去るものは去りまた充ちて秋の空

 白露の夜空 幻想の水鏡 栃木・谷中湖

 (初秋の夜空に雲が流れる谷中湖=7日午前3時10分、栃木市藤岡町)(超広角レンズ使用)

 県内は秋雨で曇り空が続いたが、この日、久しぶりに晴れ間が戻った。栃木市内の渡良瀬遊水地では午前2時すぎに少しずつ雲が流れ、1時間ほど谷中湖の上空に星空が広がった。湖面には夜空と秋の雲が鏡のように映り込み、幻想的な世界が現れた。/ 宇都宮地方気象台によると、この日の最低気温は奥日光が9・3度、小山16度、宇都宮16・1度となるなど、各地で平年より4~6度ほど低く、9月下旬~10月上旬の気温となった。湿った空気の影響で、県内は週末にかけて曇り空が続くという。(下野新聞SOON・2021/09/08)

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 谷中湖、あるいはその周辺も含めた渡良瀬遊(貯)水地。名称はさまざまですが、その名称を付けた側の思いが滲み出ています。そこにあった生活や歴史が見事に消去されているのです。この人工湖には、近代日本の「黒い工業史」が埋められています。その来歴は以下の辞典類で見ていただくとして、湖上の秋の夜明けの空に雲が湧き、さまざまに広がって、天空に絵を描くがごとく、爽やかな風を誘う風情があります。この「遊水地」が作られて、はや百年が経過しました。この後も、同じような無謀専横の営利企業やそれを許した政府、その周辺に蝟集した学者たち、それらが一体となって、自然環境から収奪のかぎりをつくし、完璧に自然環境を破壊した、その証拠隠滅のために作られたのが「渡良瀬遊水地」に代表される、歴史事実抹殺の公共施設でありました。かかる「残骸」はこの島のいたるところで目にすることが出来ます。実際に生きられた「生活」をなきものにするための、いわば「歴史の遮蔽物」となっているのです。

 西の熊本、水俣湾の汚染されつくした湾内を埋め尽くして、「エコパーク水俣」が何食わぬ顔をして広がっている、その公園内を散策し、あるいは遊戯に時間をつぶす家族連れがいる、この土地の下で、どのような過酷な歴史が生み出されてきたかを、まるで知らないかのように。これを「歴史の忘却」といい、「歴史の改竄」「歴史の隠蔽」といわないで、なんというのでしょうか。いまさかんに、地上から悲惨な事故や過ちを消すための大掛かりな事業が、国家ぐるみで行われています。その代表はフクシマですね。しかし、これまでの偽りを詰め込むための「大袋」は、いまにも生地が破れそうになっています。歴史が「日の目を見る」時が迫っているのです。

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 これを書いているいま、先年亡くなられた吉村昭さんの「星への旅」という小説のことを想い出しています。これはぼくにとっても、忘れられない作品です。昭和四十一年、ぼくがまだ大学生のころ、小説書きの真似事をしていて、ある出版社の懸賞に応募しようとしていました。結局、小説は中途半端なままで放置された。年が明けたころだったか、この賞の当選作が発表された。それが吉村さんの「星への旅」でした。ずいぶん時間が経ってから、おそるおそる、しかし静かに、それを読みました。一読、ぼくは感動に襲われたと言っていい。長いものではありませんが、小説とはこういうものかと、青二才のぼくは打ちのめされ、以来、小説を書こうなどという無茶(邪心)をすっかり放擲してしまったのです。その後まもなく、同じ吉村さんの「水の葬列」に再び衝撃を受けたと言っていい。谷中村や水俣の運命を想うとき、何時でも、この「水の葬列」が記憶から甦ってくるように、しずかに語り掛けるように思われるのです。一読をお勧めしたいですね。(生前の吉村さんにお目にっかかったことはないが、ぼくは勝手に「恩人」であるとみなしていました。彼の「星への旅」に出会嗚呼わあなかったら、ぼくは売れない小説を書いていただろうし、小説のイロハさえも知らずに、「不遇を託(かこ)つ」ことになったかもしれなかったからです)

● 渡良瀬遊水地(わたらせゆうすいち)=栃木県南端,渡良瀬川下流にある遊水池。別称赤麻遊水地。関東構造盆地(関東平野)の中心付近の低湿地の一部で,利根川と渡良瀬川の合流点に近く,栃木市を中心に,茨城県,群馬県,埼玉県の 4県にまたがる。1918年利根川,渡良瀬川などの河水調節および洪水防止,足尾銅山の鉱毒問題(→足尾鉱毒事件)の解決手段として,赤麻沼や石川沼などの沼地谷中村の村域を含む面積約 33km2の遊水池がつくられた。谷中村の約 380戸の村民は那須郡や北海道などに移住した。1963年から 1997年にかけて渡良瀬川,巴波川思川に沿った囲繞堤,越流堤の設置が行なわれ,三つの調節池に分割された。洪水調節のほか,農業・工業用水などに利用される。本州最大級のアシ主体とした湿地が広がり,沿岸はよしずの産地として知られる。西岸栃木藤岡町に篠山貝塚などがある。2012年ラムサール条約に登録。(ブリタニカ国際大百科事典)

