始まりに、フェイク(偽)ニュースがあった

 【滴一滴】戦争へと続く道の始まりに、フェイク(偽)ニュースがあったことを知っておきたい。きょう、発生から90年になる「満州事変」である▼1931(昭和6)年9月18日夜、満州(中国東北部)の奉天(現・瀋陽)の郊外、柳条湖で鉄道の線路が爆破された。駐留していた日本の関東軍は「中国軍の仕業」「正当防衛のため、やむを得ず応戦した」と発表し、軍事行動を始めた▼実際は満州侵略を狙っていた関東軍の謀略だったが、事実が明らかになるのは戦後である。軍が発表するフェイクを新聞とラジオは伝え、国民の間には戦争を支持する空気が広がっていった▼本紙の前身である山陽新報によれば、2週間後の10月2日、岡山市内で時局講演会があり、3千人以上の聴衆が詰めかけた。砲弾の破片を見せながらの満州の現地報告と、「国民の覚悟」を促す講話があり、「感動を与えた」と記事は伝える▼当時の紙面からは日ごとに高まる熱が伝わってくるようだ。国の情報統制があった事情はあるにせよ、それはメディアがあおった熱狂でもあったろう。やがて日本は国際連盟から脱退し、泥沼の戦争へと突き進んでいく▼戦争末期の空襲や原爆の悲惨さを知ることは必要だ。同時に満州事変から開戦に至る歴史に学び、熱に浮かされたような空気の怖さを知ることもまた大切なことである。(山陽新聞デジタル・2021年09月18日)

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社説)満州事変90年 歴史を複眼視する重み

写真・図版
(厳戒態勢が敷かれた中国遼寧省瀋陽市の「九・一八歴史博物館」=2020年9月18日、中国・瀋陽市、平井良和撮影)

 9月18日が何の日か、知っていますか。/ 90年前のこの日、中国東北地方の奉天(いまの瀋陽)郊外の柳条湖で、鉄道の線路が爆破される事件が起きた。/ 日本の関東軍の謀略による満州事変の勃発であり、中国侵略の起点となる事件である。その後、日本と中国は断続的な戦闘を繰り返し、泥沼とも言われた全面戦争へと進んでいく。/ 日中戦争全体での死傷者数は、日米間の戦いをはるかに超える。中国では9月18日は盧溝橋事件の7月7日とともに「国恥の日」と呼ばれる。/ だが日本では、この日はそれほど意識されない。名古屋大学名誉教授の安川寿之輔(じゅのすけ)さん(86)が大学生を対象に毎年続けている調査でも、中国との戦争がいつ始まったのかを答えられる学生はあまりいないという。/ 被害の記憶に比べ、加害の歴史の伝承は難しいと言われる。ましてや、それを証言する人も少なくなってきている。

 1940年に徴兵され、中国戦線に送られた体験を語ってきた三重県の元日本軍伍長、近藤一(はじめ)さんは今年の5月に亡くなった。101歳だった。/ 中国人捕虜の刺殺訓練や、多くの人を縦列させて銃殺する貫通実験……。戦友らからは「仲間の恥をさらすな」と疎まれたが、それでも証言を続けた。「あったことを隠したら、戦争の実像が伝わらない」と話していた。/ 中国での残虐行為と、後に転戦した沖縄で仲間の兵隊が無残に殺されていった記憶。近藤さんにとっては、その二つの体験をともに語ることがあの戦争を伝えることだった。/ 現在に目を転じれば、中国は周辺国の懸念をよそに強引な軍拡路線を強めている。これに呼応し、日本でも専守防衛をないがしろにするような危うい政治の動きが目立つ。/ 歴史は同じ形では繰り返さないが、時に立場を変え、手段をたがえ、韻を踏むものだ。20世紀前半と現在では多くの条件が異なるとはいえ、過ちを繰り返さないための視座を過去に求める努力を怠ってはなるまい。/ その際に不可欠なことは、自国だけでなく、関係する他国の目線でも過去を顧み、思考することだ。当時の自国の行動と思惑が他国にどう映り、なぜ誰も望まぬ破局に陥ったか。/ 自らを相対化する複眼的な歴史観と分析がなければ、現在に有効な外交・安全保障政策も創出できない。その基本が、加害・被害を問わず、史実を謙虚に受け止め伝えることだろう。/ 9月18日という日が何の日なのか。忘れずに、心にとどめていきたい。(朝日新聞・2021年9月18日 5時00分)

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● 満州事変(まんしゅうじへん)=1931年9月 18日の柳条湖事件に始り,33年5月 31日の塘沽 (タンクー) 停戦協定にいたる間の日本の満州 (現中国東北地方) 侵略戦争。日露戦争以来,南満州鉄道株式会社 (満鉄) を拠点として満州に対する独占的支配に乗出した日本は,「満蒙は日本の生命線」であると強調して政治的経済的進出をはかり,31年9月 18日関東軍が奉天 (現シェンヤン) 郊外の柳条湖で満鉄を爆破してこれを中国軍の行為であるとし,「自衛のため」と称して満鉄沿線一帯で軍事行動を起し,ほとんど無抵抗の中国軍を追って 31年中にほぼ満州全域を占領,32年3月傀儡 (かいらい) 国家「満州国」をつくった。蒋介石の国民政府は当時,共産軍に対する包囲作戦に全力をあげており,もっぱら対日妥協をはかろうとした。この間上海で十九路軍が日本軍と戦ったにすぎない。国際連盟は中国の提訴により満州事変を取上げ,リットン調査団を派遣し,その報告書を採択,日本軍の東北撤退を勧告した。しかし,33年2月からの熱河作戦で熱河省を占領した日本は,3月国際連盟を脱退し,5月中国との間で塘沽停戦協定を結んだ。一方,日本国内では,満州事変がファシズム体制成立への端緒となり,若槻礼次郎内閣が倒れて犬養毅内閣が成立したが,五・一五事件によって斎藤実内閣に取って代られ,政党内閣に終止符が打たれた。こうして日本のファッショ化と国際的孤立が急速に進み,満州事変は日中戦争へ,さらに太平洋戦争へと拡大されていった。(ブリタニカ国際大百科事典)

