「不要不急」に、不承不承や不平不満がね 

 【越山若水】コロナ禍の日常を最も象徴する言葉が「不要不急」の四字熟語だろう。ちょっと前なら台風などの災害時に聞いた覚えもあると思うが、今ではあらゆる局面で耳にするようになった▼文化庁が先ごろ公表している国語に関する世論調査のまとめによると、新型コロナ関連で使われる言葉のうち「不要不急」は、6割以上がそのまま使うのがいいと答えている。メディアを通じ世代を問わず浸透したようだ▼「不要不急の外出を控えるように」。政府のこの呼びかけが象徴的で、何が不要で何が不急か戸惑ったのも事実。結果的に行事の多くは自粛された。花園大総長横田南嶺さんも講演、座禅会など予定のすべてが消えたとか▼自らが行ってきたことが不要不急だと身に染みたと述懐する。だがコロナ禍の中、効率の追求だけでは心が窮屈になることに気付く。毎日の生活を支えてきた不要不急のものを大切にする暮らしに思いを巡らし、花園大元学長山田無文(むもん)老師の書くコラムを思い起こす▼夜は宗教と同じで良き者、あしき者にも安らぎの世界。人生に夜が半分もあるのは無駄のようである。忙しい世の中に宗教は無用の長物と思われよう。だが無駄ではない―山田老師の説く「夜の世界」こそ最も穏やかな気持ちになれる世界と横田さんはいう(「不要不急」新潮新書)。何もかも忘れて眠る。不要不急の時も大切にしたい。(新潟日報・2021年10月10日)

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 まだ「コロナ禍」が終焉したわけではありません。この先にまだまだ、つらい状況が襲ってくるかもしれません。多分、来るでしょう。ぼくは待望しているわけではありません。しかし、この感染症に対する政治や行政の許しがたい「不作為」を見せつけられていると、不知不識(しらずしらず)に不平不満が湧き出て来るし、それをいいことに、権力はわけのわからない「施策」「目くらまし」「やったふり」を決め込んでいる始末です。「不要不急」という嫌な言葉が徘徊しているのは、見るに堪えない惨状で、コロナウィルスより悪質な「菌」をばらまいていると、ぼくは言いたくなる。十万人の死者より、二万人の死者の方が数は少ない。それで何が言いたいのか。昨年春には「日本型モデルの成功」と虚言をはいて、不要不急という廉で「全国一斉休校」を宣した莫迦がいました。悪足搔きがすぎる「元ソーリ」です。

 会社へ行くなという。出社もまた「不要不急」なのだというのです。国会は閉じたままで、何かと重大な決定が閣議で済まされている。国会の審議そのものが「不要不急」だというのでしょう(これには、ぼくも賛成します)。だからこそ、身を入れて、議員の勤めを果たせというばかりです。日常生活の大半は、いわれれば「不要不急」です。今すぐにしなければならないことはになにがあるか、そう問われれば、答えに窮します。それほどに、じつはぼくたちの生活は「日常茶飯事」というように「不要不急」であり、それが隠しようのない、生きている実態です。それをして「不要不急」だというのですから、その真意は理解しがたい。不要不急は「無用」「無駄」とでも考えているのだろうか。そうならば、政治家や行政役人諸君の言う「非不要不急」とは何か、それを明らかにしてほしいものです。さらに言えば、その「日常茶飯事」を越えて、どんなに重大なことがあるのか、ぼくは大いに疑う。

 「政府のこの呼びかけが象徴的で、何が不要で何が不急か戸惑ったのも事実。結果的に行事の多くは自粛された。花園大総長横田南嶺さんも講演、座禅会など予定のすべてが消えたとか▼自らが行ってきたことが不要不急だと身に染みたと述懐する」というのがコラム氏です。花園は、京都の家の近所でした。歩いて十分か十五分ほど。弟がこの寺の経営する学校に通っていたから、なおさらによく知っていた。その大学の学長が「自らの日常が不要不急」だと「身に染みた」と言われた、と。迂闊というか、暢気ですね。お坊さんにしては暢気過ぎるね。何か重要で不可欠な「貴重な事々」を自らは日常で行っていたという錯覚があったからでしょう。それはおかしい、とぼくが言うのもおかしいですね。でも、学長さんは大事なことに思いが届いた。そう来なくちゃ。

 「コロナ禍の中、効率の追求だけでは心が窮屈になることに気付く。毎日の生活を支えてきた不要不急のものを大切にする暮らしに思いを巡らし」たのですから、なかなか結構と言っておきます。重ねて言いますが、「今すぐやる必要のあることは、どこかにありますか」「今日できることは明日だってできるんでしょ」という、そんな日常をこそ、ぼくは梃子でも譲りたくないのです。つまらない話ですが、ぼくは若いころから、原稿を頼まれることがしばしばありましたが、「締め切り」に間に合わなかったことの方が多いほどでした。つまり、原稿を書くこと以上に、ぼくには生活の「茶飯事」を疎かにしなかった報いで、なにかと非難されました。それだけの話です。今すぐに、という喫緊の仕事というものは滅多にあるものではありません。これは言うまでもなく、ぼくの経験上からのいい分です。だから「効率の追求」も嫌だし、「生活の支えである『不要不急の積み重ね』」を軽んじたくないという一心は失いたくない。

 ここでコラム氏は、横田学長の引きで「山田無文」さんを紹介する。ぼくは、山田さんのものも何冊かは読んでいました。その読書から、ぼくは何を学んだか。この「難問をこそ…」とか、「禅の真髄が目の当たりにあることを教えられた」などというと、それは嘘になる。書かれていることと、それが身に染みて生活の中に浸透することとはまったく次元は異なるのです。なるほどそうかと合点したところで、それは紙の上のことであり、脳細胞の記憶領野に留まるだけの事柄でしょう。「わかる」と「できる」は次元も意味も違います。そんな仔細を忘れて、毎日の茶飯事に没頭することこそが、実は「禅の真底」ではないですか。浮世を離れて、「悟りの境地」があるとはにわかには考えられないのですから、ぼくは、ついには信仰者になれそうにもありません。 

 世に哲学という学問があるように、ぼくたちは錯覚しています。そこいらに見られるのは「哲学研究」です。哲学と「哲学研究」は同じものではない。類を異にするのです。同じように、宗教と「宗教研究」は異なる。だから宗教研究の本をどれだけ読んでも、宗教問題において「覚醒」を得ることは難しいでしょう。ぼくにはそのように思われて仕方がない。これはどんな領域でもいえることのようで、どれだけ書物を読破しようと、一ミリだって世界は動かないのです。問題は無文師です、その山田無文氏は大変な宗教家だし、僧侶です。 

 若いころ、法律家を志して上京、中学生の時だったかに「結核」に罹患し、病院暮らしをした。当時の「結核」は死の病とされ、若い山田氏は苦悩した。あるとき、病室の窓の外を眺めていた。そこには南天の花が咲いていた。夏の初めではなかったかと思った。その瞬間に、一陣の風が吹いた。「あっ、風というものがあったなあ、風は空気が起こすものだ。そうだ、空気だ」無文青年は必死に考えた。生まれて以来、「空気の存在」など考えたこともなかった。しかし空気は一秒の休みもなく「私を包んでいてくれた」そう思うと、泣けて仕方がなかったという。空気に抱かれている自分に気が付いた、そして「おれは治る」と確信したそうです。その時に読んだとされる歌のようなものが下に。やがて快癒した無文さんは友人の紹介で川口慧海を知る。生涯の師であった。

 大いなるものにいだかれあることを けさふく風のすずしさに知る(山田無文『わが精神のふるさと』)

 「平常心是道」というと、いかにもそのとおりだなあとしたり顔をします。「平常心」とは何かと問うのも学問なら、平常心を生きることもまた、一つの哲学です。無文さんについては、何かを言うことは控えます。ただ、「風」が我が頬を撫でる、はて、風とは何だろう、そうだ、それは空気が起こすものだと知るに至ったとき、その人は泣けて泣けてとまらなかったという。ぼくにはそれだけで十分です、そのところで止めておきます。「自分よりも大いなるものに出会うことによって、人は生きていけるのだ」ということでしょう。その「自分よりも大いなるもの」「自分を超えるもの」とは、それが毎日の生活の中でぼくたちは問われているのではないでしょうか。

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〇 山田無文(やまだ-むもん)1900-1988=昭和時代の僧。明治33年7月16日生まれ。河口慧海(えかい)に師事し,のち臨済宗大(現花園大)にまなぶ。天竜寺の雲水をへて昭和24年妙心寺霊雲院住持,花園大学長。53年妙心寺派管長。平易な説法で知られ,戦没者慰霊などにも尽力。昭和63年12月24日死去。88歳。愛知県出身。俗名は長次郎。号は太室,通仙洞。著作に「むもん法話集」など。【格言など】おおいなるものに抱かれあることをけさ吹く風の涼しさに知る(病中の開悟)(デジタル版日本人名大辞典+Plus)

