【水や空】コンコルド効果〈「いつ始めるか」を決めるのは難しいが、「いつやめるか」の決断はもっと難しい〉-本紙情報面の人気コラム「歳々元気」が2年ほど前、こんな書き出しで「コンコルドの誤謬(ごびゅう)」という経済用語を紹介している▲英仏の共同プロジェクトで生まれた優美な機体の超音速旅客機は、燃費が悪い、定員が少ない-などいくつか大きな欠点があり、開発途上で採算性の厳しさが指摘された。だが、いったん動きだした計画は止められず、赤字を膨らませながら空を飛び続けた▲一つの事業で、ある時点までに投資されて回収できない費用のことを経済学ではサンクコスト(埋没費用)と呼ぶ。「コンコルド効果」は、このコストを惜しんで引くに引けない心理的圧迫を言う言葉。いろんな場面で誰にも覚えのある感覚でもある▲東彼川棚町の石木ダム建設事業で、県が一昨日、ダムの本体工事に着手した。事業採択から46年。半世紀近い時間が経過している▲事業が長く実現できずにいることと、ダムの必要性とを単純に結び付けて論じるのは乱暴だろう。ただ、過去の投資や時間や経過や労力を惜しむあまり、判断が歪んでいないか-を、繰り返し問い直す姿勢を行政には求めたい▲冒頭のコラムは〈引き際の決断にこそ、勇気と知性が求められる〉と結ばれていた。(智)(2021/09/11)

● コンコルド(Concorde)=イギリスとフランスが共同開発した超音速旅客機。 SST; Super Sonic Transport。コンコルドは「協調」「調和」などを意味する。ターボジェット・エンジン (推力1万 7250kg) 4基を備えた変型三角翼をもち,1969年3月2日に初飛行,1970年 11月にマッハ2をこえた。定期便は 1976年1月 21日,ロンドンから英国航空,パリからエールフランスが同時に運航を開始したが,他の航空会社の注文は得られず,1979年 16機で生産打ち切りとなった。量産機は,全長 62.1m,全幅 25.6m,総重量 185t,最大巡航速度マッハ 2.05,航続距離 6580km,乗客 100。 2000年7月 25日パリ郊外に墜落する事故を起こし,2001年 11月7日から運航を再開したものの,老朽化による燃料漏れなどの不具合が多くなり,部品補給を維持するにはコストがかかりすぎるといった理由から,2003年全機引退した。機体は欧米各地の博物館に展示されている。(ブリタニカ国際大百科事典)
● コンコルド‐の‐ごびゅう〔‐ゴビウ〕【コンコルドの誤×謬】《Concord fallacy》サンクコストを惜しんで投資を続けてしまうこと。それまでに費やした資金や労力などの見返りを得ようとして、かえって損失が拡大すること。コンコルド効果。[補説]超音速旅客機コンコルドへの投資が巨額になり、採算割れは確実との認識があったにもかかわらず、開発を中止できなかったことにちなむ。(デジタル大辞泉)
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大型の「公共事業」、その多くは、この「コンコルドの誤謬」という失敗の轍を踏むことで、数知れずくりかえされてきました。それも、いとも簡単に、その戒めを踏み抜いて、といえるのですから、端から、正義や公正などを無視しかかっているのです。その典型例は、第一に、この小さな島に百ほどもある飛行場。その内に、飛行場内に「ジェットコースター」が疾駆するようになるんじゃないですか。第二に、各地に作っても造っても、災害が減らない、そのためにまた造るという浪費のスパイラルにはまり込んでいる「大型ダム」建設。まるで、被害をより大きくするための必要物のようでもあります。第三には、新幹線網や高速道路網の新設や敷設。狭い島社会の地を、縦横上下に切り裂いても、なお止まずです。このような用途も効果も明確ではない事業が、ある意味では、国家経済を支えているともいえるらしい。日銀が大量の日銀券を増刷して、株式投資に投入して、それが経済の下支えとなってる、この十年余に及ぶ財政出動政策も、まぎれもない「コンコルドの誤謬」と言わなければなるまい。国立銀行が民間企業の大株主とは、この社会は共産主義じゃないでしょうか。中国やソ連の後塵を拝しているとは、なんという悍(おぞ)ましさ。
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さまざまな批判や悪評を受けながらも開催を貫徹した「東京オリ・パラ」は、近年では断然首位に位置する「誤謬」であったことは、まことに象徴的です。その破廉恥も「金メダル」級でした。もちろん、これは「公共事業」ではない。単なるスポーツ大会(ちょっと大掛かりな運動会)です。それだからこそ、従来に見られなかった悪質な「利権漁り」「利権収奪」が堂々と行われたのです。「誤謬」がわかっていながら、どうして、最後まで無駄を通すのか。簡単に言えば、目的は、それに群がる「利権」獲得集団の強力な圧力によるものです。当初、東京五輪の予算は「七千数百億円」でした。それがここに来て、2兆円を軽く超過して、さらに最終的にはどこまで膨らむのか、全く見通しが立っていないようです。この乱脈ぶりが忘れられるであろう、来年の初前にようやく最終的な収支が出されるそう。その信憑性はどこに墜としてしまったのか。まるで「湯水のごとく」溝川に捨てるように使った無駄金だったと、ぼくは言いたいですね。五輪やパラリンピックで感動をもらったんだから、いくらか資金がかかろうが構うものかという、トホホな意見もあろうが、ぼくはそのようには思わない。目を覆いたくなるような「コンコルドの悪夢」というべきでしょう。

