チャンスは一度しかない

ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相(2021年4月21日撮影)。(c)ROBERT KITCHIN / POOL / AFP

 NZ、3日間のロックダウン 半年ぶりに市中感染確認 2021年8月17日 16:11 発信地:ウェリントン/ニュージーランド

【8月17日 AFP】ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン(Jacinda Ardern)首相は17日、変異株「デルタ株」が疑われる1件の新型コロナウイルスの市中感染が確認されたことを受け、3日間のロックダウン(都市封鎖)を実施すると発表した。市中感染が確認されたのは半年ぶり。/ テレビ演説でアーダーン首相は、デルタ株を「ゲームチェンジャー」だと指摘。「打ち勝つことができなければ、何が起こるかをわれわれは他国で見てきた。チャンスは一度しかない」と訴えた。(c)AFP

 緊急事態宣言、対象地域拡大 東京パラ開幕まで1週間2021年8月17日 22:31 発信地:東京

【8月17日 AFP】政府は17日、緊急事態宣言の対象地域に7府県を追加した。東京パラリンピック開幕まで1週間となる中、国内の新型コロナウイルス感染者数は連日のように最多を更新しており、政府は対応を迫られている。/ 緊急事態宣言は、飲食店やバーに酒類の提供禁止と午後8時までの営業時間短縮を要請するもので、すでに東京など6都府県に発出され、今月31日が適用期限となっていた。/ しかし、菅義偉首相は、対象地域を拡大し、全対象地域で期限を来月12日まで延長する方針を示した。  最近は、全国の1日当たりの感染者数が過去最多の2万人を超える日もある。16日にはパラリンピックをめぐり、児童・生徒らが観戦するプログラムを除く無観客開催が発表された。/ パラリンピックの選手や関係者は、定期的な検査や移動制限など、新型コロナウイルス対策による制限の対象となる。/ 政府は東京五輪とパラリンピックの開催が感染者急増の一因と裏付ける証拠はないと主張。最近の世論調査では、国民の多くが五輪開催に好意的な考えを持つ一方、五輪が感染拡大を加速させたと考える国民も多くいることが分かった。/ 一部の専門家からは、大規模な国際イベントである五輪の開催が人々の外出や飲食店などの営業継続を促し、政府のコロナ対策に影を落としたとの指摘も上がっている。(c)AFP

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 上の三枚の写真(右から昨年4月7日・感染者は87名、中は本年5月21日・感染者649名、右は8月13日・感染者5773名。いずれも都内で)から、何が読みとれるのでしょうか。いろいろなことが言えそうですが、こと感染拡大を防ぐという観点から見れば、政府も行政も民衆も、揃いも揃って「無知」であり、「知らぬが仏」であり、「怖いもの知らず」というところかもしれません。Ignorance is bliss.(無知は至福である)と、洋の東西で同じような人情・世相が見て取れます。でも、コロナ禍において「無知は至福」、あるいは「知らぬが仏」というのは穏当ではありません。いずれ、きっと後悔する。そして「後悔先に立たず」という羽目になるのです。「後悔を先に立たして後から見れば、杖を突いたり転んだり」。では「転ばぬ先の杖」とは、この危難にあってはどういうことを指すのか。

 大勢が船に乗り込んで、いきおいよく船出した。誰も知らないが、船底にはいくつかの穴が開いている。その上に茣蓙(ござ)が敷かれているので誰も危険であるとは気が付かないのです。やがて、沖に出ると、突如、船に水が入り込んできた。「知らぬが仏」といいますが、誰かはきっと、こうなることを知っているのですね。もちろん、船に乗り込むことはしなかった人に違いありません。ぼくは、この一年半の状況を、素人なりに眺めていて、つくづく考え込んでしまったことがいくつもあります。第一は、為政者というものが、けっして「国民の命を最優先にする」ということをしないという点。これは歴史が示してきたことです。もっとも大きな経験は戦時中でした。汝、臣民などと猫なで声をして、「一銭五厘の赤紙で」呼び出して、野末の露と消える定めを知っておりながら、戦地に放棄したのです。呼び出した側は決して「戦場」には赴かなかった。「転ばぬ先の杖」とは、「お上」の猫なで声に、尻尾を振らないことです。

 たった一人の「感染者」が都市に出た途端、全土をロックダウンするという為政者がいます。「(デルタ株は) ゲームチェンジャー」「打ち勝つことができなければ、何が起こるかをわれわれは他国で見てきた。チャンスは一度しかない」 と。NZのワクチン接種率は日本ほどではありません。「ワクチンは特効薬」と、国民を残らず「船」に載せようなどと、煽るようなことはしていません。彼我の政治家や為政者の比較をしようというのではありません。しても始まらないし、したところで、この島の政治家が劇的に変貌するハズもないからです。国民に似合った為政者というのでしょうか。NZは、人口が日本の二十分の一だからできるのだというなら、それはこの島で果断な政策をとらないための「下らぬ理由」にしかならないでしょう。 

 「一将功成りて万骨枯る」という。「[由来] 唐王朝末期の詩人、そうしょうの漢詩「がいの歳」の一節。戦乱に苦しめられる庶民の暮らしを心配した上で、「君にたのむ、かたかれほうこうの事を、一将功成りて万骨枯る(お願いだから、軍功を挙げて高い地位を得たいなどと言わないでくれ。一人の将軍が功名を上げる陰で、おびただしい数の人骨が朽ちていくのだから)」とうたっています」(ことわざを知る辞典)

 ぼくもここで、同じことを言いたいですね。「君にむ、かれ封侯の事を」と。何のために、その地位にいるのか。功名が辻にしか立たないような「一将」に、人材がいるとはとても考えられないのです。もっと有体に言えば、功名を挙げるためにこそ、災厄を起しているのではないか。さらには「民信無くば立たず」(「論語」)ともいっておきたい。今更、そんなことをいったところで無駄ですが。「猫に小判」か、「豚に真珠」か。あるいは「菅に政治」か。 そこにいることがもっとも危険な劇薬になる、そんな人間が椅子にしがみついている。ほとんど酩酊状態にあるのではないですか。一刻の猶予もない、直ちに去ってほしい。

 この島の無為無策を看板にしている為政者は「政府は東京五輪とパラリンピックの開催が感染者急増の一因と裏付ける証拠はないと主張」「国民の健康と命を最優先で守るのが責務」と空言・虚言をするが、実際には、何もしないでこのコロナ禍をやり過ごしてきました。ただ今は「Y市の市長選挙」に血眼で入れあげていると言われます。ある候補者が当選しなければ、己の地位が危ういと感づいているからです。国民の健康も命も、おのれが「座る椅子」よりも格段に低く見られているのです。でも、この猛々しい輩は、「長期政権を狙っている」という、卒倒するようなニュース(情報)が飛び交っています。(対立する陣営は「TK」という「ワクチン管轄」大臣を公認候補として担ぐそうです)(コロナ禍をそっちのけで、「権力争い」に終始しているという悍(おぞ)ましさです)

 責任は取らない、権力だけは握っていたい、こんな人物が枢要なポストにしがみついている、その時間が長ければ、それだけ、ぼくたちの運命が危殆に瀕する度合いが高くなる。ぼくはこのところ、「未必の故意」という言葉を反芻しています。いや、ひょっとすると、それは「故意」かもわからない。要するに、この為政者たちは人民が苦しみながら死んでいくという結果を十分に予測しながら、無為・無策を決め込んでいる。「敗戦の日」を迎えたばかりの、あの「戦争」の指導者を想起せざるを得ません。この犯罪行為は断じて許せない、人民に対するハレンチな反逆に値する犯罪行為であります。国民を危険な状態に落とし込んだまま、逃げ出したある国の大統領と瓜二つで、度し難い輩です。

● 未必の故意=犯罪事実の発生を積極的には意図しないが、自分の行為からそのような事実が発生するかもしれないと思いながら、あえて実行する場合の心理状態。(デジタル大辞泉)

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「これから、ワクチン接種が40代、50代、さらには若い世代の方々へ進めば、明らかな予防効果が期待でき、はっきりとした明かりが見えてきます。10月から11月のできるだけ早い時期に、希望する全ての方への2回のワクチン接種の完了を目指してまいります。
 今回の宣言を解除する前提は、国民の命と健康を守ることができる医療提供体制の確保です。ワクチンの接種状況、重症者、病床利用率などを分析し、適切に解除の判断をしてまいります。その先には、飲食店の利用、旅行、イベントなど、社会経済活動の回復が視野に入ってきます。総力を挙げて取り組みます。皆さんの御理解と御協力を心からお願い申し上げます」(総理大臣記者会見の「一部」・2021年8月17日)

 「菅義偉首相は17日の記者会見で、あらかじめ用意した原稿を棒読みしているとの記者の指摘に対し「正確で速やかな情報発信は、国民の生命・財産を守るために極めて重要だ」と反論した。 大雨の被害が出た地域の避難所での新型コロナウイルス対策を巡り「緊急時は首相の分かりやすいメッセージが求められている。どのように伝えていくか」との質問に答えた」(東京新聞・2021/08/18)

 笑止千万とはこのこと。官僚(秘書官)によって書かれた原稿を棒読みすることが、どうして「 正確で速やかな情報発信 」になるのか、疑問なしとしませんし、それが「 国民の生命・財産を守るために極めて重要だ 」というところに、どうしてつながるのか。莫迦も休み休み言え、ということでしょ。記者から突然に、白紙状態のままで質問を受け、やおら「言語も意味も不明瞭な回(解)答」を捻りだすのと、あらかじめ書かれたものを(読み飛ばさないで、上手に読んだとして)、その差は一ミリというか、秒や分の単位でしょう。この質問もヤラセだった。「お芝居・記者会見」というべきです。ヤラセの政治にヤラセのマスコミ、両両相俟って、この島社会は奈落に向かって猛進しています。

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 いろいろな仕掛けが音を立てて崩れようとしている。でも、まだ破局には至っていいないと思いたいが、この災厄がもたらしたものは、災難ばかりではなかったとも、ぼくは受け止めている。政治や行政がどこを向いて仕事をしているか、それは前から分かっていましたが、さらにその実態が炙り出された。人命尊重は虚言であったという、この一点です。政治不信といわれるが、悪い者でも「政治」があればこそです。今のでたらめな連中のどこに「政治」が存在意するのか。利権に(たむろ)する魑魅魍魎を政治家と言わないのです。それどころか、人命にとって危機を生み出すという政治に名を借りた「暴力性」。民衆の、藁にも縋ろうという気持ちを、懐手をして嘲笑っている、そんな寒々とした「政治家風」を気取った連中の脂ぎった醜顔が、はっきりと見えている。政治を騙(かた)る輩こそが、何にもまして、人命にとって最も危険な暴力なのである。任にあらず、任に堪えず、それに気が付かないということが、ぼくには空恐ろしく思われる。こんなのを放し飼いにしておいては碌なことにならない。

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)