● 足尾銅山鉱毒事件=1890年(明治23)以降十数年間にわたって発生した日本近代史上最大の公害事件。産業資本の成立、発展期にあたる日清(にっしん)戦後経営期に一大社会問題となる。日本の「公害の原点」。幕末には廃山同様となっていた栃木県足尾銅山は、1877年古河市兵衛(ふるかわいちべえ)の経営に移ってから急速に近代化され、1884年には住友の愛媛県別子(べっし)銅山を抜いて全国一の銅山となった。反面、古河の生産第一主義的な経営は、煙害と製錬用薪炭材の乱伐による足尾山林の荒廃を招いて大洪水を頻発させた。また大量の廃石や鉱滓(こうさい)、有重金属を含む酸性廃水を垂れ流した。そのため1885年ごろから鮎(あゆ)の大量死や鮭(さけ)の漁獲量の激減など、渡良瀬(わたらせ)川の漁業被害が顕在化するとともに、流域の広大な農地と農作物に鉱毒被害が発生した。とくに1890年の洪水による鉱毒被害の激化は、農民を鉱毒反対運動へと駆り立てた。

 翌1891年第2議会において田中正造(しょうぞう)は政府の鉱山監督行政の怠慢を批判した。鉱毒反対運動は政府、古河の進めた示談契約と日清戦争のために一時中断したが、1896年の大洪水による被害の拡大に伴い、田中正造の指導の下で「対政府鉱業停止運動」として再組織された。1897年数千の被害農民が大挙上京した「押出し」によって鉱毒問題は社会問題化した。政府は第一次鉱毒調査会を設置して、古河に対しては鉱毒予防工事命令を下すとともに、被害農民に対しては1年遅れで免租処分を実施した。しかし予防工事はきわめて不完全に終わり、他方免租処分は、結果的に農民から衆議院議員選挙権と、公民権を奪い取ると同時に、地租の付加税である町村税の減少をもたらし、地方自治を破壊した。このため被害農民は1900年(明治33)2月、鉱業停止、免租継年期、憲法による生命保護、河身改修、町村費国庫補助などを要求して、第4回目の「押出し」を決行したが、多数の有力な活動家が兇徒聚衆(きょうとしゅうしゅう)罪などで逮捕、起訴されるという官憲の激しい弾圧を受け(川俣(かわまた)事件)、後退を余儀なくされた。しかし1901年12月、田中正造の天皇への直訴を引き金とした鉱毒世論の沸騰により、ふたたび鉱毒反対運動は活性化し、鉱毒問題はいっそう政治問題化した。全国各地の鉱毒、煙害反対運動への波及を恐れた政府は、最終的な「鉱毒処分」を行うために第二次鉱毒調査会を設置し、日露戦争下、鉱毒問題を治水問題へとすりかえるなかで農民を分断し、1907年谷中(やなか)村の廃村、遊水池化を強行した。天産豊かな谷中村は、明治政府のとった外貨獲得産業として重要な産銅業保護政策の、換言すれば富国強兵、殖産興業政策の犠牲に供せられたのである。

 しかし事件は終わったとはいえ、その後も鉱毒被害は継続して発生した。1958年(昭和33)には堆積(たいせき)場が決壊して、群馬県毛里田(もりた)村(現太田市)を中心に大規模な鉱毒被害が発生、鉱毒問題が社会問題化し、現在に至っている。鉱毒問題再燃の可能性はつねに存在しているのである。足尾の広大なはげ山と33平方キロメートルに及ぶ渡良瀬遊水地(渡良瀬遊水池とも)は、鉱毒事件、ひいては日本の近代化の裏面を物語る証人である。[菅井益郎]『荒畑寒村著『谷中村滅亡史』復刻版(1970・新泉社)』▽『渡良瀬川研究会編『田中正造と足尾鉱毒事件研究 1~5』(1978~1982・伝統と現代社)』(ニッポニカ)

