劣島の各所に「蜃気楼」「貝櫓」「逃げ水」あり

 だるま夕日 宿毛湾染め 冬到来告げる

(だるま夕日シーズン到来。養殖いかだの上、蜃気楼によって雲のように見えるのは九州の島)(宿毛市小筑紫町小浦)


 宿毛湾に風物詩「だるま夕日」のシーズンが到来した。冬はすぐそこ―。/ 宿毛市小筑紫町小浦の岸壁。27日夕、太陽は薄い雲に覆われていたものの、水平線ぎりぎりで真っ赤な姿を現した。やがて養殖いかだの向こう、海面からもう一つの太陽がゆらゆらと上昇。蜃気楼(しんきろう)によって水面から浮いているように見える九州の島が重なったものの、立派な“だるま”になった。/ 水平線近くの空はオレンジ色に染まり、立ち止まって見つめる人もちらほら。散歩中の70代男性は「今年初やないかえ。わしらは子どもの頃から見慣れちょうけんど、やっぱりえいわね」と笑顔を見せていた。/ だるま夕日は、大気と海水の温度差が大きい時季に発生する蜃気楼の一種。同市では例年10月下旬~2月中旬に沿岸各所で見られる。(新妻亮太)(高知新聞・2021.10.29 08:35)

 だるま夕日が宿毛湾を染め 冬到来告げる 蜃気楼の一種 (*これは昨年の写真)

(宿毛湾に冬を告げるだるま夕日)(宿毛市大島)

 高知県宿毛湾の風物詩「だるま夕日」が今年もお目見えした。水平線を赤く染めながら、冬の到来を告げている。/ だるま夕日は大気と海水の温度差が大きくなって生じる蜃気楼(しんきろう)の一種。例年、2月中旬ごろまで楽しめる。/ 観察スポットとして知られる宿毛市大島の咸陽島公園。午後5時すぎともなると、カメラマンや観光客、散歩の住民らが西の海をじっと見つめる。(以下略)(高知新聞・2020.11.10 08:35)

?????????????????????

● 蜃気楼【しんきろう】(mirage)=下層大気の気温傾度が著しく大きい場合に見られる光の異常屈折現象で,地物の位置がずれたり,実在しないものが見えたりする。地面付近の温度が高天より著しく高い場合には,前方の物体が実際の位置より低く,また実像の下に倒立像が見えたりする。地面付近の気温が著しく低い場合には,地物が実際の位置より浮き上がって,また実像の上に倒立像が見えることがある。富山湾の蜃気楼は雪解けの冷水が海面をおおい,その上に陸地から温暖な空気が流れて著しい気温の逆転層ができるために起こる現象である。砂漠にも蜃気楼現象が起こる。(マイペディア)

● かい‐やぐら かひ‥【貝櫓・蜃気楼】=〘名〙 (「蜃」を蛤と理解して、「蜃楼」の訓読)蜃気楼(しんきろう)をいう。貝楼。《季・春》(精選版日本国語大辞典)

● 逃げ水(にげみず)mirage=大気の異常屈折現象の一つ。晴天の日に道路面などが異常な高音になると,それに接する空気が暖められ,地上 1mくらいの間に急激な温度差が起こり,このとき地面付近に動く不明瞭な倒立像がみられる。遠くから見ると道路に水たまりがあるように見えるが,近づいても水たまりはなく,さらに遠くに見え,あたかも水が逃げているように見えることからこの名が生じた。(ブリタニカ国際大百科事典)

● 浮島(気象)うきしま=海岸で島や岬を眺めたとき、それらと水面との境界が切れ込んで見えたり、場合によっては島や岬が浮き上がって見える現象。暖かい海面上に冷たい空気がある場合、すなわち上冷下暖の状態のときにおこる。逃げ水の現象と同じ仕組みで、島浮き、浮景(ふけい)などともいう。日本の近海ではほとんど毎日のようにこの現象を見ることができる。これに反して、冷たい海面上に暖かい空気がある場合(上暖下冷)には、船が空中に浮き上がって見える。このとき、とくに地平線下のものが浮き上がって目に見えるようになる現象をルーミングloomingという。(ニッポニカ)

~~~~~~~~~~~~~~

 蜃気楼は、なんといっても富山湾ですね。ぼくは実際に見たことはありませんが、その写真はたくさん所持しています。自然現象が、いたるところで猛威を振るうという日常に馴れきっているこの劣島にあって、いたるところで「蜃気楼」は確認されています。実際にはないのですが、そこに存在しているように見えるという現象で、それはまた「夢」でもあるのでしょう。「こんなすごいものを見たよ」と言っても、誰も信じないで「お前は夢でも見たんだろう」と一笑に付すか、まったく取り合わないで、やり過ごすことがほとんどです。この「蜃気楼」現象だって、最初はそうだったと思われます。「それは目の錯覚だ」と言われれば、確かにそうなんで、錯覚は錯覚であって、見まちがいでもあり、取り違いでもあるのでしょうが、ないものがあるように見える、この現象はたった一人に生じることではないので、ことは厄介です。

 ある一人の人が、この蜃気楼のような「怪異(怪奇)」現象を見た。その前か後に何か「吉凶」に関わるような事態を経験した時、その「現象」と「吉凶」を結び付けて、誰かに、その顛末を語った、それを聴いていた幾人かの取り巻きが「そうなんだ」といたく感動したり、脅威を感じた時、そこにある種の「怪異現象」体験共同体が作り出されます。そこから「新たな宗教」が生まれたというのはどうでしょう。「怪奇現象」も科学的に、論理的に説明がつく自然現象や生理現象であることが分かったとしても、信仰という問題を打破することは困難になります。この島社会ではいくつもの「新興宗教」の発端は、一人の人物の経験談です「奇(くす)し」という言葉があります。「奇しき」とも言いますが、いかにも「神秘的な」「いわく言い難い」体験や出会いをいう時に使われます。やがて、その人は「くすしきひと」「神秘の存在」に祭り上げられる。宗教教団の成り立ちは、いとも単純です。今でも永田町界隈には「ある種の教団」がのさばっているんじゃありませんか。

 ことは「蜃気楼」という自然現象であって、事々しく取り上げるには及ばないのでしょうが、どうも、こんなところから、とんでもない事態が生まれたり、妄信が始まっているのではないかと愚考しているから、どうしても、「あらぬ方向」に駄文は突き進んでいこうとします。具体例を挙げればいいのでしょうが、ただ今はそんな興味も湧いてきそうにありませんので、愚見の一端を書くだけにしておきます。しかし、どんな現象からでも神が出たり仏が現れたりするのですから、人事万端は一筋縄ではいかないのです。「逃げ水」なども、始めはひやりとしますが、何度か経験しているうちに、「ああ、あれか」ということになり、オチがつくものです。因果関係が理解できなければ、「親の因果が子に報い」式に、途方もなく忌まわしい事態を呼び寄せることもある。「奇瑞」「瑞相」「吉兆」というのは、「愛でたい事の前触れ」であり、誰もが相好を崩して喜ぶものというのが相場でした。ところが十数年前に、大阪の名店「船場𠮷兆」という和食店では、とんでもないイカサマ商売をしていたことが発覚しました。それがために破綻廃業の憂き目にあったことでした。それが、よくいわれる「吉兆」じゃなかった。目を凝らしてみると「吉兆」ではなく「𠮷兆」だったんですね。「𠮷」と「吉」では、何かが違うんでしょうね。

******************

 土佐は宿毛の「ダルマ太陽」から、ずいぶんと遠いところに来てしまいました。「蜃気楼」現象は錯覚ではあっても「夢」ではありません。因果が結びつけられれば「不思議」から「美しい・珍しい景色」へと一足飛びに、人は納得もするのでしょう。しかし「夢」は面倒です。「正夢」といったり「悪夢」といったり。でも、「蜃気楼」も、あるいは「見てみたい」と懇願している人に生じる「夢幻」現象ではないかと、ぼくは愚かにも考えてみるのです。さる年にぼくは宿毛湾に立って、遥かな洋上を見ていた。

