スタバはないけどスナバはある

 

 毎度おなじみの「ランキング」です。何をランクづけるのか、それぞれではありますが、「都道府県別魅力度ランキング」が本年も発表されました。これにイチャモンを付けたのが、これもおなじみの「一太知事」で、おそらく「イチャモン知事」のランキングなら、きっと最高位まちがいなし。若いころからこの人は、何かと物議をかもしていました。きっと、物議を醸す(問題提起をするともいえる)こと自体が彼の政治だったと思えます。その一々を列挙しませんが、親父(元農林大臣)に似なかったのか、まことに始末に悪い「絡みつきぶり」です。二世議員として国会進出を果たしまたが、参議院だった。彼の信条からすれば、どうしても衆議院議員でなければならなかったが、生まれた土地がうまくなかった。群馬県は名うての「保守王国」、歴代総理も輩出して、すでに四人です。一太さんの出場所がなかった。やんぬるかな、千路に乱れた心情を殺して「群馬県知事」になろうとされた。

 閑話(「ぐんまがいちばん!」=群馬の魅力的な素材や県民にもあまり知られていないようなトピックスなどを、群馬県のマスコット「ぐんまちゃん」が紹介するというコンセプトで作成された冊子です。/ 分野ごとに、群馬が日本一、日本初のものなどを紹介し、その関連情報や話題性のある事柄を、写真を使ってわかりやすく解説しています。/ また、各ページの最下段でも群馬のさまざまな情報をクイズ形式で紹介するなど、見所満載です。/ イラストや文字も大きく、小学生の学習等でも使いやすい内容となっています。/ 県民の皆さんが「群馬県にはこんな魅力があるんだ」と他県の方にお話しできるような冊子ですので、ぜひご活用ください)(https://www.pref.gunma.jp/01/b0100132.html)

 閑話休題 ここは山本さんの履歴を紹介するところではないし、そんなことに、ぼくはまったく興味がない。しかしことはランキングです。彼の出生地は草津。衆議院選挙区・群馬五区。そこには小渕「電気ドリル(でHDD破壊。政治資金規正法違反容疑の証拠隠滅を図る)」氏が圧倒的な強さを誇って当選を重ねている。彼女の父親は故小渕恵三氏。1973年生まれ。二十六歳で初当選。片や、一太さんは1958年生まれ。この先、まともにいけば、自分が衆議院議員になる芽は出てきません。それくらいの「読み」はできる人。というわけで、「知事選」に出馬(2019年7月)、当選。ぼくはこの時、よくも彼は議員を辞職したと思ったものです。そんな人には見えなかった。どうしても目立ちたい盛りだったが、彼(に限らず)には参議院は「地味」だったんでしょうね。そんな輩は、まだまだいますよ。目立ちたいばかりで政治家を狙う、この尺度でランキングを付けると、どうなるんでしょう。

 無駄話はこれで終わり。(この先は、本格的無駄話)昨年も、これについて触れたと思います。全国47都道府県の「魅力度」をどのようにして調査するのか。おそらくほとんど勝手放題にするほかないでしょう。そんないい加減な尺度を当て嵌めてランクづけるんですから、「まるで冗談」、いや「ホントの冗談」だというほかありません。「冗談に目くじらを立てる」人は、いくらもいるんですが、この一太さんにはかなわないかもしれない。冗談がわかるとわからないでは、人生にも人間性にも大きな違いが出てきます。ぼくは、かなり頻繁に群馬の各地に出かけましたから、そこがどんな土地柄か、古くから知っているつもりでした。おそらく半世紀前から群馬通いを始めていました。山があり、温泉があり、イノシシやサルなど豊富な土地柄で、ぼくは大好きでした。魅力度はナンバーワンと言いたいけど、他のすべての県を知っているのではないから、そうは言えません。

 「魅力度」なんて、そんなん簡単に決められへんよ。「蓼食う虫も好き好き」 と言います。谷崎の小説(「蓼喰う虫」)にもありましたね。「人それぞれ」だから、世の中は何とか回転しているのです。食べ物にも嗜好というものがついて回ります。こんなに美味・珍味なのに「どうして、君は食べないか」と、ぼくはかみさんからよく言われる。彼女は「グルメ」というか「食通」だと思いますが、それに反して、ぼくは酒だけの人間でしたから「豆腐一丁」で二合(二号ではない)の口でした。そんな生活を若いころから、数十年続けた。土地柄は(土地の)人柄で、何処に行ってもいい人はいる。もちろん、その反対も。「住めば都」ではなく、「住めば田舎」ですよ。だから、下から四番目が気に入らないという「知事(あるいは痴事)」は、ひょっとして「あそこに負けた、あんなとこにまで負けた」と心底怒っているんでしょうか。あるいは「魅力度」は「知事の魅力度」だと勘違いして、あまりにも「図星」だったから、怒り心頭に発(近時は、達)したのかも。 