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 足尾鉱毒事件や田中正造についてはこの駄文集録においても、すでに触れてきました。明治の近代化への跳躍台として、産業振興(いわゆる殖産興業)の進展が求められていた時期に生じた、この劣島最初の大掛かりな公害問題でした。右に示した地域の「下野新聞」の初期の編集長を務めていたのが田中正造。彼は身命を賭して「鉱毒事件」にまみえたのだった。まことに奇遇というべきか、谷中村の廃村と水没を期して行われた「渡良瀬遊水地」建設、その百年の後の「谷中湖」の天空には、早暁の朝空に秋の雲が浮かび、湖面に妙なる造形を映しています。その瞬時の自然の作為を見事に切り取った下野新聞のカメラマン。ぼくはこの写真に見入りながら、湖底に沈み、遊水池の葭(よし)の原の湿地に化してしまった、旧谷中三ヶ村の、在りし日の「人と住みか」を偲んでしまうのです。歴史は残酷なのではなく、歴史を作り出す人間が残酷なのだという思いをさらに強くしたことでした。

 いずれも取るに足りない小さなものでしたが、栃木県にはいろいろな関りがあったようにも思われます。何度、彼の地に出かけたことか。親戚があり、高校時代の同級生が住み、ぼくの若い友人が生まれ育った地でもありました。また那須や塩原には、機会あるごとにでかけ、湖や山に、あるいは温泉にと、くりかえし親しんだのです。いろいろな理由があっての栃木通いでしたが、心の底には田中正造という「正直の人」「真正の野人」が呼び掛けてくれていたのかもしれないなどと、いかにも神妙な気分にもなってしまいます。

 「桜の木の下に死体…」(梶井基次郎、坂口安吾など)などと言われますが、九州の水俣よりももっと早い段階で、常民の生活歴史もろともに水底に埋められてしまった「谷中村人」の魂が、国家権力の全精力を以て、無理矢理に窒息させられてきたのです。その地に高く秋の空、遊山の人々。何事もなかったかのように、時は過ぎゆきます。

秋の天小鳥ひとつのひろがりぬ  (一茶)

押し分くる芒の上や秋の空  (漱石)

去るものは去りまた充ちて秋の空 ( 龍太)

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 「桜の樹の下には」 梶井基次郎

 桜の樹の下には屍体したいが埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。何故なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。

 どうして俺が毎晩家へ帰って来る道で、俺の部屋の数ある道具のうちの、りに選ってちっぽけな薄っぺらいもの、安全剃刀の刃なんぞが、千里眼のように思い浮かんで来るのか――おまえはそれがわからないと言ったが――そして俺にもやはりそれがわからないのだが――それもこれもやっぱり同じようなことにちがいない。

 いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。それは、よく廻った独楽こまが完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱しゃくねつした生殖の幻覚させる後光のようなものだ。それは人の心をたずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。
 しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたものもそれなのだ。俺にはその美しさがなにか信じられないもののような気がした。俺は反対に不安になり、憂鬱ゆううつになり、空虚な気持になった。しかし、俺はいまやっとわかった。
 おまえ、この爛漫らんまんと咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。
 馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐爛ふらんしてうじが湧き、たまらなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪どんらんたこのように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根をあつめて、その液体を吸っている。
 何があんな花弁を作り、何があんなしべを作っているのか、俺は毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ。
 ――おまえは何をそう苦しそうな顔をしているのだ。美しい透視術じゃないか。俺はいまようやくひとみを据えて桜の花が見られるようになったのだ。昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ。
 二三日前、俺は、ここのたにへ下りて、石の上を伝い歩きしていた。水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、薄羽かげろうがアフロディットのように生まれて来て、溪の空をめがけて舞い上がってゆくのが見えた。おまえも知っているとおり、彼らはそこで美しい結婚をするのだ。しばらく歩いていると、俺は変なものに出喰でくわした。それは溪の水が乾いたかわらへ、小さい水溜を残している、その水のなかだった。思いがけない石油を流したような光彩が、一面に浮いているのだ。おまえはそれを何だったと思う。それは何万匹とも数の知れない、薄羽かげろうの屍体だったのだ。隙間なく水の面を被っている、彼らのかさなりあったはねが、光にちぢれて油のような光彩を流しているのだ。そこが、産卵を終わった彼らの墓場だったのだ。
 俺はそれを見たとき、胸がかれるような気がした。墓場をあばいて屍体をこのむ変質者のような残忍なよろこびを俺は味わった。
 この溪間ではなにも俺をよろこばすものはない。うぐいす四十雀しじゅうからも、白い日光をさ青に煙らせている木の若芽も、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心はなごんでくる。
 ――おまえはわきの下をいているね。冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。べたべたとまるで精液のようだと思ってごらん。それで俺達の憂鬱は完成するのだ。
 ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。
 今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒がめそうな気がする。(初出・「詩と評論」1928年)(青空文庫版)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです