道は知り難く、また言い難し。…(「弁道」)

 【地軸】ハードとハート 南太平洋のフランス特別自治体ニューカレドニア。映画「天国にいちばん近い島」で知られる地。南国情緒に浸った十数年前の取材行で、歩行者を思いやる土地柄にも触れた▲小パリと呼ばれる政庁所在地ヌメア。信号のない横断歩道に立つと車は例外なく止まってくれる。人口の少ない小島でも路面が隆起したスピードバンプで車の減速を促される。本国から持ち込まれたマナーや対策が根付いたのか▲本国の首都パリでは先月30日から、市内全域の道路の制限速度が原則時速30キロに。交通安全のほか環境対策、公共交通機関の活用などの狙いがある。もっとも現地の報道はドライバーの強い不満も伝えていたが▲同日、千葉県八街市の市道で県警の速度違反取り締まりがあった。6月に下校中の小学生5人が大型トラックにはねられ死傷した現場。事故を受け前後2キロ区間は時速30キロの速度規制が敷かれた。時速30キロ以下にする。そこに生活道路で車の事故を防ぐ鍵があるそうだ▲その速度規制とハード対策を組み合わせた「ゾーン30プラス」に、国が乗り出した。路面にこぶのような隆起を造ったり、自動昇降の車止めポールを設置したり。ここから人優先の意識の広がりへとつなげたい▲行政の施策と相まって、自ら停車するハートを持ったドライバーが増えてくれれば。信号のない横断歩道で何台もの車の通過を待つ。そんな歩行者を毎日見るにつけ、つくづくそう思う。(愛媛新聞ONLINE・2021/09/05)

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 昨日に続いて「道の在り方」、つまりは「道路交通」問題です。横断歩道での一旦停止。まったく停止しない車が多いのに、ぼくは恐怖を覚えています。あまり偉そうには言えませんけれども、うんと手前でも歩行者が渡りそうだとみると、先ず減速し、停車に備えます。この習慣は「一時停止」標識のない場合でも必ず励行するようにしています。いったいどれだけの数の「標識」があるのか知りませんが、なんとも見にくい、見えにくいものがたくさんあるのは困りものです。複雑怪奇な標識の乱立がかえって、運転する側に混乱を生じさせているとも言えそうです。

 若いころは、「速度違反」や「信号無視」「駐車違反」という廉で何度も反則金を徴収されましたが、いまでは三十年以上も「ゴールド免許」だそうです。別に警察に「褒められる」筋合いはありません。乱暴な運転や、危険な運転をしないだけ、たったそれだけで、事故を起こさない保証にはならないところが情けないのです。自分の不注意で起こす事故以上に、他車から受ける事故が結構多いのは、日常的に車を運転していて分かります。無茶苦茶な運転をする人間がなんと多いことか。これまでにも「危機一髪」という場面に何度も遭遇しました。交差点で「青信号」で直進しようとして、右方向から「信号無視」で突っ込んできた車がいて、あわや!、そんな経験が数回ありました。文字通り、「走る凶器」に「生きた狂気」が乗っている社会なんですね。

 「一時停止率」の数値の低さに驚くばかりです。横断歩道を歩行する人がいるにもかかわらず、無視する車がこれだけいるのですから、事故は絶えないはずです。下記のデータがどのようにして集められたのか分かりませんので、たしかなことはいえない。でも、同じ県でも、場所や時間帯などによっては相当に危険な確率で、事故が発生していると考えられます。繁華なところと、そうでないところを比較することにあまり意味はありません。あくまでも運転している人間の実感として、相当に意識の低い人が車を走らせていると痛感するのです。それを見ているから、なおさら、事故をもらわないようにしなければという意識が働くのでしょう。

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(以下のデータは「2020年「信号機のない横断歩道における車の一時停止率(全国)」(JAFリリースより)」)

