夕の嵐、夜の月のみぞ、言問ふ縁なりける

 八つに成りし年、父に問ひて云はく、「仏は如何(いか)なる物にか候ふらん」と言ふ。父が云はく、「仏には人の成りたるなり」と。また、問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父、また、「仏の教へに因りて、成るなり」と答ふ。また、問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教え候ひける」と。また、答ふ、「それもまた、先の仏の教へに因りて、成り給ふなり」と。また、問ふ、「その教へ始め候ひける第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」と言ふ時、父、「空よりや降りけん、土よりや湧きけん」と言ひて、笑ふ。「問ひ詰められて、え答へず成り侍りつ」と、諸人(しょにん)に語りて、興じき。(「徒然草」第二百四十三段)(島内・既出)

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 「徒然草」一巻の最終章。兼好さんと父親の「仏問答」です。父・卜部兼顕は治部少輔という下級神祇官でした。履歴はよくわからない。事情は兼好さんも同様で、生没年も、ほぼ不明に近い。弘安六年(1283年?)~観応三年(1352年?)。兼好は、おそらく三十前には「出家」していたとみられます。その理由は分かりません。若いころの宮廷人、歌人としての体験を背景にして、長く「思索と読書」にあけくれた、その集積が「徒然草」一巻にまとめられた。五十歳ころの完成でした。なお、その後二十年ほども生きたのでした。

 最終章で「父親との思い出」を書き残したのはなぜだったか。確たる理由はなく、あるいは章段の配置の偶然であったかもしれません。ぼくに興味があるのは、この親子、なかなか「イケてる」という感じが読み取れることです。父親も、相当の「親ばかぶり」を発揮しているともとれます。今なら、小学校三年生の頃、「仏って、どんなものなんですか」と聞いたことがあった。父は答えた。「仏とは、人が成るのだ」と。「人はどのようにして、仏になるのでしょう」と、再び尋ねると、「仏の教えによって、成るんだよ」と父が答えた。

 三度目に、また聞いた。「教えられた仏に、だれが教えたのですか」と。父はまた、答えました。「それもまた、その前の仏が教えたので、だから仏になったのだ」と。四度目に聞いた。(兼好は、小さいころから執拗だったんだ。「理屈」が立っていたともいえる)「その教へ始め候ひける第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」すると父は、「空よりや降りけん、土よりや湧きけん」といって破顔一笑した。参ったなあ!という図です。(「お主、くどいぞ」とは言わなかった。「なかなか、見込みがあるな」と思ったかもしれません)  

 「問ひ詰められて、え答へず成り侍りつ」と、あちこちの人に語って、面白がっていた。「倅(せがれ)に問い詰められて、音を上げたよ」と、いかにも自慢げに語っていたと、述懐するのは兼好自身です。この段で、兼好が語っているのは、遥かの昔、父親とのある日の「成仏問答」でありました。仏にはだれがなるのか。 誰でもなれるのか。仏の教えを守った(仏が教えた)人間が「成仏」するのだと言ったが、息子は「では、その(仏になるように人間に教えた)仏になったものには、誰が教えたか」と追及する。人間が仏になるのは、仏が教えたからだとすると、一番最初に「仏になるように教えた」、その「仏」は何者かと。問い詰められて、「頼もしい息子」だという父親、いかにも子煩悩な父の顔が見える。(右は兼好所縁の双ヶ岡長泉寺)

 ここで「仏説阿弥陀経」を諳んじようとする兼好はいない。出家したのは僧侶になるためだったでしょうが、父親との思い出を語る彼には、自身の仏心を、父親が嘲笑したり、阻害するどころか、さらに関心を持たせようとするばかりの親心に、兼好自身がそこはかとない懐かしさを覚えていたという、ただそれだけの「親子物語」の一節だったと、ぼくは読むのです。(ちなみに、母親にも彼は言及していますが、極めてまれにです、残された一首。母の一周忌に際して詠む)

 兼好法師が母身まかりける一めぐりの法事の日、ささげ物にそへて申し 前大納言為定 つかはし侍りし  別れにし秋は程なくめぐりきて時しもあれとさぞしたふらん (二二六一)
 兼好法師 返し
 めぐりあふ秋こそいとどかなしけれあるをみしよは遠ざかりつつ (二二六二) (新千載集・哀傷歌)

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● じょうぶつ【成仏】=仏(ほとけ)になること,〈さとり〉を開くこと。仏教の開祖釈迦(しやか)は,ブッダガヤーの菩提樹の下の金剛宝座で明の明星を見て仏陀(ぶつだ)Buddha,すなわち覚(さと)れるものとなった。〈さとり〉をさまたげる煩悩(ぼんのう)から解き放たれる意味で解脱(げだつ)といい,仏(覚れるもの)と成るという意味で成仏という。釈迦が入滅した後,仏弟子たちは成仏を求めて禅定(ぜんじよう)や止観(しかん)とよぶ宗教的瞑想につとめた。(世界大百科事典 第2版)

● よしだ‐けんこう【吉田兼好】=鎌倉後期から南北朝時代の歌人。俗名は卜部兼好(かねよし)。二条派。堀河具守の家司(けいし)となり、宮廷に出仕して蔵人・左兵衛佐に至ったが、のち出家。随筆「徒然草」に、その哲学的・宗教的人生観を展開する。二条家の藤原為世の弟子として、和歌四天王の一人と称せられ、「兼好自撰家集」がある。弘安六頃~観応三年以後(一二八三頃‐一三五二以後)(精選版 日本国語大辞典)

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(参考までに)【人の亡き後ばかり、悲しきは無し。/ 中陰のほど、山里などに移ろひて、便(びん)悪しく狭(せば)き所に、数多(あまた)会ひ居て、後の業ども営み合へる、心慌ただし。日数の速く過ぐる程ぞ、物にも似ぬ。果ての日は、いと情無う、互ひに言ふ事も無く、我賢げに物引き認(したた)め、散り散りに行き分(あ)かれぬ。基の住み処に帰りてぞ、更に悲しき事は多かるべき。「然々(しかしか)事は、あな、かしこ、後の為、忌むなる事ぞ」など言へるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心は、猶、うたて覚ゆれ。

 年月経ても、つゆ忘るるにはあらねど、「去る者は日々に疎し」と言へる事なれば、然は言へど、その際(きわ)ばかりは覚えぬにや、由無しごと言ひて、打ちも笑ひぬ。骸(から)は、気疎(うと)き山の中にを納めて、然るべき日ばかり、詣でつつ見れば、程無く、卒塔婆も苔生(む)し、木葉(このは)降り埋(うづ)みて、夕の嵐、夜の月のみぞ、言問(ことと)ふ縁(よすが)なりける。

 思ひ出でて偲ぶ人有らん程こそ有らめ、そも、また、程無く失せて、聞き伝ふるばかりの末々は、哀れとやは思ふ。然るは、跡訪(と)ふ業も絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心有らん人は哀れと見るべきを、果ては、嵐に咽(むせ)びし松も、千年(ちとせ)を待たで薪(たきぎ)に摧(くだ)かれ、古き墳(つか)は犂(す)かれて田と成りぬ。その形だに、無くなりぬるぞ、悲しき。】(「徒然草」第三十段)(左は、兼好所縁の「仁和寺」京都市右京区御室)

