作品が背後に湛える「静かさ」はなにを語るのか

 【正平調】小紙夕刊で「ひょうごきり絵探訪」を連載中の前田尋さんの師匠は故加藤義明さんだ。日本の切り絵美術を切り開いた先駆者で「東の滝平(たきだいら)、西の加藤」と並び称された◆紙とナイフの芸術、切り絵。鋭い刃による描線が複雑な陰影を醸し出す。東京の滝平二郎さんは人々の暮らしや表情を詩情あふれる画風で表現した。加藤さんは大阪の街並みや祭り、民話、落語、文楽を描いた◆NHKドラマ「けったいな人びと」のタイトル画を制作し地下鉄淀屋橋駅ホームの巨大壁画も作った。高度成長期以降、著しく変貌する大阪に腰を据えて、守るべき上方の情景を大胆かつ繊細な線で描き続けた◆「切り絵の可能性を追求する」。七夕の下げ飾りや奥三河の花祭りの「ざぜち」など各地に伝わる紙の技を調べ歩いた。寡黙だったが、内に燃えるような情熱があった◆戦時中、疎開先の柏原中(現・柏原高)で学んだ。丹波市山南町出身で後輩に当たる前田さんは残された約60点もの名作群の保管や展示を各地の美術館などに依頼した◆しかし行き先は決まらず、梱包(こんぽう)された状態で大阪の喫茶店に保管されている。このままでは散逸しかねない。今年で没後11年、生誕90年になる。切り絵にかけた師の思いを未来につなぎたいと前田さんは願う。(神戸新聞NEXT・2021/08/23)(註・上記の展覧会は、コロナ感染拡大中のため、すでに中止が決定されています)

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○ 切紙絵(きりがみえ)=紙を鋏(はさみ)や小刀で切り抜いて形をつくり、台紙に貼(は)り込んだもの。切絵ともいう。紙を切る切紙の手法には紋切り、切り抜き、ちぎり、中国の剪紙(せんし)などがあり、紙工芸の一つ切紙細工として古くから生活文化と結び付き、世界各地で行われてきている。これを絵画的表現の一つとして用いるようになったのは近代以降のことである。/ ヨーロッパでは、黒い紙を切り抜いてつくったシルエットの肖像画が、18世紀後半から19世紀のドイツやイギリスで流行し、当時高価であった写真にかわるものとして人気を集めた。デンマークの童話作家アンデルセンも、自作の登場人物を切紙で残している。

 日本では、江戸後期の喜多村筠庭(きたむらいんてい)の『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』(1830序)に、寛文(かんぶん)年間(1661~73)行われた、紙を畳んで種々の紋を切る「はさみ切り」や、現在まで寄席(よせ)芸として伝わる「紙切」の祖のような芸が記されている。明治初年、三井高福は『剪綵(せんさい)大意』を著し、三井家伝来の剪綵(切抜き絵)の技法や秘伝を伝えた。

 近代以降では、染織家芹沢銈介(せりざわけいすけ)が型染めの技法を和紙に応用して優れた作品を残し、詩人高村光太郎(こうたろう)の夫人智恵子(ちえこ)(1886―1938)が晩年の病気療養中に制作した紙絵は、みごとな芸術作品として知られる。また、天才的な放浪画家、山下清(1922―71)にはユニークな「ちぎり絵」の作品がある(右)。フランスの画家マチスは、晩年の1943~48年のバンス定住時代に切紙絵に専心、その作品は『ジャズ』のタイトルで出版(1947)されている(左上)。

 今日では「きりえ」の名で新しい絵画表現のジャンルとして一般に普及しているが、この名称は1969年(昭和44)『朝日新聞』に滝平(たきだいら)二郎(1921―2009)の作品が連載されるに際して命名されたものである。(ニッポニカ)

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○ 芹沢銈介(せりざわけいすけ)(1895―1984)=染色工芸家。静岡市生まれ。東京高等工業学校図案科卒業。当初図案家を志したが、柳宗悦(やなぎむねよし)の著書『工芸の道』を読んで民芸運動に参画し、1928年(昭和3)には大礼記念国産振興博覧会で見た沖縄紅型(びんがた)に触発されて、染色の世界に入った。紅型を基礎にした型染めによる農村風景や生活周辺の器具のほか、とくに装飾文字「いろは」「春夏秋冬」には定評があり、染色のほか、版画装丁、家具設計、民芸品のコレクターとしても知られる。56年(昭和31)自ら創始した型絵染技法により重要無形文化財保持者に認定された。倉敷市の大原美術館芹沢館(1963開館)、静岡市立芹沢銈介美術館に多くの作品が集められている。(ニッポニカ)

