”彼等果して人間なりや”

 【水や空】感謝の思い 急に態度を変え、従来とは正反対の対応をすることを意味する「手のひら返し」。先月23日の東京五輪開幕前から、この言葉がSNSなどで話題になった▲「五輪の選挙利用」などと開催に反対していたテレビコメンテーターらの態度が、開幕と同時に「感動した」へ変わったことへの反応である。予想通りとはいえ、確かにその変わり身の早さには驚いた▲でも、と考えてみる。そのどこが悪いのかと。人は周囲の意見を聞き、現場を見て、自らの考えを構築する。一貫性がないとも言われそうだが、それぞれの、その時々の考え方を否定する権利は誰にもない▲そんな不安定な世論の中でも、選手たちのプレー、コメントはすがすがしかった。浮かれず、開催への「感謝」を強調する選手が多かった▲中でも体操会場の一こまは印象的だった。競技終了後、日本チームは「運営スタッフの皆様ありがとう」と書いた横断幕を掲げた。涙が止まらなかったスタッフもいたという▲きょう8日、緊急事態宣言下で開かれた歴史的五輪が閉幕する。予想される手のひら返し返しはどうあれ、医療現場への影響や感染爆発との因果関係などは徹底検証されるべきだろう。でも、今はただ、全力を尽くした選手やスタッフのみなさんをねぎらいたい。「たくさんの感動をありがとう」と。(城)(長崎新聞・2021/08/08)

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 本日は八月九日。台風の余波なのか、くりかえす突然の降雨に、湿気がさらに増して気分はすこぶる快調です、とはいきません。ぼくにとってはじつに鬱陶しい、目障りな催事もようやくにして終わりました。五輪=二輪開催に反対であって、選手たちに何の恨みもないことは明らかです。なんで五輪=二輪開催に反対か、それについては愚見を述べておきました。スポーツは好きでも、それが職業や金銭が絡むと「たかがスポーツ」ではなくなる、それが嫌なんですね。かみさんは、ぼくの意図にお構いなしで、テレビで観戦していましたので、食事時など、どうしても目に入ってきます。若いゴルファーが「日の丸を背負っていたので、銀メダルが取れてよかった」という趣旨の発言が耳に入って、驚愕しました。なんで、そんなもの背負うんですか、背負わされるんですか、いくつもの愚問がおのずと湧きました。国旗を背負うと、それは「たかがゴルフ」ではなくなります。ぼくは下手なりにクラブを振りまわしますが、「たかがゴルフクラブ」だから、ぼくは勝手にふりまわせるんです。誰に気兼ねもいらない。職業がスポーツ、いうまでもなく、それはなんの問題もないのであって、それが好きか嫌いか、観戦する側の問題。

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 野球チームは「侍ジャパン」だとか。ここにも「たかが野球」じゃない、「勝ってくるぞと勇ましく」という戦闘集団がいる。サッカーは「なでしこジャパン」とか…、というわけで、「闘い済んで日が暮れて」、やれやれと思うのもつかの間、また「熱闘甲子園」とかいう(朝日新聞社主催の乱痴気)狂騒曲が始まる。学校を背負い、地域を背負う野球、だからと、いっさい面倒なこともいわないし、ケチをつけることもしません。「たかが野球」に憧れもし、実地にやってみて、これを飯の種にしようとは考えもしなかった、心身共に貧しかった、いまも貧しい「かつての野球少年」の独り言です。PLAYBOYだった頃が霞んで見える。

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 長崎に「原爆が投下された日」です。広島から三日の後に再び襲った惨事。広島も長崎も、かかる惨状を見ないで済ますことが出来たと考えるのは空想であり、幻想でしょう。敗色濃厚どころか、敗戦が決定的であったにも関わらっず、体裁や見栄(虚栄心)に気をとられて、あたら終結の決断を遅らせた結果です。二個の爆弾投下で、無辜の民十数万の命が破壊された。原爆被害は終わらないで、今に続いています。

 この時期の新聞報道は、厳しい統制下にあったから、真実の報道は不可能だったとされる。そうですか。統制下になかったら、ありのままの報道がなされていたのでしょうか。「(米の使用した新型爆弾について)防御さへしつかりやれば決して恐るべきものでないことがわかつて來た」「白い着物は熱線から受ける火傷を確実に防ぐ」「(この爆弾を落とした米国人に)”彼等果して人間なりや”の疑問を感ぜざるを得ない」このような記事を統制下で書いたのか、あるいは書かされたのか。いずれにしても「報道ではなく、広報だ」といわざるを得ないのです。今回の「二輪開催」に際しても、そっくり同じような「広報」が垂れ流された。傍らで、病院にも入れず、自宅で孤独死する人が放置されていたのに、です。大感染状態はそっちのけ、「そこのけそこのけ、二輪が通る」かね。

 《予想される手のひら返し返しはどうあれ、医療現場への影響や感染爆発との因果関係などは徹底検証されるべきだろう。でも、今はただ、全力を尽くした選手やスタッフのみなさんをねぎらいたい。「たくさんの感動をありがとう」と》

 「江戸の仇を長崎で」じゃないんですか。 いろいろと問題やおかしなところ、出鱈目のケースはあったが、もう終わったんだから「たくさんの感動ありがとう」というべしと、いうべしですか。これは「手のひら返し」とは言わないでしょうが、「終わりよければすべてよし(All’s well that ends well.)」という、実に陳腐な「チャラにする論法」じゃないですか。あんまり好きではない「ノーサイド」の強制ですよ。

 あるいは「一億総懺悔」を彷彿とさせるような「帳消し論法」がいたるところで見聞される。その足元にはまったく手付かずどころか、さらに悪化の一途をたどる「コロナ禍」に拱手傍観している、為政者もどきの狂喜乱舞が見て取れるのです。「さあっ、選挙だ」と魑魅も魍魎も、例外なしに浮き足だっている。選ぶ側も選ばれる側も、目先鼻先の利害得失を量るばかりで、この先の展望というものには目を閉じているのです。国政選挙の形骸化は「政治家の形骸化」に拍車をかけるばかりです。「彼等彼女等、はたして人間なりやの疑問を感ぜざるを得ないのです。

 広島・長崎の災厄(もちろん、この島全体が被った被害であります)、この痛ましくも残酷な歴史的事実は、この先どのようにして人民の記憶に刻され続けるのでしょうか。先を見ない刹那主義が蔓延している現実にあって、いまこそ「蔓延防止特別措置」 が施され 、「緊急事態宣言」が出されるべきです。教育の出番でもあるのですが、これもまた、まことに心もとない。まず、核に関して、アメリカの核はいいけど、それ以外のものはどうかといわぬばかりに、核兵器禁止条約には口をつぐんでいる政治家どもが権力の座についている。抜け目なく「五輪は大成功」と恥ずかしい自画自賛です、けれども、肝心の核問題に関して、被爆地ではまったくの無視を貫いたのです。あまたの「選挙民」が愚弄されている明白な証拠じゃないですか。

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。