【筆洗】前回の東京五輪を知る方の中には、ヘーシンクよりアベベより、記憶に残る海外の選手はチャスラフスカという意見もあろう。体操女子で名花とたたえられた人気の金メダリストが、のちに長い不遇の時を過ごしたのは、知られている▼大会後に起きた母国チェコスロバキアの自由化運動をチャスラフスカさんは支持し、体制ににらまれた。弾圧であろう。職を失い、社会からはじき出されたそうだ。「魔女狩りが始まっている」と恐怖を語った言葉も残る(工藤美代子著『チャスラフスカの証言』)▼国の顔にもなる優秀な選手が反体制的であることは、独裁的な体制や人物には耐えられないことらしい。似たような事態は起きている▼今回の東京五輪で、母国ベラルーシへの帰国命令を拒み、亡命を望んだ陸上女子のツィマノウスカヤ選手もかつて、独裁的なルカシェンコ大統領の選挙の不正をめぐり、抗議をしたそうだ。帰国命令はコーチとのトラブルが発端らしいが、「魔女狩り」が始まる恐怖を感じたようである。ポーランドに向かうという▼母国では、夫も国外に出たと報じられた。拡大している民主化運動に対して、多くのスポーツ選手が支持を表明している国だ▼独裁的な国があって、国をこえて活躍する選手がいるかぎりこの手の事態は起きる可能性があるのだろう。現代の強権支配を五輪は映し出しているようだ。(東京新聞・2021/08/04)
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亡命望むベラルーシ選手、起きたこと。コーチ批判による帰国命令を拒否⇒ポーランド「ビザ発給」 東京オリンピックの陸上女子ベラルーシ代表のクリスツィナ・ツィマノウスカヤ選手が、コーチの不手際を批判したのを理由に帰国命令を受け、国際オリンピック委員会(IOC)や日本政府に助けを求めている。帰国を拒否したツィマノウスカヤ選手に対して、ポーランド政府が支援や受け入れを表明し、人道的な配慮によるビザを発給したと説明している。(以下略)(https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_61079ac8e4b0d1b96e677ce0)
舌足らずではあったが、これまで「東京五輪開催」の偏向政治性・反道徳性に関して愚論を述べてきましたので、これ以上は触れないつもりだと、昨日、みずから思い定めたばかりでしたが、舌の根も乾かないうちにまたもや愚論です。ご寛容を願います。黙っておられないんです。酷暑も影響しています。前回はチェコの体操選手だったチャスラフスカさんについて、いささかの感想を述べた。彼女の演技を丁寧に見てきたたわけではありませんが、体操競技が徐々にアクロバット化し、低年齢化していくにつれて「体操」というスポーツの姿について大きな疑問が湧いた、こんなのはサーカスの曲芸じゃないかと思ったり、その根底には彼女の演技があったというのです。「妖精」とか「名花」などと、女性アスリートに「特有の呼称」をつける習慣があるのかどうか、ぼくにはわかりませんが、きっと男たちが命名しているに違いない。つまらないこと。意識を疑うね。スポーツを、そのままに観るのはなかなか困難です。なぜなら、観る側にも「スポーツ精神」が求められるからです。精神の交流、それがあってこその楽しみでしょう。

今回の「亡命問題」にも、はっきりとした政治的背景があるようです。ベラルーシの大統領が、しばらく前には「自国選手の不甲斐なさ」に立腹したという記事も出ていました。東京五輪での選手の獲得したメダル数が自身の「政権浮揚策」に直結しているから、成績が振るわないことに激しく怒ったとみられています。また今回の ツィマノウスカヤ選手 の「亡命」希望も、根っ子にはこの大統領の指示があったことを、彼女は直感し、身の危険を感じたからだとも言われている。これまでも五輪開催のたびに、参加国における政治問題が五輪会場において、必ずといっていいほど生じていました。五輪が政治問題と密接に関係している何よりの証明です。詳細は省きますが、いろいろな事件がこれまでにも起こってきたのは事実です。(左写真はチャスラフスカヤさん)
今回、国内で多くの人々が五輪に賛成しなかったという事実を無視して、強引に「開催」にまで持ってきたのも、無策・無謀・無責任政府の不人気極まりない現状を克服するための「政権浮揚」策だったことはまちがいないところです。他面では「選挙対策」でもありました。為すべき政治課題を放棄してまで莫大な税金を投入し、多くの民衆の命を犠牲にしてまで、あくまでも私益・私権の追及に狂奔したのです。ここで、意外に思われるのは、日本の選手団から「開催反対」「開催延期」に言及する人はまずいなかったという事実です。そんなの当然でしょ、と言われそうです。「開催するのが当たり前」という立場にいるのですから、疑問を投げかける選手がいるはずもないのでしょう。でも「疑問を呈する」選手がいればこそ、スポーツの健全性が保持されるということだってありえます。

政治とカネ、それと同じように「五輪と政治」は密接不離です。カネがいるのは当たり前ですが、無駄金、不必要な税金がやみくもに浪費されています。加えて、五輪招致の段階から、並みいる政治家が嘘に嘘を重ねて、国の内外を欺いてきました。そのことには頬かむりを決め込んで、「アスリートファースト」「五輪に政治を持ち込むな」といお題目の唱和とは、聞いて呆れます。いったい誰が、どの口を開いて言うのでしょうか。先ず嘘で始まったものは、徹頭徹尾、嘘で貫かれるし、聞かされる方も、「どうせ嘘だろっ」、と知りつつ、それを受け入れる。これが何年も続く間に、無責任と投げやりの雰囲気が社会を覆ってしまうのです。ぼくたちがとりこまれているのは、このような虚偽と偽善と諦念に満ちあふれた政治社会の風波・乱気流です。

五輪選手の「政治問題化」は、どこか遠い国で起こっている、夢のような話ではありません。現下の酷暑の天下において、どのような不正極まりない政治ショーが展開されていることか。いかなる人間でも、いったん権力の地位に就き、その権力の虜(とりこ)になったら最後、「死んでも地位を離れたくない」ことになる。哀れを通り越して、狂気に襲われるのは火を見るよりも明らかです。なによりも「自助」を政治信条に掲げる狂気の政治家は、コロナ禍に喘ぐ人民を土足で踏みにじろうとしています。最後の最後まで「自助」であり「自力呼吸」だというのです。自力呼吸が切れたら「入院」させてやろうというのでしょう。
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《 コロナ禍の拡大が止まらず、病床が逼迫していく中、政府は2日、重症者や重症化の恐れのある人以外は、原則自宅療養とする方針を決めた。これまでもなかなか入院できず、自宅にいる間に亡くなるケースも多々あったのに、さらに入院治療を遠ざけるというわけだ。「自助」の言葉が大好きな菅義偉首相らしい国民への仕打ちだが、厳しい現実から目をそらそうと、ルールの方を都合よく変えていいのか。》《「つらくても自宅で待機」というのは、PCR検査の「37・5度以上の熱が4日間」という基準を想起させる。大問題になった後に厚生労働省は「誤解があった」と基準を削除したが、検査にしろ、病床にしろ、不足の失態を覆うために、政府のルールは都合よく作られ、消される。》(東京新聞・2021年8月4日 ・https://www.tokyo-np.co.jp/article/121777)
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国民の生命を守るために万全を尽くすと、繰り返し虚言をはいてきた結果が、この「生命切り捨て」策の導入です。一説によると、五輪実施のために動員されている医師と看護師は七千人にも上るという。法外な振る舞いに終始しているIOC「五輪帝国」の召使になったかの感があるこの島の政治屋は、憲法も法律も眼中になく(*)、とびぬけた暴力政治、いや暴力行為を、恥ずかしげもなく天下に晒しているのです。浮かばれないのは人民だというなら、この始末はだれがとるのでしょうか。とにかく、即座に「五輪中止」かつ「内閣総辞職」です。「座して死を待つ」こと、この危機に際して、この愚策を、ぼくたちは断じて認めてはならない。「国家権力」は、人民を壟断して、自己利益しか脳内に存在しない輩です。許しがたい暴挙ですよ。
(*)発端は厚労省(医系技官による)の感染症対策のための、国民不在にも音づく行政判断から取られた処置によって問題が生み出されています。ざっと見ただけでも、いくつもの法令違反に該当する強権的政策の具体的実施です。まず、憲法における「法の下の平等」に著しく反します。医療行為を求めるものに対する「受診拒絶」を行政的に容認しようとすることは断じて認められない。同時に、必要とする者に対する医療行為を科されている医師法違反を強いる行政判断であるという点です。さらには感染症違反に当たります。端的には、感染者の確認・隔離・入院治療の義務違反です。さらに刑法違反(業務上過失致死傷罪に相当・国賠償に該当)、その他。すべては厚生労働行政の「非人道的政策」の導入です。昨冬以来のPCR検査の抑制策、隔離治療行為への消極的対応など、目に余る、自らの「権益擁護」、そのための違法な権限行使であるというべきです。いかなる権限を持って、かかる蛮行を実行しようとするのか、それを十分な吟味もなしに、無責任にも政治的判断をくだして、どんなに無知であったとしても、このような違法な政策導入を実行した内閣総理大臣の許しがたい犯罪行為であるというべきです。免責されることはあり得園愛といっておく。(さらなる詳細は、この後の駄文に譲ります)
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おそらく、コロナ感染の現状は、大都会においてはもはや手が付けられない状況に陥っていると、ぼくは見ています。東京の感染率を見れば、卒倒します。「確認だが知事としては、予定通りオリンピック・パラリンピック開催という意向か」と記者が再質問すると、都知事は「はい、そうです」と即答した。(東京新聞。2021/08/01)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/121048)ここにも、死んでもラッパを離さない覚悟の「政治屋」がのさばっています。「女帝」とか言われているそうですが、待っているのは名誉の辞職ではなく、「断頭台」でないと、どうしして言えるのでしょうか。
自らの政治的立場の確保、それしか念頭にないかのような都知事です。最悪の災厄時に、都民は最悪最低の都知事に苦しめられています。自己顕示の手段・道具として政治を使い、五輪を利用し、果てはコロナ禍までも人質にするという、前代未聞の堕落政治家連が、うち揃って、先になり後になりながら「地獄の季節」の狂言回しに躍起になっている。脳髄を壊されそうになる灼熱の夏はまた、身の毛もよだつ「寒心」に苛まれる季節でもあるのです。くれぐれも「御身大切に」と、一意専心に徹するほかに、この暗黒の地点を脱出することは不可能ではないでしょうか。
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