新聞と泣いて笑って考える

 【越山若水】「何か感動する話を読みたい。ぜひ新聞に書いてくれ」。飲み会で会うと決まってこんな注文をする知人がいる。しばらく不義理しているがコロナが収まればきっとまた言われるだろう▼常に互いに酔いながらの話で、感動とは何のことか聞きそびれたままである。社会面に「泣かせ」と呼ばれる人情話が載ることがあるが、知人が期待するのは恐らく別のものだろう。「勇気をもらえて頑張ろうと思える」種類の話かと想像してみるが果たしてどうか▼「本屋大賞」の立ち上げに関わった嶋浩一郎さんは、人には「自分で気づいていない好奇心」があり、それはネットよりもリアルの書店の方が見つけやすいという(「アイデアはあさっての方向からやってくる」日経BP社)。だから取りたてて目的の本がない時も、ぐるっと本屋の中を歩くことは意味がある▼本を「情報」に置き換えれば、新聞もリアル書店と似ている。新聞は限られたスペースに、1日という単位で切り取った情報を詰めていて、それが弱みになることもあるが良いこともある。うまくタイミングが合えば、読む人に新たな好奇心との出会いを演出できる▼先の知人も「自分が何に感動するか」が明快にできていない状態かもしれない。きょうから秋の新聞週間が始まる。一人でも多くの読者に、それぞれの感動に気づいてもらえるような記事を届けたい。(福井新聞・21/10/15)

(2021/10/15 ⇑)
2021年度(第74回)「新聞週間標語」入選作一覧
代表標語 1編
答えなき 時代のヒントを 探る記事
大阪府堺市 山野 大輔
佳作 10編(順不同)
離れても 心と心 つなぐ記事
北海道稚内市 佐藤 好恵
知って、感じて、考えて 生きる力を育む新聞
茨城県取手市 本橋 亜矢
真実を 伝えて守る 自由な社会
群馬県前橋市 児玉 福司
暗闇を ファクトの光で 照らす記事
静岡県御殿場市 田名瀬 新太郎
コロナ禍に 未来を照らす 記事がある
長野県中野市 安藤 一明
ゆれる世に ゆるがぬ記事の 存在感
新潟県新潟市 荒井 千代子
新聞と 私は自由に 対話する
京都府京都市 新井 幸佳
コロナ禍の 世界と私の 橋渡し
大阪府高槻市 池永 一広
めくる手に 広がる世界 深まる思考
福岡県久留米市 中島 真琴
新聞と泣いて笑って考える
鹿児島県鹿児島市 鮫島 由宇
(敬称略)
(https://www.pressnet.or.jp/about/recruitment/slogan/index.html

● 新聞週間(しんぶんしゅうかん)=社団法人日本新聞協会が1948年(昭和23)から毎年10月、1週間にわたって催す年中行事。初め占領軍の示唆でアメリカの「ニューズペーパー・ウィーク」と呼応して催された。行事の主眼は、読者に新聞の重要性を知らせ、新聞と読者との結び付きを強化すること。同時に、新聞・放送に携わる者が「言論・報道の自由」を守り、いっそうの発展を期する覚悟を新たにすることを目標にしている。週間中、新聞紙面を通じ趣旨の徹底を図るほか、標語募集などを行う。また、新聞協会加盟各社の幹部が集まって全国新聞大会を開き、その年の重要問題について研究討議を行う。58年から「新聞広告の日」、62年から「新聞少年の日」が週間中に設けられている。[高須正郎](ニッポニカ)