 その時、微かに「アメリカ大陸」が見えた気になりました。この地で生まれた小野梓(1852-1886)(左上写真)は号を「東洋」と認めたものでしたが、いかにもという気もしたのです。宿毛の南方海上に「蜃気楼」が立ち上るのを、彼は何度も観たはずです。「天下ノ人称シテ、自由ハ土佐ノ山間ヨリ発シタリ」と宣言したのは植木枝盛(1857ー1892)(右写真)で、明治十一年のことでした。小野と植木、早逝した「民主主義」を希求した英傑が、ともに土佐出身であったのは奇遇であるし、直ぐ前には中江兆民(1847-1901が生まれ出てきます。彼は「日本のルソー」と称された。これらの人々は「自由」「民権」という、まがうことない「蜃気楼」を見てしまったのではなかったか。

 ここで落語の登場です。ぼくはいまでも、飽きないで聴く「噺」があります。そんなに多くはない。ときには無性に聴きたくなるのが「芝浜」です。噺家はどなたでもいい。できれば志ん生か、あるいは志ん朝か。もちろん、本筋では桂三木助さん(三代目)(1902-1961)で、となるのでしょうが、ぼくはいまだに聴いていない。だから志ん生親子で。なかなかの語り達者でした、この二人は。大晦日を前にしての、江戸庶民の活計(たつき)の苦労、職人気質の扱いにくさ、酒に溺れる優しい男(夫)、それを根底で支える妻の賢明さ。夫唱婦随というのか、似たもの夫婦というのか、はたまた「割れ鍋に綴じ蓋」と言おうか。酒に溺れた魚屋、腕のいい商売人だったが、馴染みから愛想を突かされた。回れば回る悪い目は、二進も三進もいかなくなった。それはまた、行商「魚熊さん」の「夢から出た真(まこと)の物語」でした。(古今亭志ん生「芝浜」:https://www.youtube.com/watch?v=mc9pJGspHhg

 かみさんに仕入れに行けとせかされ、不承不承で家を出て魚河岸への途次で財布をひらう、びっくりするような大金が入っていた。この金で遊んでも何年も暮らせると、悪友を集めての大散財。救いの神は「かみさん」だった。カネに狂うのは今も昔も変わらない。そこに「救いの神」が出現するかどうか、それが人生の分かれ目です。江戸の魚河岸は「芝」にあった時代の話(噺)。酒に溺れたものは、そこらは這い上がるには信仰や信心ではだめで、おのれ一個の自力教でも無理ならば、「おっ母」の助けを借りる外に仕方がない。「夢」は夢のまゝが一番か。そうともぼくには思われますし、夢は正夢とも言います。何事であれ、精進というのが、あるいは正直というのがもっとも大事だという話(噺)でした。おそらく噺家なら、誰だって「この一席をいつかは」と念ずるでしょうね。

● 芝浜(しばはま)=落語。幕末のころ三遊亭円朝(えんちょう)が、酔払(よっぱら)い・芝浜・財布の三題噺(さんだいばなし)としてつくったのが原形。別に『芝浜の革(かわ)財布』『革財布』『金拾い』『馬入(ばにゅう)』などの題名がある。3代・4代三遊亭円生(えんしょう)、4代橘家円喬(たちばなやえんきょう)、初代・2代談洲楼燕枝(だんしゅうろうえんし)、初代三遊亭円右(えんう)などが手がけ、しだいに改良・洗練されて現代に及んでいる。働き者だが大酒飲みのため貧乏な魚屋の勝五郎は、早朝の芝の浜で大金の入った財布を拾う。喜んだ勝五郎は、友だちを集めて大酒盛りのあげく寝てしまう。翌朝、女房に財布などない、それは夢だといわれ、改心した魚勝は禁酒して商売に専念、やがて店をもち、若い衆も2、3人置くようになる。3年目の大晦日(おおみそか)、女房は夢といってだましたことをわび、改めてお上から下げ渡された財布を出す。感激した勝五郎は、女房の勧める酒を口までもってゆくが「よそう、また夢になるといけねえ」。情景描写、人物描写ともに磨き上げられた人情噺の名作で、近年では3代桂三木助(かつらみきすけ)の十八番であった。(ニッポニカ)

 (下の写真と絵図は芝浦の今昔。天を突き抜けんばかりの「摩天楼」、これもまた紛れもない「蜃気楼」です)

#################

 毎日の生活に、区切りをつけることは大事です。この島にも「ハレとケ」などといって、年の数日は思い切り自由に、日ごろの生活や仕来からり解放されて、「いのちの洗濯」をする日がありました。今では、すべてが「日常」に取り込まれてしまい、何がハレなのかケなのかが判然としなくなったようです。また、「夢」という脳細胞の引き起こす現象も、なぜだか語られることが少なくなった。ということは、多くの人が「リアリスト」になったといえそうですけれど、反対に、多くは「ロマンティスト」になったのではないかなどと、ぼくなどは考えてしまいます。もちろん「浪漫主義」などと言われるものではなく、現実逃避、または現実回避の雰囲気を多く含んだ人生観であり、生活実態だと言いたいのです。夢か現(うつつ)か、現か夢かと、両者の区分が曖昧なままで、ぼくたちは少年期や青年期までを過ごすことが出来たのも、それなりの社会背景があってのことでした。(この部分は微妙で、いわく言い難いものがあります)

 現実には、息苦しい、生きにくい時代であると、誰もが感じたり言ったりします。夢がないのはさみしいことですが、あるいは全員が「夢遊病」に罹っているともいえるのです。夢から覚めるのも、現実から逃避して夢の世界に逃げ込むのも、なかなかにつらく大変な時代ではあると、ぼくでさえ思います。「希望」という言葉は、「絶望」と隣り合わせのように思えてくる。「先行きの展望」が希であるか、絶えて見られないか。その差は寸分の違いです。希望が持てないというのは、絶望しているのと同義であるとも言えそうです。(左は芝浦アイランドグローブタワーだとか)(「東芝」という会社は、この地で生まれました(1882年)。でもそれは、結局は百五十年足らずの「蜃気楼」だったということが判明しましたね)

 忽然と海上に出現する「蜃気楼」は、まったくの自然現象ではありますが、そこに人為が働いていないとは誰にも言えません。「あ、あそこに蜃気楼が」という人間の存在がなければ、「蜃気楼は」現象ですらないからです。生きづらい世の中を、少しでも生きづらくないようにする手立ての幾分かは政治に仮託されてきましたが、今日では、それは、文字通り「絶望する」ばかりです。ではどうするか、「芝浜」の熊さんの場合ように、溺れたものを救ってくれる「連れ合い」(同伴者または伴走者)こそが必要で、「現を夢」「夢を現」と言い換えてくれる隣人(そのもっとも近い存在は家族、さらには友人・知人)が、どうしてもなくてはならないのですね。これは政治や経済の問題ではなく、倫理や道徳、つまりは生活意識の問題のようにぼくには思われます。

(ここで、中断。近所の中学校へ、「衆議院議員選挙」の投票に。十五分後に戻りました。ただ今、十時五十分)

 久さしぶりの「選挙」当日の投票でした。この投票場は初めて。前回も期日前投票でしたから。なんと列を作って並んでいました。さて、開票結果はどうなりますか。もうすでに「結果」は判明しているんでしょうから、期待も失望もしない。願わくば、「汚い政治と政治家」だけはお払い箱にしたいというばかり。今の首相とやらも、まるでシャーシャーと嘘を吐いています。嘘つきは政治家の資質であり特権であると錯覚、いや自覚しているんでしょうね。これでは、白昼堂々と「永田町に蜃気楼」です。もちろん、それは吉凶を占う前兆ではなく、いつわりに塗れた、汚職政治・虚言政治が、これからも続行しますという、忌まわしい・奇すしき「兆候(a symptom)」です。「果報は寝て待て」という俚諺がありました。いまでは「凶報は寝ても起きてもやって来る」という始末ではないですか。

