たまには黒板に背を向けて

 【河北春秋】積み木やブロック遊びは、崩れたら、改善した上で積み直す。コンピューター科学者のミッチェル・レズニックさんは、幼稚園で定番の遊びに、学びの原点があると指摘する。「急速に変化する今日の社会で活躍していくために必要な創造力がある」。課題解決力と言えよう▼子ども向けプログラミング言語「スクラッチ」の開発者が共著『ライフロング・キンダーガーデン』で説くのは、創造力を育む幼稚園のような場がもっと必要だということ。日本の小学校で必修となったプログラミングでも普及する「スクラッチ」は幼稚園の学びがベースだった▼日本の学校が変わりつつある。鍵となるのは、デジタル。東京電力福島第1原発事故で会津若松市に避難する福島県大熊町の小中学校では、試行錯誤する教員らが手応えを感じている▼人工知能(AI)を活用したタブレットを使う教科学習は、理解度に応じた個別学習。子ども同士が教え合うも良し。教師はサポート役に回る。黒板に向かう従来の授業は一変した。町内に2023年度完成の新校舎は多様な学び方を可能にする空間だ▼現場が地道に取り組む中、デジタル庁幹部の接待問題が浮上した。雲散霧消の末に衆院選に突入する。行政も政治も信頼を損ねては現場の努力が浮かばれない。(河北新報・2021/10/17)

【学び再興 福島・大熊の挑戦1】AI活用、多様に個別最適化

 東京電力福島第1原発事故で全町避難した福島県大熊町は2023年度、町内で教育活動を再開する。避難先の会津若松市で22年度に義務教育学校へ移行する町の小中3校では、新たな取り組みを一部先行実施している。小規模ながら古里での学びを再び興そうと懸命な現場を追った。(会津若松支局・玉應雅史)

 「これからは楽しく勉強してほしいなあ、と思います。その勉強の仕方を考えましょう」/ 会津若松市内にある大熊町熊町小、大野小の5、6年生5人が受ける算数の授業。町教委主幹の増子啓伸指導主事は9月上旬、自ら教壇に立った。新たな学習法を児童や教員に説明するためだ。その学習法を増子指導主事は「ごちゃ混ぜラーニング」と名付けた。/ 児童の手元には教科書とドリルのほか、タブレット端末が1人1台。その日に何を使って勉強するかは自分で決め、分からないことは聞いても教えてもいいし、好きな場所で勉強して構わない。目標を自ら決めて自主的に学び、教員はそれを「支援」する。/ 人工知能(AI)を活用したデジタル教材のタブレットは理解に応じて問題を提示し、一人一人の習熟度を判断して学びをサポートする。学年ごと教室で児童生徒が黒板に向かい、教員が「指導」する従来の一斉授業と大きく異なる。(以下略)(河北新報・2020年11月20日 14:49)

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 いま始まったばかりの「ごちゃ混ぜラーニング」です。見通しを持っているとは思えませんし、この極めて小規模学校での志向が、仮に「成果」を上げたとしても、それを各地の学校に展開できるかどうかは、未知数であり、大いに疑わしい。このような従来型の授業スタイルと、今後に主流になるかもしれない「デジタル活用授業」の併用。これまでにもこのようなスタイルがなかったわけではありませんが、じゅうぶんに機能しないままで立ち消えになったのでしょう。「複式」学級などの存在もそれを示していました。

 「スクラッチ学習」も導入されているところはありますが、この利用範囲は学校教育では極めて限定されるでしょう。問題は、教師の役割と、子どもの学習効果の判定を子ども自身がどこまでできるか、そのような二重の隘路を抱えている「学習方式」だとも映ります。何事も新規に始めるには、抵抗も障害も多い。だから一足飛びに成果ばかりを狙わないことは当然ですが、これまでのような「一斉授業」で求められた「効率」「能力判定」「順位付け」が、いったんは解放されることになりますから、教師や親の気がかり(ストレス)も無視できませんし、すべての学校がこのような授業方法を導入するのでなければ、おそらく進学や受験競争に不利になりはしないかという、余計な心配も生じてきます。

 つまり、いろいろと新たな教育方法を求めたり導入したところで、究極のねらいをどこに設定するか、そこが明らかでなければ、「元の木阿弥」になることは避けられないでしょう。偏差値や上級学校への合格実績が「学習効果」の尺度に拘泥するなら、この試みは必ず失敗します。