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● 蓼食う虫も好き好き=人の好みは、その人ごとにさまざまであることのたとえ。[使用例] けれど、ユリさんはわたしたちほど草村さんを嫌っていないのだから、蓼食う虫というんでしょうね[松本清張の車|1961][由来] 中国で、古くから使われてきた慣用句から。たとえば、紀元前二~一世紀の文人とうぼうさくの「しちかん」という作品には、「りょうちゅうさいうつるを知らず(からいタデの葉を食べる虫は、人の食用にもなるフユアオイの葉に移動することを知らない)」とあります。中国では、苦しみに慣れることのたとえとして使われていましたが、日本では、からいタデの葉を食べる虫がいるように、人の好みはそれぞれだ、という意味に変化し、現在のような形で定着しています。(故事成語を知る辞典)

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●蓼喰ふ虫(たでくうむし)=谷崎潤一郎の長編小説。1928年(昭和3)12月から翌年6月まで『東京日日新聞』『大阪毎日新聞』に連載。29年改造社刊。東京生まれの斯波(しばかなめ)・美佐子夫妻は関西に移り住んで結婚後10余年、小学校4年の子供があるが、いまは名目だけの夫婦である。美佐子には2年ほど前から阿曽(あそ)という恋人ができ、毎日のように会いに行く。夫の要はそのことを知りつつ、混血のルイズという娼婦(しょうふ)のもとに通っている。2人とも、子供を傷つけないよう離婚する機会を待っているのだが、そんなある日、妻の父に誘われて文楽見物に出かけた要は、文楽の人形の小春のうちに「永遠女性」のおもかげをみいだし、また、義父の若い妾(めかけ)お久の関西的な伝統美の世界に惹(ひ)かれてゆく。モダニズムから古典回帰へと移行する時期の重要な作品。自伝的要素も濃く、この作が書かれて2年後、潤一郎は妻千代を友人の佐藤春夫に譲った。(ニッポニカ)(蛇足 この程度のものが「名小説」として受け入れられるというのは、どこか、なにかが狂っていますな。S.Y.)

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 ぼくが住んでいる千葉県、何かあるかと探したら、以下の項目が「一位」でした。怪しからん、「法的措置をも検討する」という程のこともない。標高がもっとも低いというのも、いいですね。平均で45m、ぼくの住んでいるところは、百m。それで? 以下に、「一位」をいくつかを上げてみました。(離婚率は、きっと低いでしょうねえ。初めにたくさん使っていますから。これは調べないことにします)

 国土地理院より平均標高の都道府県別ランキング。
 平均標高が最も高いのは長野県で1,132m(偏差値85.9)。2位は山梨県で995m。3位以下は群馬県(764m)、岐阜県(721m)、富山県(665m)の順。一方、最も標高が低いのは千葉県で45m(偏差値35.3)。これに沖縄県(82m)、茨城県(100m)、長崎県(132m)、大阪府(143m)と続いている。/ 分布地図を見ると山が多い本州中央部で平均標高が高い。/ 相関ランキングでは森林率と正の相関があり、可住地面積率と負の相関があることから、平均標高が高いところは森が多く人が住める場所が少ない。(https://todo-ran.com/t/kiji/22939)

1位 サイゼリヤ店舗数・1位 ほうれんそう生産量・1位 結婚式費用・1位 15歳以上買い物時間・1位 1世帯あたり負債額に占める住宅ローン比率・1位 現役医師増加率・1位 焼酎生産量・1位 高校生通学時間(往復)

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【地軸】魅力度ランキング 江戸時代、相撲の番付をまねた格付け表が世に出回るようになった。印刷物が影響力のある情報媒体として広まったことが大きい▲名所や特産、売れている文化人など、あらゆるジャンルの番付が登場。「諸国温泉功能鑑(こうのうかがみ)」と命名された番付では、最高位の大関に群馬・草津と兵庫・有馬が並ぶ。道後も評価は上々で、小結に位置。庶民はこうした番付を眺め、旅情を誘われたのだろう。現代でも、はやりを知る上で欠かせないものである▲民間シンクタンクが発表した2021年の都道府県別魅力度ランキングに、群馬県知事がかみついた。同県は昨年の40位から44位に下落。「県民の誇りを低下させる」として法的措置も検討するというから穏やかでない▲昨年は、最下位の栃木県の知事がシンクタンクを訪れ、調査方法の改善を申し入れた。その効果かどうかは分からないが、41位に浮上。愛媛は32位で前年の24位から大幅ダウン。なぜ…▲この種の話題は、捉え方次第のところも。出版社の住みたい田舎ランキングで西条市が全国1位に選ばれた時は素直に誇らしかった。「スタバはないけどスナバはある」。かつて鳥取県知事が現状を逆手にとって、地域資源の価値を分かりやすくアピールした例もある▲人々のお国自慢意識がある限り、各地の魅力度を探るニーズは尽きない。ランキングは自らの地域が磨けているかどうか、冷静に見つめる機会とするのがよさそうだ。(愛媛新聞・2021年10月17日)