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 余話ながら 本日で八月が終わります。何事もなく、と言いたいところですが、あまりにも多事多端だったというほかない、いかにもあわただしい「葉月」「葉落ち月」ではありました。九月もまた、多事多難であると想定(恐怖心を抱か)されます。陰暦で九月は「長月」とされます。もちろん、「秋の夜長を啼き通す」という時の「夜長月」の略称でもある。年々歳々、人も世も変わります。「月の満ち欠け」「日の出日の入り」は不易である習いですから、なおさらに「人事万般」の有為転変に驚嘆するばかりであります。

 「陰暦9月の異称。語源は明らかではないが、中古以来、夜がようやく長くなる月の意の夜長月の略称といわれてきた。稲熟(いなあがり)月、稲刈(いなかり)月、穂長月などが変化したものとする説もあり、近時では、9月は5月と並ぶ長雨の時季で「ながめ」とよぶ物忌みの月だからとする折口信夫(おりくちしのぶ)の見解もある。この月は菊の花の盛りにあたるため菊月ともいい、また紅葉の季でもあるため紅葉(もみじ)月、木染(きぞめ)月などの称もあるほか、漢名では季秋、無射(ぶえき)、玄月(げんげつ)などともいう」(ニッポニカ)

 時(月日)が行き過ぎるとともに、「時代」に生きるぼくたちの「精神の貧相」が隠すべくもなく顕在化してきます。その際、ある種「精神の危機」に処するに、ぼくは「歴史を(に)学ぶ」ということを繰り返してきました。「九月は長月」、そんなことをいって何の意味があるのじゃ、と非難する人が多いことは先刻承知だし、それに関わり合っている遑(いとま)もありません。たとえば、兼好さんの時代に豊かだったもので、ぼくたちの時代に失われたものは何だったか、七百年という時間を考えるための、いささかの一助ではあります。こんなことに気を取られるだけでも、自らの心持ちの貧しさに思いが及ぶのです。人間のこころざし、あるいは誠実さというものは、時世時節に左右されることがあっていいものだとは思わない、そんなことを、往時の兼好さんたちの残された文章を読んで、今このひと時に、痛感するのです。

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 「晦日と朔日」のあわいに、たったひとりで「雑談」「雑念」を楽しもうとしているのです。

長月の空色袷きたりけり  (小林一茶)

長き夜や千年の後を考へる (正岡子規)

長月の空に亡びん国人あり (長谷川かな女)

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 想像されたものの正しい大きさの感覚

 ことばは道具であり、道具以上のものです

  わたしたちは「ことば(言葉)」というものをどのようにとらえようとしているのか。「ことば」は覚えて使えればそれでいい、それはまるで道具みたいなものだと考えていませんか。木を切るにはノコギリが、板を削るにはカンナが便利な道具であるように、なにかをだれかに伝えたいときに使う便利な道具(ツール)が「ことば」だととらえているのではないでしょうか。そのような意味合いがあるのはたしかですが、それだけではないように思われます。ノコギリがあれば、なんだって切れるというものではないでしょう。カンナでも、同じことが言えます。ことばには、一面では道具性もあります。しかし、他面では、ことばを尽くしても語り得ない(表現できない)物事もあるのです。道具としてのことばが有効ではない、しかし、それに代わるものがないなら、その「ことば」で語り尽くそうとするほかないのです。ことばの持つ「限界」であり、同時に、ことばの示す「不思議」でもあります。

 どんな事柄も「ことば」で表現できるというのは正しくない。道具としてのことばはけっして万能ではないのです。なにかと言葉を尽くしても、それを表現できない事柄がある。ありすぎるくらいあるというのが正確ではないでしょうか。しばしば「筆舌に尽くしがたい」という。では、ことばで表現できないと、どうするか。事物で表す、絵などを描いて示す、それも一方法です。でも、それでも、「自分のいいたいこと」が伝えられ(伝わら)ない場合であっても、どうしても伝えたいとき、ついには「物理的力(暴力)」を使うことになるかもしれない。たいていの「事件」は「ことばを失った」から生み出されるのです。

 一例を挙げてみます。よく使われる「歴史」ということばについて考えてみてください。「これが歴史だ」と指でさすことも手で触れることもできない。「自動車」なら簡単です。実物があるからです。目で見、手で触れることができる。反対に、目に見えないけれど、たしかにある、しかもだれにも共通する「歴史」という感覚でとらえようとしたり、観念で理解しようとすることはあります。そんな場合、往々にしてこちらの意図が相手に伝わらないことがしばしば起こります。単なることばでは伝えきれない、でもなんとかそれを表現しようとする、その時には、やはりぼくたちは、誰もが使う「歴史」という言葉で表現される内容を伝えようとする。ぼくたちの、「伝えようとする働き」は、ことばによってのみ支えられているのです。「のどまで出かかっているんだけど、上手く言い表わせない」という経験は、いつだってぼくたちに生じています。

 「人権」ということばは、だれでも読み書きできる(ようになる)、でもそれが何であるかは容易に語りがたい。または、自分では「人権」だと考えている内容が、相手にはまったく「人権」として通じない、こんなこともよく見られます。そもそも、「人権問題」と称されるものは、そのような通じ合わない状況下で起こるのです。伝えがたい内容を言い表すことが可能になるには、自分が実地に積んだ経験が必要です。「経験をことばにする」、あるいは、「ことばを経験する」といってもいいでしょう。恐ろしいことですが、そのような、めいめいの「経験・実地体験」がいちじるしく欠如しているのが「情報化」といわれる、いまの時代です。(読み書きができるという程度に)知っているだけのことばが多くなると、自分を表現するためのことばはたえず失われてしまい、それに気づかない事態に陥ってしまう。読み書きできることばはふえても、自分の感情や「観念」をつたえることばに不自由するという、逆説に見舞われる。ことばから逆襲されるのです。

 《 言葉というのは、どこかに転がっているのではなくて、いつのときも心の秤(はかり)に載っています。秤はバランスでできているので、こちら側に言葉を載せると、反対側におなじ重さをもつ何かを載せなければならない。秤の反対側に載っているのは、経験です。/ 経験というのは、かならず言葉を求めます。経験したというだけでは、経験はまだ経験にはならない。経験を言葉にして、はじめてそれは言葉をもつ経験になる。経験したかどうかでなく、経験したことも、経験しなかったことさえも、自分の言葉にできれば、自分のなかにのこる。逆に言えば、言葉にできない経験はのこらないのです。/ その言葉によって、自分で自分を確かめ、確かにしてゆく言葉。経験を言い表すことができる、あるいはとどめることができるのが言葉ですが、言葉にするというのは、問いに対して、正しい答を出すということとは違い、正しい答をこしらえるということではなくて、自分について自分で、よい問いをつくるということです。正しく問いを受けとめないで、正しい答を探すから、わたしたちは過つのです

 言葉と経験を載せている心の秤が、感受力です。感受力というのは、だれかに教えられて育つというものではなくて、自分で、自分の心の器に水をやってしか育たない。そういうものです。しかし、自分で自分というものを確かめてゆく方法でしか、確かにしてゆくことができないとすれば、どうすればいいか 》(長田弘「今、求められること」「読書からはじまる」所収、NHK出版刊、2001年)