○ 滝平二郎(たきだいらじろう)(1921―2009)=版画家、切絵画家、児童出版美術家。茨城県新治(にいはり)郡(現、小美玉市)の農家に生まれ、石岡農学校を卒業。18歳ころより版画に取り組み、第二次世界大戦後は人民美術を目ざして版画絵本『花岡ものがたり』(1951)を製作。1969年(昭和44)より9年間『朝日新聞日曜版にさまざまな主題の「きりえ」を連載、読者より絶大な支持を得て一躍切絵の第一人者となった。絵本作品では斎藤隆介(りゅうすけ)の短編に絵をつけた『八郎』(1967)、『三コ』(1969)、『花さき山』(1969)などが著名。[上笙一郎]『『滝平二郎きりえ画集』全7巻(1972~74・講談社)』▽『『滝平二郎作品集』全15巻(1983~85・岩崎書店)』(ニッポニカ)

○ シルエット=元来は黒紙を用いた切紙細工の人物肖像。のち影絵一般をさすようになった。18世紀フランスの財政監督官シルエットEtienne de Silhouette〔1709-1767〕の緊縮財政策により,高価な絵具を使わず切紙細工の人物肖像や黒く塗りつぶし,輪郭を主とした人物肖像画が流行したことからこの名が起こったといわれる。(マイペディア)

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 この分野の作品を意識して見始めたのは 芹沢銈介 氏のものだったと思う。早くから柳宗悦さんの仕事に目を奪われていたさなかだったように記憶しています。もともとは染色家だった。その芹沢さんは実に広範囲に活動を深めた人で、その一つ一つに目が洗われるような気がしたものです。作品は、実に素朴で実直そうな、生活に密着して「民芸」と称されるのふさわしい佇まいを示していました。また、彼の装丁した書籍も、何冊かいまだに本棚に並んでいます。こんなことを書いていると、柳さん、バーナード・リーチさん、浜田庄司さんなどなど、特に戦後の民芸運動の旗手たちが、懐かしく思い出されてきます。

 ついで、よく作品(複製)を手許において熟読玩味するがごとくに、鑑賞したのが滝平さんでした。ある新聞(今もあるかしら)の連載で何年も続けられた、その作品を「切り抜き」して、今も保存してあります。滝平さんの作品を前にして、熟読ならぬ熟鑑しているうちに、観ているぼくは作品の一部になってしまうような、そんな錯覚を何度か味わったものです。この間にも、ぼくは山下清さんの「貼りえ」を眺めつづけていました。夜空に高く上がった大玉の花火、その満開の瞬間の、なんという静けさだろう。沈黙する「花火」の爽やかさを教えてもらったように思います。

 ぬり絵でも貼り絵でも切り絵でも、それが扱う題材がどんなものであれ、いったん作品として出来上がると、なんとも形容のしようがないような「静謐」に満たされる。それは、ぼくには驚きであると同時に、観る人、読む人の「精神の浄化」とはこういう作品から感じ取る、深い印象の作用ではないかと感じ入ったのです。一つの作品がは背後に湛(たた)えている「静かさ」は、声高ではないが、きっと何かを語ろうとしているのです。それを聞きとるために、ぼくは作品の前にた佇(たたず)む。(少し前に、どこかで触れた相田みつをさんの仕事ぶりにも、この方々の作品には共通するものがあるように、ぼくには思われました。相田氏の「書画」には、少しばかり「元気」がありすぎるようですが)

 加藤義明さんの作品は、それほど熱心に見たのではありません。本日の「コラム」で、まるで不意打ちを食らったように、加藤さんに出合い頭でぶつかったという風でした。迂闊にも、死して十一年だったとは。申し訳ない。上方落語にも、一時期は相当にはまり込んでいましたし、まだ高校生くらいのときには、どういうわけだか「文楽」に目を奪われていたことがあった。そんな時に、きっと目にしたのが加藤さんの「切り絵」でした。派手ではない、誠実そうな人物が、今そこで仕事をしていると言った雰囲気を感じて驚嘆したほどでした。それにしても、紙の持つ柔らかさが、その作品が醸す柔らかさにも十分に生かされている。もっと丁寧に、加藤さんの仕事から学ぶ必要があったと、いまさらのように、彼の仕事の意味を考え出しているのです。壊滅寸前の「大坂」を偲ぶよすがとして。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。