 山本一太・群馬県知事「法的措置も検討」 魅力度ランキング44位に反発 ブランド総研「山本知事も活用して」

 民間シンクタンクのブランド総合研究所(東京都)が発表した2021年の都道府県別魅力度ランキングで群馬県が44位だったことについて、山本一太知事は12日の会見で、「根拠の不明確なランキング」と改めて批判した上で「内容を精査し、弁護士と相談して法的措置も検討したい」との考えを示した。/ 山本知事は同ランキングがメディアなどで取り上げられ影響力があることを強調。「群馬のイメージや観光にマイナスの影響が生じる可能性があることを問題にしている」と主張した。/ 山本知事は40位だった昨年も調査手法などに疑問を呈した経緯がある。県庁内に検証チームを立ち上げ、今年7月に「多角的な指標で総合的に評価すべきだ」などとする検証結果を発表している。/ 一方、同研究所の田中章雄社長は「地域活性化の戦略に生かしてほしくて公表しているランキング。(一部知事の)要望を踏まえ、都道府県別の回答者数を増やすなど、より活用しやすくしている。山本知事にもぜひ活用してもらいたい」と話している。(西山健太郎)(上毛新聞・2021/10/13)

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 全国学力テストなるものが、かなり前から実施されています。これなども、都道府県単位の「学力ランキング」と錯覚する向きが、相当にありました。その錯覚の張本人が当局者だったとは、困ったものを通り越して、「✖✖に付ける薬はない」というレベルに達していました。成績の振るわない子どもを休ませる、教師が答えを教えたとか、問題を事前にやらせたとか。そんなにしてまでランキングを上げたいのは、おのれ(子どもたち以外の関係者)の名誉や評価につながると、愚かにも、あるいは懸命にも考えたからでしょうね。これではG県の痴事さんと同類です。県単位、市単位、町単位、村単位、そして最後は学校単位、クラス単位と、「ランキング最下位」の犯人捜しは行くところまで。反対に上位組には「報奨金」を付けるということまで、いまもまだっやているんですか。とかく、優劣を競うと、何者・何事であれ、まじめになるのだから、手に負えません。ぼくの「半生の信条」に「マジメはコワい」というものがあります。

 真面目に人を殺す、という怖いマジメを筆頭に、何でも真面目一辺倒。だから、ぼくはそれを「ナンセンス」で受け流すんです。「魅力度一位」だって、ナンセンスというわけ。一番病というのは、ウィルスによる感染症のようで、油断してもしなくても、写ルンです、いやウツルンですよ。ものは考えようというでしょ。回れ右すれば、ビリは一番だし、そんなのどっちだっていい。ぼくが敬愛していた久野収さんは「偉大なビリ」だった。実際は「下から二番目」だったが、本物のビリは学校に来なかったから、彼は、繰り上げ、いや繰り下げのビリ)「ビリになるには才能が欠かせない」ともいう。さらに、ビリには前途洋々というか、前途遼遠というか、遥かに未来が開かれている。「一番病」を人は何かと言いますが、「ビリッケツ病」には興味を示さない。困ったもんです。同じ罹(かか)るなら、ビリ病がいいね。誰とも競争しないんだから、平和なもんですよ。誰も傷つけないのだから。

 (⇑「魅力度」とは、地域のブランド力、すなわち地域の魅力を数値化する指標。「以下の自治体について、どの程度魅力を感じますか?」という問いに対して、「とても魅力的」を100点、「やや魅力的」を50点、「どちらでもない」、「あまり魅力を感じない」、「全く魅力的でない」を0点として、それらの回答を自治体ごとに集計(点数)として算出した。点数が大きいほど消費者はその地域を「魅力的」と感じる人が多いことになる。)(https://news.tiiki.jp/articles/4697)

 マジメはコワい、だからこの程度の「遊び」に対して「法的措置云々」と来る。この痴事さんは、学校の成績でも神経質だったんじゃないかな。その後遺症は、こういうところに顔を出します。でも、過半数の県民が、この「おじさん」で仕合わせ、というならそれでいいんですが。誰が痴事(智事)でもかまわない、とにかく、平和で安全な地域の実現に、金も時間も、もちろん知恵も使ってくれと願うばかりでしょう。とかく「政治」ではなく、「政治家」は人間が歪んでいるし、面倒くさいことになる、そんな人がやたらに多いですね。誰がなっても変わり映えがしないけど、油断していると「国を売る」「県を売る」ことになってしまうから、油断も休み休みに、ね。

 「スタバはないけどスナバはある」といったのは、鳥取県知事。その心は「ありのままでいい」と。「アナと雪の女王」の気分で生きましょう、行きましょう。It ’s the best as it is. あるいは Let it go.ですね。

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)