災害は忘れる間もなく、何時でもやってくる

 【水や空】五風十雨の願い「五風十雨(ごふうじゅうう)」という。5日に一度、風が吹き、10日に一度は雨が降る。農作物がよく育つにはそれくらいがちょうどいいと古人は教える。世の中が太平であることも意味するという▲小降りになったかと思えば、たたきつけるように激しく降りだす。いつ収まるとも知れないこの大雨は「十雨」から程遠い。県内各地で浸水、土砂崩れ、道路の陥没と、被害が広がっている▲〈私がいないと私を求め、私がいると私の前から逃げる。私はだぁれ?〉。東欧に伝わるなぞなぞの答えは「雨」。干天の慈雨は求めても、豪雨が迫れば逃げるしかない。県内では広く避難指示が出された。避難した先で心配を募らせる人も少なくない▲「災害級の大雨」はしばらく続くという。きのうはお盆の入りで、いつもなら帰省と墓参りの頃だが、コロナ感染の急拡大で帰省を控えた人、この大雨でお参りを見合わせた人も多いだろう▲実家に「ただいま」の声が響いたり、しんみりと物思いに誘われたりする例年の盆の光景とは違っている。首都の医療現場はコロナ禍で「災害レベルの非常事態」にあり、列島を「災害級」の危機や危険がすっぽり覆う▲程よく、ちょうどよく、例年のように。ささやかな願いのはずが切なる願いになっている。平らかな世を表す「五風十雨」を胸で唱える。(徹)(長崎新聞・2021/08/14)

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 たった今また、凄まじい「集中豪雨」が各地に大きな被害をもたらしています。「気候変動」とか「地球温暖化」という観点から、これまでにもさまざまな取り組みや計画が各地において実施されてきましたが、それ以上に、人間の活動による地球収奪行為とその結果の露見である「温暖化」現象が想定を超える規模と頻度で地球上のあらゆる分野をを襲っているということでしょう。大きく言えば、地球環境だけではなく、既に宇宙にまで環境破壊は及んでいるのです。「天に唾する」愚かしい行為といいますが、いたるところで特定の利益集団が吐いた唾は、いまやさまざまな地域を襲っているという、なんとも形容しようがない惨状です。因果はめぐるのです。

 少なくとも「集中豪雨」に関しても、早くからそのメカニズムや災害の規模や頻度(蓋然性)が警告されていました。以下に、相当に前の記事(十六年前)を出しておきます。この手の記録や指摘は、さらに遡って提示することが出来ます。(ぼくの悪趣味の一つで、このような分野における新聞や雑誌の記録保存は膨大な量になる)ということは、この環境破壊問題は何十年も前から議論され、その危険性がわかっていたということであり、それに対して「たかをくくっていた」各国政治や経済の世界は「我が道」を闊歩し、「我が世の春」を謳歌してきたということです。特に、この島国に限らず、政治経済界の傍若無人な振る舞いは許しがたいものがあり、彼等の主張や論拠には一分の正義もないというほかありません。まさしく「唾棄すべき輩」です。「利権・利益追求主義」が地球を壊滅させるということです。経済を軽んじるつもりはまったくありません。「衣食足りて、礼節を知る」という言葉の意味は、どのようなものだったか、それを改めて想起しようとしてるのです。

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 大雨増加:同一地域に集中傾向 地球温暖化が原因 1時間に50ミリ以上の雨が降る「短時間強雨」や1日の降水量が200ミリを超える「大雨」の回数が近年、大幅に増えていることが、気象庁の「地域気象観測システム(アメダス)」のデータ分析で分かった。地球温暖化の影響が主な原因とみられ、同庁気象研究所は「昨年の新潟県や福井県のように、同じ地域が繰り返し大雨に襲われるケースが増える可能性が高い」と警告している。(左は静岡熱海伊豆山の「大規模土砂崩れ」。土地造成業者などを相手に、被災者が裁判を起したという。八月十三日)

 同庁が76年に開始したアメダスの観測データを、10年ごとに区分して平均値を算出したところ、短時間強雨は76~85年が209回、86~95年が234回、96~04年が293回だった。大雨も76~85年が6.3回、86~95年が5.1回、96~04年が12.3回で、ここ数年の急増ぶりが目立つ。04年は短時間強雨470回、大雨30回を記録し、ともにアメダス観測開始以来最多だった。アメダスは全国約1300カ所にあり、設置個所数はほとんど変わっていない。

 気象研究所予報研究部によると、豪雨増加の原因は、温暖化で海水や河川の水の蒸発が盛んになって大気中の水蒸気が増え、発達した積乱雲を作るためと考えられる。/ また、理由ははっきりしないが、近年は年ごとに、湿った空気が流れ込む「水蒸気の通り道」が一定の場所に固定され、同じ地域で大雨を繰り返す傾向が強まっている。昨年7~9月に新潟県や福井県を繰り返し襲った集中豪雨や、今年6月28日と7月2日に新潟県や富山県などの北陸地方で相次いだ大雨も、この傾向の表れで、今後も同様のケースが多くなると考えられるという。/ アメダスのデータは陸上に限られるが、大雨の発生メカニズムを解明するには、海上での降雨データが欠かせない。同研究所は人工衛星を使って波や海水温を把握することで、海上の降水量を推測する研究を続けており「広いエリアの降水量の変動を観測することで、大雨の降るメカニズムの解明に努めたい」と話している。(毎日新聞・2005/07/05)

(細線(黒):各年の平均気温の基準値からの偏差、太線(青):偏差の5年移動平均値、直線(赤):長期変化傾向。基準値は1991〜2020年の30年平均値。)

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 昔は「雨が降ったら、桶屋(おけや)が儲(もう)かる」などといったものですが、近年では「雨が降ったら、山が崩れる、川が暴れる、人が死ぬ」のが避けられない事態となりました。「温暖化で海水や河川の水の蒸発が盛んになって大気中の水蒸気が増え、発達した積乱雲を作るため」ですが、さて、「温暖化」の原因はなんなのか。皆目わからないわけではなさそうですし、分かったところで、けっして一地域や一国の人間集団の諸活動だけによるものではないだけに、何処に活路を求めるか、容易ではないのでしょう。グローバルとは、こんなときに使うことばではないでしょうか。だからといって、一国が責任を逃れるものではないのですが。「宇宙船地球号」というのかしら?

 いまのような、政治に傾斜しすぎた「科学・技術」を駆使した、化石燃料に依拠した人間の諸活動が猛烈な勢いで、およそ百年ほどもつづいたのですから、それとまったくことなる生活スタイル(SDG’sというらしい)で長い時間をかけて生存活動をしてみなければ、さまざまな気候変動の原因を特定することはできない相談でもあります。ときどき、気象庁の公開されたデータなどを見ることがありますが、改善されるどころか、さらに悪化の一途をたどっているという、否定し得ない証拠を見せつけられている気がして、まことに暗澹たる気分にさせられるのです。そして、さらに、いよいよ「地球温暖化」「気候変動」のメカニズムを解明することと、それを克服するための方策の前途は限りなく困難であると思わされてしまいます。実際のところはどうなのか。ホントは簡単なことなのかもしれない。(ここにも「地球温暖化」陰謀説)があります。似非科学はどちらの味方・見方なんでしょうか)

 海面上昇も気候温暖化も、由るところは、化石燃料の無尽蔵を思わせる消費活動によるものです。その弊害は、半世紀以上も前からしばしば警告され、実害も生じていた。それを忘れたかのように、「脱炭素社会」「カーボンニュートラル」などと、今頃寝ぼけたことを言っているのがこの社会の政治家・官僚です。しかもそれは画餅であるとくるのですから、何をかいわんやです。

 国の借金が一千兆円を突破している、これをどうするか、いかなるっ処方もないのが実情です。「プライマリーバランス(PB)」という指標は繰り返し「改竄」されてきました。国の会計収支を均衡させるという夢物語は、いよいよ取り返しのつかない悪夢となってきています。(国民一人当たり「一千万円の借金」ということになる)脱炭素社会もそれと同じ道をたどるはずです。すべからく、要路の人間には真剣味がなく、あくまでも当座の儲け一辺倒がせいぜいであり、いわば刹那主義です。ツケを後代に廻すという、恥も外聞もない政治経済の運営を、一見まじめを装って展開していますが、早くもお里は知れています。線状降水帯は「超弩級の災害」をもたらし、コロナ禍は「超弩級の致命傷」を人命に負わせます。

 直言すれば、政治そのものが「超弩級の辛酸・災厄」を人民に与えているのです。天災といい自然災害というのですが、実のところそれは引き金を引いただけ、飽和点を示したに過ぎないのであって、根っ子には無作為という「人災」が温床になっているのはまちいありません。台風や豪雨は地球規模の災害をもたらしますが、その減少化や解決策作成のための協調(IPCCのような会議体もその一例)が、まったくなされないままで、ひたすら悪化の一途をたどるのでしょう。いわば、ここでも「総論賛成、各論反対」が常套手段です。

 「災害は忘れたころにやってくる」、このような意味のことを言ったのは寺田寅彦だとされています。何時のことでしたか。百年もたっていないうちに、なんと、災害は「忘れる間もなくやってくる」、そんな恐ろしい時代にぼくたちは棲息しているのです。誰も被災を免れることはできない。前から後ろから、上からも下からも、一寸の隙も無しに「災害」が狙いを定めて襲来しかかっています。いったい、これは何に起因するのでしょうか。

 「コロナ感染」拡大の渦中にあって、政治責任を有する者が「これはもう、災害です」「諸君、自分の命は、自分で守ってくれ」「もう面倒は見られない」といい出しています。不真面目極まりない、なんという背徳の言辞でしょうか。自力呼吸がある間は「自宅療養(これを療養というのか)で」と、頽廃のきわみを「顔色一つ変えないで」いえるという、真正の薄情筋です。人間の本性は、「いざ」という時に表されるというか、露見するんだね。この国に、政治も政治家も存在しないかの如くに終始しながら、いよいよ末期を迎えているような気がします。ついには、乾坤一擲、それが今です。

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●IPCC【アイピーシーシー】=気候変動に関する政府間パネルIntergovernmental Panel on Climate Changeの略。二酸化炭素の増加,オゾンホールの形成など人類による気候への影響を研究し,対策を立てるための資料を提供する目的で1988年に世界気象機関(WMO)と国連環境計画(UNEP)とによって設立された。1990年に報告書が出され,その中で二酸化炭素等の温室効果ガスの増加による気温の上昇,そのことによる海面の上昇,農作物の生産量などの見積もりを行い,これらのガスの排出規制について提言を行っている。1992年にはその後にわかったことについてのまとめが出されている。(マイペディア)

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。どこまでも、躓き通しのままに生きている。(2023/05/24)