「役所に助ける気などない、みじめにさせるだけ」

  【北斗星】「手続き用紙をもらえないか」「オンラインのみです」「パソコンが使えない場合は」「窓口に電話してください」「電話番号は」「サイトにあります」。こんなかみ合わない会話が続けば、頭がどうにかなってしまいそうだ▼英国映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」の一シーンだ。主人公は実直な中年男性で、大工としての腕は確かでもパソコンは大の苦手。心臓の病気で休職し、国の支援手当を受給していた。ところが説明もなしに給付を止められ、役所で複雑な手続きを強いられる。そして冒頭のシーンに至る
▼映画は世界に拡大する格差や貧困問題がテーマ。緊縮財政の英国で助け合いながら懸命に生きる人々を温かく描く。2016年カンヌ映画祭で最高賞に輝いた。パソコンの操作ができないデジタル弱者が立ち往生する姿も印象的に描写される▼今月発足のデジタル庁は昨年、新型コロナウイルス対策の10万円支給が遅れ、改善が叫ばれたのがきっかけ。行政や企業などのデジタル化を推進する。ワクチン接種予約で電話やネットが不通となったような混乱の解消に寄与できるだろうか▼子育てや介護など暮らしに関わる多くの手続きもオンライン化する。利便性が向上する陰で、デジタル弱者がないがしろにされることがないか懸念される▼映画では主人公の「フゥー」という嘆息が繰り返される。「役所はどこもデジタル派。俺は鉛筆派だ」。そんな悲痛な声は映画の中だけのことであってほしい。(秋田魁新報電子版・2021/09/23)

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 もう数十年も前、「イギリス病」と命名されて、当時、大国だったイギリスは地番沈下が止まらなかった。英国を襲ったこの経済破綻は何処にでも起こりえる現象であったし、それが典型的に「先進国」だったイギリスに起ったがゆえに、大きな注目を浴びたのでしょう。以来、この「繁栄病」は地球を一周してあらる地域に及び、ついにこの島国にも蔓延しています。この映画が公開されたのは2017年でした。イギリス病よりももっと悪質な「人間の尊厳を奪う」という文明病の「やるせなさ」「残忍性」を扱ったものです。社会全体が、まじめな顔をして、市民への奉仕と偽りながら、挙げて「非人間化という総力戦」に邁進しているという、一面では喜劇ですが、救いがたい悲劇が、その底面に流れています。まことに地味であり、しかも表面に漂う辛辣な狂気ぶりを、官吏としての地位にある人々は真摯(を装いながら)に、寸分の斟酌もなく務めている。

 主人公は元大工のダニエル・ブレイクでしょうが、その主人公を「虚仮」にしているのが、真の主人公である「役所の吏員=国家の手先」であると言えるように思えます。心臓の病で、医者から仕事を止められたダニエルは、さまざまな求めに応じて、役所に通う。でも、法律を盾に役所はダニエルを「拷問」にかけるかのように、痛ましい扱い方をする。「役所には助ける気などない。とことんみじめにさせるだけ。そして、あきらめさせるのだ」優れた技術を持つ大工だった彼は仕事を奪われた。それでも、役所はリクルートを執拗に勧める。法律の建前からです。ダニエルは徐々に、自分が扱われている役所に対して、拭いきれない不信感を抱く。連れ添った妻は病に倒れ、「老々介護」になった。やがて妻は死ぬのですが、ダニエルは「介護と仕事の両立は難しいと思っていたが、そうではなかった。介護が人生になっていた」と呟く。妻は精神を病み、ダニエルは途方に暮れるが諦めなかった。「モーリは優しく、心が広かった。でも頭のなかは海だった。凪いでいるかと思えば、瞬間に嵐だ。扱いきれるものではなった」という。それでも、「わたしは妻を愛していた」

 いまの、身動きも取れない、逼塞しきった「この社会」そのものを活写していると、ぼく痛感しながら観た。世は挙げて「デジタル時代」だとか、本当にそうか。デジタル化とか、デジタル時代とはどんな社会なんでしょうか。ぼくは、この映画を通して、欧米だけではなく、地球上の多くの場所で、デジタル化という「人間性破壊過程」「尊厳放棄促進化」時代のさらなる進行を、わが身にてらして感じ取って、あるいは実感しています。いったい、この先に何があるのでしょうか。「人間の非人間化」が不可避に生じているのです。

 (蛇足になりますが デジタル庁が発足したという。早速、「ワクチンパスポート」なるものが課題に挙がっています。そのワクチンは、半ば強制的に摂取がすすめられ、毎日のように接種者総数や接種率が示され、さらに、感染症による死者は、ほとんどが「ワクチン未接種者」だと報道されるのです。この裏で、どのようなことが進行しているのか。ぼくたちは「給付金」「助成金」のしくみがどのようなものであり、それによってどこがどのように「利権」をせしめたか、その一端を見たばかりです。この国は、税金を(合法的に)(しかし反倫理的に)掠めとる仕組みが出来上がってしまった社会なんですね)(この映画を作った監督は「死に物狂いで助けを求める人々に、(国家のしていることには)残忍性が見て取れる」と言われている)「映画は現実を迫真の演出で写し取った」のではなく、「現実は、映画で描かれた状況そのままに追い込まれている」というのではないか。「現実」は「映画」の中に取り込まれてしまったのですね。

 人間が人間であることを放棄させられる時代。あるいは病気になれば「誤用済み」の烙印を押される社会。健康も福祉も、麗々しいく、さらにケバケバシイ「偽りの看板」は目立ちますが、中身は空っぽ。そんな時代を、ぼくたちは生かされている。あるいは、油断した途端に、いのちを奪われる、そんな危険きわまりない世の中に、人間の足で歩き、人間の心で満たされる空間はあるのでしょうか。

 ぼくはいつも言っています。英雄豪傑が歴史を作るのではないし、一国の権力者がそんなものを作れるはずもない、と。この映画で描かれたダニエルや、その周囲に集う善悪さまざまな、ささやかな、而も楽ではない「人生模様」を生きている、いわば「庶民」「市民」が、営々と創ってきたのが「人間の歴史」です。貧富の二分化とか、上級下級などと、心ない区分けをしたがるのも時代の軽薄なところですが、人の生きる値打ちは、金銭や地位ではなく、自分の稼ぎで生業を務め、困っている人がいれば、助けてやろうという心持を、おたがいに失わない、そんな人生をこそ、ぼくは念じて生きてきたのです。

 映画に描かれた、(元大工の)ダニエルは「貧しい人間」ではなかった、その反対に優しく徳のある優れた存在であったとぼくは感じた。このような人が作る人生を、土足で踏みにじる時代が、生きるに値するものでないことは間違いありません。「地位の高い者には媚ないが、困っている隣人には手を貸す。わたしは人間だ、犬ではない。敬意のある態度を求める」という、彼の残された言葉に、「まっとうな人間」が泥の付いた革靴で踏みにじられる、許すことのできない怒りが溢れています。

 「わたしは、ダニエル・ブレイク。それ以上でも以下でもない」

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“生きるためにもがき苦しむ人々の普遍的な話を作りたいと思いました。死に物狂いで助けを求めている人々に国家がどれほどの関心を持って援助をしているか、いかに官僚的な手続きを利用しているか。そこには、明らかな残忍性が見て取れます。これに対する怒りが、本作を作るモチベーションとなりました。

 PROFILE 1936年6月17日、イングランド中部・ウォリックシャー州生まれ。電気工の父と仕立屋の母を両親に持つ。高校卒業後に2年間の兵役に就いた後、オックスフォード大学に進学し法律を学ぶ。卒業後63年にBBCテレビの演出訓練生になり、66年の「キャシー・カム・ホーム」で初めてTVドラマを監督、67年に『夜空に星のあるように』で長編映画監督デビューを果たした。2作目『ケス』(69)でカルロヴィヴァリ映画祭グランプリを受賞。その後、ほとんどの作品が世界三大映画祭などで高い評価を受け続けている。労働者や社会的弱者に寄り添った人間ドラマを描いた作品で知られる。その政治的信念を色濃く反映させた、第二次世界大戦後イギリスの労働党政権誕生を、労働者や一市民の目線で描いたドキュメンタリー映画「THE SPIRIT OF ‘45」(13)などがある。ケン・ローチのフィルモグラフィーにおける集大成とも言える本作は、2015年のカンヌ国際映画祭では『麦の穂をゆらす風』(06)に続く2度目のパルムドールを受賞した。同賞の2度の受賞はミヒャエル・ハネケらと並んで最多受賞記録である。2017年は、長編映画監督デビュー50周年を迎える記念イヤーとなる。(https://longride.jp/danielblake/)

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● イギリス病(イギリスびょう・British Malaise)=第2次世界大戦後,イギリスにみられた停滞現象。具体的には工業生産や輸出力の減退,慢性的なインフレと国際収支の悪化,それに伴うポンド貨の下落といった経済の停滞と,これに対処しえないイギリス社会特有の硬直性を総称していう。この原因としては,社会保障制度の充実および完全雇用の実現によって労働力が不足し,加えて労働組合の賃上げ要求が企業経営を圧迫,最終的には商品価格に転化され,物価の上昇と労働者の賃上げ再要求という悪循環を招いたことがまずあげられる。一方,労働コストの上昇は資本の国外流出を促進し,インフレの抑制,国際収支の改善のための緊縮財政と金融引締めは,国内投資の減少,景気の停滞をもたらした。さらに商品輸出の国際競争力の低下は,貿易収支の赤字となり,ポンド貨の下落に直結した。保守党,労働党を問わず歴代内閣が緊縮政策,賃金・物価の凍結,ポンド切下げによる輸出促進をはかっても事態はいっこうに改善されなかった。このような経済の停滞は伝統的な社会階級の非流動性,ホワイトカラーとブルーカラーに代表される極端な職能分化,保守的な経営思想からくる合理化のためらいなど,イギリス固有の社会的要因が背後にあり,これらが複合的に作用して,このような事態を招いたといわれていた。(後略)(ブリタニカ国際大百科事典)

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