雲耶山耶呉耶越 水天髣髴青一髪

松浦直治

 【水や空】水や空60年 見分けがつかず、ぼんやりしていることを「髣髴(ほうふつ)」と言うらしい。江戸後期の史家で文人、頼山陽はこんな漢詩を残した。〈雲か山か呉か越か、水天髣髴 青(せい)一髪〉▲はるかに見えるのは雲か山か、それとも呉の国、越の国か。海と空の境目はおぼろげで、青く一筋の髪の毛を置いたような水平線がかすかに見える…。内輪の話で恐縮だが、この欄「水や空」の初回は、この詩の引用で始まった。きょうで開始から60年になる▲その前は別名だったが、本社の先輩である故松浦直治氏が主筆として他紙から本紙に迎えられ、改題した。松浦氏はコラムを13年続け、第1回日本記者クラブ賞を受けている▲水平線を表す「青一髪」を和風にしたら「水や空」になる、と初回のコラムは続く。海とも空とも見分けのつかない境目に引かれた、青い一筋。コラムはそうでありたいと願いを込めた▲政治であれ何であれ〈良識にもとづく批判や感想が水や空なる一線をつらぬいているとき、読者に信頼感をもたらす〉と。身を縮ませて、60年前の“宣言”を読み返している▲物事には光と影、ほんととうそ、本音とまやかし-と、境目があいまいで、見分けのつかないことはいくらでもある。微力と知りつつ、そこに青一髪を引き、はっきりさせること。往時の宣言は教訓でもある。(徹)(長崎新聞・2021/09/25)

 ◇ 松浦 直治(長崎新聞社論説室顧問)新聞界に入って以来半世紀、ジャーナリストとして健筆をふるってきた。朝刊コラム「水と空」は、その博識と時宜を得た論評で高い評価を受け、県民の社会的、文化的な知識の啓発に寄与したことも評価された。「日本記者クラブ賞」(第一回)受賞(1974年度)(日本記者クラブHP:https://www.jnpc.or.jp/outline/award)〔・「長崎の歴史 開港400年」(1970年)・「増補長崎の歴史」(1974年)・「長崎方言ばってん帳 : 唐・南蛮・紅毛なまり」(1974年)などなど〕

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 勤め人をしていた頃も、新聞は読んでいたし、とくに「コラム」には目を通すようにしていました。とはいえ、いまのように、ネット時代でもなかったこともあり、各地の新聞コラムを手当たり次第に読み込んでいくということはできませんでした。せいぜい、地方紙のいくつかを数日遅れで購読するというのが関の山でしたね。しかし、今のように、金はないが暇はあるという明け暮れになると、いきおい時間を浪費することになり、ついつい「ネット遊び」をするという堕落ぶりです。しかし、それでも各地の新聞コラムが居ながらにして読めるというのは、ぼくにとっては、いろいろな点で好都合です。それぞれの地域の状況がそれなりに分かるし、また各紙の性格というか特色、あるいは長短というものが手に取るように理解されてくるからです。

 この「雑(文)・駄(文)集録」を書きだして、もっとも世話になっているのが「地方新聞のコラム」です。どこかで触れましたが、新聞の「コラム」は、私見では、いわば客引きが狙い、販促品のようでもあり、御店の中に客を入れるための仕掛けでもあるというわけ。しかし、近年の風潮というか、どの店もほぼ同じような品ぞろえのなか、コラムの冴えが鈍ってきているように痛感します。また、このコラム欄は、たとえて言えばスーパーなどの店頭に並べてある「ティッシュ」や「トイレットペーパー」、あるいは「天然水」などの「目立たせ(客引き)商品」でもあると、ぼくは思っています。こんなに良質の品が、こんなに安い価格で、そんな商売っ気が各店舗独特の品ぞろえにつながる、それならば店内も見ようとなる。それにつられて入る客が多いのではないか、ぼくのように。

