感染拡大を最優先にしながら(俺は仆れるぞ)

~~~~~~~~

 【水や空】全域で緊急事態宣言 とりわけ印象に残ったのは「密です、密」。ステイホーム(家にいよう)に東京アラート(警告)と横文字が多い。東京都の小池百合子知事の新型コロナにまつわる“語録”は、やけに目立っている▲漢字8文字を用いて「難局を乗り越えよう」と訴えたこともある。「感染爆発 重大局面」。昨年3月下旬の会見でそう繰り返した▲このままでは感染が爆発的に広がる、という深刻な呼び掛けだったが、この時の都内の1日の感染者数は41人。今では都内でその百倍を超え、多くの都道府県で「爆発的な感染拡大」という極めて厳しい局面にある▲長崎県もまた「爆発的」となり、きのう初めて県内全域に県独自の緊急事態宣言が発せられた。県外との行き来や飲食での感染が多く、若い人が感染する割合が増えている▲会見で中村法道知事は「いろいろな要請をしてきた経緯もあり、ご協力を頂きにくい状況になりつつある」と述べた。あれこれ自粛をお願いしてきたが、届かなくなってきた、と▲何かを大きく変えるのではない。いつもは共に生活していない人と触れ合う場を、なるべく減らしてゼロに近づける。私たちにできること、必要なことは少しの心掛け、少しの行動の変化に尽きる。地方に及んだ「感染爆発 重大局面」に皆が「少し」を持ち寄りたい。(徹)(長崎新聞・2021/08/20)

 【水や空】相変わらず〈週4回出掛けていた買い物を週2に、5人の会合を2人にできれば、接触機会を半分にできる〉-政府が緊急事態宣言のエリア拡大を決めた一昨日、新型コロナ対策分科会の尾身茂会長が記者の囲み取材でこんなふうに訴えたそうだ▲コロナの流行が本格化して「新しい生活様式」が提唱され始めた昨年の春ごろ、こんな話をよく聞いた気がする。だから、目新しさはない。「既に実践済み」の人も多かろう。ただし、とても具体的で分かりやすい▲第5波の猛威が止まらない中、自身の行動を再点検してみるための物差しにはなりそうなメッセージである。ただ思う。言葉で人々を動かしたり、逆に動きを止めたり、もう何回も何回も書いたが、本来それは政治の仕事だ▲同じ日の首相の会見。どこを見ながら誰に話しているのか分からない、力のこもらない話しぶりは相変わらずだ。何かを変えたい、と本気で考えているのだろうか、あれで▲もう演説の巧拙ではなく、実は総理大臣としての“向き不向き”の問題なのではないかとさえ感じる。すっかり自信を失って見えるのは気のせいか。カラ元気も元気のうち…そんな言葉を思い出した▲雨が続く。迫力も覚悟も感じられない政府の対策よりも感染防止には効果的か、と複雑な気分で雨雲を見上げてみる。(智)(長崎新聞・2021/08/19)

~~~~~~~~~~~~~

~~~~~~~~~~

 大変に珍しいことですが、一年半、駄文の粗製乱造を継続してきて、初めて同じコラム(二日分)を使うことになりました。これはあくまでもぼくの好みの問題であって、他意はありません。また雑文や駄文の切り口に「コラム」を使うのも、要するにぼくの手抜きのせいです。高尚な学理や高等論文はまったく性に合わないし、文学趣味も薄っぺらなものですから、他人様にお読みいただけるような代物(家電ではありません)ではないのが、残念です。各紙のコラムは、いわば「マクラ・まくら・枕」のようなもの、まくらの振り方次第で、駄文雑文はどこにでも飛んでいくのです。行方不明になる。計画性は皆無だし、校正は一切やりません。流行作家並みに「書き下ろし」の、ぶっつけ本番というのも烏滸(おこ)がましいのですが、なにこれは「自主トレ」なのだからというわけで、なにかと勝手次第でやり放題を通しています。

 多くの方にお読みいただくようなものが書けないのは、身の丈に合った能力のしからしむるところです。一人でも二人でもお目を通してくださるだけで、書き手であるぼくは望外と喜ぶのです。肝心なのは「自主トレ」の質と量ですね。両方ともなかなか底が上がらないのは、小生の活力そのものが切れかかっているからでしょうか。ともかく、始めた動機(動悸)は、記憶力(ぼくにあるとして)の下落防止、その一点です。ここまで来て、トレーニングの効果はあったか、ぼくの自己判定では著しく不調、救いがたいほどの乱調です。理由はわかっています。扱う素材が悪いこと、これが最大の原因というか、理由です。ホントか?

