某(なにがし)とかや言ひし世捨て人の、「この世の絆(ほだし)、持たらぬ身に、ただ、空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、真(まこと)に、然(さ)も覚えぬべけれ。(「徒然草」第二十段)
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「世捨て人」とは、いろいろな解釈がありますが、要するに「出家した人」「桑門(そうもん)」をいう。「桑門」は梵語の「śramaṇa」、僧侶を指す。「沙門」に同じ。なかなか細かい取り決めがあるようですが、ぼくはスルーします。さらに言えば、「世捨て人」には二通りあって、一つは「出家者」=僧侶であり、他は無用者。世を捨てたのではなく、世の中から捨てられたきらいがある人です。世が捨てた人と世を捨てた人、でも似たようなものだという感もします。あるいは、「世が捨てた・世に捨てられた者」、こちらが圧倒的に多いのではないでしょうか。剃髪の有無は問わない。世の中と縁を切った(つもり)の人を指して言ったと、ぼくは捉えたいですね。いずれにしても、元来は仏門につながって、「善に努め、悪をなさず、身心を制御して悟りを得るために努力する人をいう」とあるように、釈迦の一党・一門の人でした。実際は、ご存じの通り、善行は忘れて、悪事に走るという始末。今もまったくその通りといえば、差しさわりがありますかな。

兼好さんのいう「某」はどの程度の「沙門」だったか、少しもわからない。でも「この世の絆(ほだし=縛り)」を一切持たない人とありますから、出家か家出かは別として、世間との交渉を断った人です。その人にして、「ただ、空の名残 のみぞ惜しき」といっているのです。この「空の名残」は、ぼくには理解が届かない表現です。「空」は「天(そら)」であって、時間とともに刻々と動くような「空(雲をも含む)の移り行く変化」をいったとみてもいいでしょう。太陽が出ているうちは、移り変わる段階の区別もつかないが、やがて陽が沈みかけると、「空模様」が著しく変転する。あるいは千変万化という形容詞を使っていいかもしれない。「夕焼け小焼け」もその一種です。
○ 沙門(しゃもん)=出家者の総称。サンスクリット語のシュラマナ śramaṇa に相当する音訳語で、勤息(ごんそく)、浄志(じょうし)などと漢訳する。剃髪(ていはつ)して善に努め、悪をなさず、身心を制御して悟りを得るために努力する人をいう。彼らは古代インドにおいて、正統的伝統的な思想家であるバラモンに対して、古来の階級制度やベーダ聖典の権威を否認した革新的な思想家であり、民衆のことばである俗語を使って教説した。仏教の比丘(びく)たちも沙門の一部である。(ニッポニカ)
「名残りの空」という言い方が思い出されます。「名残りの雪」と同様に、ある特定の瞬間に目にした「空」であり「雪」をいったのでしょう。名残は、名残りが惜しいといって、多くは「別れ・別離」を言いました。「名残り尽きない、果てしない」と流行り歌の一節にもありました。互いに手を振りながら、別れを惜しむ、しかし、姿が見えなくなってから、一層「名残り惜しい」という気が強まる物でしょう。それが、好きで仕方がない「想い人」「惚れた方」であれば、なおさらに、「ただ、空の名残のみぞ惜しき」という感情が募るのです。
芭蕉に「いざさらば雪見にころぶ所まで」という洒落た一句がありましたね。ぼくの好きな句です。思い切り時代が下って、昭和の砌(みぎり)、イルカ(本名神部としえ)さんに「なごり雪」がありました。「今 春が来て 君はきれいになった 去年よりずっと きれいになった」と詠ったのは伊勢正三さん。ぼくは彼の出身校の玉名高校まで行ったことがありました。惚れたら、どんなものでもよく見えちゃんでしょうね。「あばたもえくぼ」なんていうじゃないですか。冷静ではいられないんですね。とにもかくにも、」名残りは、なにによらず尽きないのですね。これらについては、別の機会に。

で、その「名残りの空」です。「別れ際の、空模様」といったところ、あっさり(下世話に)言えば、さしづめ「朝帰りの空」でしょうか。
「かへりつる名残の空をながむればなぐさめがたき有明の月」(藤原兼実) もちろん作者は九条兼実であり、「玉葉」という日記文学の作者でした。弟に慈円。歌はなかなかの恋歌で、ぼくには手が届かいないような心持を歌ったものです、たぶん、別世界です。「あの人が帰った、その時の空を見ていると、有明の月ばかりが美しく、わが心はいささかも慰められない」とかいうのでしょうか。「有明の月」は名残が尽きないように、日付が変わってもかすかに見える満月の後の月です。しばしば「後朝・衣衣(きぬぎぬ)の別れ」とも言います。それ以上は、ぼくには理解不能で、経験もありませんので、残念ですけれども、ここまで。

古今集にこんなのがありますね。「しののめのほがらほがらとあけゆけばおのがきぬぎぬなるぞかなしき」(よみ人しらず)ここにも、「名残りの月」の諦めきれない、忘れ得ぬ慕情というか感情(色情といったら下品かな)が流れています。あるいは、まだ肌のぬくもりが感じられる、彼の人の衣の香が、さらに別れを悲しませる。このような場面に関してぼくは、おおくは志ん生演ずる「廓話」で学んだだけですから(学校では、先ず教えてくれません)、頭でっかちというか、観念論、上辺の知識といったところです。
兼好さんに戻ります。この世に、一切の束縛を持たない身であっても、ただ「空の名残」ばかりはいかんともしがたく、「忘れがたい」こんなことを言う坊さんがいたが、ホントにその通りじゃないですかというのは、兼好です。さすれば、兼好さんも、世捨て人さんも「名残の空」ということを「空の名残」という「隠語で」言い換えてまで、遥かの往時、自らが味わった「後朝」の別れを偲んでいるということだった、と。それはいかにも「下司の勘繰り」じゃないかといわれるかもしれないね。でも「勘繰る」ものはすべて「下司」だと割り切ってしまえば、「当たらずといえども、遠からず」じゃないでしょうか。嗚呼…。

「下司」という語を使いました。多くは平安期以降の「荘園」管理上の役職名でした。それを苗字にして「げし」という。これまでにも、何人かの「下司」さんに出会いました。「上司」=「上級」(都に鎮座していた)に対して、「下司」=「下級」(現地で汗をかいていた)という図式が成り立ちます。下司は下種、下衆ともいいます。人を店屋(丼)物のように「上・中・下」に分けるなんて(区分けの基準は「お金」のみ)、今も昔も、なんの代わり映えもしない、人間の性、卑俗(vulgarity)ですね。今日、「上級国民」とかいいます、それは、このような荘園の役職者を下から見た表現の模倣であり、同様に「下司の勘繰り」も、いろいろと含みを持った、上から目線とやらの侮蔑的表現だったと思います。
政治権力者を罵倒し、打倒したくなる、そのための批判や非難の口吻も、この伝で行くと「下司の勘繰り」ということになるんでしょうな。下司で結構、下衆といわれるなら、なお結構。上級も下級もあるものか、と勢いよく啖呵を切りたいところですが、この「上級」がとんでもない「食わせ者」ですから、啖呵の切りようがないですね。悲しくなると「おつきさん こんばんわ」といってみる。まるで中世に生きている心地がします。だから、文字通り「空の名残」が切実に身に染みるのでしょう。
・有明の月になりけり母の影 (其角)
・こんなよい月を一人で見て寝る (放哉)
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