
自分で考え、自分で書く、そんな道程をいっしょに連れそってくれる大人(教師をふくめて)がいなくなった学校教育から、どんな人間たちが生みだされるのでしょうか。「怖いですね」「およそ考えられない」
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以下は、「おまけ」というと穏当を欠きます。しかし「コンプレックス」というものが、大なり小なり人を奮い立たせる「スプリング」になっていることを、どのようにして、当の本人に経験させることができるか。ここにも「大人不在」が見出されそうですし、これもまた、学校を含めた、ぼくたちが生きている「社会(集団)」の大きな宿題となっています。

十四歳の悩みは、深刻でもあり、思い込みが強すぎるとも言えそうです。本人は、しかし「この世の末」という追い込まれた感覚に縛られています、逃げ場のない「袋小路」にはまり込んでいるとも言えそうです。この「袋小路」の入り口と出口は同じですか、別々なんですか。そういう問題でもあるように思います。
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《 私はコンプレックスばかりです。勉強も運動もだめで、不器用で要領が悪い。怖がりで泣き虫で、人の言っていることもつかみとれません。所属するバレー部でも「たらたらしとんなや」「遅いって」言われます。苦しいです。自分が嫌いで死にたいです。

母親や保健の先生やカウンセラーにも相談しましたが、「仕方ない」「受け流せばいい」「あんたの考え方を変えたら」と言われました。でもどうしても、言われた言葉をくそまじめに考えてしまうのです。助けてください。》(京都府・中学女子・14歳)(朝日新聞・05/10/29)
このよう必死の叫びに対して、あなたならどのような「救い」を授けられるでしょうか。ていねいに考えてみたい事柄です。「この先 行き 止まり」とありますが、ホントにそうですか、乗り越えられるんじゃないですか、奥まで行って。
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