 「せまい日本、そんなに急いでどこへ行く」という標語(もどき)がありました。ホントにそのように思います。この狭い劣島に百に届こうかという数(九十七)の「飛行場」があります。笑うべきか、泣くべきか。あるいは、沈黙するほかないのか。これもまた、便利が優先され、自治体の横並び意識のなせる業で、そのほとんどが採算などは度外視しています。狭い島の面積、そこに新幹線や高速道路、さらには飛行機と、上を下への大騒ぎで、それにくわえて「リニア」だという。狂気の島の凶器の「カオス」状況が蔓延しているのです。ぼくがはじめて「自動車」を見たのは、まだ小学一年生の頃でした。戦後も数年たった時期です。石川県の能登中島にたった一台、「外車」のハイヤーだったと思います。その街の一軒だけの料亭に置かれていました。おふくろの姉がその店にいたので、乗りはしませんでしたが、珍しいものを見たという記憶が鮮明に残っています。その後しばらくは、木炭車も見ることになりました。自転車に乗っている人はいましたけれども、ぼくは乗りませんでした。代わりに、馬に打っていました。いかにも「時代」を感じてしまう。

 さらに、車について印象深いのは昭和三十年の中頃、京都で親が家を建てた時の「建築費」と、当時の大衆車の値段がほぼ同額だったことです。たしか、五、六十万円だった。今日の両者の価格を考えれば、車は相当に贅沢品だったことが分かります。(今だって、家一軒よりも高額の車はいくらでもありますが)その後の「車社会」の出現は、自動車産業の隆盛をもたらし、大量生産の波に乗って、「さあ、車に乗ろう!」という民衆のマインドをコントロールしてしまったのでしょう。同時に「交通戦争」などという物騒な時代も並行していました。時代の波に乗って、自動車に乗って、留まることを知らないこの島社会の妄信が進んでいきます。すでに、この段階で、アクセルとブレーキを踏み間違えていたんですね。

 二十年ほども前、ぼくは若い人と交通事故などや排ガス問題を、いろいろな角度から考える機会を持ちました。その際、欧米の各地での先進的な取り組みについて、あるいは積極的な自転車利用策の導入をしている事例など、資料を集めながら調べたのでした。細かいところは省きますが、「都心」への自動車乗り入れ禁止、そのための交通規制や、貨物運搬道路の地下化など。さらには都心部などでは速度規制(一例は30キロ以下)問題などにも興味を広げて、各地の事例を学んだことでした。その具体例がニューカレドニアであり、最近のパリ市内にも認められます。この社会でも「歩行者天国」(名称は奇怪ですが)の設置など、さまざまな取り組みが進められてきました。普段は、ほとんどが「自動車天国」状態なんですね。でもいろいろな点で、現代社会は「車優先」であって、「人命軽視」の風潮はそのままに放置されてきたようです。

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 ぼくは若いころから、さかんに荻生徂徠を齧(かじ)ってきました。特に、徂徠学の入門書とされる「弁道」「弁名」(「ニ弁」と略す)はていねいに読んだつもりです。この書に示された「道」とは、「聖人の道」であり「政治の方法」を言ったものです。(聖人とは「聖人君子」というように、人間を超えた存在と考えられています。その存在が行う政治が「聖人政治」ですね。政治は、生半可な存在がやるべきじゃなかったんですね、その昔の隣国では。あきらかに「愚人政治」とは類を異にしています)

 政治は人間の生きる道筋を明らかにして、一つの集団が、混乱なく機能するように働きかける(統治)能力を言い当てたと考えていいでしょう。道というのは、人が歩く「道路」のことです。通行・交通が滞りなく行われるためにあるもの、それに対して「人間の道」は目に見えず、手で触れることもできませんが、それがなければ人間集団は混乱し、弱肉強食の闘争場になるというのです。〈道は知り難く,また言い難し。その大なるがためなり〉(「弁道」)「子曰、朝聞道、夕死可矣」(朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり)(「論語 里仁篇」)その「道」に求められる、いくつもの「徳」と称されるもの、これにも名前がありませんでしたから、それぞれに名前と内容を与えたのが政治に携わる存在(聖人)であったのです。「仁義礼智信」などなど。今日では、これを「徳目」などと言っていいるのです。