 いまの時代や社会は「一面においては豊かであり、他面では貧しい」といわれます。物はあふれているし、金さえあれば、いつでもほしい物を手に入れられる。でも、実態はどうか。物質的には恵まれながら、どこか満ち足りない気分に襲われている人は少なくなさそうです。それは「豊かだとおもいこんでいるが、じつは貧しい」であり、「物は豊かでも、こころは貧しい」であり、「豊かであるということが、実は貧しいのだ」ということでもあるでしょう。「物足りなさ」「満ち足りない感情」に、ぼくたちは支配されていないかどうか。何不自由しないというのは、「物」について言えることではあっても、ぼくたちの心理や感情について言えることではないのです。その心理や感情の示そうとする内容を表現するには、どうしてもことばが必要です。ことばを追求する、あるいはことばで説明することができないと、どうなるか。「カッとなって」という激情に襲われてしまうことがしばしばです。ことばを持たない代わりに、激情が自己表現の手段となるのです。

 ことばに対する学校教育の状況は、まさしくそのように不安定な様相を示していないでしょうか。ことばはまわりに氾濫しているにもかかわらず、たしかなことばをつかう場面は極度に少なくなっていると思われるからです。夏目漱石も、源頼朝も、カントやヘーゲルということばでさえも知っています。でもそれが何を表わしているか、ぼくたちはほとんど無知で過ごしてきました。もっといえば、漱石や頼朝いう「名前」を覚えることが求められたのであって、その「内容(歴史)」を学ぶことは求められなかった。これが学校教育の実態ではなかったか。「名前」には歴史があるのですが、それを排除した名辞は、単なる「記号」です。歴石貫の「事実」は、単なる単語の羅列に過ぎません。

 いずれにしても、ことばは育てなければ豊かにならない。育てるのは「自分(わたし)」です。自分でことばの種を播いて、自分でそれを育てる。「教育」が関与するのは、そのような感受性の問題でもあるのです。

 《今日の日本は、識字率はずばぬけています。それはきわめて喜ばしいことですが、反面、ことばに対して、どれほど手前勝手にふるまっても、わたしたちはみずからあやしもうとはしないでいます。/ しかし、実のところ、識字率はずばぬけていても、わたしたちのもつ語彙、ヴォキャブラリィーはずいぶん落ちてきている。そして、日本語が突慳貪(つっけんどん)になってきている。くわえて国際化に伴って、カタカナでしか言えないことばが、わたしたちの語彙(ごい)、ヴォキャブラリィーにたくさん入りこんできています。仕方がないのかもしれませんが、ことばのもたらすイメージの喚起力が、そのぶんどうしても弱まってきていることも事実です》(長田弘『すべてきみに宛てた手紙』晶文社刊。2001年)

  長田さんのいわれるのは、つぎのようなことです。

(1)「ことば」というのはたがいに関連しあう意味のまとまりです。

(2)わたしたちは、「ことば」というものを自分の中にある「字引(辞書)」によって理解するのです。

(3)ところが、それぞれがもっている「字引」がだんだん薄くなってきています。

(4)みずからが感じ、考え、思うことを「自分のことば」で相手に伝えることがおどろくほど下手になってしまった。

(5)きょくたんにいえば、「面白い」「つまンない」という二語だけが語彙になっているような状況が生まれている。

 《ことばのすることというのは、結局のところ、名づけるということです。/ ことばをことばたらしめているものは、名づけることであり、また名のることでした。みずからことばのなかにすすみでる、ということです。/ 生まれた子どもがこの世で最初にもらうのは、名。つまるところ、この世の人を、またこの世で人と人をむすぶものは、ことばです。/ そして、人がめいめいちがった自分の名まえをもつように、ことばというのは、多様なものをたがいに認める方法です。ことばがあなどられるところに、人の、人としてのゆたかさはない。わたしはそう思っています》(同上)

 手紙であれレポートであれ、書くことは二人称を作りだす作業だと長田さんはいいます。「話す」も「書く」も、いずれも二人称を相手(想定)にしないと、じゅうぶんに意を通じえない行為です。目の前に相手がいるように、そのように書くというのは、眼前の人にむかって語るのとすこしもちがわないのです。手紙を書く機会がへったのは、書かなくてもいい、手紙以上にメッセージをよく伝える道具が開発されたからだと、ぼくたちは考えますが、事実はその反対です。ほんとうは、ことばの「字引」が薄くなった埋め合わせに、はやりの「道具」(ノコギリの類)が使われだしたのです。それは相手に伝えたい事柄が少なくなってきたことをも示しているのではないでしょうか。

 もっと言えば、「ことばが、たんなる道具に堕したた時代」に、ぼくたちは生きているのです。あちこちで、何度も言いましたが、ぼくは「スマホ(携帯)」という「道具」を所有していません。だから、その道具を使って行う「SNS」「Line」「twitter」などという「言語ゲーム」はまったくしたことがない。「スマホ」という道具を用いて、「ことば」という一種の道具を操る、便利に特化した、ことばの変質状況に、ぼくは遭遇したくないのでしょうね。(まるで、ノコギリでノコギリを切るような奇怪なことを、毎日、多くの人は、精魂込めてしている図が見えます。これが「貧しい」ということの実相ではないですか)

 このような道具の二重構造で生み出されているのは「ディスコミュニケーション」(=交流の切断、断絶)です。ことばを使って、ことばが通じないという不自由を経験しているのではないでしょうか。これが時代状況が表わしている最大の「皮肉」なのかもしれません。「ことばの道具化」を推進する時代の趨勢は、この先にどのような事態をもたらすのでしょうか。ぼくにはよくわかりませんが、「便利」「効率」「迅速」「現実の無化」「仮想現実の実体化」などは、この先もさらに一気呵成に進められていくことだけは確かです。その「時代の暴力」に、ぼくたちはよく拮抗しうるのでしょうか。

 現代人が歩かなくなったのは自動車が普及したからではなく、歩く力を失った(歩く必要を感じなくなった)から自動車が普及したのではないか。このように考えると、人間の備えているさまざまな能力が失われる(奪われる)のは、それを育てようとしないで、車を足代わりに使うように、なにが失われたちからかを当人に意識させないように、代用品がとって代わったからです。からだを動かさなくなるのに歩調を合わせるようにして、人はものを考えなくなる。そんな事態はますます加速しています。

 だとするなら、学校というものもなにかの代用品であることに気がつくはずです。つまり、学校に取りこまれることで失われたものがかならずある、という意味です。なにはともあれ、自分のなかにあるだろう「字引」を分厚くしたい。その「字引」の中にあることばは他の人と同じですが、そのことばについて想いえがくものはちがいます。先にも述べたように、「人権」ということば(漢字)はだれにも共通しているけれども、そのことばについていだくイメージ(感覚・経験)はひとそれぞれです、だからこそ、他者とていねいに「対話」を交わすことが大切なのだと思います。おのれの「字引」のことば(語彙)が貧弱になっても、いたるところで他者と交わることは断ち切れないのですから、貧相なことばの代わりに、暴力がちからをふるうのです。いまの時代の風潮は、寒々とした人間関係の現実の諸相を教えているともいえます。

(下に掲げたものは、すこし古い新聞の記事です。字が「読める」というのはどういうことか、その一例として)

 <週刊漢字>読めますか? 