 本来、政治ネタは好きではありません。社会問題と一括りにすれば、何でも入りますから、時には政治や政治家に触れる程度と、当初は予測していたのですが、暗に相違して、書けば政治家罵倒みたいなことになるのは、まことに不本意です。花鳥風月、猪鹿蝶々・山紫水明、行雲流水、空即是色などというわけのわからない呪文を唱えていたいのです。しかし、その呪文の効力も、近年頓(とみ)に不調・乱調、唱える甲斐もないというほどに悲惨なことに成り下がっています。だから、つまらない文章になるのだというのは、意味不明の弁解のようで、愚愚愚昧千万。

 $$$$$$$$$$ 

 この島全体を一つの「学校」に準(なぞら)えてみます。大小交えて47クラス。まるで赤穂義士の数のようです。建前は民主主義ですから、選挙権は平等が原則。しかし、やたらに大きいクラスが偉そうにしているし、害悪を垂れ流す張本人でもあります。それぞれのクラス担任も所属教員も校医も保健師もいます。出来のいいもの悪いもの、それぞれが自前で選んだことになっていますから、出来の悪い担任を辞めさせるのも簡単ではありません。

 だらだらと無意味なことを言っていても仕方がありません。要するに、この島の学校は学級崩壊ではなく、学校崩壊を起しているのです。校長は、気もそぞろで、もう仆れる寸前だし、各クラスの中には、校長の後釜を狙おうなどという不届き者もいる始末。クラスの生徒たちは、そんな担任からみれば、邪魔なだけで、少しも言うことを聞かない。面倒をかけるばかりと悪しざまに罵しられているような状態です。一番大きなクラス担任は、一時は「女帝」とか「女王」などという珍奇な称号を贈られていましたが、最近はほとんどクラス経営にやる気を失っています。この担任も、仆れる寸前という噂が飛び交っています。

 学校の経営者はだれか、これがよくわからない。おれだ、私だと、有象無象が名乗りを上げるのですが、じつは学校崩壊を防ぐ手立てを考えているのかと思いきや、校長の跡目争いに、徒党を組んで参加しているだけという調子です。悪いことに、感染病が流行っている最中に、大運動会を開く開かないで揉めていたのです。しかし「私は主催者ではありません」ととぼけた口をきいていた現校長が「とにかく開くんだ」と、押切り、その始末のめどさえ立っていません。この運動会に全国民から集めた税金をぶち込んだのです。今判明している分だけで三兆円余。

 学校崩壊を防ぐ方法はただ一つ、学校をなくすこと、そうです、「蔓延防止措置」ではなく「学校廃校措置」をとることです。校長は首(馘首≠ギロチン)、担任はクラスごとに選挙(状況が少し落ち着いてから)。学校を取り巻いて、上げ足ばかりをとっていた学校周辺者(いわゆる官僚や政府周辺者たち)は総て解雇(希望者は各地区の学校に転校・編入)要するに、大きな政府も議員たちも官庁連もいらない、各地域に根差した行政が機能すればいい。タリバンのようになるのは望みませんが、かといって中国みたいに「中央集権」も御免被ります。地方分権でも地方主権でも、名称は何でもいい。D通だのPA✖✖Aだのという、税金をかすめ取る盗人のような企業が仕事にありつけないような、当たり前の経済社会をつくる第一歩を踏み出す時期じゃないですか。

 日本全体が一つの学校だったのを、各地域が一つの学校になるような仕組みを作り出す。今のままで十分に可能です。政府や官僚が崩壊しているのですから。自給自足・自前主義を立て、さらに他地域と協力しながら、必要な手当てを眼に見える形において遂行する、そんな普段着のままでできる政治風土を育てたいですね。地域同士が「結い」を育てること(地域合併)も可能にする。それが出来なければ、将来は見えてきません。そこでは、一人一人の住民は、納税者として地域政治に参画する権利と義務を持つのです。ここにきて、ようやく「江戸幕府」が終焉を迎えたということです。もう一度、「(明治)維新」をやり直す(「大阪維新」とか「日本維新」とかいうのは、金輪際ごめんだ)。今日までの百五十年の「まちがい」を踏まえれば、なにか新しい社会、小さな社会が作れるのではないでしょうか。人口二十万くらいの集団社会なら、もう少しましな行政が可能でしょう。山片蟠桃の「夢の代」は、装いを新たに、どこかに存在しているような気がします。(詳しいことは別の機会に)

__________________

投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)