ごめんね、ごめんねと、拝みながら逃げた

 雲一つない広島に、原爆は落とされた 1945年8月6日はこんな日だった

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広島上空は、雲一つない青空だった。/ エノラ・ゲイを先頭とする3機のB-29が広島市内上空に入った午前7時09分、空襲警報のサイレンが市内に鳴り響いた。多くの市民が慌ただしく防空壕に駆け込んだ。/ B-29の部隊が旋回しながら、一部の戦闘機が離脱していった午前7時31分、空襲警報は解除された。/ 一方、広島市の東、西条町では、監視兵がエノラ・ゲイと後続機の不自然な旋回を見つけ、広島の通信司令部に電話をした。

午前8時13分、再び空襲警報が発令された。/8時15分、エノラ・ゲイは、広島市中心部の相生橋にさしかかった。/ 爆弾倉の扉が開いた。/ 青木美枝さんは当時23歳。縁談が来て国民学校(小学校)の教員を辞めた直後だった。広島市中心部から2キロほど離れた自宅にいた。

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「洗濯でもしなくちゃ」と空を仰いだ瞬間でした。ピカーッと、マグネシウムどころじゃない、その何億倍もの光が目の前を走りました。ガラガラと家が崩れ、土煙が落ち着くと、4歳下の妹、久枝ががれきに埋もれていました。両親の声はしませんでした。/ きっと爆弾だ。助けを呼ばなくちゃ。壁に穴を開けて外に出ると、広島市内は見渡す限り家が一軒もなくなっておりました。「誰か、誰か」と裸足で呼んで駆け回りましたけど、「熱い、熱い」とぼろ切れのような皮膚を垂らして歩く人はまだ元気な方。目を見開いた死体が、そこらじゅう転がっておりました。/ いったん家に戻ると妹は「お姉様、私にかまわないで逃げて」と言います。やっと通りすがりのおじさんを捕まえたとき、家は火の手に包まれていました。「ここにいたら死んじゃう。あきらめなさい」。おじさんは逃げました。私は何度も振り返り、ごめんね、ごめんねと、拝みながら逃げたのでございます。

人類史上初の原子爆弾(原爆)は、地上600mの上空で炸裂し、中心温度100万度の火の玉をつくった。爆心地周辺の地表の温度は3000~4000度に達したという。爆心地から1.2kmの範囲内では、その日のうちに約5割が死亡した。1945年12月末までに約14万人が死亡したと推計されている。(以下略)(huffpost・2021/08/05)

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 「沖縄慰霊の日」(六月二十三日)から、「祈りの日々」が続きます。今は黙して語らないことで、取り返しのつかない「奪われた日常」を悼んでいる、惜しんでいる。峠三吉さんの仲間だった御庄博実さん(本名丸谷博)も亡くなられた(二千十五年一月)(右下写真)。先生を介して、ぼくはいくつものことを学んだ。「在日被爆」救済活動や、イラクにおける劣化ウラン爆弾投下の告発行動など、広島や長崎に起点を持つ反核思想そのものを生きられた姿勢に、万感の思いを込めて感謝するのです。「核爆弾」を持ちたいという権力者の欲望はどこに狙いを定めているのでしょうか。日米戦争で米軍は日本国家のを倒したかったのだから、無辜の民を無差別に殺戮する、どんな手段を用いても初志貫徹だった。

 国家間の戦争を、それぞれの権力者が始めてしまったなら、権力者同士が「相撲」でも「百メートル競走」「ボクシング」でも、あるいは「じゃんけん」でだって構わないから、それで勝負を決めたらいいではないか、ぼくはそんなバカバカしいことをまじめに考えています。「五輪」よろしく、ライブでグローバルに中継し、視聴者が審判を務める。相手を殺したいというのなら、武器を持って、権力者同士が殺し合いをすればいいと思う。「第三国」に戦いの場を借りて、時間の制限をもうけて、戦ってほしいね。結果が出るまでに犠牲者は極小で済む。