(1)無辜(2)八海事件(3)布川事件   (後を絶たない冤罪(えんざい)事件)

(1)むこ。罪のないこと。「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ」という格言が、痴漢冤罪を描いた映画「それでもボクはやってない」の冒頭に出てくる。(2)やかい。山口県の八海地区(現田布施町)で1951年、夫婦が殺害された事件。3度の死刑判決を受けた後に無罪となった男性がこのほど亡くなった。映画「真昼の暗黒」のモデルにもなった。(3)ふかわ。茨城県利根町布川で67年発生した強盗殺害事件。無期懲役が確定していた2人に24日、水戸地裁土浦支部は再審で無罪を言い渡した。この2人に迫ったドキュメンタリー映画「ショージとタカオ」が公開中。【校閲グループ】〈毎日新聞・二〇一一年五月三〇日)

 上に挙げた「三個の漢字」が読める・書けるというのは、どのようなことをいうのでしょうか。

 「八海」と読んだり書けたりするけれども、それがなにを指しているのか(意味・内容)がわからなければ、まことに不自由じゃないでしょうか。「なんだ、地名か」といって、それで終わりなら、じつにかんたんな話です。それでなにがわかったことになるのか。「知らない(無知)」というのは恥ずかしくない。知らないのに、知ろうとしないことが恥ずかしいのだと、いいたいのです。「知る」というのは、自分の愚かさ(無知)を覚ることでもあるのです。ことばには「歴史」が含まれています。だから、ことばを使うと言ったり、ことばを知るといったりするのは、そのことばが含む「歴史」を知ることを意味します。それを抜きにした「ことばおぼえ」は、たんなる記号の暗記にほかならないでしょう。暗記された「記号」の交換で他者と交われないことはありませんが、見るからに不自由を託つことは間違いありません。ことばに潜む、いろいろな側面を知る必要性を痛感します。

 ことばは道具ですが、道具以上のものでもあります。「やさしさ」「誠実」、これをぼくたちはことばで言い表さなければならない。ことばを拒否するようなものでも、明らかにするためには「ことば」は欠かせないのです。「ことば」を拒否するものもまた、「ことば」を求めているのです。「表現の自由」と言われます。いうまでもなく「表現」とは、第一義には「ことば」を用いて居のあるところを表わすことが誰にも認められているという意味でしょう。どんな事柄も、相手の意見(表現)を否定するような「ことば(表現)」でさえも認められなければならないのです。「ことば」は人間社会(集団)の命綱でもあるのです。

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 加害者と被害者、どっちが大切ですか

 10人の未来と1人の未来

 【天風録】まな娘は、もうこの世にいない。脳裏には姿も鮮やかなのに…。身を引きちぎられる痛みから、「肉親」と呼ぶのかとの思いに駆られる手記である。北海道旭川市で春先、凍死体で見つかった中学生のご母堂が真相を知りたい一心で先ごろ公にした▲読み返すたび、文面をたどる目が思わず止まる一節がある。「10人の加害者の未来と1人の被害者の未来、どっちが大切ですか」。いじめの果ての悲劇と疑われ、居直った教頭の言い草▲この国の、それも教育者たる人の言葉だろうか。あろうことか、二の矢で「どっちが将来の日本のためになりますか」とも。後ろ暗いのか、暴かれたやりとりを学校側が打ち消す動きは見られない▲断ち切られた命の重みに、まず向き合わぬ神経がどうにも解せない。人ごと感は拭えず、高をくくっている節さえある。凍死問題の行方は、いまや列島中の耳目を集めている。人々は学校教育の未来も危ぶんでいよう▲いじめなどで学校をはかなむ子どもにとって、夏休み明けは戦々恐々の時期だという。NPO法人の全国不登校新聞社も緊急アピールで警鐘を鳴らす。心の重しはコロナ禍で増している。子どもという「未来」が危うい。(中國新聞デジタル・2021/8/29)

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 部外者であるので、この問題を軽々に判断することはできませんけれど、いつでも起こるいじめ事件と、それをめぐる当局の対応には「判で押したような類型」が認められます。いくつかの新聞や雑誌の記事を参考にして、問題の概要などを把握していただくとして、とにかく「学校といじめ」は密接不離なんですね。起こるべくして起るものでもあるのです。ぼくは拙い経験でしたが、「いじめ問題」に関していろいろな関りを持ってきました。いじめに遭っている当事者や関係者からの相談、あるいは「生徒たちのいじめ問題」の渦中にある教師からのSOSなど。いずれのも場合も、こうすればいいとか、これが解決策なんだという「特効薬」のような方法は先ずなかったし、またある意味では、体当たりでぶつかるほかに策はないという、情けない始末に陥ることがほとんどでした。そんな為体(ていたらく)でしたが、問題を隠そうとしたり、発覚を遅らせるような姑息な態度は、先ず取り得なかった。人間同士の関係は、複雑であり怪奇でもあるケースがほとんどではないでしょうか。なんでもないところに、大きな穴が開くという、信じられないような事態が実はひそかに起っているんですね。

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 <ことば>旭川の中2女子死亡問題 今年2月、旭川市の市立中学に通っていた当時中学2年の広瀬爽彩さん(14)が自宅から失踪し、3月に市内の公園で遺体で見つかった。4月、週刊文春の電子版「文春オンライン」が「女子生徒はいじめを受けていた」と報道した。/ 捜査関係者らによると、死因は低体温症で、事件性はないとみられる。広瀬さんは2019年に校外で中学生らとトラブルになり、市内の別の学校に転校したが、市は当初、トラブル発生時に通っていた学校が本人や関係する生徒に聞き取ったものの、いじめは確認できなかったとしていた。/ だが、今年4月27日、市教委が開いた教育委員会の会議で、広瀬さんがいじめで重大な被害を受けた疑いがあるとして「重大事態」に認定された。現在、弁護士や小児科医、臨床心理士で構成する市の第三者委員会が調査している。(北海道新聞・2021/08/19)

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・「「ママ、死にたい」自慰行為強要、わいせつ画像拡散……氷点下の旭川で凍死した14歳女子中学生への“壮絶イジメ”《親族告発》」https://bunshun.jp/articles/-/44766  

・「旭川女子中学生凍死事件はなぜ起きたのか「心のホームレス状態」を見逃さないで」(https://dot.asahi.com/dot/2021042400029.html?page=1)

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 これまでにしばしば、「いじめをなくすには、どうすればいいか」という質問を受けてきました。ぼくの答えというか反応は、いつも同じ。「学校をなくせばいいではないか」というものでした。訊いた人は呆れかえったり、冗談じゃないと、怒り出す始末。でも、ぼくの言い方はぶっきらぼうというか、あっけないということだったかもしれませんが、間違っているとは思わなかったし、今でもそうです。「学校をなくす」というのは、文字通りに、学校の存在を消すことを意味しますが、それだけではないでしょう。ここで、改めて考えなければいけないのは「学校とは何か」という、当たり前の前提です。生きていく中で、それは必要不可欠の場所かという問題。さらに言えば、学校がある(あった)期間より、それがなかった期間の方がはるかに、比較を絶して長かった。もっと言えば、学校に行って「幸せ」に(結果として)なれたという人は、もちろんいるでしょう。けれどもその反対に、いかなければよかったという苦さを(結果として)味わった人もそれに相当するほどいるのです。

 あまりにも陳腐すぎて、誰も「学校とは何だ?」という問題に真剣に取り組もうとはしません。でも、本当に「学校って何ですか」と訊かれて、ぼくたちは、どこまで、この「(楽勝するしかない)質問」に応えられるか。分かっているようで、ほとんどなにも考えていなかったことが明らかになるのがオチですね。よく調べると、誰かに吹きこまれた「学校観」に呪縛されてきたにちがいない。「とにかく行かなければ、ダメ」とか何とかいうのが、大人です。テキトーに誤魔化しているだけではないですか。