● 溥儀【ふぎ】=中国,清朝最後の皇帝(宣統帝)。姓は愛新覚羅(あいしんかくら)/(アイシンギョロ)。1908年3歳で即位。辛亥(しんがい)革命で1912年退位。皇帝の称号と年金を受けた。1924年馮玉祥(ふうぎょくしょう)のクーデタで紫禁城を脱出し,日本の保護を受けた。1932年満州国執政,1934年皇帝となり,終戦と同時にソ連に抑留された。1950年中国で戦犯として裁かれ,1959年特赦の後は,一市民として余生を送った。著書《わが半生》。(マイペディア)((左写真:中央が皇帝・溥儀)

(「建国日」(1932/03/01)の朝日新聞)

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 「戦争へと続く道の始まりに、フェイク(偽)ニュースがあったことを知っておきたい」とコラム氏は言う。とするなら、この島社会の現実は「フェイク」ばやりですから、どこかの国と「大きな戦争」が始まるのかもしれない。それを知らないのは、能天気な「ぼく」だけであるということなのでしょうか。さらに言えば、現在進行中の「某党総裁選び」でも、ある候補者はまことに勇ましいことを言っている。国というのは、言葉ではなく、武力で他国と付き合うべきだと言わぬばかりで、実に慨嘆に堪えないのですが、これももまた、この社会の実情です。何かをあきらめたわけではない、さて、どう巻き返すかという作戦を立てようと思案中なんだ。

 「自民党総裁選に出馬表明した高市早苗前総務相は10日のテレビ朝日番組で、弾道ミサイルを相手国領域内で阻止する「敵基地攻撃能力」の保有をめぐり「敵基地を一刻も早く無力化した方が勝ちだ。使えるツールは電磁波や衛星ということになる」と述べた。/ 同時に「向こうから発射の兆候が見えた場合だ。こちらから仕掛けたら駄目だ」と強調。その上で「強い電磁波などいろいろな方法でまず相手の基地を無力化する。一歩遅れたら日本は悲惨なことになる」とも語った」(産經新聞・2021/09/10)

(産經新聞・2021/09/19)

 この発言の主は、立候補表明当初は「泡沫候補」扱いだったが、ここに来て、あるいはひょっとすると「島社会初の女性ソーリか」と持ち上げられています。四年前の米国大統領選挙の際に、殆んどのマスコミが相手にしなかった候補が大統領になった、ぼくはそれを「悪夢」とは思わなかったし、この島社会でも、さまざまな仕組みが壊れ、その仕組み(制度)を維持してきた国民の「脳細胞」も委縮し続けていることを想えば、「初の…」」もあり得ないことではない。まさか、という意見がほとんどでしょうが、「マスコミ」を含めて「専守防衛」という憲法の生命線を、簡単に超えるような意見の持ち主がソーリ大臣になり、さらにその上を行こうとするものが出現しても、大方は驚かないし、異論も批判も出てこない状況は、トラン✖の再現で、「島の女性トラン✖」かということになるのかもしれません。 

 「戦争末期の空襲や原爆の悲惨さを知ることは必要だ。同時に満州事変から開戦に至る歴史に学び、熱に浮かされたような空気の怖さを知ることもまた大切なことである」というコラム氏に異論はない。ぼくはつねづね、「終戦」というべきではなく「敗戦と」、歴史の事実(経緯)に忠実になって、言うべきであると主張してきました。つまるところ「戦争に負けた」から「敗戦」(当たり前です)というのではなく、満州を「我が邦」にし、大東亜共栄圏を築くために、「鬼畜米英」をはじめとする連合国軍に対して果敢に戦い、「聖戦」に勝利するという「戦争意図」を強烈に持って始めたのだから、その結果に対しては「敗戦」という一貫性を持たせて、平仄を合わせておかねばなるまいというのです。原爆投下や劣島各地に加えられた空襲被害への「理不尽な犠牲」に対しては、堂々と異議を唱えるのが正義だと考えていますが、そのような「理不尽な状況」をもたらした「開戦」に続く「不合理」に対しても怒りを納めてはならないと思います。この島では一年の毎日が「何とか記念日」であるのですが、この日のような「歴史の否定」に基づく過ちを、人民も含めて国全体で犯した「特異日」は、たのどれよりも(一例としては「老人に日」なんか)重く、深く胸中に秘めていたいですね。

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 〔蛇足ということになるのか〕 「カップ麺」が発売以来、五十年を迎えたというニュースが盛んに流されていました。ぼくはほとんどこれを食べたこともありませんでしたし、発売以来何十年経とうが、あまり気にもしていなかった。それにしても、同じ「9月18日」が記念日だというにしては、この扱われ方の落差は何なんだろうと恐ろしくなるような「一日」でもあるのです。おそらく、このような歴史認識(歴史に対する向かい方)の異様な現れ方は、この先に、想定できないような災厄をもたらしはしないだろうかと、気にはなるのです。「刹那主義」と過去忘却症の蔓延。

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