 アメリカの民主化が、世界における、目下の課題であるとぼくは言っているのですが、戦争をしたい国、戦争ができる国などと、利いた風なことをノーテンキな政治家はほざきます。おサルさんの社会では「殺戮」戦争は生じないということを、もう一度学びなおさなければならない。攻撃性や支配欲を以てこそ、人間となるのですから、人間の「現実の姿」を銘記しておくのは、偏差値や学歴などとは比べるべくもないほど大切です。点数競争もメダル競争も、紛れもなく「闘争本能」の自然の発露とも考えられます。手に武器があれば、殺し合いになる。っそれを自制してこそ、おサルさんの後裔なんだと言っても許されよう。

 ぼくたちに最も必要なのは「記憶するこころざし」です。今日劣島において、数百万の人々(おそらくその数十倍はあるように思われます。特に著しいのは、歴史の事実を消し去ろうとする「認知症」者の続出です)は健忘症(ときに「認知症」)に罹患していると言われます。しかしそうであっても、あらゆる事柄を忘却の彼方に放り投げたわけではないでしょう。ささやかながら、「記憶力のための自主トレ」を意図して始めたのに、立派な理由があってのことではない。「忘れてはならないこと」を忘れない、記憶に刻む、そのためにこその「自主トレ」です。物忘れもいいし、記憶喪失もいいでしょう。しかし生きている限り、先輩たちから渡された「バトン」を放置することも受け取らないことも、人間の品性に悖るんじゃないかと、自らを叱咤しているというのでもない。当たり前の日常、昨日の次の今日。今日の次の明日、その何気ない明け暮れをだれにも壊されないために、「忘れてはならないことを忘れない」ために、ぼくは「精神の自主トレ」をサボらないようにしている。降りかかる火の粉は、万難を排して消し潰すつもり。「忘れたくても、忘れてはならない」ことごとに満たされている、それこそが「人間の歴史」なのだと言いたいんですね。

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首相、平和記念式典あいさつで原稿読み飛ばし…原爆を「ゲンパツ」とも

首相、平和記念式典あいさつで原稿読み飛ばし…原爆を「ゲンパツ」とも

式典であいさつする菅首相(6日午前、広島市中区の平和記念公園で)=金沢修撮影 【読売新聞社】

 菅首相は、6日に広島市で行われた平和記念式典でのあいさつで、用意していた原稿を一部読み飛ばした。/「日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない」と述べた後、「世界の実現に向けて力を尽くすと世界に発信した。我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要だ」などの部分を読み忘れた。/ あいさつ冒頭には、広島市原爆死没者慰霊式の名称について、「原爆」の部分を「ゲンパツ」と述べ、直後に言い直した。首相は式典後の記者会見で、「あいさつの際に一部読み飛ばしてしまい、この場を借りておわび申し上げる」と陳謝した。(読売新聞・2021/08/06 10:56)

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 (この日の「ヒロシマに関わる全て」に対する冒とく!ぼう涜!冒涜! 不誠実なること極まり知らずというべき、恐るべきタマです。恥も外聞もないという輩の見本、それが時の「ソーリ」だというのですから、穴がなくても、どこかに、わが身を隠したくなります。おそらく、政策の実現や政治課題の克服には何の興味もない御仁なんでしょうね。他人の何倍もの権力欲だけを持つと、人は、異常に前のめり(ゴーストが書いた原稿まで早読みする)になる。こんなことは早く終わりたい、と。「権力(欲)拡大」だけが仕事の核心だからです。国会を開かないで逃げ回っては、嘘を吐き続ける。のべつ周囲に脅しをかけ、「金メダリスト」に電話をかけまくる、それが「職責」だと錯覚しているのだから、にわかには信じられない「狂気」です。ソーリの椅子なるものを担いで消えてほしい。ビックリも落胆もさせないでほしい、「もっとソーリをやりたい」だって。不世出の「醜悪ダマ」ではないですか。一刻も早く「舞台を降りてくれないか」と、ひたすら願うのみ。 )

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)