 いま、学校がしていることを列挙してみる。子どもたちの中で優劣を競わせる。試験の結果で序列をつける。序列に従って分類する。(一方で「友情」「仲間」を強調しながら、「油断するな」あれは敵だ」と言わぬばかりの競争意識を、もう一方で煽ってきたではないですか。今でも、そうでしょ。さらには、誰にでも通用する「規則」を守らせるが、きっとある特定の生徒には規則順守の例外を認める(「特待生扱いと劣等性扱い」)。教師集団にも階級制が認められる。学校そのものは、独自の存在理由を持たないように仕組まれている。教育委員会や議会、あるいは政党などの、外野の圧力を受ける。要するに、学校は「競争と序列」によって支配されているのです。「学校をなくす」とぼくがいうのは、このような顔をした「組織」や「集団」の「顔つき」そのものを変えるということでもあります。

 成績評価を何よりも重要視するという「したり顔」を止める。「成績による序列」を根本から改める。学校の独自性や独立性を、自ら獲得するように最大限の工夫をする。その他、いろいろ、さまざま。「当たり前の学校」を「当たり前ではない学校」にすると、どうなりますか。もっとも困るのは、あるいは教師かもしれない。教師が教師の顔を押し通せなくなると、どうなりますか。「教える人」が「難局に直面して、困り切った人」になるのも、一計じゃないでしょうか。ぼくが言いたいのは、優劣を明らかにするためという、人間であることのために不合理でさえある、あらゆる決まり、それを即座に、あるいは徐々に捨てていくことです。「優劣の彼方」に、教師も生徒も手を携えて向かっていく。社会や学校を一変させるのは、不可能です。そうであるなら、自分を変えることです。自分が変わることです。他人よりも点数が高い、そのような順位を争うことのどこに価値がありますか、と自問自答する。人がどのように考えるかは、ここでは問わない。大事なのは自分が変わることですからね。

 何時も同じようなことを言います。芸がないというか能がないというか。その通りですから、お許しをいただくほかありません。ぼくは小さいころに、そんなことを理解していたのではなかったが、学校は好きじゃなかった。ここでいう「学校」とは、上に述べたような「当たり前の、したり顔の学校」でした。だから試験も嫌だったし、命令するばかりの教師も嫌いだった。成績を誇らしげにする級友も他人でした。「その程度の事で自分を誤魔化すんじゃないよ」と言ってやりたかったですね。

 これもどこかで触れたと思いますが、女優だった沢村貞子さんの逸話に引きつけられたことがあります。彼女が小学生の頃は優等生だった。__ その日もテストで百点を取った。家に帰って「隣りの何ちゃんは、点数が悪くて残されてるんだよ」と、さも得意げに母親に言った。それを聞いていた母親は、「なにを言ってるんだ、この子は。何ちゃんは、お家の手伝いをしっかりするし、何でも自分でしているよ。それなのになんだ、おまえは。ちょっとばかり点数がいいからって、いい気になるんじゃないよ。みっともない」といったそうです。「点数がいい」のを「みっともない」といったのではないでしょう。それを鼻にかけるのが癇に障ったんでしょうね。沢村さんは、この親の批判を生涯忘れなかったと、後年の自伝の中で書かれています。浅草育ちだったから、なおさら気風がよかったんですね、お母さんは。

 試験というのは、その子がどこがわかって、どこがわからないかを自分(本人)で知っておくための手当、見当です。それを間違って、自分を偉く見せる道具にするというのは、じつに恥ずかしいですね。ぼくは学校が気安い場所に思われなかったのは、小さいころに、すでに「世の中の価値観に屈する」というか、世の中に受け入れられる姿が、格好良くなかったからでした。世間に自分を委ねるという、その根性が美しくなかったからだった。もちろん、当時はそう思っていたのではない。なんだか、体が動かなかっただけでした。でも長じていくうちに、ああ、こういうことだったんだと納得が行ったのです。

 学校の「いじめ」で、ぼくがもっともいやだと思うのは、関係するする大人(第一義では教師たち)の隠しようのない「無責任」さです。それはどこに起因するか。まずは「組織・集団(学校教師・教育行政者集団)」の組織防衛というのでしょうか。防衛本能が働く。でもあからさまにいえば、組織や集団における「自己防衛」「自己保存」本能が働くのです。そうなると、被害者よりは加害者を擁護する、守勢に回るのです。加害者が存在することを認めるというのは、「いじめの実態」を明かすことになるからです。これは学校に限らない。企業でも同じです。会社を守るというのは便宜であって、本音は「自己防衛」です。インパール作戦の指導者の無責任、戦争が敗戦に至った際の無責任。現下の政治的不作為で多数の犠牲者が生まれていることへの「無責任」、これらすべてが同じ「感情」からの「自己保存本能」「自己防衛器官」の働き(機能)によるのもです。これらの人々は、すべて「器械」であって、迷ったり間違ったりする「生きている実感」を持たない存在なんでしょうね。「つまづいたっていいじゃないか、人間だもの」

 事件の解明はなによりも必要ですが、この種の事件が起こるたびに「自己防衛器官」が発動するという、人間の本性を、先ずは鍛えなおすというか、育て上げることが求められています。そのためにも、「当たり前の学校」が「当たり前でない学校」に代わるように、学校との付き合い方を改めなければならないでしょう。

 「いい学校に入る」という、その「いい」がぼくにはわからない。今は後悔しているのですが、大学に入ったことは間違いだったと思っています。ぼくがは入った大学は「いい学校」じゃなかった。じゃあどうして、と言われそうですね。事前の調査をしていなかったからでした。何にも知らなかった。だから、入ってから分かったが、自分の過ちだと、それは自分で理解していました。教師も学生も「いい」ではなったんですね。おそらく、世間では「ちょっとくらいは、いい」だったかもしれません。でも、ぜんぜん「いい」じゃありませんでした。その「いい」ってなんだ?

 成績を上げて(競争に勝って)、「いい会社」や「いい役所」に就職する。さらにもっと「ガンバって」、社長になる、あるいは大臣になる。えっ、その程度が人生の目標なの? 社長になって「悪いことを、堂々としたい。会社の金で飲み食いしたい」「大臣なら、存分に権力振るえる」だってさ。これが人生の目的だとすると、いかにもセコい、セコすぎませんか。ぼくは、このように考えて生きています。もっと美しい目標というか、生き方を探したいね。「困っている人がいたら、先ず助けようとする」、そんな人間にぼくはなりたかった。現代版「宮沢賢治」流ですね。だから、大きな企業やソーリ大臣が悪いこと、恥ずかしいことを(格好いいと、錯覚して)やり放題なのは、実にセコの極地ですね。国家や役所、会社や学校を、自分自身と錯覚しているんですね。「自分が国家」「自分が会社」「自分が学校」、これは怖いことでしょ。こんな連中が大手を振っているような組織に、愛想をつかすことはあってもしがみつくようなことはしない方が大事、命をまっとうするためです。

 あまり学校に近づきすぎると「学校の餌食」になると、言い続けてきました。「いじめ」で苦しむ、挙句に自らを追い込んでしまう、残念だけれども、まんまと「学校の餌食」になったと言えるかもしれません。学校の餌食になるために、餌食になるのがわかっていて、それでも学校に行くというのは「自虐」ですよ、ぼくからすれば。学校に通うことが、ある人には大切だというなら、行かないことも、ある人には大事なんですよ。行くほかに余地がないというのは、間違っていますね。「学ぶ」ことは学校でなければできないというのは、「神話」「作り話」だと、ぼくは言いたいんですよ。そ学校とは、つかず離れず、そんなつきあい方を、自分のものにする、あるいはできるといいですよ。これは学校から学んだ、なけなしの「学習」でした。「学校」にはたくさんの物や事がくっついています、あるいは、抱え込んでいる。(「いじめ」をした子も、された子も「学校のもの」でした。教師たちはもちろん、学校の付属物。その他たくさん。そんな学校から距離をとる、つまりは Social Distance ですね)(この旭川の「いじめ」問題については、もう少し取材をして、さらに考えていきたいと願っています)

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 学校は、人間を作り変えてしまいます。ごく当たり前に生きている人間が、学校に入ったとたんに「校長」になり「教頭」に作り替えられます。そうなると、もはや、一人の人間としての、真摯な言を忘れてしまう。一人の人間として、自分の足で立とうとする意欲を失ってしまう。学校という人間加工工場の製品になればなるほど、人間性の心持ちから遊離してしまうのです。ついには、その組織の呪縛から逃げられなくなってしまう、その典型のような「教育者=教頭」の、人間性を破壊された存在の「組織防衛言語」「自己保存言語」ではなかったでしょうか。(こころざし半ばで、望洋たる大河の岸辺をたどりながら、死にいたるまでに追いつめられた、前途遼遠たる一人の女性の御霊に、深甚なる追悼の思いを届けたい。山埜)

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 「10人の加害者の未来と1人の被害者の未来、どっちが大切ですか」「この国の、それも教育者たる人の言葉だろうか」「どっちが将来の日本のためになりますか」 (人間性を押し殺さざるを得ないと観念してしまった、悲しすぎる組織人の偽りの言辞)

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 国政は、国民の厳粛な信託による

【卓上四季】統帥の責任と尊厳 今や第一線各部隊は、戦うことより自滅を防ぐことを第一義として行動しつつあり。史上最悪とされるインパール作戦で命令に従わず罷免された佐藤幸徳中将が、ビルマ方面軍参謀長に宛てた電文だ▼補給もなく、飢えや傷病に苦しむ前線を直視しない司令部への憤怒は極めて激しかった。責任転嫁に無理難題、判断先送りと統治破綻のお手本のような司令部。軍紀を盾に不可能を強制するは暴虐に過ぎぬとして「いずこに統帥の尊厳ありや」と糾弾した(「抗命インパール2」文春文庫)▼約7万2千人が死傷した悲惨な退却戦は能力の過信と甘い見通しに基づく無謀な計画の代名詞ともなった。五輪開催強行の一方で医療機関に病床確保を迫る国や都の姿勢を重ねる向きもある▼新型コロナウイルスの爆発的感染が収まらない。医療体制は破綻し、自宅療養者の死亡も相次ぐ。道内も3度目の緊急事態宣言適用が決まった。曖昧な基準や施策による混乱の帰結といえよう▼「抗命」の著者高木俊朗さんは、「罪悪とすべきは戦争そのものよりも人々の無責任だ」と述べていた。無謀な作戦の強行が繰り返される理由もそこにある▼「今日生きているのは奇蹟。佐藤閣下の抗命罪が成立するならば私たちが生きていることも罪だ」。インパール作戦で負傷した元兵士が高木さんに宛てた手紙に書いた。時を経て繰り返される責任なき国の悲劇である。(北海道新聞電子版・2021/008/26)

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 実は大松(博文)が属した師団は、旧日本軍の精神主義と相反する歴史的事件の舞台となっている。四四年六月、師団長の佐藤幸徳が、作戦遂行を担う第一五軍司令官牟田口廉也(むたぐちれんや)の命に逆らい、コヒマから撤退を始める。「食わず飲まず弾がなくても、戦うのが皇軍」と強弁する牟田口に対し、佐藤は打電する。「人間に許されたる最大の忍耐を経て、しかもなお刀折れ矢尽きたり。これを見て泣かざるものは人にあらず」 師団長が、軍の統帥を無視した「抗命事件」。今でこそ英断とたたえられるが、戦後しばらく佐藤は「不名誉な軍人」として責められた。大松はその部下だった。日本代表のベンチ入りしていた藤本佑子(77)は、インパールの戦友が練習先の新潟などを訪ねてきて、監督と話し込む姿を何度も目にしている。再会した戦友は意外な一言を語り、大松は自著に書き残している。「戦地にあったころのあなたは、いま見聞きするようなガムシャラな人ではなかった」。生き地獄を共にしたつわものたちさえ舌を巻く、変貌ぶりだった。(敬称略、選手名は旧姓)(左上写真は大松博文氏)

<インパール作戦> 太平洋戦争後期の1944(昭和19)年3~7月、英領インド北東部の都市インパール攻略をビルマ(現ミャンマー)側から目指した日本軍の作戦。米英による中国支援ルートだった北東インドを遮断し、インドで独立機運を高め英国を揺さぶり、局面打開を図る狙いがあった。軍部は前線への補給態勢を十分に確保しないまま作戦を強行。3個師団計6万人が参加したが英軍の反撃でインパールは陥落せず、7月に作戦中止。撤退路でも病死や餓死が相次ぎ、約3万人の兵士が死亡した。(東京新聞・<聖火 移りゆく 五輪とニッポン>第2部 おれについてこい(2) 精神変えた「地獄」・2020年2月13日)

● 大松博文(1921-1978)=(省略)昭和16年大日本紡績に入社。学生時代からバレーボール選手として知られ、28年日紡貝塚(現・ユニチカ)バレーボール部監督に就任して名をあげた。回転レシーブ、変化球サーブなどの新しい技を考案、厳しいトレーニングで選手を鍛えた。40年に監督の座を退くまで175連勝の記録をつくった。日紡貝塚のメンバー主体の全日本チームの監督も務め、37年には世界選手権で優勝。39年東京五輪では決勝の対ソ連戦にストレートで勝ち、金メダル。河西主将、宮本、谷田、半田ら“東洋の魔女”たちが“鬼の大松”の胸に飛び込んだシーンはブラウン管を通して日本中の感動を呼んだ。引退直後の40年中国を訪問、バレーボールの指導に当たる。43年参院全国区に自民党から立候補、7位で当選。1期6年を務め、次回は落選。その後はママさんバレー指導に全国を歩いた。著書に「おれについてこい」「為せば成る」などがある。没後の平成12年世界殿堂入りを果たす。(新訂政治家人名辞典) 

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 【地軸】裏切られた思い「私たちは二重に裏切られたのである」。日本が戦争に負けた76年前の夏のことを、作家の五木寛之さんはそう受け止めているという(「人間の覚悟」新潮新書)▲戦争末期、戦局の不利は明らかだったが、必ず勝つと言われて信じた。敗戦後は「治安は維持される」というラジオのアナウンスに従った。実際には旧ソ連軍が進駐し、口に出せないような事態に遭う。過酷な経験を踏まえ述べる。「国が国民を最後まで守ってくれると思ってはいけない」▲今年の夏も、国に何重にも裏切られたと感じている人は少なくないだろう。最後まで守ってもらえるという信頼も薄れているのではないか。緊急事態宣言が繰り返し発令されても、新型コロナウイルスの感染拡大を食い止められない▲市民の不安や不満が噴出した格好だ。横浜市長選で菅義偉首相が支援した前閣僚が敗北した。首相が地元で肩入れした上での惨敗である。政府のコロナ対応が選挙結果に影響した可能性を首相自ら認めたのも無理はない▲五木さんは国に関し「諦める」覚悟をするよう説く。「諦める」とは「明らかに究める」ということで、期待や不安に目を曇らせず、事実を正面から受け止めるという意味らしい▲コロナ対応で国に過度の期待を持つのは禁物という事実を受け止めよう。だがこれ以上の感染拡大は許されない。そろそろ政府に有効策を示してもらいたい。決して過度の期待ではないと思う。(愛媛新聞ONLINE・2021年8月25日)

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●インパール作戦(いんぱーるさくせん)=太平洋戦争の末期、日本軍により実施された東インドのインパールに対する進攻作戦(ウ号作戦と呼称)。同方面を根拠地とするイギリス・インド軍のビルマ(現ミャンマー)進攻作戦を未然に防止し、あわせてチャンドラ・ボースの自由インド仮政府支援のため、インド領内における足場を確保することを目的として計画され、1944年(昭和19)1月、大本営の認可するところとなった。同作戦を担当した第一五軍(司令官牟田口廉也(むたぐちれんや)中将)は、同年3月に行動を開始し、4月にはインパール付近の地点にまで進出したが、航空兵力の支援を受けたイギリス・インド軍の強力な反撃と補給の途絶とによって、しだいに守勢に回り、7月には退却命令が下され、飢えと病気により多数の将兵を失った悲惨な退却戦が開始される(死傷者数7万2000人)。日本軍の戦闘能力を過信し補給を無視して計画・実施されたこの作戦は、日本軍の作戦指導の硬直性を暴露し、その失敗によりビルマ防衛計画を崩壊に導いた。[吉田 裕](ニッポニカ)『丸山静雄著『インパール作戦従軍記』(岩波新書)』

● 五木寛之(いつき-ひろゆき)「1932- )=昭和後期-平成時代の小説家。昭和7年9月30日生まれ。朝鮮半島からの引き揚げを体験。作詞家,ルポライターなどをへて,昭和41年「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞,42年「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞。51年「青春の門 筑豊編」で吉川英治文学賞。のち休筆し,竜谷大で仏教をまなぶ。「風に吹かれて」「大河の一滴」などの文明批評にも定評がある。平成22年NHK放送文化賞。同年「親鸞」で毎日出版文化賞特別賞。福岡県出身。早大中退。(デジタル版日本人名大辞典+PLUS)

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 「いずこに統帥の尊厳ありや」「罪悪とすべきは戦争そのものよりも人々の無責任だ」 「時を経て繰り返される責任なき国の悲劇である」「国が国民を最後まで守ってくれると思ってはいけない」思い付きで引用した部分は、いつの時代にも妥当する、人間の怯懦、偽りの強がりが、事態を誤るという、警告のように、ぼくには聞こえてきます。少しでも「高い地位」に進みたいという「高山病」に罹患したがる人がどんなに多いか、ぼくは仰天します。これも、学校教育が蔓延させた「風土病」じゃないかと見ているのです。現下の事態を凝視していても「国は断じて国民の一人一人の命を守るなんてありえない」ことが白日の下に明かされているではないですか。(右は五木氏)

  引用した二つの「コラム」からの「再引用」を一読するだけで、何が言いたいのか、言うべきかが判然とする。分かりすぎるほど、明らかでもあるのです。たった一人が「悪」を引きおこすことはあり得ても、数千、数万の人命を壊し、遺棄することはあり得ません。また、同じ犯罪でも、権力者とぼくたちでは比べられないほどの差があるでしょう。「嘘を吐く」ソーリがいましたが、ぼくたちが吐く嘘とは比較を絶するのではないでしょうか。その意味では、要路にあるとされる人間たちの「無責任」こそが糾弾される必要があるのです。さらには「国が国民を守らない」というときの「国」は、言うまでもなく要路にある人々です。最高権力者はたった一人かもしれませんが、それを取り巻く渦のような人々が構成する組織集団が政治や行政の実に当たっています。その連中がなすべき業務を果たさないということ自体が、責任を問われるのです。

 現下の「コロナ禍」は戦争ではありません。そうではありますが、あまりの惨さ、理不尽さに、まるで戦争だといいたくなるのは道理です。だから、非常事態ならぬ「緊急事態」宣言が発令されているのでしょう。それにもかかわらず、五輪を開催し、パラリンピックも開かれています。非常事態を強調しながら、平和の祭典、公正な社会、多様性の尊重なとというカオス。虚飾塗れの御託、実につじつまの合わないことを強引に進めているのです。そのことに対して、ぼくはこれまでいろいろと言ってきましたので、もうこれ以上は言わないでおきます。

 余談です。「軍」といい「国」といいますが、その実態は何かという点。「軍」も「国」も、一つの機関です。かつて「天皇機関説」を唱えた憲法学者が糾弾され、断罪されたことがありました。天皇の絶対主権を否定し、国家機関の一つに過ぎないとした廉での批判・弾圧でした。現行憲法下の国家運営に関しては、以下の引用(憲法「前文」)にあるように、国民主権であり、その主権を選挙で選ばれた国会議員が行使するという「代議制」が制度の上での建前です。

 「 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」とある通りです。国政は「国民の信託」により、「権力は国民の代表者が行使」「福利は国民が享受」すると言われています。

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● 天皇機関説(てんのうきかんせつ)=美濃部達吉によって主張された学説で,国家を統治権の主体とし,天皇は国家の一機関にすぎないとする明治憲法の解釈のこと。上杉慎吉らの天皇主権説に対して,大正デモクラシー以後,学界政界で一時支配的な地位にあった。しかし満州事変以後,軍部,官僚,右翼団体が天皇機関説を国体に反する反逆思想として攻撃したため政治問題化した。これが 1935年のいわゆる国体明徴運動である。当時貴族院議員であった美濃部は議院弁明を求められ,反論を明らかにしたが,衆議院議員江藤源九郎は彼を不敬罪で告発し,政府も陸海軍大臣の圧力に押され『憲法撮要』など美濃部の3著を発禁とした。こうして美濃部自身も貴族院議員を辞任し,天皇機関説は政治的に葬られた。(ブリタニカ国際大百科事典)

● 独立国(どくりつこく)(independent state)=主権国家ともいう。国内事項の処理ならびに国際社会の他の構成員との関係において,いかなる外部の支配からも自由である国家。非自治地域,従属国などに対立する概念である。国家は,その領域内のすべての人および物を支配する最高の権力を持ち,その組織,国民の権利,外国人の入国条件などを自由に定めることができる。また国家は対外的に他の国家との間で維持すべき関係についての決定権を持ち,条約の締結,外交使節の派遣および接受などを自由に行うことができる。言い換えれば,これらの事項を外部から命令されることなく,自由に行う地位を国際法上認められている国を独立国という。(同上)

● 日本国憲法「前文」=日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。(以下略)

● けんぽう【憲法】=英語およびフランス語のconstitution(ドイツ語ではVerfassung)に対応する訳語である。constitutionは,もともと,基本的な統治制度の総体,または,基本的な統治制度の構造と作用について定めた法規範の総体(後述の,実質的意味の憲法)をさす用語であり,近代になって,そのうち一定の形式的標識を満たす法規範(形式的意味の憲法),特定の実質内容をそなえる法規範(近代的または立憲的意味の憲法)をとくにさす用法が行われるようになった。(世界大百科事典第2版)

