「住めば都」と言うけど、ホントにそうなの?

 【水や空】地方に住みたい若者たち 昔も今も、にぎやかな町から自然に囲まれた里へと移り住む人々がいる。江戸の頃の狂歌に〈ほととぎす 自由自在に聞く里は 酒屋へ三里 豆腐屋へ二里〉とある。花鳥風月は楽しめても、店は遠いし不便なものだ、と田舎に移った風流人の不自由な暮らしを詠んでいる▲今はどうだろう。若い世代は、地方暮らしを必ずしも不自由とは思わないらしい。卒業を控えた大学生らに内閣府が聞いたところ、通信機器を使って自宅で仕事ができたりと、働く場所が自由に決められるならば「地方に住みたい」とする回答が57%に上った▲職場には出ずに自宅で働く「テレワーク」がコロナ禍で広まり、地方での生活、地方への移住に関心が高まっている。「東京に住みたい」と答えたのは12%台にとどまる▲県によれば、行政の窓口を通して県外から県内に移住した人は、2020年度が1452人で、最多の19年度にほぼ並んだ。離島に雇用を生み出した効果もあるという▲いい流れができているように見える。場所を問わない働き方が広まれば、流れはさらに太くなるだろう▲「言うは易(やす)く、行うは難し」だが、地方での働き方の幅をもっと広げる時期にきている。長いこと東京への「一極集中」といわれてきた中で「地方に住みたい」と望む多くの声を聞き漏らすまい。(徹)(長崎新聞・2021/09/07)

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 「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し」と、ぼくはこの駄文集のとっかかりを「方丈記」の「序」に借りて、そのこころもちを語りだしました。いまでもその気持ちは変わりません。何処に行こうが、何処に腰を落ち着けようが、ぼくは「よどみに浮かぶうたかた」そのままの運命でもあるのです。別に諦観を語るのでもなければ、無常感に浸りきっているのでもない。どうあがいたって、なにほどのことも、ぼくにはできる気づかいはないという、ちっぽけな自分を知るところが強かったのでしょう。

 長明の「例え」は凄いことになっています。ひょっとすると、それは「例え」で言うような暢気な現実なんかではなく、事実をありのままに、感じたままに書いたのでしょう。長明さんの虚飾のない表現だったと、ぼくは言いたい気がするのです。世の中にある「人と住みか」は「よどみに浮かぶうたかた」、そう「泡沫(うたかた)」に他ならないと長明さんは言う。その通りというには、あまりにも儚い世過ぎであり、悲し過ぎる身過ぎでもあります。けれども、五百年、千年の長さで測れば、おそらくその通りの存在なのだと、まだ十分に受け止めているのではありませんが、まあ人生といったっていろいろではあれ、結局は「かつ消え、かつ結ぶうたかた(泡沫)」、そんなところだというとらえ方を、ぼくは抵抗なしで、長い期間を通じてしてきたのです。ぼくは好き嫌いの激しい人間で、それは大いなる短所だという自覚はあります。けれども、最後は好き嫌いで判断するのがたしかなのですから、長明さんに倣って、「ぼくは淀みに浮かぶ泡沫なんだ」、それなら、都であろうが、田舎であろうが、いずこも同じ秋の夕暮れ、ということになりませんか、そう考えているんですよ。

 「人生百年時代」とさかんに言われています。それはいいことなのか。自分の足で歩き、自分の頭で判断し、なおかつ自分の才覚で暮らしていける百歳なら、それも一つの生き方です。問題は、長さにあるのではないと思うのです。「二百年」から見れば、百歳なんて半人前。「五百年」を基準にすれば、やっと五分の一人前にしかならないのです。長さではないというのですが、「じゃなんなんだ、人生は」と聞かれるでしょう。「浪花節だよ、人生は」といいたいところです。「良より質」とも言いますし。

 草取りの疲労と虫に刺されて、いまは「閉口」していますので、面倒なことは言いません。「人生いろいろ」で、価値のある人生とか、つまらぬ人生というのは、まず、一つの立場にたてば、あるはずもないと言っておきます。そう思う自他の感情が言わせているだけ。何をしたから、「人生に値打ちが出てくる」というのですか、そんな人生観に、ぼくはうんざりしてきました。人であれものであれ、「ものの価値」は、存在するだけであるのです。値打ちがあるとかないとか、喧(かまびす)しいのは世間です。ぼくも世間の中にいるのですから、できる限り、そんな世間の内側にいても、できるだけ距離を取っておきたい。それがぼくの態度でした。その世間の最たるものが学校だったから、なおさら距離を測って生きていきたかった。もっとも距離を広く・長くとる方法は学校に行かないことだったかもしれません。「一つの立場」というのは、なんですか、その問題が残りますが、これまでにもさんざん言ってきたことです。それは「ノンセンス」という。