 「政治を変える」というのは嘘であって、変えるべきは「政治家」です。そいつらの「脳内革命」を実行するべきですが、もうはとんど手遅れ状態ですな。ぼくが住んでいる山中からでも、政治屋であるのに政治家に成りすましている輩が屯(たむろ)している「永田町湾」に、禍々(まがまが)しい「蜃気楼」が立っているのが見えます。にもかかわらず、倦(う)まず弛(たゆ)まず「選挙に行く」「投票する」、悪しき政治屋を退治するという「夢」を「現」にするために、ぼくは寝ても待ってもいられないのです。蜃気楼は「幻」です。でも薄汚い政治屋を輩出させない「投票行為」は、けっして錯覚でも蜃気楼でもありませぞん。「百年河清を俟つ」というが、こればかりは、百年かかっても間に合わんかも。けれども、…。

____________________

 

 「わからん」が原動力

 【水や空】小室眞子さん 新しい何かが始まることの戸惑いを、詩人の工藤直子さんは「わからん」という一編に書いている。〈足を踏みだそうと 宙に浮かす/その足が 着地する世界は/わたしを どこに導くか……わからん〉▲未知の世界に踏み出そうとした第一歩は、ずっと宙に浮いたままだった。婚約の内定から結婚までの4年間、その前には抱いたことのないような感情がない交ぜだったろうとお察しする▲敬称の「さま」はもう付かない。小室眞子さんがきのう、夫の圭さんと共に会見した。お互いをいつくしむ言葉も、感謝の言葉も聞かれたが、何よりも「一方的な臆測」「誤った情報」が広がり「恐怖心」を覚えた-という“肉声”が耳に残る▲圭さん側が抱えるトラブルを難じる声が、やがて結婚批判に燃え広がった。婚約者のプライバシーが容赦なく暴かれる。心ない言葉にも苦しむ姿は見せられない。反論もできずにいた▲皇室に身を置く「不自由さ」というだけでは足りないだろう。「私の人権は?」。そう問い掛ける、生身の人の声を聞いた気がする▲「わからん」の詩は続く。〈わからんからこそ/まず 手をのばし 足を踏みだす/「わからん」が原動力〉。今は不安の方が大きくても、いつか外国という、民間という新世界を踏み分け、押し開く日が来ることを。(徹)2021/10/27 11:00 (JST)

わからん

手を のばしてみる
その手の 指さすむこうに
なにが あらわれるか … わからん

足を踏みだそうと 宙に浮かす
その足が 着地する世界は
わたしを どこに導くか … わからん

それが まったく わからんので
それが まったく わからんからこそ
まず 手をのばし 足を踏みだす

「わからん」が原動力

 「世は、定め無きこそ、いみじけれ」いうと兼好作の「組曲・無常の世の姿」の「主題(物のあはれ)」を、昨日の駄文で引用しました。「定め無き」とは、工藤直子流に言うなら「わからん」というのでしょう。「わかってたまるか」「わかったら、終わりです」「わからんから、おもしろい」「わからん、それが人生や」とでも言いたくなるように、生きていく中では「わからん」ことが満ちあふれています。その不明や不可解に耐えられないから、人はなにかしら、確かな手ごたえを求めるのでしょう。まず「いい幼稚園」に、子どもを入れたくなる。その「いい」がぼくには「わからん」。ついで小学校から大学まで「いい教育「いい学校」をと、世間で評判された「レール(線路)」に乗りたがるのですが、その理由は「わからん」でもない。少しでも迷いや不信をなくして「安泰」「安閑」「安心」「安穏」、そんな「安直」を求めたがるからです。「わからん」に堪えられないから、「わかる」という評価の定まった「名門」を確保したがるんですね。そのような人生は、ぼくには「わからん」というよりは、「すかん」ですね。「手を のばしてみる その手の 指さすむこうに なにが あらわれるか … わからん

 「わからんので」「わからんから」、手探りで足を踏み出す。一歩前に進む、あるいは退くのです。だから「『わからん』が原動力」なのだ。「わからん」という「冒険」に無鉄砲にも飛び出した、若気の至りを汗をかきながら思い起こしています。まったくその先に何があるか、起るか「わからん」ままで、ぼくはひとりの女性と結婚した。いまから四十八年前でした。二人でやっていけるのか、生活が成り立つのか、まったく「手探り」と「足踏み」の連続で、いったいどれだけの時間が過ぎていったかと、気が付いたら、やがて半世紀です。「わからん」というものが内蔵している「原動力」は、恐ろしいくらいに人を前にも後ろにも引っ張るんですね。実感でもありますし、でもいまもなお「わからん」は続いている。

 兼好流に言うなら、「住み果つる慣ひならば、いかに、物の哀れも無からん」というのでしょう。人間は、誰でもとは限りませんが、いつまでも生きていたいという願望を持っています。けれど、こればかりは寿命というものがあって、誰であろうと、きっとこの世から去っていく。仮に、何かの理由で「死なない」「永遠の生」などが生じたとするなら、どうして「物のあはれ」を感得・実感することができるでしょう。「物のあはれ」とは、歴史上は面倒なことになっています。ぼくはそこには深入りしませんが、「哀れ」という、一種の「哀感」を指していると見ています。美しいものを目にして、ぼくたちはそこに「ある種の哀しみに似た愛らしさ(悲しみに通じるかも)」、あるいははげしく心を打たれるものをみいだし、わが心に受け取るのではないでしょうか。何時までも死なないというのは、時間の感覚が存在しないということですから、そこに「哀れ」とか「哀しみ」を感じ取る心持ちもはたらかないでしょう。兼好が言うのはそれです。いつ死ぬか、それは「わからん」から、人生に何かの思いを託すんじゃないですか。

 もう亡くなった、ある画家・小説家が「生きた証に、地球に傷をつけて死にたい」といったことがあります。そんな程度のことしか言わんのか、それを聞いてぼくは、そのように思ったものです。そんなことをしたら、地球は「傷だらけ」になるじゃないかと。今でさえも地球環境は傷ついています。「もののあはれ」といい「あわれ」というのは、けっして自意識の表現ではないし、そんなけばけばしいもので「人生」を飾られてたまるかという気もします。

HHHHHHHHHHHHH

● もののあはれ・もののあわれ=平安朝の文芸理念を示すといわれる語で、本居宣長(もとおりのりなが)が重視した点でも知られる。宣長の『源氏物語玉の小櫛(おぐし)』(1799刊)によれば、「あはれ」は「物に感ずること」で、「何事にまれ、感ずべき事にあたりて、感ずべき心を知りて感ずるを、もののあはれを知るとはいふ」のであり、とくに『源氏物語』は「もののあはれ」を表現した最高の作品とされる。「あはれ」は古く記紀の歌謡などから感動を表す語として用いられているが、しだいに美意識も表すようになる。平安時代には調和のとれた美に感動することが多くなり、その場合しめやかな情緒を伴い、独特の優美な情趣の世界を形成するようになって、理念化されたとみられる。同じ時代の「をかし」と比べると、優美にかかわる点など類似した面をもつ一方、「をかし」の明るい性質に対して「あはれ」は哀感を伴う点など異なるところがある。「もののあはれ」も、こういう当時の「あはれ」と内容はほぼ同様である。ただ「もののあはれ」は「春雨のあはれ」「秋のあはれ」などを一般化したことばとみられ、「ものの」は「あはれ」の引き起こされる契機を示すのであろう。そして「あはれ」の性質は中世以後も変わっていき、強い感動を表す「あっぱれ」にもなり、同情や哀れみの意味での「あはれ」にもなるが、「もののあはれ」にはそういう変動がなく、その点とくに平安朝的な「あはれ」を示す語ともいうことができる。(ニッポニカ)

HHHHHHHHHHHHHHH

 いまどき「物のあはれ」は流行らないかもしれません。でも、いつの時代にも、人間の生きているさなかには「不易と流行」というものがないまぜになって、ぼくたちの単調な「生」に、一つのリズムというかアクセントをつけてもいるのです。「不易」ばかりでは、それは息をしていないことになりかねない。また「流行」ばかりでは、生々流転、なんとも疲れるのではないでしょうか。花を愛でる、音楽を聴く、こういった他愛ない楽しみにこそ、「物のあはれ」は潜んでいるのかも知れないと、ぼくなどは思ってきました。花に美しさをみいだすのも、人間の有する「あはれ」を受け止める感覚の発現だと言えます。その花が、絶えて見られない生活は、実に単調であり、干からびたものになりがちです。「もののあはれ」を感じなくなると、ひとは「永生」を願い、名誉や権威を追い求めることになるのでしょう。「ひたすら世を貪る心のみ深く、物の哀れも知らず成り行くなん、浅ましき」と兼好は吐き捨てています。

 皇族の誰かが民間人と結婚する、誰もが「おめでとう」というべきであるといたずらに煽る必要はないけれど、「この結婚には反対だ」「疑惑を晴らせ」と、何の権利があって言うのか、呆れた人がいるものだし、それを煽る一部のマスコミも、「浅ましき」です。「税金云々」というなら、度肝を抜くような「税金の無駄使い」っをしている「腐敗政治」に矛先をどうして向けないんですかね。ぼくは、この「結婚」騒動に興味があるのではありません。当たり前に「物のあはれ」を感じられないで、乱雑きわまりない「言葉の礫(つぶて)」をもって「己の浅見。浅慮」を、これみよがしに示威する、軽佻浮薄の団塊に対しては、その非を指摘するばかりです。誰であろうと、好きな人といっしょに過ごすことは、願わしいこと、それを恨んだり憐れんだりする権利は、達者にはないし、ましてやそれに反対するために徒党を組むなど、以てのほかですよ。工藤さんの「ねこはしる」、そこには、他者同士が求めてやまない「一体感」への尽きない希求が、つまりは「いっしょに生きる」という思想・態度がありますね。

____________________________

 世は、定め無きこそいみじけれ

 あだし野の露、消ゆる時無く、鳥部山(とりべやま)の煙(けぶり)、立ち去らでのみ、住み果つる慣(な)らひならば、いかに、物の哀(あは)れも無からん。世は、定め無きこそいみじけれ。

 命ある物を見るに、人ばかり久しきは無し。蜉蝣(かげろふ)の夕べを待ち、夏の蝉の春・秋(はる・あき)を知らぬも有るぞかし。つくづくと一年(ひととせ)を暮らす程だにも、こよなう長閑(のどけ)しや。飽かず惜しと思はば、千年(ちとせ)を(すぐ)すとも、一夜(ひとよ)の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世に、醜(みにく)き姿を待ち得て、何かはせん。命永ければ(はぢ)多し。永くとも、四十(よそじ)に足らぬほどにて死なんこそ、目安(めやす)かるべけれ。

 そのほど過ぎぬれば、容貌(かたち)を恥づる心も無く、人に出(い)で交(ま)じらはん事を思ひ、夕べの(ひ)に子孫を愛して、栄(さか)ゆく末を見んまでの命を有らまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、物のあはれも知らず成り行くなん、浅(あさ)ましき。(「徒然草 第七段」)(島内既出)(右上の写真は「鳥辺山」の墓所。ヘッダーの写真は化野念仏寺墓地)

‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘

 おそらくこの「第七段」も、どこかですでに触れています。ぼくのかなり好きな箇所で、若い頃も好きだったし、歳をとってくるうちにますます、なるほどなあという感慨に満たされそうになるのです。満たされきるのでないところが、まことに時代相ですね。否応なく、世間が土足で拙宅にまで侵入してくるのですから、「長閑」とか「いみじけれ」などと構えてはいられないからです。兼好という人は、1283年から1352年まで、鎌倉末期から南北朝に入るころまでを生きたとされています(その足跡を含めて、生涯のかなりの部分は分明ではありません)。世は乱世であり、激動期だった。といっても、この島のごく一部での騒乱であって、大半の人はそれとはかかわりなく生きていたようにも思われます。それは今日においても変わらないでしょう。

 地球を覆い尽くすような電波の波に、時節は浮つ沈みつしている。新聞やテレビ、さらにはインターネットという情報通信手段が蜘蛛の巣のように張り巡らされていますから、地球の果ての出来事も、つい近所の事件や出来事として耳目に飛び込んできます。それ故に、思わず知らず「激動の時代」とか「乱世」などと言ってしまうのでしょう。どれほどの関心を持って、そのように言うのか、実に怪しいものです。「便利」だからこそ「不便」でもある時代ですね。「新聞」はたちまち「旧聞」に変貌していく。人々の関心もあっという間に薄れて、消えていく。その昔は「人の噂も七十五日」と言いました。二か月半です。長期にわたって、噂で持ちきりだったというのです。変われば変わる、世の習い、です。七日半だって持続しないのが「世間の目や耳」です。熟視も熟考も避けてしまう、「未熟あるいは腐熟」の時代です。何ごとも目に入ったとたんにフェードアウトする。まさしく「刹那」の時代でしょう。いい「世のなか」なのかどうか、なんとも判断しかねます。

 今から七百年以上も前に生き死にした人々の「日常」はどうだったか。それは兼好さんの「徒然草」をもってしても、はかり知ることは困難でしょう。天皇や将軍の事績・事跡ばかりが「歴史の種」になっていますが、果たしてそれで歴史は語れるのか。内容らしきものがまったくない、固有名や事項や年代のみをどれだけ引き延ばしても、それは歴史にはならない。「徒然草」でぼくたちは何を読むことができるのか。一言でいえば、兼好という人間の「思想」です。この思想とは、いつも言うように彼の「生活・態度」にほかなりません。思想とは態度(姿勢)です。それならば、時代の隔たりを越えて、ぼくたちは彼(や彼女)に接近することは可能ではないでしょうか。

 ぼくが飽きもしないで「徒然草」に引き付けられるのは、そこには確かな批評眼を以て世に棲んだ、兼好という人がはっきりと確かめられるからです。よくいわれる「人生の達人」とは似ても似つかない生き方を余儀なくされた兼好、野心や野望という言葉は乱暴に過ぎるでしょうが、兼好と雖(いえど)も、それなりの「出世」を望んだが、志半ばで、果たせなかった。その故の「出家」であったとは、ぼくには考えられないのは、「徒然草」に書かれている内容が、「恬淡(てんたん)」とか「端麗(たんれい)」あるいは「怨み辛(つら)み」とは程遠い、強烈な自意識が顔をのぞかせているからです。「出家」ではなく「家出」だったんじゃないですか。(以下に、必要以上に長い引用をしておきます。他意はありません。兼好は「世を捨てた人」ではなく、「出家遁世」とは似つかわしくない生涯を送った人物であることが、行間からも伺われると愚考したがためです)(右は足利尊氏像)

OOOOOOOOOOOOOOOOOOO

● 兼好(けんこう)(1283?―1352以後)=鎌倉後期の隠者で歌人、随筆家。俗名卜部兼好(うらべのかねよし)。その名を音読して法名とした。後世「吉田兼好」とよばれている。吉田社を預る家の庶流に生まれた。父は治部少輔(じぶしょうゆう)兼顕(かねあき)、兄弟に大僧正慈遍、民部大輔兼雄がいる。『卜部氏系図』によると兼好は三男であるが、彼ら兄弟の年齢順ははっきりしない。兼好は源(堀川)具守(とももり)の諸大夫(しょだいぶ)となり、後二条(ごにじょう)朝に仕えて六位蔵人(くろうど)から佐兵衛佐(さひょうえのすけ)に至ったが、30歳前後に遁世(とんせい)した。厭世(えんせい)思想に動かされたためかと思われるが、その具体的事情は不明。以後、修学院、横川(よかわ)などに隠棲(いんせい)して修行を重ね、40歳代になって都に復帰した。住居は洛西(らくせい)双ヶ丘(ならびがおか)の中央に位置する丘の西麓(せいろく)の草庵(そうあん)というが、確証を欠く。

 文化人としての兼好は中世の文献に「和歌数奇者(すきもの)(風流人)」(園太暦(えんたいりゃく))、「能書(達筆)、遁世者」(太平記)などとして出るが、活躍の中心は和歌にある。師は当時の歌壇で重きをなした二条為世(ためよ)で、42歳のときに彼から『古今集』に関する家説の授講を受けた。邦良(くになが)親王の歌会をはじめ、各種の歌会、歌合(うたあわせ)に参加、1344年(興国5・康永3)足利直義(あしかがただよし)勧進の『高野山(こうやさん)金剛三昧院(こんごうさんまいいん)奉納和歌』の作者ともなっている。作品は『続千載集(しょくせんざいしゅう)』以下の7勅撰(ちょくせん)集に18首、私撰集『続現葉集』に3首とられ、自撰の『兼好法師集』(1343ころ成立か)がある。「手枕(たまくら)の野辺の草葉の霜枯に身はならはしの風の寒けさ」(『新続古今集』)が有名で、これにちなんで「手枕の兼好」などとよばれた。没年はかつて1350年(正平5・観応1)とされていたが、翌々年8月の『後普光園院殿(二条良基(よしもと))御百首』に加点しているので、その年時以後の死ということになる。没した場所は、伝承によると、伊賀(三重県)の国見山の麓(ふもと)とも、木曽(きそ)の湯舟沢ともいうが、不明。

 残した業績として、和歌以外に随筆『徒然草(つれづれぐさ)』があり、『古今集』『源氏物語』など古典の書写・校合などもしている。歌人兼好は、頓阿(とんあ)、慶運、浄弁とともに為世門下の代表的草庵歌人を称する「和歌四天王」の一人に数えられているが、「兼好は、この中にちと劣りたるやうに人々も存ぜしやらん」(『近来風躰抄(きんらいふうていしょう)』)と評されており、現代でも評価が高いとはいえない。本領は、生前には知られなかったと思われる『徒然草』によってみるべきであろう。この作品は、1330年(元徳2)11月から翌年10月までの間に比較的短期間で書かれたかとする説が有力であったが、近年疑問視され、青年時から晩年まで、断続的に書き継がれたかともいう。したがって、ここには長年にわたる兼好の変化、屈折などが示されているかもしれないが、彼の才質、個性、教養の特徴はかなりうかがえる。それによると兼好は、鋭い批評眼とユーモアをもち、万事に旺盛(おうせい)な好奇心を向けて人間理解に冴(さ)えをみせる人物であったようである。発心遁世を説き、求道(ぐどう)の生活を勧めるが、単なる遁世者にとどまらず、王朝期を追慕して古典的価値観に生きつつ、新時代の胎動を聞き落としていない。交友関係も僧俗貴賤(きせん)と幅広く多彩にわたり、高師直(こうのもろなお)ら東国武将に奉仕することもあったらしい。一事にとらわれない自由な生き方は、すこぶる特徴的で、今日の評論家ないしジャーナリストの源流にも位置づけられよう。(ニッポニカ)

OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO

 「あだし野の露、消ゆる時無く、鳥部山(とりべやま)の煙(けぶり)、立ち去らでのみ」という、化野は京都市右京区の清滝近くの「埋葬地(もとは風葬だったとも)」だった場所で、いまは念仏寺があります(このページのヘッダーの写真)。ぼくは小学生の頃、近くの友達の家(鳥居本)に遊びに行くために、この陰鬱な寺域を何度も通った。また鳥辺山は、同じ市内東山区、清水寺近くの葬送の地(もとは鳥葬されていたとも)。御所の郊外の二つの葬送地に露が立ち、煙が立ち上る。また、人が葬られているのだ。こうしていつまでも人間は生まれては死ぬ。それが避けられない運命だというのは、当たり前に受け入れられる。「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と詠った、関白・藤原道長は、この鳥辺山で火葬(荼毘(だび)に付)されたという。

 その化野の露が消える時はなく、鳥辺山の煙がいつまでも上がり続けるばかり。「住み果つる慣(な)らひならば、いかに、物の哀(あは)れも無からん。世は、定め無きこそいみじけれ」そのままずっとっ住み(生き)つづけるということが習慣となるなら、どうして「物の哀れ」を感じることがあろうか。この世に生き永らえていても、決まり切った定めがあるはずもないのだから、いつ何が起こるか知れたものじゃないからこそ、いかにも好ましい(いみじけれ)と思われよう。吉凶・禍福、これこそ定めなく、人生を襲い追い回すのです。まるで「行く川の流れ」のごとく、湧いて流れ、その繰り返しですが、同じ水はどこにもないのです。

 人間ほどに長生きするものはいない。にもかかわらず、千年も万年も生きたいと願ったところで、それはたった一夜の夢の如し、「命永ければ(はぢ)多し」というではないか。どんなに生きても、せいぜい四十年、それが区切りの目安。それ以上に生きてどうするのか、と兼好は言う。もちろん、寿命はいろいろな条件によって長くも短くもなる。兼好は七十歳ほども生きたが、今日、そこまで生きられずに、早逝する人は少なくない。平均寿命を言うのではなく、人間の生涯という観点で言えば、それぞれの寿命に応じた一生というものが準備されているのでしょう。あるいは、人はそれぞれの人生(他者を含めて)を、そのような「寿命」として受け入れる、死や悲しみを受け入れる「智慧」を宿しているとも考えてみるのです。(運命論ではないつもりです)

 いたずらに長寿・長命することを兼好は望まない。「生、長ければ過ち多し」でもあるからです。また、いつまでも「この世・この生」に未練をもちすぎることも戒めています。「ひたすら世を貪る心のみ深く、物のあはれも知らず成り行くなん、浅(あさ)ましき」興醒めするし、恥さらしの結果、「晩節を汚す」いうことになるでしょう。鎌倉時代の処世観を以て、今を量るのは愚かなことです。時代に応じて、あるいは、人それぞれにおいて願わしい人生観がある。兼好は「かくかくしかじか」と言っているが、それはすでに滅んでしまった「人生観」「世界観」であるかと言えば、そうも言えません。七百年前のある人の生き方は、今日そのままに学び取る価値があるものだということだってありますから。「流行と不易」は、時を隔てて入れ代わり立ち代わり、生の只中に生じてもいるのです。

 このところ、政治や経済、つまりは「政治状況」が末世的、終末的な暗さや頽廃に覆われているのを見せつけられるにつけ、ぼくは現実逃避を模索して、兼好さんを読もうとするのではない。ぼくの勝手な理解(誤解)で言うと、兼好は「世を捨てた人」ではなく、かえって「世に捨てられた人」だった。だから、脱俗の「仏への信心」に徹底することはできなかったし、時を経て「還俗(げんぞく)」、俗にいう「法師還り」すらしているのです。自らの「自己意識」を殺すには、あまりにもそれは強すぎた。ぼくは、兼好を時に読みたくなる(会いたくなると言うべきか)のは、ここに理由があります。「出家」を装って、俗物を遥かに凌駕するような、まがまがしい僧侶より、揺れ(迷い)ながら生きている人間として、よほど好感が持てると思う。

 諸行無常を深く把握しつつ、なお人として生きる、そのために縋(すが)るべき礎をを求めつつ、何処まで行ってもおぼつかない自足歩行を止められない、兼好の強さと弱さに、ぼくは教えられているのです。

______________________

 皇位は、世襲のものであって、国会の…(承前)