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● しん‐ぶん【新聞】=〘名〙① 新しく聞いた話。新しい風聞。新しい話題。※殿村篠斎宛馬琴書簡‐文政一〇年(1827)三月二日「人に交り候へば、珍説、新聞を得候益有之候へ共、又煩しき事も一倍に御座候」※学問のすゝめ(1872‐76)〈福沢諭吉〉一〇「当時流行の訳書を読み世間に奔走して内外の新聞を聞き」 〔李咸用‐春日喜逢郷人劉松〕② (「しんぶんし(新聞紙)」の略) 広い読者に時事に関する報道、解説を中心に、知識、娯楽、広告などを掲載伝達する定期刊行物。多く日刊のものをさしていうが、週刊、旬刊、月刊などのものもある。また、経済、スポーツ、書評、特殊な分野の情報などを専門的に扱うもの、営利を目的としない学校、団体、組合などの発行する機関紙に類するものも含めていう。なお、文久二年(一八六二)一月に発行された「官板バタビヤ新聞」が日本の最初のものという。新報紙。ニュースペーパー。※万国新聞紙‐四集‐慶応三年(1867)五月下旬「次のケ条は横浜出板の新聞より得たり」※安愚楽鍋(1871‐72)〈仮名垣魯文〉三「今朝米沢町の日新堂から届いた新(シン)ぶんの五十八号だが実に確証有益(うゑき)なことがあるよ」③ 「しんぶんしゃ(新聞社)」の略。※それから(1909)〈夏目漱石〉二「もし、実業の方が駄目なら、どっか新聞(シンブン)へでも這入らうかと思ふ」[語誌]幕末に中国から「新聞」「新聞紙」が news, newspaper の訳語として取り入れられた。「新聞」は「官板バタビヤ新聞」「東京日日新聞」「読売新聞」などの固有名詞に多く用いられたため、明治二〇年代には専ら newspaper の意として定着し、「新聞紙」は紙としての性質が意識される語となった。(精選版日本国語大辞典)

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 「教育に新聞を(Nespaper In Education)」とか言って、さかんに授業で新聞が扱われてきました。その経緯は以下の通りですが、現状はどうか。ぼくもある時期までは興味を持っていたし、授業で新聞をネタにしてきたのも事実ですが、思ったほどに効果は上がらなかったかもしれません。また時代は、頓(とみ)に「ネット化」が進み、猫も杓子もスマホだという成り行きに、一日単位の新聞は遅れを取っているのは事実でしょう。「教育に新聞を」は、本来「教育にメディアを」であるはずだったんでしょうね。このネット時代の「あけぼの」を迎えたころ、さかんに「メディア・リテラシー」なる語が闊歩していました。それ以来、三十年が経過した現在、ネットに限らず「リテラシー」がまったく育てられていなかったし、育っていなかったという実態を、毎日のように、メディア媒体を通じて見るが如くです。この流れは逆流させられない。

 「に働けばが立つ。させば流される。意地をせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさがじると、安い所へ引き越したくなる。/ どこへ越しても住みにくいとった時、詩が生れて、が出来る」(漱石「草枕」)====ぼくには、いっかな詩も生まれなければ、画もできません。

HH

====「物言えば 唇寒し 秋の風」(「人の短をいふ事なかれ 己が長をとく事なかれ」はせを)

● 芭蕉【ばしょう】・1644‐94(正保1‐元禄7)=俳人。姓は松尾,名は宗房。俳号は初め宗房,のち桃青。別号,坐興庵,泊船堂,芭蕉庵,風羅坊等。伊賀国上野赤坂に生まれる。藤堂藩伊賀付侍大将家に仕え,その嗣子藤堂良忠(蝉吟)の連衆として北村季吟系の貞門俳諧に励んだ。1666年良忠の死にあい主家を出,俳諧師として立つことを志して1672年江戸に下った。1674年,季吟より《埋木(うもれぎ)》の伝授を受ける。1675年には宗因と一座し,談林派の新鋭として知られるようになる。1678年立机(りっき)披露をして宗匠になり,1680年深川に芭蕉庵を営んだ。1684年からの《甲子(かっし)吟行》(《野ざらし紀行》)の旅で俳風を樹立,《俳諧七部集》の第1作《冬の日》が成った。以後旅は《笈(おい)の小文》《更科紀行》等,また1689年の《おくの細道》と重ねられるが,この旅中の体験と思索をとおして蕉風俳諧は展開し,その成果は《猿蓑》に結晶する。1693年の《炭俵》で〈かるみ〉の風調を確立,その普及をめざして西国へ向かう途中,1694年大坂で客死,大津の義仲寺に葬られた。門下は蕉門十哲をはじめ多数,《幻住庵記》を除き,俳文,紀行,日記のすべては没後刊行発句は約1000,一座する連句は約160巻(歌仙形式以上のもの)が残されている。(ニッポニカ)