 話すほどのことでもありません。済んだことを語るのは苦手だし、何よりも語るに足る「過去」がぼくにはない。話せば繰り言染みて、あまり気が乗らない。高校を卒業して東京に出てきました。何をする当てもなく、ただ、狭い京都を飛び出したかっただけで、西の長崎や熊本でもよかったが、何の身寄りもなかったので、お決まりの沙汰で、東京の伯父の家に転がり込んだ始末です。何もしないで十年も居座り、そこを出て、当てもなかったが、声をかけてくれる人がいたので千葉に来たというばかりです。そのようなぼくには「都会」という意識も、「田舎」に住むという感覚もなかった。やがて結婚し、子どももできたので、生活の糧を得るために働くという「ささやかな、平凡な暮らし」を続けて、半世紀以上も経過したのでした。こういう人生が、ぼくにはふさわしいものでしたろう。数日前から、どこかで書くつもりで準備しているテーマのようなものがあります。前橋汀子さんというヴァイオリニストがおられます。本当に何十年ぶりかで、彼女の演奏を聴いているのですが、もはや「巨匠」といってもいいんでしょうね。実に感心しました。若い頃のケバケバした皮が剥がれて、でも、それは若さがうちに持っている輝きの顕現でもありました。いまでは、むしろ地味にさえ思われる、そのままの彼女がおのずから出ています、特に近年の演奏では。その彼女いわく、「すべてをヴァイオリンに捧げた」と。こんな人生は、ぼくにはとても送れなかった。

(下の表は「令和2年情報通信白書」総務省)

 その間、二度、三度、千葉も地方ですが、もっと地方に転居しようかと考えました。考えただけではなく、実際に試みたこともあった。最初は栃木県の塩原あたり、その近くの板室という温泉場でした。連れ合いが気乗りしなくて、簡単に断念。二度目は今から二十年ほども前になりますが、静岡の川奈あたり、何度か出かけたことがあり、それなりに土地勘もありました。勤め先を変えず、都内への通勤も考慮して、少し時間はかかるが、何とかなるという判断でした。もちろん、今回は連れ合いに相談なく、一人で決行しようとしました。土地も購入し、一人で生活する段取りを立てました。移住する理由は大したことではなく「原稿を書く」場所が必要だと感じていたからでした。それ以来、土地はそのままに放置、七年前に千葉の山中に越してしまったということになります。最終的に移住を決断しなかったのは、まあ、あえて言うなら、ぼくの優柔不断だったかもしれません。その他、いくつかの決断を鈍らせる理由のようなものはありましたが、結局は元の黙阿弥という為体(テイタラク)でした。

 ここに来て、昨年初以来の「新型コロナウィルス」の感染拡大で、俄(にわ)かにではないでしょうが、「地方」移住がそれなりの話題になってきました。(「都会と田舎」あるいは「中央と地方」という表現には親和性というか、親近感がありません。「住めば都」という表現が示しているように、まず「都」(元来は天皇の住む地という意)という観念があって、どんな辺鄙(へんぴ)なところだって、住んでしまえば「天皇の住む都」と変わらない、馴染んでしまえば、いいところ、そんな志向・嗜好がこびりついているようです。もっとも、こんなことをいうのは、ぼくぐらいかも)(今日でも、そんな観念に、意識しないままで、縛られている人は多いでしょう)

 年初に、以下のような記事が出ていました、「一極集中」が様変わりするとも思えません。その理由は、いくつもあるでしょう。コロナ禍が襲おうが、戦争の惨禍が見舞おうが、一極集中は止まりませんでした。人間は「より大きな集団」の一員になりたい性癖があるのでしょうか。それなら、インドか中国へでも移住すればいいのですが。少しばかり古い記事が、何かの参考になるかと、取り出してみた次第です。