 面倒は避けます。「道」が混乱してしまっていては、事故が起こるのは当然です。そのための「交通規則」が作られるのですが、それがまた混乱の種になるというなら、いったいこの混乱を解決する方法があるのか。「人間が生きる道=人道」が廃れば、「人間が歩く道=歩道」も危険にさらされます。両者は不可分でもあるからです。その昔は、人間の行き来のみだった「道」に「自動車」なるものが侵入し、やがて、それを占拠してしまった。人が歩く道を奪われ、通行はいちじるしく困難かつ危険になりました。交通ルールを守ろうという願いは、人の生きる道を守ろうという叫びに重なると言いたいのです。「人道」が堕落・頽廃のきわみで喘いでいるとき、「歩道」(本来は「人の通行する道」でした)だけが、それとは独立して整然としている道理がありません。たかが「道路」などと、軽々に口にすべきじゃないんですね。「無理が通れば、道理は引っ込む」というのは当たり前でしょうね。「道」は、ある種の不文律であって、それを忘れれば、「人間であること」を止め得る羽目になるようなものでした。「道路」は、それなんですよ。

 まず、「道は政治の道」です。その政治の方法は「政治家」のこころざしにかかっているのです。お隣の国では「政治家」は「聖人・君子」の仕事でした。「聖人」(人間をはるかに超えた存在)はすでに存在しなくなって久しい。「聖人」に近づくためにこそ「学問」が求められますが、今や、政治は金儲けの稼業(家業)になっています。もう何を言う必要もないでしょう。「人命を虚仮」にしている「政治家(もどき)」が、口を開けば「国民の健康と命を守る」というのは黒い冗談です。この黒い冗談が「美しい言葉」「誠意からの言葉」に生まれ変わらなければ、この島の住人の立つ瀬はないのです。ほとんど不可能に等しいようですね。

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〇 弁道・弁名(べんどう・べんめい)=荻生徂徠(おぎゅうそらい)の著。この2書は、儒学の思想に関する徂徠の見解を、体系的に整理した形で、漢文で論述したもので、その理論の独創性がよく示されている。『弁道』はいわば総論に、『弁名』はその各論に相当する。「弁(辨)」とは、解明するの意の語で、儒学は「道」に関する学問であるとする立場から、その「道」とはいかなるものかを論じたのが前者であり、それに対し、道・徳・仁・智(ち)など主要な名辞すなわち概念について、34の項に分けて解説したのが後者である。『弁道』は、その末尾に「享保(きょうほう)二年(1717)七月」の署名があるので、そのころ成稿したとみられるが、その後に徂徠は改訂を加え、また出典の校合を門人に依頼したりして、徂徠没後の1737年(元文2)に出版された。『弁名』にも1789年(寛政1)の刊本がある。なお、徂徠門下の宇佐美灊水(うさみしんすい)は、注釈書として『弁道考注』1巻(寛政12年刊)と、『弁名考注』2巻(未刊)を著している。(ニッポニカ)

〇 聖人(せいじん)=中国における理想の人格をいう。聖の字は、耳を意符(いふ)、呈を声符(せいふ)とする。未来を告げる声を聞く耳の持ち主、超人である。だから自然に推戴(すいたい)されて帝王の地位につく。堯(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)、湯王(とうおう)、文王(ぶんおう)、武王(ぶおう)などである。また聖人は文明の創始者でもある。伏羲(ふくぎ)、神農(しんのう)、周公などがそれである。孔子は帝王ではなかったが、最高の徳を身につけた人だから、弟子たちは孔子を聖人とよぶ。宋(そう)の道学者は、聖人になることを修養の窮極目標とした(『宋史』張載伝)。つまり聖人とは最高の人格の例示である。しかも中国にはキリスト教的人格神がいないから、聖人は神の代替でもある。カトリックの聖者(セイント)が神によく仕えた人であって神そのものでないのと、やや違う。(ニッポニカ)

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)