 ぼくはいくつかの点で大きな失敗をしてきたと、ときどき悔やむような心持になることがあります。大したことではないでしょうが、生きていく中で大事な、心の泉を豊かにする水分補給を怠ってっしまったという、そんな気分なんですね。持って回った言い方をしていますが、ようするに、本であれ、音楽であれ、映画であれ、もっともっと時間をかけ、思いのたけをそれらに打ち込むべきであったと。今でも本は万を超える数はある、でも、今から思えば、ろくでもないものがほとんどという為体(ていたらく)。音楽にしても、本格的にピアノを弾こうとした形跡はありますが、ほとんどなすところがなく、単なる音楽愛好家(ジレッタント)として時間を無駄にしたといういい加減さ。もちろん「音楽愛好家」でいけない理由はありません。でも、それをもっと豊かなものにするには、何か楽器をと、いまさらのように悔やまれる。いろんな楽器に手を出しては、すこしばかりものになりかけると、もう次に関心が移っていった。映画に関しては、もう最悪ですね。ほとんどまとも(記憶に残る映画)だと思われるものは一切観てこなかった。邦画(東映や大映など)は腐るほど観た。理由は簡単、近所に映画関係者がたくさんいたからです。しかし、名作・名画というか、映画史で記憶されている作品はほとんどパスしてしまったのです。そう考るだけでも、まるで干からびた生活・人生だったという苦い記憶・印象ばかりが強く残っている。 

 そんな中にあって、これまでに何回観たか。「ローマの休日」。公開は1953年ですから、まだ小学生だった。ぼくが初めて見たのはずいぶん後になってから。以来、おそらく五、六回は見た。何がよかったのか、それもあいまいで、ただ美しい、格好いい、その他、一種の「西洋かぶれ」であったかもしれない。ただ、この映画の脚本や監督の思想・信条にまつわって、いろいろと政治的な動きがあったことはずいぶん後になって知った。公開当時、アメリカでは「赤狩り」の最中だった。特に脚本を書いたトランボは、共産主義者として「リスト」に載せられていた。証言を拒否してもいた。それを承知で、ワイラーは映画化を進めた。この少し前にはチャップリンもやり玉に挙げられ、入国禁止措置が取られたほどでした。

HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

● ローマのきゅうじつ【ローマの休日 Roman Holiday】=1953年製作のアメリカ映画。ウィリアム・ワイラーWilliam Wyler(1902‐81)監督作品。ヨーロッパを親善旅行中の某国の若い王女(オードリー・ヘプバーン)とアメリカの新聞記者(グレゴリー・ペック)とのラブ・ロマンスを,ローマの美しい観光名所を背景に,軽快にほほえましく描くロマンティック・コメディで,オリジナルストーリーは,〈赤狩り〉のブラックリストに載せられていたドルトン・トランボDalton Trumbo(1905‐76)が,イアン・マクレラン・ハンターの仮名で書いたものである。

● 赤狩り(あかがり)red hunting、red-baiting=共産主義者や進歩的自由主義者を社会的に追放すること。このことばの語源は、中世末期のヨーロッパにおいて行われた魔女狩りwitch-huntにある。アメリカ合衆国における赤狩りりの歴史は有名で、19世紀以来、社会主義運動に対し「非アメリカ的」であるという理由でさまざまな迫害が加えられた。とくに第一次世界大戦中から戦後にかけて、ロシア革命への危機感などから、パーマー司法長官のもとで、共産主義者はもとより無政府主義者や労働運動指導者に対する大々的な取締りが実行された。その後、第二次世界大戦中に、1940年の外国人登録法などによって共産主義活動への規制が強化され、戦後、下院に非米活動委員会が常設されるに及んで赤狩りは活発化した。そしてマッカーシズムの出現で一つのピークを迎え、自由の擁護の名のもとに自由の抑圧が進行した。なお日本では、戦前、治安維持法などにより、社会主義運動のみならず自由主義者に対しても激しい弾圧が加えられた。(ニッポニカ)

● ドールトン トランボ(Dalton Trumbo)1905.12.9 – 1976.9.10 米国の脚本家,小説家。コロラド州生まれ。別名ロバート リッチ。ハリウッド・テンの一人で、アメリカの下院非米活動委員会の聴聞会での証言を拒否したため、禁固刑を宣告された。脚本家として1971年「ジョニーは戦場へ行った」でカンヌ映画祭審査員特別賞を受賞。その他「栄光への脱出」(’60年)、「いそしぎ」(’65年)、「パピヨン」(’73年)等多くの映画脚本を手がけた。小説では「日食」(’35年)、「ジョニーは銃を得た」(’39年)等の作品がある。(20世紀西洋人名事典)

● ハリウッド・テン=1947年アメリカの下院非米活動委員会に喚問され証言を拒否し後に議会侮辱罪で投獄されてハリウッドを追放された10人の映画人のこと。エドワード・ドミトリク(監督),ドルトン・トランポ(脚本家)など。同委員会はハリウッドを標的にすることで冷戦下の〈赤狩り〉の風潮を全米に拡げる効果を狙ったとされる。表現の自由をめぐって制作者から俳優までハリウッド全体を巻き込んだこの事件は,米国の映画界に大きな傷を残した。(マイペディア)

HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

 小室眞子さんの人生行路 小欄の話題探しにニュース検索サイトのはしごをすることがある。秋篠宮家の長女眞子(まこ)さまと大学時代の同級生小室圭さんが婚姻届を出したニュースはきのう、「エンタメ」欄でも持ち切りだった▲エンターテインメントを略した言葉で、人々を楽しませる娯楽を指す。出会いから9年。昨今はコロナ禍の憂さ晴らしか、二人に注がれたのは好奇の目だったかもしれない。一挙手一投足にけちがつき、出まかせ同然の中傷さえネット上にあふれた▲「皇室として類例を見ない結婚」。まな娘の晴れの日に、そう述べざるを得なかった秋篠宮ご夫妻の胸中は察するに余りある。今なお小室家が抱える金銭トラブルが頭を去らないのだろう▲小室眞子さんとして応じた記者会見の席で、その面持ちはどこか陰って見えた。ストレスのもたらす不安からか、「心を守る」といった言葉を重ねた。かつて圭さんが「月」に見立てた例えが、今となっては痛々しい▲さりとて遠距離恋愛を貫いた二人に、希望の明かりを見る恋人たちも多かろう。ろくろく会うことがかなわぬ感染下である。皇室を離れ、新天地に乗り出す人生行路…。それは決してエンタメの種なんかではあるまい。(中国新聞・2021/10/27)

OOOO

 思いつきのように「ローマの休日」を取り上げたのですが、取り立てて言うほどの理由もありません。さる小国の王女が休暇で過ごしていたローマで起こった出来ごとを喜劇的に味付けし、そこに王女と新聞記者との「束の間の恋」を絡ませた、なんとも他愛ない映画だったかもしれません。グレゴリー・ペックの伊達ぶりに痺れたし、ヘプバーンの美貌に肝を冷やしたということだった。というと、ぼくはずいぶんませていたことになりますが、これらのイメージは、何度も観ている内に作り出されてきたもので、だから何度も観る必要があったのかもしれません。この「ローマの休日」と比べるべくもないのは、「ケイとマコ」の結婚譚の序曲とフィナーレでした。あるいは「(ICU)キャンパスの休日」という映画が、どこかで作られていたのかもしれませんが、話題は映画の中で終わらなかったところが、悶着の原因だったとも言えます。でも、問題は「ケイとマコ」にあるのではなく、この島のマスコミと「一塊の群」にあるのでしょう。これについて何かを言うのは気が進まないので、これ以上は書きません。一つはケイの母親の問題、もう一つは「皇室・皇族」にかかわる問題です。

 母親の件に関しては、世間によくある話で、息子に、皇族との結婚問題が起きなければ誰も興味を持たなかったこと。どこまでいっても個人の問題ですよ。問題を大きくしたのは二つ目の「天皇制と皇族」問題です。現行の天皇制は憲法で規定された政治制度です。だから、憲法改正が問題になるなら、何よりもこの部分にも触れる必要があるというのが拙論で、これまでにも話したり書いたりしてきました。「天皇」は孤立して存在はしませんから、必ず「皇族」が組織されます。これは「法の下の平等」を想定しない一群の家系です。「超法規的存在」ですね。これだけでも、時代がずれています。現在、皇統問題が議論されている。皇位継承者問題というものです。

 (*皇室典範=第二次世界大戦後、旧皇室典範は廃止され、新「皇室典範」(昭和22年法律第3号)が日本国憲法と同時(1947年5月)に施行された。名称をそのまま残したが、神道的儀部分を削除して簡素化され、普通の法律と同じく国家の統制が及ぶことになった。内容は皇位継承皇族の範囲、摂政(せっしょう)、成年・敬称即位の礼、皇族が結婚するときの手続き、皇籍離脱、皇室会議の仕組みなどについて定めている。皇室典範は現在、皇室経済法とともに特殊の法域として皇室法を形成している)(ニッポニカ)

 現行の皇室典範では「皇位継承者」は男子(「皇統に属する男系の男子」)に限られています。下図の数字は継承順位です。第二位は現在55歳、第二位は現在十五歳。第三位は85歳。法律の改正がない限り、「悠仁さま」は「最後の天皇<The Last Emperor>」となるであろうし、その周りには、身寄りが誰もいない「世界」が待っているのかもしれない。「天皇制を守る」という立場の人々は「男子に限る」という立場に立つ人が優勢であるように言われています。何年後かわかりませんが、このままでは「孤独で孤立した、かつ最後の天皇」という「未曽有」のことになり、あるいは、そこで、この制度は終焉を迎えるのでしょうか。空騒ぎ、莫迦騒ぎをしている暇に、事態は刻一刻と終末に向かっているという実感を持っている人はどれほどいるのでしょうか。さらに大事な点ですが、問題は人権問題であることを、ぼくたちは失念していないか、というのです。(下図は読売新聞・2021/19/26)

””””””””””””””””””””””””””””””

 皇族の若い女性が「早い段階から海外で生活すると決めた」と告白したのは印象的でした。この島では住めないと決断させたのは、誰だったのか。ご当人たちは、自由や人権というものを、ことさらに言い募りはしませんが、「個人の立場」が認められない・許さないという、どうしようもない人々の感覚に、ぼくは一種の「悍(おぞ)ましさ」を抱いてしまいます。「かく悍ましくは、…絶えてまた見じ」(「源氏物語 帚木」)自らが望んで皇族でいるというのではない事情を、ぼくたちは、その根本に立ち返って再考すべきです。これ以上の人権侵害はあってはならない、暴力を伴う破廉恥行為ですから。反撃できないものに向かう攻撃ほどに卑劣なものはないんじゃないですか。

 数年間にわたるマスコミによる一連の「中傷<slandering>」報道、ネット上の匿名の「いじめ<bullying>・虐待<abuse>」の集中砲火に、ぼくの感覚は「悍ましい」「ゾッとする」、というものでした。その延長で「赤狩り」と「ローマの休日」が重なったのです。「非米活動」、「排共産主義(者)」を錦の御旗に、この島社会でも「赤狩り」ならぬ「謙韓」「謙中国」叩きに連なる、「非日」「反共産主義」という、時代おくれもいいところの「排外・排内主義」が、民間人と皇属の「ケイとマコ」を対象にした、いじめ(叩き)を通して、かなりの程度に横行しているのを表わしているように、ぼくには見えてしまうのです。現下の選挙中にも「反共産主義」の合唱が、政権党の中枢から、声高に聞こえてくる。まるで亡霊の如くに、今の世に「赤狩り」旋風が吹き荒んでいるのか。そして、この後はどのような事態が出来(しゅったい)するのか。

______________________

 「偕老同穴」の境まで、アンダンテがいいね

TOKYO — When Japanese Princess Mako announced her engagement to college sweetheart Kei Komuro at a 2017 news conference, the couple giggled as they recounted the story of how they fell in love./ On Tuesday, at their first public appearance since, the couple sat at arm’s length and somberly read a joint statement explaining why they had registered their marriage earlier in the day. It was a stark reminder of how much public sentiment has soured over the past four years.

Although their engagement was initially celebrated in Japan, it quickly became divisive when news surfaced about a financial dispute involving Komuro’s mother. Despite it all, the couple stood firm, glancing knowingly at each other Tuesday as they addressed the public following disparagement ranging from questioning of their integrity to complaints about Komuro’s looks.(omitted)

“Kei is an irreplaceable person for me. And for the two of us, marriage was a necessary decision in our lives to protect our hearts,” Mako said./ “I love Mako,” Komuro said. “I would like to spend my one and only life with the person I love.”/ To marry a commoner, the princess was required to abdicate her royal status. Addressing the public as Mako Komuro, rather than Princess Mako, she apologized to those who disagreed with their nuptials and thanked those who supported them./ She also expressed appreciation for her now-husband and the public criticism he has faced — a rare expression of private feelings about the public perception of a member of the royal family, experts said.

“I am thankful that despite harsh public criticism, Kei continued to hold on to his feelings to marry me. If he had given up on the marriage, he wouldn’t have had to face years of relentless hate,” she said.(The following is omitted)(By Michelle Ye Hee Lee and Julia Mio Inuma Today at 3:07 p.m. EDT)

 どうしてこんなに騒ぐのか、実に軽薄な「国民性」と言うべきなんでしょうか。もちろん、ぼくも「国民」の一人ですから、この怪奇現象を他人事として、横を向いてもいられないのかもしれません。ぼくは、早い段階から「天皇制」「皇室の存続」については疑問を持っていましたし、政治制度としての「天皇制」は廃止するべきであると、今も考えています。おそらく、死刑制度と王室制度は二つながら並存してきたきらいがありますから、その両方が存続不能になる事態が来ない限り、これからも喧しい騒ぎが起こり続けるのでしょう。ぼくは、皇族であれ、誰であれ、二人が結婚したいというなら、どうぞ仲良くね、その程度の挨拶はします。それ以上何を言うべきなのか。結婚相手の親族に何かの「不始末」があるというのは、黒雲が出たら雨が降るというのと同様に当たり前の現象で、世間ではザラにある。ほっときなさいよ、他人のことを。

 いやそう言わないわけにはいかないのは、なにしろ皇室の維持には「税金」が使われているのだから、怪しい親のいる男と皇族が結婚するにも、身元調査が必要だし、税金をやたらに使うのは反対だと。これまでにもさんざん「政治的に利用してきた制度」ですよ、もういい加減に、という気もするんです。、民間人になるのだから、どうぞご随意に、と言っておけば済むのではないですか。「若い二人の人生」に祝意は述べても罰が当たらない。警備費に使う金はどこから出るのか、詮索しなさんな。税金だったら(それは、ぼくにはわからない)、どこかいけないんですか、まあご祝儀ですよ。

 いやな時代になったとつくづく思うのは、ネットを使い、やたらに「攻撃派」が多勢を装っている現実(一人で百人力を仮装している)です。今回もそうでしょう。政治家が税金を誤魔化し賄賂を取り放題にしてなお、権力にしがみついている、この醜悪な状況(国体)を「護持」しつつ、若い二人をいじめ倒そうとする集団主義には、悍(おぞ)ましい気分が湧いてきます。何時だって、こんなことがあったんですね、この社会には。大きな犯罪には「目を瞑(つむ)る」、少なる過ち(かもしれないこと)には「牙をむく」という、「弱きを挫き、強きを助ける」という「いじめの集団主義」現象は秋季(臭気)爛漫です。

 「Dappi」なるネット上に暗躍している媒体の正体が明かされつつあります。おのれの権力を維持するためには手段を択ばない輩が「政権党」を牛耳っているし、その周辺にはフェイクを垂れ流す徒党が蝟集し、蠢動しているのです。この間の政権与党や権力亡者たちのでたらめぶりを遠目で見ていると、ひょっとしたら、この社会は、もう後戻りもできないほどに、ある種の勢力に支配され拉致されているのではないかという気にもなってきます。今の政権与党の一つ、K党はまるで腐れ縁のようにJ党にくっついていますが、その理由は単純で、K党の幹部と裏社会のボスとが「土地取引」に絡んでつながっていたことを証する物的証拠を握られているからだと言われています。

 ぼくたちはマスコミの煽り放題に現をぬかし、目先の騒動に関心を奪われている、そのすきにこの国も社会も根幹から腐食してしまっていたのではないか。白蟻は「わがもの顔」にあたりかまわず食い散らしている。裏社会ということがいわれます。しかし、ただ今の島社会の状況を見ていると、「裏が表」で、「表が裏」という本末転倒現象が方々で炸裂しています。どっちも同じ穴の狢ではなく、「偕老同穴(カイロウドウケツ)」ならぬ、「敵を呪わば、穴二つ」ですね。「バッジ」をつけている人間は堅気じゃないのではないかとまで疑いたくなってきます。

 バブル崩壊期に、トップバンクが「裏社会」に乗っ取られる寸前まで行っていたことが判明しています。その筋と深い関係のある人物が「副頭取」にまで上り詰め、あと一歩で頂点というところまで来ていたのです。この社会の状況がそのS銀行とそっくりの事態にあると、ぼくは言わざるを得ないのです。この島社会が落ち込んでいる事態は驚くほど深いと思います。どこかでも触れましたが、「満州国」を立ち上げるに際して組んだ「悪のトリオ」の骨格は、おそらく今も強固に残っているのかもしれない。利権や出世、名誉や富、それらに翻弄されてきた人々が、いつの時代でも「我が世の春」を謳歌するために組んだり離れたりして、「社会全体」を沈没させる羽目に陥っているのでしょう。

 皇族の一女性が「皇籍離脱⇒民間人との婚姻」という表面の話題に躍らされている間に、事態はいよいよ深刻になってきます。いろいろな災厄が重なって、多くの人は、今日の状況を「国難」というようですが、ぼくはそんなものではない、まさしく「危機状況」にあると考えています。アメリカの属国で結構、政治不信、なお結構。人民の苦しみや痛みは歯牙にもかけない。原発事故が何度発生しようが、儲ける手段は手放さない。「国滅んで、人心荒む」、それでもいいじゃないかという輩が、「毒を食って、皿まで」という、「わが世の春」を謳歌しています。この国は、誰かが望んだように、「戦前」に先祖帰りをしてしまいました。「蘇州夜曲」や「支那の夜」が、どこかで響いているような、そんな心持ちに襲われます。 

‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘

“Kei is an irreplaceable person for me. And for the two of us, marriage was a necessary decision in our lives to protect our hearts,” Mako said./ “I love Mako,” Komuro said. “I would like to spend my one and only life with the person I love.

 ケイとマコ、二人の決意がマスコミを通して語られたのを、ぼくは驚きを以て見ました(偶然に、食事時にテレビに映った)。「こんなことを言わせるんだ」というのか、「こんなとこまで世間に表明するの」というのか。でも、とにかく仲良くやってくれ、というばかり。「失敗したら、いつでも戻っておいで」と彼や彼女の親は言ったかどうか知りませんが、気持ちはそうじゃないですか。誰だって(と言い切れるかどうか自信はないが)、「幸せになってほしい」と願ってるんじゃないの。「皇族」という窮屈な衣服を脱いで、まあゆっくりと連れ合っていただきたいですね。当たり前ですけれど、他者は二人の権利を侵害しないこと、それぐらいの賢明さがないというなら、なにをか言わんや、です。

● 偕老同穴(かいろう-どうけつ)=夫婦が仲むつまじく添い遂げること。夫婦の契りがかたく仲むつまじいたとえ。夫婦がともにむつまじく年を重ね、死後は同じ墓に葬られる意から。▽「偕」はともにの意。「穴」は墓の穴の意。出典「偕老」は『詩経しきょう』邶風はいふう撃鼓げきこ、「同穴」は『詩経』王風おうふう大車たいしゃ句例偕老同穴の契りを結ぶ(三省堂新明解四字熟語辞典)

|||||||||||||||

 They declined to answer questions about their future. The former princess said she hoped to “have a warm household and live peacefully.”(二人は「将来」について答えることを拒んだ。前王女は「温かい家庭を築き、平和に暮らせることを願っている」と言った)

 (詮索も非難も止めるがいいね。イギリスの王室を見てほしい。あれがノーマルじゃないですか、つまり凡人と少しも違わないということです。不倫もあれば、離婚もある。再婚結構、権利(義務かもしれない)を放棄して、民間人になるのもまた結構。こういう見本があります)

◆ 蛇足 この問題には触れないつもりでした。ぼくには関係のないことだし、若い二人が憲法に定める通りに、「二人の合意」で結婚することに決めたんですから。皇族だからというのは、反対する理由には当たらないと思う。親でも親戚でもないのに、「私はこの結婚には反対だ」と言える義理がどこかにあるんですか。これだけ、マスコミが大騒ぎして、あることないこと、針小棒大に報道を垂れ流し、その挙句に、反対党、非難党が組織されて、税金がどうだ、相手の親が詐欺みたいなどと、誰に吹きこまれたのか知りませんが、とにかく反対反対。ぼくは皇族制度には反対。でも、現に存在しているのだから、それを無視はできません。だからこそ、ご本人たちの希望する通りに物事を決めればいいと、それだけで、騒ぐ理由も必要もないのではないかと、ずっと見ていました。こんなおかしな「政治制度」はなるべく早く廃止した方がいいね。(その後で、「皇族」になりたい人は、勝手になるといい。これまでにも「自分は天皇」と主張していた方が何人かいましたよ、つい先ごろまで)

___________________________