

温泉まで広がり、10月上旬まで楽しめる。(読売新聞・2021/09/21)

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● 大雪山(たいせつざん)=北海道中央部に位置する火山群。「だいせつざん」ともいう。北海道の最高峰旭岳(あさひだけ)(2291メートル)をはじめ、2000メートル前後の峰々が連なる。古生層の基盤の上に、更新世(洪積世)後期に大量の溶結凝灰岩を噴出して広大な山体をつくり、その山頂部にカルデラが形成されたが、その後、安山岩系の永山(ながやま)岳、中央岳、小泉(こいずみ)岳などの火山が生成され、さらにカルデラ壁に沿って北鎮(ほくちん)岳、熊(くま)ヶ岳、白雲(はくうん)岳などの諸火山が噴出したため、カルデラの原形は著しく失われた。更新世末に御鉢平(おはちだいら)の爆裂火口が生じ、完新世(沖積世)に入って旭岳が形成され、この両者はいまも噴気孔が活動中。/ 植生の垂直分布は、標高800メートル付近までが針葉樹と広葉樹の混交林帯、その上は亜寒帯性針葉樹林帯からダケカンバ帯に移行し、1300~1600メートルを森林限界とする。それ以上の高所には高山植物群落が分布する。山腹には火山性湿原が多く、高所には構造土など寒冷期に形成された周氷河性の地形などがみられる。ナキウサギや、高山チョウのアサヒヒョウモン、ウスバキチョウなどが生息し、これらは北方大陸に近縁種があり、北海道が大陸と地続きであったことを示している。/ 大雪山国立公園の一中心をなし、表大雪山系などは「大雪山」として特別天然記念物に指定されている。(ニッポニカ)
● 紅葉(こうよう)(red colouring of leaves)=秋になって葉の色が紅色に変る現象。イチョウの黄葉なども,発現の基本機構は同じ。その原因について,一般的には,一種のホルモン (離層ホルモン) の作用で葉柄の基部に離層が形成され,糖類などの養分の移動が妨げられて葉中に蓄積されることなどの結果,酵素の働きが変り,色素の生成に異変が起ることが原因と考えられている。紅葉の色の原因は,おもにアントシアンやフラボン系の色素である。落葉の前にクロロフィルが分解し,黄色のカロテノイド色素が残るような場合には黄葉となる。(ブリタニカ国際大百科事典)
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これまでに、どれほどの「紅葉」「黄葉」を見てきたでしょうか。特別に名勝の地を訪ねようという趣味は持ちませんでしたから、きわめて平凡な「もみじ見物」であったというばかりです。それでも、北海道には小さな想い出があります。もう四十年も前になりますが、車で家を出て、仙台だったと思いますが、フェリーに乗って室蘭に着いた。そこから北海道の北東部を一周したことがあります。夏の終わり頃でした。定山渓にも足を伸ばし、その付近を散策した。既に黄葉が始まっていたと思う。家族で出かけたので、あちらこちらと出かけることはできなかったが、山も湖も、町も村も、広大な北海道を堪能した気分になりました。
あるところで道を尋ねたら、「次の信号を左折して、すぐですよ」と教えてくれた。次の信号は、行けども行けども見当たらない、諦めて戻ろうとした、その先に信号らしきものが見えてきた。道を尋ねた地点から十五キロくらい走ったのではなかったか。また、浦河まで出向いて、いくつかの牧場を尋ねた。その内の一つが(かみさんの実家と)親戚の経営している牧場だった(今は廃業)。あれが輸入した仔馬だと見せられたのは当時でも、「数千万円」もしたということでした。お隣の牧場は「谷川牧場」(シンザンで知られている)だった。ぼくは競馬などはまったくしませんが、かみさんはよく競馬場に出かけていたそうです。馬の名前はよく知っていたのには驚きました。

阿寒湖や摩周湖でも、それなりに楽しみましたが、車で走っている途中の、道端にある紅葉に目を奪われるということがありました。それは何も北海道に限らないので、普段でも近所の林の中を歩いていて、赤に染まった一本の気に足を止めることがしょっちゅうです。高い山に登って紅葉を、そのような気になったことはまったくないわけではなかったが、多くは丘陵程度の山登りで満足していました。だから、どんな写真でも、それが自然を写し取ったものであれば、現場に行きたくなることはなく、その写真で、ぼくは十分満足するのです。
本日の三枚も、これでぼくは、「大雪山の紅葉」を堪能しました、というものばかりですし、ネットを当たれば、今が見ごろの各地各山の「紅葉」を、貧しいながらも気の置けない拙宅の「特等席で」という感がしてきます。どこかに出かける際、ぼくはカメラを持たないことが多かった。今ならスマホですけれど、これは、そもそも持っていない。カメラで撮ることをすると、じゅうぶんに自分の目で確かめることをしなくなると思う。「ローマに行ってきた。よかった」といって、やおら写真集を見せつける、こんな場面ばかりが多くなりました。人の話も「録音で」、だから記憶力も衰えるし、と言いたいような気もします。そうでなくても衰えるんですがね。「秋の夕日に 照る山もみじ 濃いも薄いも数る中で…」(「紅葉」、ぼくの脳内では、おおらかに「紅葉賛歌」が響いています。学校唱歌では、もっとも名うてコンビの傑作です。(高野辰之(作詞)・岡野貞一(作曲)、明治四十四年)

紅葉 秋の夕日に照る山もみじ 濃いも薄いも数ある中に 松をいろどる楓(かえで)や蔦(つた)は 山のふもとの裾模樣(すそもよう) 溪(たに)の流に散り浮くもみじ 波にゆられて はなれて寄って 赤や黄色の色さまざまに 水の上にも織る錦(にしき)
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・秋の空 露をためたる 青さかな(子規) ・鰯雲 ひとに告ぐべき ことならず(楸邨)
・白露も こぼさぬ萩の うねりかな(芭蕉) ・山紅葉 明けて一天 瑠璃なりき(秋櫻子)
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