「公認の歴史」、それはなんです?

 

 【筆洗】<そうだ。耳をすますと、どこかで弔いの鐘が、鳴っている…>。歴史学者の色川大吉さんは、著書『ある昭和史』に記している。ヘミングウェーの小説の題名にもなった英詩人ダンの次の詩を引用して、その鐘を例えた。<…問わせることはやめよ/誰がために鐘は鳴るか、と/鐘はおまえのために鳴っているのだ>▼学徒出陣で海軍入りしている。多くの仲間が命を落とし、行方知れずにもなった。自身は米軍機の攻撃で、戦死の瀬戸際だった。上官の暴力も経験している▼鳴っている「歴史の鐘」は、霊のすすり泣きのようにも、生き残った人への呪いのようにも聞こえるとも記している。その鐘に動かされるように、歴史を書き続けた人であろう。九十六歳で亡くなった▼日本は、戦争で亡くなった人たちに顔向けできる国になったのか。平和の国になったのか。同時代への厳しい視線からの言葉が著作に残されている▼自身の半生もつづった『ある昭和史』で自分史を提唱した。異例の手法であったらしいが、自分史ブームの先駆けになっている。民衆に光を当てた著述でも知られた。英雄や偉人、政治家らを追った歴史記述を<そんなの上澄みじゃないか>と言った。一億人の歴史があるのだと▼政府の憲法や安保政策を厳しく見てきた。地に足をつけて、日本を見てきた人の警鐘が、失われてしまったのかもしれない。「東京新聞・2021年9月10日)

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 長く敬愛してきた色川さんの霊に深く首(こうべ)を垂れるものです。思えば、実にたくさんの著書を書かれた人でした。書かれただけではなく、そのためにくまなく歩かれた人でもあった。その何分の一をぼくは読んだか。色川さんの歴史に参加する姿勢というか、歴史眼とでも言うものは、いつでも澄んでいたと、ぼくは敬服してきました。「民衆史」こそが歴史だという、その民衆は、言うならば常民であり庶民です。その当たり前に生き死にする人々の、一人ひとりに「個人の歴史=自分史」があるという視点は、もっともぼくが学んだところです。その色川さんの訃報を知らせる、ある新聞記事を以下に。

 色川大吉さん死去 民衆史、「五日市憲法草案」発見

 明治期の自由民権運動の広がりを示す「五日市憲法草案」発見で知られ、「自分史」執筆を提唱した歴史学者で東京経済大名誉教授の色川大吉(いろかわだいきち)さんが七日、老衰のため死去した。九十六歳。千葉県出身。葬儀は密葬で行う。 東京帝国大に入学後、学徒出陣で海軍入り。敗戦後の一九四八年に東京大を卒業、中学教師をしながら社会運動に携わった。その後、東京郊外の多摩地区の自由民権運動をテーマに「明治精神史」を刊行、六七年に東京経済大教授に就いた。 市民と共に地域史研究を進め、六八年に旧五日市町(現あきる野市)の民家の蔵から「五日市憲法草案」を発見した。草の根の社会運動の先例として著書などで紹介。「民衆史」のジャンルを確立し、権力におもねらない独自の歴史観を貫いた。一市民の立場で執筆した著書「ある昭和史」は、その後の自分史ブームの先駆けとなった。水俣病の学術調査団や、作家小田実さんと始めた「日本はこれでいいのか市民連合」など社会運動にも従事し、リベラルな知識人として知られた。ユーラシア大陸横断やチベット踏査にも参加。晩年は八ケ岳のふもとの山梨県に転居し、近隣住民のネットワークによる新たなコミュニティーづくりに取り組んだ。「明治の文化」「自由民権」「不知火海民衆史」など著書多数。「色川大吉著作集」全五巻がある。 

◇ 五日市憲法草案は、明治期に全国で作られた民間憲法私案の一つ。旧五日市町(現あきる野市)で一八八一年に起草された。二百四条から成り、基本的人権が詳細に記されているのが特徴。自由権、平等権、教育権などのほか、地方自治や政治犯の死刑禁止を規定。君主制を採用する一方で国会の天皇に対する優越を定めている。

◆人々の息遣い伝えた <成田龍一・日本女子大名誉教授(歴史学)の話> 「戦中派」の色川さんの原点には、戦争にもだえ、歴史に虐げられた体験がある。戦前の皇国史観にも、それが反転した戦後のマルクス主義的なものにも、歴史が個人の思いとは別に動くという考えがあったが、色川さんは人を軸に歴史を描くことを考え続けた。 自由民権運動の研究では、板垣退助や植木枝盛といった“エリート”ではなく、民衆こそが運動を支えた一番分厚い層だと主張した。地域に根差して生きる人々の息遣いを伝えようとした人だった。まだまだ元気でいてほしかった。(東京新聞・2021年9月8日 07時05分)

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 個人で果たされた歴史家の仕事として、驚異的な広さと深さを持っていたというほかありません。「歴代の天皇」や各時代区分における「将軍の戦争史や事績」(権力闘争史)が歴史になるというのは、何処から見ても納得が行かないという、当たり前の態度を貫かれた方でした。民衆というのは、一括りにして済ませられるものではないので、その一人の民衆にはかけがえのない生の歴史(書かれたものがあるかないかは、別の問題です)があるという地点に立てば、どう考えても、歴史は生活の中から紡ぎ出されるもの、生み出されるものという歴史哲学が成り立ちます。自分と無関係に成り立つ「歴史」とは何か。難しいことは言わぬつもりです。有名な歴史家のE.H.カーという人は「歴史は、現在と過去との絶え間ない対話である」という至言を残された。(「歴史とは何か」)過去は現在と密接に接続しているのです。