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 東京からの転出40万人、コロナで一極集中に変化

 総務省が29日公表した2020年の住民基本台帳の人口移動報告によると、東京から出て行く人を示す転出者数が計40万1805人と前年比4.7%増え、比較可能な14年以降で最大になった。近年は東京への一極集中が続いていたが、地方でのテレワークを志向する人が増えるなど新型コロナウイルス禍で流れが変わった。/ 東京の昨年の状況をみると、コロナ禍が広がった後の5月に、比較可能な13年7月以降で初めて転出が転入を上回った。6月にはいったん元に戻ったものの、7月から12月まではまた転出の方が多くなった。/ 年間では、ここ数年38万人前後が続いていた転出者数が40万人を超える一方、東京への転入者は43万2930人と7.3%減少した。転入者は14年につぐ少なさだった。転入から転出を引いた転入超過数は3万1125人となり、19年に比べて62%減と大幅に減った。

 東京から出て行く人を受け入れているのは近隣の県だ。神奈川は転入超過数が2万9574人と東京に次いで多く、千葉は1万4273人と19年から約5割も増えた。転出者が多かった北関東3県や長野、山梨などでは転出超過数が19年から半分以上縮小した。/ 背景にあるのはコロナ禍で地方移住を希望する人が増えていることだ。移住などの情報を提供する東京・有楽町のふるさと回帰支援センターでは、20年6~12月にメールや電話での相談件数が前年比4割近く増えた。特に北関東や神奈川、山梨などへの移住相談が増えたという。

 感染拡大防止のためのテレワークが広がり、出社頻度が減った人も多かった。群馬県の移住促進の担当者は「東京の仕事は変えず環境のいいところへ移りたいという相談も増えた」と話す。県の移住サイトの閲覧数は前年比50%増が続くという。/ 一方、「前向きな移住だけではない」(ふるさと回帰支援センター)との指摘もある。コロナ禍で失業したり収入が減ったりした影響で東京に住めなくなり、家賃や生活費の安い地方への移住を考える人もいる。「そういった人は仕事探しの相談もしながら、東北や九州などの地方都市への移住を希望する」という。

 政府はコロナ禍を機に東京一極集中の是正を進めようとしている。21年度には、東京で仕事を続けながら地方に移住した人に最大100万円の支援金を出す。地方自治体が住民のテレワーク環境を整備するための交付金も新設する。/ 東京への転入超過数の減少は、コロナ禍での移動自粛で東京への転勤や引っ越しを保留する企業や人が増えたことも大きい。今後も東京への一極集中の緩和傾向が続くかは、テレワークや地方移住などコロナ禍を機に進んだ働き方の変化が定着するかにも左右される。/ ニッセイ基礎研究所の天野馨南子氏は「これまで20年以上、転入超過が続いてきたのは、正規の仕事が東京に多いという理由がある」と指摘する。「地方での仕事が増えない限り、一極集中の流れは簡単には変わらない」と分析する。/ 東京への転入超過数には男女で違いもある。男性の9632人に対し女性は2万1493人と2倍以上だった。天野氏は「女性の方が地方で選べる仕事の幅が狭く、東京に集まる傾向が強い」とし、「女性の移住が増えなければ未婚化や少子化も進み、地方創生にはつながらない」と課題を指摘している。(高田昭氏ほか二名の投稿)(日経新聞・2021年1月30日 5:08更新)(https://wordpress.com/post/http836.home.blog/29115)

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 暢気というか、迂闊というべきか。人が「暮らす」というのは、いろいろな「しがらみ(柵)」があるんですね。今更のように、そのことに気が付いて、ゾッとしているのです。若くして京都を抜け出し、東京に住んではみたものの、性に合わなかったので千葉に来ました。そこだってなかなかに騒々しい場所だったから、もっと静かな環境をと、なにかと思案したが、それだけだった。コロナ禍というものがきっかけで、生活の仕方がいい方向に変るなら、人口密度の高すぎる地を離れるのは一つの方法でしょう。問題は生活の基盤が、何処においても作れるかというと、けっしてそうではないという根本問題があるんですね。ぼくが住んでいるこの町も、移住してからの七年の間に数百人が転出されたようで、現在は、住民数は七千人を切っています。もちろん、自然減という要素もあります。だから、一段とこの傾向が進んでいくのかもしれません。小さな自治体ですが、小さいなりに問題が山積しているようです。

 〈ほととぎす 自由自在に聞く里は 酒屋へ三里 豆腐屋へ二里〉と詠ったのは江戸の風狂人。ぼくのところも、自由奔放にホトトギスは鳴いてくれます。でも酒屋(ワタミだった)も豆腐屋(スーパー)も二里半、十キロの距離があります。ぼくは、普段は車を使っています、やがては「杜甫」ならぬ「徒歩」で、と楽しみにしているのです。でも歩道がないんですね。まして、人道は著しく棄損されている。

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)