 ところが、セールスアイテムを堂々と「定価販売」するような風潮が、ネット上の「コラム」で生じてきました。「お店(新聞社)」からすれば当然ですが、冷かしの客からすればそれは困る。店に入る前に前金を獲られるようなもので、はなはだ不満ですね。商品を「読む」のだから、カネを払え、これはあまりにも当たり前すぎて、二の句がつげないという弱みが客にはあります。でも、少なくとも「コラム」はチラシやおまけのようなつもりで、新聞という商品を考えたい人間です。(あくまでも私見です。このように言って、「コラム」を見下げるという芸当はぼくにはできません。「社説」と違って、「コラム」は拡販商品です。屋台骨を支えているという意味です)(最初の何字までは読める、残りはカネを払ってからというのが嫌ですね。ズボンだかスカートの裾をたくし上げて、「ここまでしか見せません」と、追加料金をせびるようで実に嫌味重太郎です。落語にある「お直し」のようで、侘びしいし、さもしい感がします。

 「天声人語」「余録」「筆洗」その他、各地各紙の「販促品」が、現金正価となれば、「何、読まないでもいいや」となります。どんな品物でも、手に取って試すというか、手触りや肌触りを確かめてから購入の可否を判断します。新聞コラムには「試着」というか「試読」がないのはどういうことか。購読料をケチって言うのではない(いや、それも一部にはあります)、読んでからカネを払うのが当たり前じゃないですか。それに立ち読みは、本屋の楽しみの一つでもあった。新聞にも、それがあってもいいでしょう。ただでさえ、新聞は「月光仮面」のようなふり(近年は、その新聞、動きも勘も著しく鈍くなっています、「生活習慣病」に罹患しているとしか、ぼくには思えません)して、その裏で(しかも堂々と)「再販制度」の恩恵を貪っているではないですかと、言われかねないでしょ。(もちろん、ここで「新聞」と一網打尽のように扱っていますが、いわゆる「五大紙」といわれるものと、「地方紙」とでは、読者の側の位置づけがちがいます。ぼくも、同じように両者を扱っているつもりはないのです。機会を見つけて、もう少し詳しいことを書きたい)

〇 著作物の再販制度著作物(書籍、雑誌、新聞、音楽用CD、音楽用テープ及びレコード盤)について、出版社などのメーカー側が小売価格を決められる制度。独占禁止法では、メーカーが自社商品の販売価格を指示して守らせることを禁止しているが、著作物には適用されない。価格競争によって売れ筋に偏ることや、地域によって価格差が出ることを防ぎ、著作物の多様性や国民の知る権利を守る狙いがある。(朝日新聞 朝刊:2013年07月25日)

 どの店でも、全国一律に「大根一本、百円」というのはおかしくないですか。「コンビニ」が、新聞の真似をしています。どこで買おうが、同一チェーンの「肉まん」なら値段は同じ(だと思う、違うのかしら)というのは、いろんな地域の客からすれば、なんかおかしい気もするんです。ならば、買うのをよせばいい、そんなことを言う人が出てきます。問題は「商売という文化」に関わります。購読新聞なら、何年たとうが、同じ「記事(活字)」が読めます。カネはタダ。ぼくは「新聞」派ではなく、「旧聞」派です。しかしネットなら、何年たっても(古くても)、同一価格。これが不思議。値引きも何もしないのは、道理に合わないし、新聞記事は腐らないのに、何年か過ぎると、ネット上では読めなくなります。(ここでいうのも場違いですが。「社説」は、ネット上では、どうして無料なのでしょう)

 なにかと御託を並べて、イチャモンを付けているように見えて、わが心持は美しくないのですが、ようするに、カネを払わない客は立ち寄ってはダメといわれているようなもの。その昔、水飴やせんべいを買わないで「紙芝居」をただで観る子どもは嫌われました、それと同じようです。ぼくは、少なくともニ十紙くらいの「ネット会員」です、もちろん無料の。それでもカネを払ってまで読もうという記事は、ぼくの感覚から言えば、ほとんどない。映画なら鑑賞料を払う、だから新聞も購読料をという段取りですが、映画の「この一部だけ」は見たくないということはないが、新聞はこの「コラムだけ」読みたいというのがいくらでもあるのです。というわけで、大根は五本からしか売らないという店は、多分どこにも、ございませんでしょ。新聞もそうすればいかがか、「一つの記事はなんぼ」という段階からはじめて、いつだって読んだり読まなかったり、それ相応の料金を払う仕組みを考えてほしいですな。(今でも、「広告」を買わされてるような新聞ばかりではないですか)

 ぼくの住んでいるような不便なところには「無人販売所」というのがあります。野菜や果物を並べて、値段が書かれた札が置いてある。好きなだけ購入し、対価(料金)を払う。無人ですから、問題もあろうが、それでやっている。(それも、だんだんと少なくなってきた。どういう理由でか、分かりそう)新聞もそれをやるといいのではないか。あるいはライブの youtube で「投げ銭」システムがあります。スーパーチャットとかいうのでしょうか。「読んで」「見て」よかったら、「投げ銭」です。料金は一定ではない。昔の「おひねり」(今もありますね)、これだと、おひねりや投げ銭の多い記事が明白になりますから、新聞販売の現状形式は「溶解」します。身入りのいい記事や記者は「自律」「自存」が可能です、社屋もいらない。とかなんとか、これがぼくの想定する新聞業界の行方です。すでにそうなり始めています。新聞社から、どんどん早期退職する記者が増えている。ぼくの近辺にもいくらもおられます。「インディーズ記者≒ジャーナリスト」です。

 かくして新聞社の「展望」が見えてきました。この伝で行くと、次は「学校」でしょうね。各教師が個別指導の「チューター」となるか、あるいは個別の教室を構える個人授業(事業)主。学びたいものは、それぞれの門戸を叩く。往時の「寺子屋」か「私塾」です。ぼくはこれが願わしいと考えてきました。やがて、「学校」が遊び場・カタリバで、学習私塾が「本筋」となる時代が来る、いやもう始まっている。学校制度は形骸化してくるほかないし、この方向を曲げることはできないでしょう。(左は「御捻り(おひねり)」)

 (下に、頼山陽の話が出てきます。山陽の学歴というか、学習歴は「塾」でした。いろいろな師を求めて門弟になる。いくつかの「学習塾」を探し求め、師に出会う。最後はみずからが「開塾」し、多くの門弟を引き寄せたのでした。このような「私塾」の復活は、きっと来るに違いありません。(山陽とは関係ありませんが、同じ京都に伊藤仁斎の「古義堂」塾(跡)があった。今は、伊藤さんが「華道教室」を開いておられます。京都堀川にありました。ぼくの一家は、堀川中立売に暫時住んでいたことがあり、この塾跡には何度か出かけたことがあります)

● 古義堂(こぎどう)=江戸時代、伊藤仁斎(じんさい)が京都・堀川下立売(しもたちうり)に開いた儒学の私塾堀川学校ともいう。1662年(寛文2)創立。商人出身で古学を講ずる伊藤仁斎・東涯(とうがい)父子のもとに、多くの公卿(くぎょう)、医者、富商らが参集。『論語』『孟子(もうし)』『中庸』を中心とする聖賢の古典の徹底的究明によって、自らの道徳の完成を目ざした。同志、門弟茶菓を持ち寄り、温かい雰囲気のなかで、研究会や講義によって学習が行われ、独自の塾風が養われ、多くの人材が輩出した。為政者に対する批判はしないが、理念的に、幕府御用の朱子学派を批判し、幕藩支配を根本的に否定する主張を含む。[木槻哲夫]『加藤仁平著『伊藤仁斎の学問と教育』(1940・目黒書店)』▽『吉川幸次郎・清水茂編『日本思想大系33 伊藤仁斎・伊藤東涯』(1971・岩波書店)』▽『天理図書館編・刊『古義堂文庫目録』(1956)』(ニッポニカ)

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 ここまでは「まくら」に当たる部分。本題はここからです。(竜頭蛇尾に終わりますので、悪しからず)コラム「水や空」について、です。各紙のコラムの中でも、もっとも頻繁に目を通すのが「水や空」です。担当者は数人で、どの方がいいとかどうとかは言わない。すぐれた記事を書く人が一人いれば、おのずから周りは影響されます。それが、切磋琢磨であり、精進というものでしょう。「教育」が及ぼす無形の影響です。きっと、他の記者も「いい記事」や「いいコラム」を書かれるようになるのです。そこでぼくは、「どうしてこのコラムが面白いのだろう」と見当をつけたところ、松浦直治さんにぶつかったというわけです。

 「松浦」姓といえば、平戸藩主だった「松浦家」に言及せざるを得ません。平戸六万石の藩主。松浦直治さんが、この「松浦(まつら)家」と関係がありそうではと見当は付けているのですが、いまの段階では、それはわからない。地元新聞に勤務され、「水や空」コラムの生みの親のようでもありましたし、それを一つの「見識あるコラム」にまで育てられた方と、ぼくは推測しているのです。勝手な思い込みであり、まちがいかもしれませんが、このコラム名「水や空」の命名歴を知れば、何かと妄想が湧くというものです。(この点を含めて、当の新聞社に問い合わせをしました。担当者が答えられましたが、松浦家との関係はわからないそうです。それは当方が調べるべき仕事。「水や空」愛読のお礼を述べておきました)

 コラム名「水や空」の由来となった頼山陽の漢詩です。万里を旅し、今は、天草の舟上にある。夕もやが窓に映り、日没間近に。大きな魚が跳ねるのが見えた。宵の明星が戦場に明るく、まるで月のようだ。

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泊天草洋

雲耶山耶呉耶越
水天髣髴青一髪
万里泊舟天草洋
煙横篷窓日漸没
瞥見大魚波間跳
太白当船明似月

 この漢詩は、山陽三十九歳の折の、一年余の九州遊学に際して作られた。彼は五十三歳で亡くなります。

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●頼山陽 らい-さんよう =江戸後期の儒学者,詩人。安芸(あき)の人。名は襄(のぼる),字は子成,通称は久太郎。朱子学者頼春水の子。尾藤二洲に学ぶ。1800年脱藩するが連れ戻されて幽閉され,この間史書執筆を志し,《日本外史》を起稿した。のち廃嫡となり,菅茶山の塾の後継者として招かれ,1年余滞在ののち京都で開塾。詩文書画の名が高く,多くの文人墨客と交わった。簡潔な名文と名分論的な歴史観により幕末に愛読者を得た。著書は他に《日本政記》《通議》《日本楽府》《山陽詩鈔》《山陽遺稿》など 。(安永九~天保三年)(一七八〇‐一八三二)(マイペディア)

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 山陽についても、さらに書きたいこともありますが、何時間もパソコンの前に座り続けていますので、ここらで、打鍵中止、余裕があればまた書き加えます。ここで言いたかったのは、新聞各紙の「コラム」がどうして面白くなくなったのか、反対に、あるコラムがいつでも面白く、興味深く読める理由はどこにあるのか、そんなことでした。百年の歴史を誇るコラムや新聞は、二代三代と代替わりしています。あるいは、いずこも「権力のまやかし・あやかし」に憑(と)りつかれているのかもしれない。

 当節は流行りませんが、ぼくの好きな川柳です。「売り家(いえ)と唐様(からよう)で書く三代目」(「初代が苦心して財産を残しても、3代目にもなると没落してついに家を売りに出すようになるが、その売り家札の筆跡は唐様でしゃれている。遊芸にふけって、商いの道をないがしろにする人を皮肉ったもの」・デジタル大辞泉)

 世に世襲が蔓延しています。世代交代は、おおくが「世襲」であることが多いのであり、そのすべてが悪いわけではな。家柄や仕事柄が継承されるのは、一面ではいいことでもあります。しかし「三代目」となると、政治家で商家でも、やはり崩れたり、消えたりします。これを矯める方策がないものでもなかろうが、多くはうまくいかない。理由は単純、「切磋琢磨」というか「精進」の意味が失われるからです。「苦労は金で買え」「可愛い子には旅をさせよ」と、昔はいわれたもの、今でも、そう考えている人は多いようにも思えるのです。だから、「猫かわいがり」は本人も周囲も不幸にします。この様相は、現代社会の多くの領域で(「名門」とか「一流」とかいわれるところ、そんな「門」や「流」があるんですかね)、やたらに多く見られる、著しい「人間精神」の衰退現象です。(上・下に掲げた看板も「唐様」文字、これは絵ですか)

 この島のあちらこちらで、「明治は遠くなりにけり」「大正昭和は消えにけり」「平成令和に歴史なし」という、恐ろしい刹那主義がはびこっているように思われる。歴史と歴史意識を見失って路頭に迷うという、そんな状況が各紙を襲っているのではないでしょうか。小さな「コラム」という窓から見た風景です。暗澹たる気分に誘われています。「水や空」に「青一髪」を見る所以です。(この衰退減少は新聞屋さんだけではありません)どなたにとっても、余計なお世話かもしれませんが、いささか気がかりでもありましたから、思いつきを書いてしまいました。

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降る雪や明治は遠くなりにけり (草田男、昭和六年作)

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