「羹に懲りないから、膾を吹かない」という理不尽

 【水や空】何を語る 〈この夏はワクチン接種を済ませた地方のおじいちゃん、おばあちゃんの所へ都会の子や孫が…〉-変異株の猛威は、そんな青写真や皮算用を吹き飛ばしてしまった。「県境を越える往来」は自粛の呼び掛けが続き、2年続けて帰省はお預けの夏▲そんな中でも要人や閣僚の往来は自粛の枠外だ。「なぜ」と問いたい人もいるかもしれない。きょう6日の広島と9日の長崎の原爆の日、菅義偉首相は県境を越えて東京からやって来る▲特別扱いに一言言いたい気もする。だが、逆に、もしも首相が新型コロナ感染の拡大を理由に式典への参列を取りやめる-とでも言い出したら、私たちは猛反発するだろう。「ヒロシマとナガサキは不要不急なのか」と▲平気な顔で来県されれば少しだけ首をかしげ、しかし「来ない」ことには大いに異議がある…それでは永遠の“後出しジャンケン”だ。きちんと自戒しておきたい▲ただ、そんな環境下でわざわざ首相は来るのだ。被爆地で何を語るか-いつも以上に厳しい視線が注がれていることは指摘しておきたい。黒い雨訴訟の上告断念で語った被爆者援護への思いは額面通りに受け取っていいか、核兵器廃絶への決意はどうか▲念を押しておきたい。「そんな発言のために来たのか」と被爆地を失望させないでほしい、と。(智)(長崎新聞・2021/08/07)

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 広島の仇は長崎で、という覚悟・自覚があるのかどうか。昨日は「失態」をやらかしたとマスコミはいうが、自分が何をしているかに興味も責任意識もない輩だから、「失態」などとは思ってもみないでしょう。そんな非難は心外であると、臍を曲げているかもしれない。原稿を留めるための糊付けがしっかりしていて、紙がめくれなかったという、だから悪いのは自分ではなく、糊を付けた奴だということさ。

 《 念を押しておきたい。「そんな発言のために来たのか」と被爆地を失望させないでほしい、と 》「智」さんは優しいのか、あるいは質が悪いのか。無いものねだりをしても始まりませんよ。数年前、アホのソーリの代理で沖縄に出かけ、時の県知事に対して「私は歴史に興味がないから、沖縄問題がどういうものかは知りません」といってのけた「タマ」ですよ。「沖縄なんかに興味がない、頼まれたから来ただけだ」というのです。だから、「権力行使」にしか関心がなく、他はすべて「余事」あるいは「他事」だという御仁、死んでも治らない「不誠実」そのものと切り捨てるばかりです。人民が自ら生み出した不幸は「任にあるべくもないものを枢軸につけてしまった」という選びそこない、選びまちがい。まさしく、その一事。「即刻の退陣」しか望まないのは、ぼくです。彼が一日職に留まれば、一日多くの不幸不吉が我々に及ぶ。とにかく、「緊急事態(辞退)」を宣言したいな。

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 本日は二十四節気でいうところの「立秋」、七十二候では「土潤溽暑」(土潤いて、むしあつし)。まことに鬱陶しいばかりの猛且つ酷暑、加えて二輪ピックのバカ騒ぎに、深刻なコロナ禍。「令和三年夏」は、後世、摩訶不思議な現象出来(しゅったい)として、長明や兼好の末裔たちによって特筆大書されるに違いありません。この異常事態に狂喜乱舞している「魑魅魍魎」は、古今東西、利権の臭いを嗅ぎ分け、まさしく神出鬼没と大童、闘いすんで日が暮れて、あとに残されたのは無辜の民の死屍累々とは、いかにも許せざる悪逆非道です。

 気を取り直して。立秋といいましても、猛夏の最中、酷暑は酣(たけなわ)です。この島は、温帯を通り越して熱帯に移動したと言いたいほど。気候変動の、地獄もどきの別天地です。おそらく芭蕉や一茶の時代から見ても温度は数度も上昇しているはず。それに反して、民度は計測不能なほどに落下。加えて、熱帯低気圧の異常な発生は、上下左右から劣島を襲来しきりです。

 むさ苦しい場面は変わらないままに、小生好みの句をいくらか。

・あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風 (芭蕉)

・けさ秋やおこりの落ちたやうな空 (一茶)

・秋立つや皆在ることに泪して (耕衣)

・立秋の雲の動きのなつかしき (子規)

・京に二日また鎌倉の秋憶ふ (漱石)

・立秋の名にかまけるか夏の草 (無骨)

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 時季外れの「立秋」到来に虚を突かれたか、まことに脈絡のない「よしなしごと」を書き連ねたくなりました。「学校ってなんだ?」ということです。ぼくは他人から「学校が楽しくって、仕方がなかった」と聞かされて肝を冷やしたことが何度もあります。学校はいいところだった、そんな信じられない経験を語る人は一人や二人ではなかったとは、一体どういうことか。冗談はよしてくれと叫びたいほどでした。嘘も休み休み言ってほしい。もう何十年も前に、ぼくは「自由と規律」という新書本を読んだことがあります。池田潔という人が書いたものでした。深く読んだわけではなかったのか、内容を理解するのに苦労した。英国の学校教育に触れていたと思う。著者はパブリックスクールを出て、ケンブリッジ大学を卒業したという、留学生のさきがけでした。世にこんな人もいるんだというのが、ぼくの大きな発見でした。

 「自由と規律」は、二律背反。そうでないなら、二つで一つということでしょう。「自律」という言葉の解釈です。ぼくがこの本を読んだのは大学に入ったばかりの頃だったが、興味を持って読み進んだとは言えなかった。どうしてか、その理由は、その後、徐々に明らかになるのですが、著者がどれだけパブリックスクールの美点を語ろうが、「学校は鬼門だ」という信念は変わらなかった。だから、「方違え」という陰陽道の極意を真に受けて、学校を避けるかのごとくに身を処してきたのでした。もちろんぼくはつまらない人間ですが、「君子危うきに近寄らず」という至言を身をもって実践しようとした。しかし、やはり危うきに近寄るんですね。小人たる所以でした。痛い目に遭ったとは思いませんけれども、選りによって(選ったわけではなかった)つまらないところに迷い込んだなあという後悔に似た気分が、身辺にはいつも漂っていました。

●方違え=1 陰陽道(おんようどう)で、邪悪な鬼が出入りするとして万事に忌み嫌われた艮 (うしとら) (北東)の方角。また、その方角にあたる場所。 行くと悪いことに出あう場所。また、苦手な人物や事柄。「あそこの家はどうも鬼門だ」「数学は鬼門だ」(デジタル大辞泉)

 自由になれと学校は言う。自由は大事だ、それは権利なんだぞ、と天井が抜けるようなことを言い放つ。息ができないくらいに不自由を託っている子どもに。そんなバカなこと、本気で思ってもいないことを平気で言う。もう少し自由でありたいという子に対して、「首輪に付ける紐(リード)を1メートルにしてやろう」と。それでも窮屈だと言えば、「じゃあ、2メートルだ」と、聞き入れてくれる。紐が長くなった分だけ「自由が増えた」と喜ぶ子どもは可笑しいくもあり、可哀そうでもありますね。紐で縛ること自体が「鬼門の証拠」じゃないか。ぼくは池田さんの「自由と規律」を読んで分からなかった点は、ここにあります。自由と規律の向かう方向は、明らかに違う。だから、自由と規律は矛盾しないという主張と、それらは相性が悪いよという読み手では話がかみ合わない。今読んでも、ぼくは同じような「短慮・理解」しか働かないでしょう。「自由」という言葉と「規律」という言葉そのものが問題を含んでいるということです。