 態々(わざわざ)、歴史という言葉を使わなくてもいいでしょう。自分は戦争に召集されたという経験、あるいは戦場において、死地を彷徨うという体験をもった。事あるごとに、その経験を思い起こし、記憶の淵から、その体験を掬いだすとき、まちがいなしに、その人は「歴史」に赴いているのです。今の自分が数十年前の過去の出来事を、いまさらのように思いかえし、その時どう思っていたか、その体験が以後の自分の生活意識にいかなる影響を与えてきたか。この一連の記憶回復の作用は、まさしく歴史意識であると言えるでしょう。別言すれば、過ぎ去ったと思われた出来事は、けっして消滅したのではなく、今の自分と密接につながっているのです。人間は「過去を堆積しながら生きている存在」です。しかし、単に「過去に生きていた」というだけでは歴史にはならない。現に今生きている自分の中に、確実に過去の「出来事(経験)」が存在しているということがあって、はじめて、人間は「歴史的な存在である」といえるのでしょう。現在と切断されていない「過去」とは、言葉の上から言っても、過去ではないのであって、それは「現代」の別名でもあります。

 「日本の歴史」いうのは、考えてみれば奇妙です。これが「日本の歴史」であるという、大方の合意というか、学説が定着して初めて、あるいは辛うじて「日本の歴史」であると言える代物(虚構)ではないでしょうか。一億数千万人をすべて包摂するような、一国の歴史は成り立ちようがないのではないですか。かりに成立したとしても、それもまた、時代を経て大きく変わる(修正・改竄される)可能性がある。「歴史」という言葉は厄介ですし、それに依存して「歴史を語」るというのも摩訶不思議です。それならば、歴史は神話(ミュートス)だと断言した方が、まだ話が分かりやすくなります。「日本歴史」というものがありうるという、その前提にはなにが求められるのか。「日本国」という言葉自体、まことに把握しにくいものであり、まるで「観念」の創造物というばかりです。

 そこへ行くと、民衆史=庶民̪史というのは、ひとまとまりにされた、かたまりの「民衆」「庶民」が包含されるものではなく、あくまでも「一人の民衆」「一人の庶民」の生きた証としての歴史(第一義は書かれた記録)であって、その集合体として、あるいは「日本社会の歴史」といえるかどうか怪しいものです。したがって、ある種の括弧付きの「歴史」、せいぜいが、その程度のものでしょう。もっとはっきり言えば、歴史は「自分史」に尽きるのではないかとまで言いたいのです。自分の生活にかかわりがある程度に応じて、社会集団や国家権力の影響した「歴史」というものは認められるものです。

 歴史を書く(持つ)のは人間だけです。いや、犬や猫だって、歴史を生きていると言えるぞ、そんな声が聞こえてきます。この場合、ぼくが使っている「歴史」という語は、「過去とつながった現在」を生きているという自覚があるという意味です。変な表現ですが、現在と過去という次元の異なった時点が密接につながっているという意識があって初めて、ぼくたちは二十年前の自分と、今の自分を一つながりで認識できる。歴史の主体は「自分」です。過去の記憶を持つ自分、それが歴史の書き手・語り手であるのです。その自分とのかかわりの程度において、自分史の広がりはさまざまな段階(程度)を示すでしょう。

 <そうだ。耳をすますと、どこかで弔いの鐘が、鳴っている…>

John Donne (1572-1631)
For Whom the Bell Tolls


No man is an island, entire of itself;

every man is a piece of the continent,

a part of the main.


If a clod be washed away by the sea,

Europe is the less,

as well as if a promontory were,

as well as if a manor of thy friend's or of thine own were:


any man's death diminishes me,

because I am involved in mankind,


and therefore never send to know

for whom the bells tolls;

it tolls for thee.


John Donne
Devotions upon
Emergent Occasions, no. 17
(Meditation)
1624 (published)

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● 色川大吉=(1925-2021)昭和後期-平成時代の日本史学者。大正14年7月23日生まれ。演劇活動をへて歴史研究の道にはいり,六〇年安保闘争の体験を契機に「底辺の視座」からの民衆思想史を追求。三多摩自由民権運動を対象に,昭和39年「明治精神史」をあらわす。42年東京経済大教授。不知火海総合学術調査団団長をつとめ,ユーラシア大陸横断やシルクロード調査など,行動する学者としても知られる。千葉県出身。東大卒。著作はほかに「ある昭和史―自分史の試み」(毎日出版文化賞),「近代国家の出発」「若者が主役だったころ わが60年代」など。(デジタル版日本人名大辞典+Plus)

● 自分史=1975年に歴史家色川大吉が『ある昭和史-自分史の試み』を発表して以来,人間それぞれに特有の個人レベルでの歴史を意味する近年「自分史」を書く中高齢者が増え続け,原稿執筆のためのガイド本が売り出され,原稿の書き方を教えるカルチャー講座も出現し,「自分史」の出版がブームとなった。これをうけて出版社は自費出版サービスを始め,大手出版社も専門の子会社を設立して「自分史」の自費出版に力を注いでいる。(同上)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。