〇 河口慧海 (かわぐち-えかい)1866-1945=明治-昭和時代前期の仏教学者,探検家。慶応2年1月12日生まれ。黄檗(おうばく)宗の五百羅漢寺で得度。明治33年仏教の原典研究のためインドからチベットに密入国,日本人としてはじめてラサに到達。38年再渡航し,ナルタン版大蔵経などの仏典を入手して帰国。チベットの文化と仏教の研究・紹介をおこなう。また僧籍を返上して在家仏教をとなえた。昭和20年2月24日死去。80歳。大坂出身。哲学館(現東洋大)卒。本名は定治郎。著作に「西蔵旅行記」「西蔵文典」など。(同上)

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 「空気」が私たちを生かしてくれているという発見は、山田無文を宗教の世界に導いた。まもなく出家して、雲水生活を長く送る。それ以降の山田さんは、当世きっての僧侶(臨済宗)でありました。妙心寺に長くとどまり、たくさんの書物を著された。彼は「聖俗」二つながらにー こんな分け方が通用する社会であるのかどうか、ぼくには判断できないが ー 大きな仕事をされました。昔風に言えば、「位人臣を究める」というのでしょうが、それにどれだけの価値があるのか、そんなことさえも彼は歯牙にもかけえないで生きた人であったのか、どうだったのか。

 「夜は宗教と同じで良き者、あしき者にも安らぎの世界。人生に夜が半分もあるのは無駄のようである。忙しい世の中に宗教は無用の長物と思われよう。だが無駄ではない」というくだりには疑問なしとはしません。いかにも「コラム風」という気がしてきます。「不要不急」とは「大切でないこと、今やるべきこと」でないもの、それは「無駄」なのだから、やめておけというのでしょう。それと同じで、昼間の大切さから見れば、「夜は無駄」と言っていいのですか。夜と昼は切り離せないどころか、表裏一体ですから、裏を切り取るなどというのは、言語矛盾です。表があれば裏はあるというより、裏があるから表は存在できるのです。「不要」とか「不急」などと言って、まるで無駄なもののように言い切るのですが、人生や生活からそれを除去したら、後に何が残るのでしょうか。バカも休み休み言え、というところですな。

 忙しいとか忙しくないとかに関わらず、生きているという根っ子に「宗教感情(信心とか信仰心)」がある。それなくして、一秒だって生き存えられない。自分は「今、生きている」という信心をだれもが持っています。それを意識するかしないかは問わないだけです。「今日も生きている」というのも、明らかな信仰です。「明日も生きる」というのも同じです。それを宗教心といってもいいし、信仰といっても構わないでしょ。それをほかにして、いったい宗教心はどこにあるんですかな。「平常心是道」というのは、一つの宗教ですよ。

 「山田老師の説く『夜の世界』こそ最も穏やかな気持ちになれる世界」という人は多いでしょうね。でも、「夜の世界」という印象は「穏やかではない」、ぼくは下衆ですから、すぐに「先斗町(ぽんとちょう)」(京都)、「北新地」 (大坂)、「銀座・赤坂」(東京)などという夜の街に連想が働きます。「穏やかな気持ち、それどころじゃないでしょ」夜が怖いという人もいる。寝られないつらさを託(かこ)つ御仁も驚くほどいます。夜は「穏やか」というのは、観念でしかないような「空想」でもあるんです。

 ぼくの中には「人生は、朝から始まる」という確信というか、覚悟のようなものが居座っています。もう数十年来のものです。勤め人の時代は「朝の三時起床」がハビットでした。「朝飯前に一仕事」をするためでした。今は「朝の四時から五時ころに」、つまりは、「朝日とともに、爽やかに」、そんな日常茶飯事を生きているのです。ぼくの「日常茶飯事」は、申し訳ないことだけで、すべて「不要不急」に属します。ぼくにとっての「不要不急」は、しかし、言わせてもらうと「不朽不滅」であり「不偏不党」でもあります。さらに「不将不迎」と「不言不語」、この「信念のようなもの」をおのれの胸中深くに秘めて、彷徨(さまよ)いながらも生きていきたいと、ただ今も、切に願っているのです。でも、そこから「不老不死」への道は断じてありえないことは、いささかも疑わない。人生は「宗教心」と、いつだって不即不離なんですよ。

(奈良公園の早朝)

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。