国政は、国民の厳粛な信託による

【卓上四季】統帥の責任と尊厳 今や第一線各部隊は、戦うことより自滅を防ぐことを第一義として行動しつつあり。史上最悪とされるインパール作戦で命令に従わず罷免された佐藤幸徳中将が、ビルマ方面軍参謀長に宛てた電文だ▼補給もなく、飢えや傷病に苦しむ前線を直視しない司令部への憤怒は極めて激しかった。責任転嫁に無理難題、判断先送りと統治破綻のお手本のような司令部。軍紀を盾に不可能を強制するは暴虐に過ぎぬとして「いずこに統帥の尊厳ありや」と糾弾した(「抗命インパール2」文春文庫)▼約7万2千人が死傷した悲惨な退却戦は能力の過信と甘い見通しに基づく無謀な計画の代名詞ともなった。五輪開催強行の一方で医療機関に病床確保を迫る国や都の姿勢を重ねる向きもある▼新型コロナウイルスの爆発的感染が収まらない。医療体制は破綻し、自宅療養者の死亡も相次ぐ。道内も3度目の緊急事態宣言適用が決まった。曖昧な基準や施策による混乱の帰結といえよう▼「抗命」の著者高木俊朗さんは、「罪悪とすべきは戦争そのものよりも人々の無責任だ」と述べていた。無謀な作戦の強行が繰り返される理由もそこにある▼「今日生きているのは奇蹟。佐藤閣下の抗命罪が成立するならば私たちが生きていることも罪だ」。インパール作戦で負傷した元兵士が高木さんに宛てた手紙に書いた。時を経て繰り返される責任なき国の悲劇である。(北海道新聞電子版・2021/008/26)

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 実は大松(博文)が属した師団は、旧日本軍の精神主義と相反する歴史的事件の舞台となっている。四四年六月、師団長の佐藤幸徳が、作戦遂行を担う第一五軍司令官牟田口廉也(むたぐちれんや)の命に逆らい、コヒマから撤退を始める。「食わず飲まず弾がなくても、戦うのが皇軍」と強弁する牟田口に対し、佐藤は打電する。「人間に許されたる最大の忍耐を経て、しかもなお刀折れ矢尽きたり。これを見て泣かざるものは人にあらず」 師団長が、軍の統帥を無視した「抗命事件」。今でこそ英断とたたえられるが、戦後しばらく佐藤は「不名誉な軍人」として責められた。大松はその部下だった。日本代表のベンチ入りしていた藤本佑子(77)は、インパールの戦友が練習先の新潟などを訪ねてきて、監督と話し込む姿を何度も目にしている。再会した戦友は意外な一言を語り、大松は自著に書き残している。「戦地にあったころのあなたは、いま見聞きするようなガムシャラな人ではなかった」。生き地獄を共にしたつわものたちさえ舌を巻く、変貌ぶりだった。(敬称略、選手名は旧姓)(左上写真は大松博文氏)

<インパール作戦> 太平洋戦争後期の1944(昭和19)年3~7月、英領インド北東部の都市インパール攻略をビルマ(現ミャンマー)側から目指した日本軍の作戦。米英による中国支援ルートだった北東インドを遮断し、インドで独立機運を高め英国を揺さぶり、局面打開を図る狙いがあった。軍部は前線への補給態勢を十分に確保しないまま作戦を強行。3個師団計6万人が参加したが英軍の反撃でインパールは陥落せず、7月に作戦中止。撤退路でも病死や餓死が相次ぎ、約3万人の兵士が死亡した。(東京新聞・<聖火 移りゆく 五輪とニッポン>第2部 おれについてこい(2) 精神変えた「地獄」・2020年2月13日)

● 大松博文(1921-1978)=(省略)昭和16年大日本紡績に入社。学生時代からバレーボール選手として知られ、28年日紡貝塚(現・ユニチカ)バレーボール部監督に就任して名をあげた。回転レシーブ、変化球サーブなどの新しい技を考案、厳しいトレーニングで選手を鍛えた。40年に監督の座を退くまで175連勝の記録をつくった。日紡貝塚のメンバー主体の全日本チームの監督も務め、37年には世界選手権で優勝。39年東京五輪では決勝の対ソ連戦にストレートで勝ち、金メダル。河西主将、宮本、谷田、半田ら“東洋の魔女”たちが“鬼の大松”の胸に飛び込んだシーンはブラウン管を通して日本中の感動を呼んだ。引退直後の40年中国を訪問、バレーボールの指導に当たる。43年参院全国区に自民党から立候補、7位で当選。1期6年を務め、次回は落選。その後はママさんバレー指導に全国を歩いた。著書に「おれについてこい」「為せば成る」などがある。没後の平成12年世界殿堂入りを果たす。(新訂政治家人名辞典) 

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 【地軸】裏切られた思い「私たちは二重に裏切られたのである」。日本が戦争に負けた76年前の夏のことを、作家の五木寛之さんはそう受け止めているという(「人間の覚悟」新潮新書)▲戦争末期、戦局の不利は明らかだったが、必ず勝つと言われて信じた。敗戦後は「治安は維持される」というラジオのアナウンスに従った。実際には旧ソ連軍が進駐し、口に出せないような事態に遭う。過酷な経験を踏まえ述べる。「国が国民を最後まで守ってくれると思ってはいけない」▲今年の夏も、国に何重にも裏切られたと感じている人は少なくないだろう。最後まで守ってもらえるという信頼も薄れているのではないか。緊急事態宣言が繰り返し発令されても、新型コロナウイルスの感染拡大を食い止められない▲市民の不安や不満が噴出した格好だ。横浜市長選で菅義偉首相が支援した前閣僚が敗北した。首相が地元で肩入れした上での惨敗である。政府のコロナ対応が選挙結果に影響した可能性を首相自ら認めたのも無理はない▲五木さんは国に関し「諦める」覚悟をするよう説く。「諦める」とは「明らかに究める」ということで、期待や不安に目を曇らせず、事実を正面から受け止めるという意味らしい▲コロナ対応で国に過度の期待を持つのは禁物という事実を受け止めよう。だがこれ以上の感染拡大は許されない。そろそろ政府に有効策を示してもらいたい。決して過度の期待ではないと思う。(愛媛新聞ONLINE・2021年8月25日)

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●インパール作戦(いんぱーるさくせん)=太平洋戦争の末期、日本軍により実施された東インドのインパールに対する進攻作戦(ウ号作戦と呼称)。同方面を根拠地とするイギリス・インド軍のビルマ(現ミャンマー)進攻作戦を未然に防止し、あわせてチャンドラ・ボースの自由インド仮政府支援のため、インド領内における足場を確保することを目的として計画され、1944年(昭和19)1月、大本営の認可するところとなった。同作戦を担当した第一五軍(司令官牟田口廉也(むたぐちれんや)中将)は、同年3月に行動を開始し、4月にはインパール付近の地点にまで進出したが、航空兵力の支援を受けたイギリス・インド軍の強力な反撃と補給の途絶とによって、しだいに守勢に回り、7月には退却命令が下され、飢えと病気により多数の将兵を失った悲惨な退却戦が開始される(死傷者数7万2000人)。日本軍の戦闘能力を過信し補給を無視して計画・実施されたこの作戦は、日本軍の作戦指導の硬直性を暴露し、その失敗によりビルマ防衛計画を崩壊に導いた。[吉田 裕](ニッポニカ)『丸山静雄著『インパール作戦従軍記』(岩波新書)』

● 五木寛之(いつき-ひろゆき)「1932- )=昭和後期-平成時代の小説家。昭和7年9月30日生まれ。朝鮮半島からの引き揚げを体験。作詞家,ルポライターなどをへて,昭和41年「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞,42年「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞。51年「青春の門 筑豊編」で吉川英治文学賞。のち休筆し,竜谷大で仏教をまなぶ。「風に吹かれて」「大河の一滴」などの文明批評にも定評がある。平成22年NHK放送文化賞。同年「親鸞」で毎日出版文化賞特別賞。福岡県出身。早大中退。(デジタル版日本人名大辞典+PLUS)

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 「いずこに統帥の尊厳ありや」「罪悪とすべきは戦争そのものよりも人々の無責任だ」 「時を経て繰り返される責任なき国の悲劇である」「国が国民を最後まで守ってくれると思ってはいけない」思い付きで引用した部分は、いつの時代にも妥当する、人間の怯懦、偽りの強がりが、事態を誤るという、警告のように、ぼくには聞こえてきます。少しでも「高い地位」に進みたいという「高山病」に罹患したがる人がどんなに多いか、ぼくは仰天します。これも、学校教育が蔓延させた「風土病」じゃないかと見ているのです。現下の事態を凝視していても「国は断じて国民の一人一人の命を守るなんてありえない」ことが白日の下に明かされているではないですか。(右は五木氏)

  引用した二つの「コラム」からの「再引用」を一読するだけで、何が言いたいのか、言うべきかが判然とする。分かりすぎるほど、明らかでもあるのです。たった一人が「悪」を引きおこすことはあり得ても、数千、数万の人命を壊し、遺棄することはあり得ません。また、同じ犯罪でも、権力者とぼくたちでは比べられないほどの差があるでしょう。「嘘を吐く」ソーリがいましたが、ぼくたちが吐く嘘とは比較を絶するのではないでしょうか。その意味では、要路にあるとされる人間たちの「無責任」こそが糾弾される必要があるのです。さらには「国が国民を守らない」というときの「国」は、言うまでもなく要路にある人々です。最高権力者はたった一人かもしれませんが、それを取り巻く渦のような人々が構成する組織集団が政治や行政の実に当たっています。その連中がなすべき業務を果たさないということ自体が、責任を問われるのです。

 現下の「コロナ禍」は戦争ではありません。そうではありますが、あまりの惨さ、理不尽さに、まるで戦争だといいたくなるのは道理です。だから、非常事態ならぬ「緊急事態」宣言が発令されているのでしょう。それにもかかわらず、五輪を開催し、パラリンピックも開かれています。非常事態を強調しながら、平和の祭典、公正な社会、多様性の尊重なとというカオス。虚飾塗れの御託、実につじつまの合わないことを強引に進めているのです。そのことに対して、ぼくはこれまでいろいろと言ってきましたので、もうこれ以上は言わないでおきます。

 余談です。「軍」といい「国」といいますが、その実態は何かという点。「軍」も「国」も、一つの機関です。かつて「天皇機関説」を唱えた憲法学者が糾弾され、断罪されたことがありました。天皇の絶対主権を否定し、国家機関の一つに過ぎないとした廉での批判・弾圧でした。現行憲法下の国家運営に関しては、以下の引用(憲法「前文」)にあるように、国民主権であり、その主権を選挙で選ばれた国会議員が行使するという「代議制」が制度の上での建前です。

 「 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」とある通りです。国政は「国民の信託」により、「権力は国民の代表者が行使」「福利は国民が享受」すると言われています。

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● 天皇機関説(てんのうきかんせつ)=美濃部達吉によって主張された学説で,国家を統治権の主体とし,天皇は国家の一機関にすぎないとする明治憲法の解釈のこと。上杉慎吉らの天皇主権説に対して,大正デモクラシー以後,学界政界で一時支配的な地位にあった。しかし満州事変以後,軍部,官僚,右翼団体が天皇機関説を国体に反する反逆思想として攻撃したため政治問題化した。これが 1935年のいわゆる国体明徴運動である。当時貴族院議員であった美濃部は議院弁明を求められ,反論を明らかにしたが,衆議院議員江藤源九郎は彼を不敬罪で告発し,政府も陸海軍大臣の圧力に押され『憲法撮要』など美濃部の3著を発禁とした。こうして美濃部自身も貴族院議員を辞任し,天皇機関説は政治的に葬られた。(ブリタニカ国際大百科事典)

● 独立国(どくりつこく)(independent state)=主権国家ともいう。国内事項の処理ならびに国際社会の他の構成員との関係において,いかなる外部の支配からも自由である国家。非自治地域,従属国などに対立する概念である。国家は,その領域内のすべての人および物を支配する最高の権力を持ち,その組織,国民の権利,外国人の入国条件などを自由に定めることができる。また国家は対外的に他の国家との間で維持すべき関係についての決定権を持ち,条約の締結,外交使節の派遣および接受などを自由に行うことができる。言い換えれば,これらの事項を外部から命令されることなく,自由に行う地位を国際法上認められている国を独立国という。(同上)

● 日本国憲法「前文」=日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。(以下略)

● けんぽう【憲法】=英語およびフランス語のconstitution(ドイツ語ではVerfassung)に対応する訳語である。constitutionは,もともと,基本的な統治制度の総体,または,基本的な統治制度の構造と作用について定めた法規範の総体(後述の,実質的意味の憲法)をさす用語であり,近代になって,そのうち一定の形式的標識を満たす法規範(形式的意味の憲法),特定の実質内容をそなえる法規範(近代的または立憲的意味の憲法)をとくにさす用法が行われるようになった。(世界大百科事典第2版)

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 憲法というものは、大枠では国の在り方を決めたものであり、もっと大まかな言い方をすれば、「国のかたち」を定めたものと言っていいでしょう。第一は「国民主権」であり、主権の行使は代議制といわれるように、各種選挙によって選出された議会議員に委任・委託される。総ての人民が参加して議論をすること(直接民主制)は実際上は不可能であるがゆえに「代議制」がとられているのです。「民意」の尊重などと言われるものは、直接民主主義の趣旨を生かすための手法です。したがって、各種の課題に関して「民意」「世論」等が尊重されなければ、権力行使が偏頗なものになり、民意とは異なって、あらぬ方向に独走することになります。

(初当選した河合杏里参議院議員「国防安全保障などの勉強をさせていただきたいと思っています」と抱負を。後に選挙違反の罪で議員辞職。こんな連中が議事堂にひしめいている。2019年8月1日)

 二つの新聞の「二つのコラム」が述べているのは、時代背景は異なっていても、権力行使は細心の注意力を払って行うべきであり、それがうまくいかなければ「責任」を負う(とる)べきであるということを示しています。誰が見てもそういうに違いありません。戦時中はともかく、現下の状況にあって、国全体にとっても大きな問題が発生しているにもかかわらず、国会を開かないというのは、「言論の府」の自殺行為あります。人民の負託を無視した暴力というべき奸計・仕業ではないでしょうか。 

 憲法を読まない、憲法に関心すら持たない、そんな「代議士」群によって、国政も国民もは拉致されているのです。驚くべきことに、この国はいまだ独立してはいないのです。建前だけは独立を装っているだけです。それだけ、政治の遅れが顕著であるのですが、その一因は国民の政治的関心の脆弱さに起因します。あえて、国難、災厄などという、まがまがしい言辞を弄するのは、「コロナ禍」に対してではなく、政治家諸氏の怠慢・怠業の看過しがたい状況に鑑みてであります。

 ひるがえって、その矢は人民自身に向かってくる。国のタガが外れていますね。誰かが嵌めなおしてくれるのでしょうか。あるいは、タガだけではなく、本体も、すでに腐敗・腐食しているのかもしれません。もはや手遅れか。ぼくたちの戻るべき「初心」はどこに求めたらいいのでしょうか。いつも言うように、それは、今の状況を導いた、過去に認められる、取り返しようのない間違いを犯した地点であることは疑えません。ならば、戦前の、錯乱・狂乱状態に立ち戻ることが求められるのではないか。(それじゃ、今とあまり変わらんじゃないか、いや、そっくりかもしれんぞ)

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。