 アメリカに関しても同じでした。彼の国は「デモクラシーの本家」といいますが、それでは、どうして「黒人差別」に見られるような人権侵害が後を絶たないんですか、そんな疑問というより、不信の念は募るばかりでした。若いころには、デューイという当地の思想家に入れあげた風でしたが、その「自由と平等」という哲学がもたらした惑乱は解消しなかった。勝負(優劣)がついても平等(公平)というのは、どういうことでしょうかね。この二つの言葉も、それが求める方向は異なるのです。右へと左へと、と地に応じて距離は遠くなる。ぼくはイギリスかぶれでもアメリカかぶれでもありません。まして大和かぶれではなおさらありません。でも、いずれの国においても、学校という「鬼門」は人を鞣(なめ)してしまうんですね。学校はミキサーであり、子どもをミンチ(mince/メンチ)というか挽き肉にしてしまう欲望がとても強い、そんな印象をぼくは拭えなかったし、その悪印象を持ったままで歳ばかりとってしまいました

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 イギリスはアフリカにもアジアにも「植民地」を所有していたし、略奪や虐殺をくり返してきました。アメリカはどうですか。ヴェトナムをはじめ、あらゆる地域で紛争を契機に「戦争」を始めた国です。原爆を投下し、枯葉剤を投入し、無辜の民を幾百万と殺戮してきました。「自由と規律」の国、「デモクラシーの本家」という看板が泣くのか嗤うのか。人にも国にも、「表と裏」があるというのでしょうね。都合よく使い分けて、世界の先進国に成り下がったというわけです。自称・他称「先進国」の凋落がいちじるしい、その原因は何でしょうか。ひるがえって、「日出る国」はどうでしょう。前轍の戒めもどこ吹く風で、着々というか、いささかの大義もなく「植民地」収奪の愚を繰り返そうとしました。はたして、その罪・咎は雪がれたと言えるのでしょうか。雪がれたというなら、いつ、いったい誰によって、どのようにして雪がれたのか。

 「羹(あつもの)に懲りて、膾(なます)を吹く」という。この島社会の為政者にそのような「学習能力」があるとは思えません。その端的な表れが「原稿読み飛ばし」、正確には「原稿読まない飛ばし」に明白に露呈されています。くり返しまちがいを犯す。反省能力が皆無ですから、またくりかえす。(原稿を糊で閉じたと言いますが、前もって見ていなかったのだから、救いがたい)この男一人が「半人前」の権力好きならまだしも、その周りには有象無象、権力欲で息をしているような「四分の一人前」ばかりが群れている。悪政の赴くところは国内ばかりではないと思う。いずれ、海洋に出しゃばる羽目になるから、そうならない前に「寝首を掻く」というやり方ではなく、選挙で「入れ替え」を。「見の程知らず」は、何処にでもいる。

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首相の原稿、のりでめくれず 広島式典の読み飛ばし  政府関係者は6日、菅義偉首相が広島の原爆死没者慰霊式・平和祈念式でのあいさつの一部を読み飛ばした原因について、原稿を貼り合わせる際に使ったのりが予定外の場所に付着し、めくれない状態になっていたためだと明らかにした。「完全に事務方のミスだ」と釈明した。 原稿は複数枚の紙をつなぎ合わせ、蛇腹状にしていた。つなぎ目にはのりを使用しており、蛇腹にして持ち運ぶ際に一部がくっついたとみられ、めくることができない状態になっていたという》(2021年8月6日 21時14分 (共同通信)(「事務方のミス」を事前に見つけようとしなかったのは、誰のミスなんだ?「恥ずかしい」レベルを超えて、天井のない「無自覚人間」「狂気乱痴気」というほかないね)

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 今年の「立秋」は、愚劣な議員を一人でも多く落選させ、「空気」を入れ替えるための「換気扇」選挙の前触れでもあります。「飛沫感染」に代わって、今や「空気感染」が大流行・主流です。いやな空気が淀みかつ漂っているのは飲み屋なんかではない、道義無視の永田町界隈こそ、ですね。そこは「空気汚染地帯」だと言って、誰に叱られるんですか。

 《「楚辞」9章から》羹(あつもの)(熱い吸い物)を飲んでやけどをしたのにこりて、冷たい膾(なます)を吹いてさますという意。前の失敗にこりて必要以上の用心をすることのたとえ。(デジタル大辞泉)

秋立つや一巻の書の読み残し (漱石)

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