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● NIE(えぬあいい)=新聞を素材に学習を進める試み。Newspaper in Educationの頭文字をとったもの。1930年代、ニューヨーク・タイムズが、新聞を利用した学習の展開を提案したのが契機となり、子どもの読書力を高める活動として、新聞を活用する運動が全米に広まった。その後、教育に新聞を活用する試みは世界的に展開されるようになった。/ 日本でも、社会科などで新聞を利用した教育が試みられていたが、そうした実践を全国的に発展させる目的で、1985年(昭和60)の日本新聞協会加盟各社が集まって行われる新聞大会において、NIE(Newspaper in Education、「教育に新聞を」) が提唱され、NIE専門部会が発足した。その後、89年(平成1)、日本新聞協会と教育界とが提携して、全国組織として「NIE推進協議会」が結成された。98年には活動の中心を日本新聞教育文化財団に移した。各県に委員会が設置され、「教育に新聞を」を共通のスローガンとして、2006年には全国で459校が活動に参加、総合的な学習の時間や社会科、国語などで試みられている。(以下略)(ニッポニカ)

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 「LINE」でつながっていたのに、切られてしまった、嫌われたと思って、殺害事件におよぶ。このようなどうしようもない事件や事故が、新聞・テレビを通じて否応なしに自分の耳目に飛び込んできます。あるいは、各自に配布されたタブレットで、クラス内で「いじめ」が起こっていた、学校当局は知っていながらそれを看過していた間に、いじめられた児童は自死してしまったという事案も最近起きたばかりです。未知の他人と「つながる時代」は、人間社会のどのような変貌を示しているのでしょうか。「誰とでも、つながりたい」「つながるなら、誰だってかまわない」という、なんともさみしい、いかにも貧寒としたか風が吹く時代ではないでしょうか。スマホは「詐欺」の最大のツールになっている、これもぼくには理科う不能な現象です。人間精神の劣化にスマホや携帯が拍車をかけている、そんな時代です。「ネットリテラシ―」「メディアリテラシー」を言うのなら、先ず徹底して、そこから始めなければ、NIE教育はいうまでもなく、ネット時代の犯罪の拡大膨張は止まるところを知らないでしょう。そんな時期に、新聞に何ができるんですか。 

 十月十五日から「新聞週間」だと言います。ぼくには無関係ですけれど、中学校時代だったか、この習慣(週間)に合わせて新聞を読むことを求められた授業があったり、今でいう「標語」を書かされたりした、微かな記憶の残りかすのようなものがあります。それは、ぼくにとっては不毛でした。第一、その授業で行われた内容の意味が解らなかったからです。新聞を読めというのか、「この新聞」は気を付けろというのか、新聞なんかなくてもいいんだ、「たまにどこかで目にする程度でいいんだよ」というのだったか。家でも新聞は取っていたはずですが、あまり読んだ記憶はありません。

 ある時期を期して、若い人がまったく新聞を読まなくなりました。その現象に、ぼくは腰を抜かしはしませんでしたが、時代は動いているなと実感したのです。今はどうでしょう。老いも若いも「新聞」はおろか、「旧聞」さえ読もうとしない時代になりました。一面ではいい時代の到来というべきだし、反面ではそれでいいのか、この社会は、そんな気もしてきます。読まれなくなった一番の理由は「ネット時代」の隆盛です。二番目は「メディア(従来の新聞テレビという媒体)の衰退」に伴う状況の変化です。三番目に宅配購読が費用対効果の点でメリットが薄れたこと、その他でしょう。その昔は、古紙は貴重な包装用紙でした。いまどきは、そんなものでは鼻もかまない。

 ぼくはもう、十数年前から、まったく新聞購読を止めています。新聞記事や掲載内容のいちじるしい劣化の故です。「この程度の内容」で金を取るの、マジで、そんな記事が増えてきたとぼくは感じたからでした。そんな記事を書いている記者は、まず全員が大卒です。むべなるかな(無理もないね)、深みも広がりも、背景も風景もない、内容浅薄振興会のような記事ばかりしか書かない連中の作る新聞なんか読めるかよ、そんな気分に襲われて以来、まったく読みません。動かないで記事を書くのを「記者」とは言わない。あえて言うなら、「愚者」ですね。