この点に関してはどこかで触れておきましたが、税金を使う法人(「組織委員会」)が好き放題の放漫予算を組み、それをだれも何も言わないで放置してきた結果、最終的には、当初のでたらめ予算の五倍超にもなろうかという散財ぶりです。まさに、この振舞いは傍若無人そのものだった。いろいろなことが言いたい気もするし、もうこの点に関しては何も言わないことにするという気にもなります。この劣島の政治や行政がどれほど民衆・人民を食い物にしているか、まるで画に描いたようにアカラサマです。(上の図表:左は日経新聞・2016/09/20、右上は産経新聞・2018/10/04、右下は毎日新聞・202107/19)
「それまでに費やした資金や労力などの見返りを得ようとして、かえって損失が拡大すること」というのが、「コンコルドの誤謬」の説明ですが、それだけでも相当に恥知らずの振舞いではありますが、この「五輪の誤謬」はあくどさにおいて、類例を見ないものです。初めから、開催する側の損失がわかっていながら、それに群がり「利権を漁る」ハゲタカどもの利益を保証するという、強行開催側の桁違いの悪辣ぶり(a vicious way)。「公共事業」という名を騙(かた)り、莫大な賄賂があらゆる方面にばらまかれて、そのために、利害関係者は自陣の「権力の地位」に居坐ることが出来るという構図です。世に蔓延る「悪質性」の温存効果があったというのです。
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公共事業は必要です。すべてがダメということはできません。でも何をどこに作るか、それも税金を投入して、となると、「選択と集中」とかいう原理が働かなければならないでしょう。例えば、これまで十時間も要していた道路に変えて、五時間で到達できる高速道路を作るのは、いろいろなメリットがあるなら、その意味では必要でしょう。でも二時間のところを一時間半に短縮できるから、もう一本鉄道路線を敷設しようというのはいかがかね。このような、無駄に類するものは「公共性」という観点からは厳しく査定すべき・されるべきでしょうが、言ったところで無駄。「ざるで水を掬う」ようなものです。「屋上屋」という言葉がありますが、それで経済が潤うというのなら、その経済は奇天烈であるというほかありません。そうまでして「経済の展開」を図る必要性があるとは、ぼくには考えられないからです。でも、この島には屋上屋上屋…、そんなのばかりが乱立している。
「始める」決断と「止める」決断。いかにも起りそうなリスクを十分に勘案してこそ、事業計画は立案されるものです。しかし、このところの「でたらめ政治」に如実に表れているのは、無駄結構、屋上屋、なお結構という荒み切った態度で、じつのこのような恥も外聞もない風潮が露骨にみられます。いったいどうしてこうなったのか、それは選挙民の問題でもあるでしょう。そこに、あるいは「コンコルドの誤謬」がなかったか、とっくりと考えてみなければならない。「過去の投資や時間や経過や労力を惜しむあまり、判断が歪んでいないか-を、繰り返し問い直す姿勢を行政には求めたい」という部分を、言い換えてみます。「過去の選挙の(選び)間違いを訂正したくないあまり、選ぶ判断が歪んでいなかったか」を問うことはきわめて困難を伴うでしょう。何故なら、選ぶ側も選ばれる側も「それしかないという一本道」を突進するしかないと考えているからです。なれ合い、もたれ合い。加えるに刹那主義です。後は野となれ山となれ。

「〈引き際の決断にこそ、勇気と知性が求められる〉」といいますが、それは「ないものねだり」ですね。いったい無駄とわかっている事業を強行するような輩に「勇気と知性」があると考えること自体が、噴飯ものですよ。あえて、でも言いたいですね、「選挙民」にこそ「勇気と知性」を、と。しかし「コンコルド(協調・調和)」はどこにおいても機能するには、想像を絶する忍耐と見通しがいるものです。現世利益や刹那主義に呪われている「選挙民」に、こんなことを求めても、いささかの効き目もなさそうですね。こんなところで使ってはいけませんが、「盗人に追い銭」と言いますよ。(今現在、田舎芝居よろしく興行している某党の「総裁選び」、主催は自✖✖党、振付師はD通、(正体が割れている)黒子はAB前ソーリ。主役は「Taka✖✖」なるタカ派だそうです。ネットを乗っ取る勢いでD通組周辺の連中が投稿しまくっています。「いいね!」だって。たしかに、誰がなっても一緒ではないでしょうね。幸か不幸か、ぼくにはこの田舎芝居に参加する「資格(選挙権)」はない。でも直後に「総選挙」があります。なけなしの「勇気と知性」の埃(ほこり)を払って、清き一票を、さて誰に入れようか。まさか、ポケットには入れないよ。
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