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 増子指導主事は「一斉授業で同じ内容、同じ進度の授業から児童生徒それぞれの興味関心、特性に応じた学びのシステムに転換していく」と強調する。/ 同様に市内に避難する大熊中を含め、町の小中学校で学ぶ児童生徒は現在計12人。原発事故から間もなく10年。避難当初の約600人から大きく減った。親の仕事の関係による市外への転出や、避難先の学校に入学するケースが増えた。/ 3年後も少人数が想定される中、町教委は新たな教科学習のキーワードを「個別最適化」と定める。学力を伸ばしたい子、基礎固めが必要な子。多様な人との学び合い、多様な学び方に対応し思考力、判断力、表現力を育てる。「ごちゃ混ぜ」の真意はそこにある。(同記事)

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 公立版の「個太郎塾」のようでもあります。この程度の人数であれば、どんなことだって実験的にやれます。しかし、教育は実験ではないし、まして人生はゲームではありませんから、どこかで躓くことは避けられないでしょう。要するに、これまでの学校教育の求めてきたものと、実際に受け入れられてきた価値観の大なる葛藤を経験しなければ、事態はうまく運ばないのではないでしょう。学校教育に付着しているる既存の「価値観」が払拭されて初めて、展望らしきものが見えてくるのではないですか。途中で投げ出さないで「一斉授業で同じ内容、同じ進度の授業から児童生徒それぞれの興味関心、特性に応じた学びのシステムに転換していく」という勇敢な、あるいは無謀とも見える試みを続けてほしい。これが福島の大熊町において実践されているという意義も貴重なものがあるとぼくには思われるのです。できれば、いつの日か、この目で教室に入って、現実の「ごちゃ混ぜラーニング」を確かめてみたいですね。(実は、すでにアメリカの、いくつもの大学では「ごちゃ混ぜラーニング」は始まっています。ときどき新聞を通して、教室を覗き、ぼくは少しずつ「新たな教室(授業)」の見通しを確かめようとしている。あるいはすでに、どこかで(ぼくが構想・妄想している)「飛ぶ教室」が出現しているんでしょうか。その内の一つを、以下に示しておきます)

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 以下は、アメリカにおける大学の「ごちゃ混ぜ授業」の風景です。これが可能になるには、いろいろな条件が求められます。施設の面積や設備、いろいろな学習形態を受け入れられる(選択できる)学生の能力。そのような全体と個別の両面を見通すことが出来る教師の能力、あるいはそれらに臨む準備研究の必要性。大学当局の理解と設備投資の基盤。その他、いくつもの壁が立ちはだかっているようですが、その教育効果は、どのような視点から求められるのか。おそらく、それぞれの「方法」に適した教育内容があるはずで、これらに一定の見通しが立つまでには数年かかると思われます。よほど関心をもって、教育の狙いを掘り下げておかないと、必ず「元の木阿弥」になるでしょう。今の「ごちゃ混ぜラーニング」は、けっして緊急避難のためだけのものではなさそうです。<I appreciate that we have the option>というアメリカの大学生の声は、多くの学習者の叫びでもあるでしょう。

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The post-pandemic future of college? It’s on campus and online. Students are back, but their classes are a remarkable mix of in person and virtual

SAN JOSE — Wearing a mask and Birkenstocks as he roved the classroom one afternoon, associate professor John Delacruz sought to rev up his students for an assignment in advertising design. They were each to create a poster defining an artist’s brand through color, font and other elements of text./ “Do it,” Delacruz urged them. “Make it. Get your hands dirty. Really want you to explore how to make your typography physical.” He broke them up into small groups to talk it over. But some weren’t physically there. They were tuning in from afar through Zoom.

John Delacruz, an associate professor of advertising, talks with remote students via Zoom while others work in person during a class on the fundamentals of design at San José State University. (John Brecher for The Washington Post)

That is the new reality at San José State University and elsewhere in higher education a year and a half after the coronavirus pandemic shuttered campuses across America. Students are back on campus and online at the same time. They like having the choice. For many, education is defined less by the mode of instruction than by how well it meets their needs./ “I’ve adjusted to it and maybe even prefer sometimes being on Zoom,” said Natesa Vuong, 21, a senior in advertising from San Jose who was one of the remote students in Delacruz’s class. On other days she would have been there in person. “I appreciate that we have the option.”(Omitted below)(By Nick Anderson September 28, 2021 at 7:00 a.m. EDT The W.P. )(https://www.washingtonpost.com/education/2021/09/28/post-pandemic-university-online-classes/

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。