 その兆候は早い段階から見えていました。何を血迷ったか、新聞部数の拡大競争をいくつかの会社がやりだしたのです。想像を超えた、愚かしいことでした。発行部数が一千万部、そんな新聞をだれが好んで読むかと言いたいのですが、読みたい人がいたんでしょう。野球の観戦券や洗剤その他、拡販材料をふんだんに用いて、とにかく部数を増やすことにしのぎを削った時代が長く続きました。結果、新聞社の自壊作用を早めることにしかならなかった。新聞はテレビや電気洗濯機じゃないんですがね。人口一億数千万の島社会に部数一千万部を誇ろうという新聞が二つも三つもあって、如何しようというのですか。この国は「共産主義」か「社会主義」の真似をしだしたんですね。加えて、各新聞社が系列テレビ局なるものを囲い始めました。メディアの寡占化、それはまた、おのれの自己崩壊過程を促進するばかりだったのです。敵を倒すことが新聞社の存在根拠になるというのは、実に魂消(たまげ)たことでしたね。敵がいなくなると、後は自滅するのみです。(左の写真は福島県双葉町の大沼勇治さん。最下段を参照)

 かくして、新聞テレビ(既存の「旧メディア」)は、宣伝広告会社の手の内におさまり、かろうじて「体面」だけは保っている風をしている、その時期の「新聞週間」です。果たしてこの先も、まだまだ新聞はあるのか。あるでしょうねえ、衰退しながらがら存在する、まるで「後期高齢者」の行く末を見るが如しです。そんな微妙な折からの、今年の新聞週間(秋の陣)ですが、お先は暗いですよ。

 「答えなき 時代のヒントを 探る記事」、これが「代表標語」だと言います。何ですか、この「代表」というのは。これが川柳なら、ちょっと「硬いね」というところですが、どうも川柳とは趣が違います。とすると、マジで、これを作りましたか、作者は。マジでこれを「代表標語」として選んだんだと受け取ります。だから、お先は暗い。いかにも「答えのない時代」「不透明な時代」と言いたくなる、そんな人ばっかりが生きているんじゃないでしょうね。どんな時代だって「先は不分明」に決まっているじゃないか。その先が読めない時代のヒントが、新聞のどこにあるというのか、それとも、「あったらいいなあ」という願望かしら。

 佳作十篇を、ぼくは熟読ならぬ、熟鑑賞しましたが、「注意一秒 怪我一生」「車は急に止まれない」「狭い日本、そんなに急いで何処へ行く」というような標語にも劣ると、ぼくは見ました。川柳なら、切れがないし。なんか嘘くさいのがいいんですかね、選者には。「めくる手に 広がる世界 深まる思考」と、ホントに思っているの、作者も選者も。「知って、感じて、考えて 生きる力を育む新聞」というのは、内容によってですか、あるいは新聞の紙によってですか。古新聞は使いでがありますからね。「ゆれる世に ゆるがぬ記事の 存在感」と満腔の願いを求めているのでしょうね、作者は。そんな新聞や記事が一つでもあったらなあ。(☝右は津軽弁交通標語)

 なんだかんだと減らず口を叩きたくなるほどに、新聞界(新聞協会)は終わっていますね。「新聞の未来」をぼくが心配することもありません。潰れていくのは形のある物、それを忘れたくないのです。一千万部を誇るよりも、五万部や三万部の「手づくり新聞」の味わいをぼくは、何よりも好むものです。いくつか、いい新聞があると思います。地域に根ざす、地域に生きる、そんな「住めば田舎」を実感させる新聞を、さらに待望しますね。(国有地を「払い下げ」してもらい、そこに摩天楼のような社屋を建てて、「我々はジャーナリストである」といってる御方々、「お宅は、どこの政府の御用新聞ですか」と聞きたくなるばかりです。権力者たちと宴席・酒席を共にする幹部連中がいる、そんな腐った新聞社は「お払い箱」だな)

(「標語は末恐ろしい」という経験をしたのは、福島県双葉町の大沼勇治さんでした。小6の時、町主催の標語に応募し「原子力明るい未来のエネルギー」が採用された。現在、大沼さんらは「原発事故の悲惨さと教訓を後世に伝えるためにも残すべきだ」として、町内外の賛同者約6000人以上の署名を集め、双葉町に撤去反対を申し入れたが、受け入れられなかった。ただし、将来の展示を視野に、会津若松市の福島県立博物館で保管されることになった」(2021/01/06:https://www.huffingtonpost.jp/entry/futaba-kanban_jp_5ff5215ec5b64e568bf2875

HHHHHHHHHHHHHHH

新聞と泣いて笑って考える (暗示的ですね。作者は記者か、新聞社員か。Y.S.)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです