
【雷鳴抄】アルコール依存症 山男が酒に溺れるはずがないと勝手に思い込んでいた。中高年向け季刊誌に20年近く県内里山歩きのコース紹介を連載してきた増田俊雄(ますだとしお)さん(72)=宇都宮市=が、最終回で自身のアルコール依存症を告白し、驚いた▼年間80日も山に登り、自著も複数ある元県庁職員。数々の団体の役職を降りて時間ができ、酒量が増えた。日中から飲んで周囲に迷惑も掛け昨夏、群馬県の赤城山麓にある専門病院に3カ月入院した。依存症は誰でもなり得ると思わざるを得ない▼病院には各種プログラムが用意されていたが、それ以上に周囲に広がる緑豊かな環境が救ってくれた。入院9日目から毎日、森林散策を日課にし、楽しんだ。その思いを最終回に書いた▼依存症であることを告白すれば周囲から酒を勧められずに済む。新型コロナウイルス禍で飲酒を伴う会合がなくなったのも幸いした。退院後は「なぜか」飲みたいと思わず現在に至るという▼ただ、真に克服するには一生、誘惑に負けず断酒を続けるしかない。これから本当の闘いが始まる▼酒を断つには、通院の継続、抗酒剤の服用、自助グループへの参加の三つが重要とされる。もう一つ、四つ目に挙げられるのが依存症であることの告知だ。根強い偏見もあり、ちゅうちょする人は多い。依存症者の努力を支えられる社会でありたい。(下野新聞・2021/08/06)
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こんなことを書いてもあまり価値があるとは思えませんけれど、「アルコール依存症」と聞くと、ぼくは「果たして、自分はアルコール(薬物)依存症だったか」と、しばしば反省することがあります。かなり長期(半世紀以上)にわたって、飲みつづけていたし、途中で「止めなければ」と一度だって考えたことも、そのような行動に出たこともなかった。飲んで暴れたということも記憶にないし、飲んで管をまくということもまずなかったし、と悪いことは何もなかったように聞こえますが、けっしてそうじゃないでしょう。二日酔いはのべつだったし、家族をはじめ、多くの人間に迷惑をかけたに違いない。違いないというのは「自覚がない」証拠のようで、まるで寝覚めが悪いですね。「君はアル中だ」とかみさんにはいつも言われていた。「酒臭い」とも。そういわれれば「そうかもなあ」という程度の認識というか、受け止めしかしませんでした。酒の上での失敗は当たり前に限りなくありました。でも、その多くは他愛ないもの、本人はそのように受け取っている。周りに重度の依存症の人間がいたわけではないけれど、「これが、依存症なんだ」と思われるような人も何人かいました。

酒はうまいから飲む、それがぼくの常套句だった。憂さ晴らしのために飲むなんて、お酒さんに申し訳ないという心持ちでした。値段ではなく、味でいうなら、まずい酒は飲んだことがない。若い時は、アルコールなら何でも口にしたし、量も半端ではなかった。ある年齢を過ぎ、五十前頃からだったか、ほとんど日本酒しか飲まないようになった。それも年中、常温のお酒専門だった。ビールは口にしない。性格は几帳面ではなかったから、毎日何合という量り飲みはしたことはなかった。気分のままに、好きなだけ飲んだということです。五十を過ぎてからは五合程度。ほぼ毎晩でした。同じ銘柄だった。夕方になると、飲みたくなるのですから、りっぱな「依存症」だっただろう。それを心配したことはなかったし、第一「睡眠中は飲まない(当たり前)」のだから、大丈夫などと嘯いてさえいました。アルコール(薬物)類を横に置いて飲みつづけ、飲み疲れたら(眠ろうとしないのに)眠る、目が覚めたら、また飲みつづける、その繰り返し。そんなことはなかったし、その恐れもないのだから、「酒飲み」ではあっても「依存症」ではないと信じていました。酒にまつわるさまざまな事件や騒動には関心がなかったし、酒がうまくて、調子が良ければ幸いとばかり、半世紀以上も飲酒を続けてきたのです。(「抗酒剤」というものが何種類もあります。一方でふんだんに酒を売り飛ばしながら、もう一方で「酒を断つための薬」と、なんという矛盾・逆説か)
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● アルコール依存症=アルコール依存症は、薬物依存症のひとつです。ほかの薬物依存症と同じようにアルコール依存症も「脳の病」であり「行動の病」です。/ 薬物依存症の主な症状は、「強化された薬物探索・摂取行動」と規定され、脳に行動の記憶として刻印され、完治することがない病気です。長期にわたる断薬(アルコール依存症では断酒)をしても、少量の再摂取から短期間に断薬(断酒)直前の摂取行動にもどります。ほかの慢性疾患と同様に再燃(再発)しやすい病気です。/ アルコール依存症は普遍的な病気ですが、誤解の多い病気でもあります。アル中(慢性アルコール中毒)と同義ではありません。アル中は社会的、道徳的、倫理的なラベリング(レッテル貼りの言葉)であり、医学用語からは排除されています。

原因は何か 依存性薬物であるアルコールを含んだ嗜好品、すなわちアルコール飲料を繰り返し摂取すると、脳内へのアルコールの強化作用(その薬物の再摂取欲求を引き起こす作用、アルコールでは飲酒欲求)に対する感受性が増大します。/ 強化作用の機序(仕組み)はすべての薬物依存症に共通で、脳内の側坐核から神経伝達物質のドーパミンが放出されることによります。アルコールは、GABAA神経を介して側坐核からドーパミンを放出させます。/ この強化作用に対する感受性の増大が、飲酒行動を強化し、飲酒パターンが病的となって探索行動(何とかしてお酒を飲むための行動)を引き起こします。感受性の増大する速度は、強化作用に対する感受性のほかに、飲酒量、飲酒頻度などで変わってきます。/ 強化作用に対する感受性が高いと、飲酒量や飲酒頻度が高くなくても短期間で依存症に至ります。一方、感受性が低くても、飲酒量や飲酒頻度が高ければ短期間で依存症に至ります。すなわち、アルコールの強化作用に対する感受性と飲酒の反復とから、アルコール依存症が形づくられます。したがって、原因に性格や人格をあげるのは科学的ではありません。(六訂版 家庭医学大全科)
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人混みを避けるように、人里離れた山中(雑木林地帯)に移住してきて八年目を経過中です。これはどこかで触れましたが、越してきて二年目頃に、酒をぷっつりと飲まなくなった。以来、一滴も飲まない日が続いています。誰も信じようとはしないし、ぼく自身もそうだ、ということはない。欲しいとは思わないだけです。今だって、飲もうとすれば、いくらでも飲めそうな気がします。拙宅にアルコール類はかなりある。誰も飲まないから、「猫にでも」といっては、かみさんに叱られています。何故、止めたのか、理由はいくらもありそうでも、「ただ飲みたくなくなった」からさ、それがホントのところかもしれません。じゃあ、どうして飲みたくなくなったのか、そう訊かれれば、理由を探していろいろと論うことになる。それは無駄だから、ぼくは詮索しない。欲しなんですね、心身が。
断酒も、理由はあるようで、じつはないともいえる。そういう時期が来ていたということでしょう。長年いっしょだった夫婦が離婚するみたいなもので、なによりも「別れたくなった」「いっしょにいたくない」ということ。どうして「別れたいの」と尋ねられれば、なんとかかんとか理屈をつける。でも「覆水は盆に返らず」、前を向いて歩こうじゃないかとなれば、それで一件落着(ではなく、いろいろと後悔やら斬鬼の念やら、文句の言い忘れ、離婚後の後始末やらが襲い掛かって来るのかも)。離婚は断酒とは違う。でもね、よくない習慣や生活は、一刻も早く断ち切ったらよい。それだけです。とはいえ、世の中は、何事も簡単にはいかないものらしい。
「年間80日も山に登り、自著も複数ある元県庁職員。数々の団体の役職を降りて時間ができ、酒量が増えた。日中から飲んで周囲に迷惑も掛け昨夏、群馬県の赤城山麓にある専門病院に3カ月入院した」 「依存症であることを告白すれば周囲から酒を勧められずに済む。新型コロナウイルス禍で飲酒を伴う会合がなくなったのも幸いした」というのは増田さん。ここまで書いてくる間、ぼくの脳裏には「ストレス」という摩訶不思議な言葉が浮かんでは消え、消えては浮かんでいます。現代というか、近代の社会生活における「魔物」、それがストレスではないでしょうか。その浮き沈みする言葉(単語)にハンス・セリエという人が乗っています。若いころに、懸命に彼の著書を読んだことを思い出している。

● Hans Selye(ハンス・セリエ)(1907―1982)=カナダの内分泌学者。オーストリア生まれで、プラハのドイツ大学出身の医師である。若くしてアメリカに渡り、ジョンズ・ホプキンズ大学で研究生活に入り、のちカナダのマックギル大学に移り、1936年ストレス学説を発表した。1945年モントリオール大学の実験医学、外科学の教授となり、多くの医学賞を受けた。/ セリエの学説では、生体が細菌感染、薬物中毒、外傷、火傷、寒冷、精神緊張など、物理的、心理的な非特異刺激に当面したとき、その刺激に無関係な一連の個体防衛反応が現れることをストレスと称し、ストレスの原因をストレッサーとよんだ。ストレッサーは下垂体前葉→副腎皮質の内分泌系によって、ストレス反応を演じる。この反応は、生体が環境に適応するための現象で、汎(はん)適応症候群と名づけられ、警告反応、抵抗期、疲労困憊(こんぱい)期の3段階で進行する。この反応が過度になると、ストレス潰瘍(かいよう)のような病的状態になる。(日本大百科全書)
● ストレス(すとれす)stress=警告反応と訳される医学、生物学用語。生体に有害刺激が加わると、脳の特定部位や下垂体前葉の分泌細胞の活動が高まり、それによって副腎(ふくじん)皮質刺激ホルモン(ACTH)の分泌が増加し、その結果、血中の糖質コルチコイド濃度が上昇する。この下垂体前葉―副腎皮質系の機能上昇は、有害刺激から生命を守り、生命を維持するためには不可欠なものである。カナダの内分泌学者セリエH. Selyeは、ACTH分泌を増加させる有害刺激をストレッサーstressorと定義した(1936)。これは生体諸機能にひずみstrainを生ぜしめるものという意味であるが、現在このようなひずみをおこすことを含めてストレスとよんでいる。

その後、カナダの内分泌学者フォーティアC. Fortierは、ストレッサーをその有害刺激の作用の仕方から、神経性(音、光、痛み、恐れ、悩み)、体液性(毒素、ヒスタミン、ホルマリンなど)、ならびにこれら両者の混合した型の3種に大別した。これらの異常刺激に生体が曝露(ばくろ)されると、生体は視床下部―下垂体前葉―副腎皮質系の活動を高めて循環血液中に副腎皮質から糖質コルチコイド濃度を上昇させて自己を防衛する。その際、ストレッサーは、その種類によって生体にそれぞれ特異的な反応を引き起こすとともに、非特異的な変化を惹起(じゃっき)する。この非特異的変化は、生体がストレッサーに曝露されたときに生体に備わっている防衛機構を刺激して、生体に適応させて生命を維持するものである。しかし、有害刺激があまりにも強いと、適応機能は破綻(はたん)し、ついに疲憊(ひはい)に陥って死に至る。これら一連の反応過程を総括して、セリエは汎(はん)適応症候群general adaptation syndrome(GASと略す)と名づけ、次の三つの時期に区分した。(以下略)(同上)
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台風が房総沖を通過中で、激しい雨が降っています。(ただ今、お昼過ぎ)面倒な話になったのも、この酷暑さなかの雨台風が「ストレス」になって、軽量級のわが脳髄に襲い掛かっているからでしょう。面倒になるのは、ぼくのもっとも苦手とするところ。余計なことはどなたかに任せて、大雨の通り過ぎるのを待つのみです。ストレスは「重くしない」のが最良の策ですから、重くなりそうな道を避けることにします。
ストレスは人生には不可欠というか、なくせないものです。ストレスがないというのはどんな状態か。まったく刺激がないか、刺激を感じない状態です。空気がほとんど入っていない風船のようでもあります。これって、風船?生きているというのは「ストレスを感じる」状態をいう。問題は、「ストレス(負荷)」の軽・重です。乱暴な異説を言うと、仕事や人間関係などで心身に「重圧(pressure)」がかかると、それを軽減するため(express)に「飲酒」や「薬物摂取」に走るというのが、世人のよくとる方法です。他にいくらでも方法はあるのに、もっとも近づきやすいものに手を出す。「負荷」が軽くなることと「飲酒」「薬物摂取」が強く結びつくと、おそらく「依存症」という状況が生まれる。 「アルコール飲料を繰り返し摂取すると、脳内へのアルコールの強化作用(その薬物の再摂取欲求を引き起こす作用、アルコールでは飲酒欲求)に対する感受性が増大します」(上掲事典参照)
そこを上手にコントロールできないと、過度の薬物摂取や飲酒が常態化し、「依存症」が顕現するとみられるのです。ぼくが、「依存症」とまで言われるような状態にいかなかった(と、自身では考えている)のは、負荷(ストレス)が軽かったから、あるいは「重くならない前に解放」されたからでしょう。ぼくは「睡眠」の名人です。不眠症にかかったことはありません。これも「ストレス」の重量・重圧化を避ける大きな要因だと言える。この「ストレス」という「負荷」「圧力」の程度には、人それぞれに事情や状況が異なりますから、一般化して、なんだかんだ云々しても始まらない。酒やたばこは「依存」を引き起こす黄信号というか、常に身近にある「誘惑物」です。誘惑に身を任せることも一計であり、そこからの背馳もまた一計です。過ちは、人間の常であり、それを回避するのは至難ですね。

「酒は百薬の長」ともいうし、「酒は万病の元」ともいう。あるいは「酒は命水」とも「酒は涙か溜息か」とも。要するに、なんとでもいえるということ。腹が立ったといって飲み、いいことがあったからと飲む。雨続きだから飲み、猫が笑ったといっては飲む。なんだかんだと、飲む理由に事欠かないよと考えるのは、既に依存症の五段目あたり(中等症)まで来ている証拠。「酒は静かに飲むべかりける」と詠った若山牧水(1885-1928)は、紛れもないアルコール依存症だった。死因は肝硬変とか。「斗酒猶辞せず」、大層な酒豪だったとも言われています。終焉の地、沼津にて歿。享年四十三。(白鳥に「ストレス」はあったか)
白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ(牧水)
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