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 憲法というものは、大枠では国の在り方を決めたものであり、もっと大まかな言い方をすれば、「国のかたち」を定めたものと言っていいでしょう。第一は「国民主権」であり、主権の行使は代議制といわれるように、各種選挙によって選出された議会議員に委任・委託される。総ての人民が参加して議論をすること(直接民主制)は実際上は不可能であるがゆえに「代議制」がとられているのです。「民意」の尊重などと言われるものは、直接民主主義の趣旨を生かすための手法です。したがって、各種の課題に関して「民意」「世論」等が尊重されなければ、権力行使が偏頗なものになり、民意とは異なって、あらぬ方向に独走することになります。

(初当選した河合杏里参議院議員「国防安全保障などの勉強をさせていただきたいと思っています」と抱負を。後に選挙違反の罪で議員辞職。こんな連中が議事堂にひしめいている。2019年8月1日)

 二つの新聞の「二つのコラム」が述べているのは、時代背景は異なっていても、権力行使は細心の注意力を払って行うべきであり、それがうまくいかなければ「責任」を負う(とる)べきであるということを示しています。誰が見てもそういうに違いありません。戦時中はともかく、現下の状況にあって、国全体にとっても大きな問題が発生しているにもかかわらず、国会を開かないというのは、「言論の府」の自殺行為あります。人民の負託を無視した暴力というべき奸計・仕業ではないでしょうか。 

 憲法を読まない、憲法に関心すら持たない、そんな「代議士」群によって、国政も国民もは拉致されているのです。驚くべきことに、この国はいまだ独立してはいないのです。建前だけは独立を装っているだけです。それだけ、政治の遅れが顕著であるのですが、その一因は国民の政治的関心の脆弱さに起因します。あえて、国難、災厄などという、まがまがしい言辞を弄するのは、「コロナ禍」に対してではなく、政治家諸氏の怠慢・怠業の看過しがたい状況に鑑みてであります。

 ひるがえって、その矢は人民自身に向かってくる。国のタガが外れていますね。誰かが嵌めなおしてくれるのでしょうか。あるいは、タガだけではなく、本体も、すでに腐敗・腐食しているのかもしれません。もはや手遅れか。ぼくたちの戻るべき「初心」はどこに求めたらいいのでしょうか。いつも言うように、それは、今の状況を導いた、過去に認められる、取り返しようのない間違いを犯した地点であることは疑えません。ならば、戦前の、錯乱・狂乱状態に立ち戻ることが求められるのではないか。(それじゃ、今とあまり変わらんじゃないか、いや、そっくりかもしれんぞ)

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 子曰、徳不孤必有隣(徳は弧ならず 必ず隣あり)

 数年前、ラジオ番組「夏休み子ども科学電話相談」で、5歳児がユニークなお願いをした。「星座の唐揚げ座をつくりたい」◆天文の専門家のアドバイスはこうだった。「毎日同じ時間に空を見て、あのお星さまとこのお星さまを結ぶと唐揚げの形になるかなって探してみて」。無数の星の中に形が浮かび上がる瞬間を味わってほしかったのだろう。◆ 星座は心理学で使われる言葉でもある。人生の出来事をつないで星座(物語)が見えれば、生きる意味がふに落ちる。きのう始まった南日本書道展に入賞した霧島市の鏡橋千佳子さんにとっては、10歳で掛けられた言葉が起点の星だった。◆ 高知から鹿児島へ引っ越す際、書道塾の先生が「書だけは続けて」と託した。でも遠ざかっていた。全てに自信を無くした20代にふと思い出し、教室へ通い始めた。その初日、師が言う。「接筆(線と線の接し方)さえうまくなれば、あなたの字は素晴らしい字になる」 ◆ 自分の可能性に光が差した。以来、精進を続ける。65歳になった。「人が何か道具一つを持って生まれてくるなら私は筆だったのかも」。南日本書道展は今回29回目の出品で、自己最高の秀作賞に選ばれた。◆ 会場のかごしま県民交流センター(鹿児島市)には入賞入選作350点余りが来月5日まで展示してある。一点一点が、出品者それぞれの努力が生んだ星の一つに違いない。(南日本新聞・2021/008/27)

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 鏡橋さんの「書道という星座」、とても素敵な話だと思いました。幼いころに、「一番星見つけた」といい、その一番星が起点になって、その後、さまざまな星々を見つけては、見つけたことも忘れていたかもしれなかったのです。「全てに自信を無くした20代」、彼女は「一番星」を再発見したのでしょう。やがて、孤立していたと思われた星々が、ある時の夜空で「書く」という「星座」であったことを発見したのです。以来、星座の裏に隠れていた星を見つけては(書に精進して)、彼女は「持って生まれた筆」という天稟(てんぴん)に邂逅した。「南風録」さんの記事も長年親しんできましたが、この「星座はめぐる」記事は、ぼくに秀逸に思われました。感謝のみ。それはコラム氏にか、鏡橋さんにか。あるいはお二人にか。

 無粋なことで、ぼくは「星座」を観察することはほとんどない。この方面に趣向を持っている人は、ずっと羨ましかった。なぜ、「星座」に目を向けなかったのか。理由はわからない。簡単に、あるいは乱暴にいえば、「関心が湧かなかった」のでしょう。望遠鏡を買おうとしたことはあったが、買ったところで、どうせよからぬものを覗いていたかもしれません。学校の教師がしばしば、「子どもに関心を持たせたい」「興味が湧くようにしたい」というのを耳にしました。今でもそのように話す教師はいるのでしょう。素人目に見ても、そのように言って「関心を持つ」「興味がわく」ことがあったら、さぞ楽なこと。初めから興味が湧くものは、えてしてつまらないものです。面倒だけれども、やっていくうちに徐々に難しくなり、さらに進んでいくうちに興味や関心が、本人を放さなくなるに違いありません。興味を持つために、自分がどれだけ、どんなことをしたか、それが問われるからです。何もしなくても面白いもの、それはすぐに飽きてきます。

 ある人が、どんなことに興味や関心を抱くか、いろいろな事情が作用しているに違いない。何にでも興味を示すというのは、一面では「注意力散漫」の証明であると思う。あらゆることに手を出すが、ものにはならないというのがオチです。だから一点に集中して、それを深めるようにして、初めて興味や関心が湧き、いよいよそれが「ほんもの」になるのでしょう。

 そのように言えるなら、ぼくはきわめて「注意散漫」な人間であったという結論になります。と同時に、ぼくは、性きわめて不遜でもありますから、誰かに何かを学ぶ(教えてもらう)ということが好きではありません。あからさまに言えば、すべてが「自己流」「自我流」でした。何事にも集中しなかったし、どんな専門も持たなかったのは、ひとえに、この偏屈な性情からだったと、今なら断言できます。誰かに何かを訊く、尋ねるのが大嫌いでした。逆に、よく言えば、どんな事柄も自分で分かろうとしたともいえます。これもよく使う言葉ですが、「自問自答」です。何かを誰かに尋ねる前に、質問内容をよくよく反芻していると、訊くまでもないという羽目になります。教師の真似事をしている間、ぼくは「どんなことでも質問してください」「でも、質問するのは難しいですよ」と、まったく矛盾するような言い方が口癖になっていました。「自問自答」が肝だということでしたね。

 質問するというのは、自分で考えないということと同義です。学校ではよく、「いい授業は活発な授業」「たくさん質問が出る授業です」などといわれる。ホントですか。訊くまでもないことを訊くと、それでも教師は嬉しくなるのかもしれないが、それで問題の何が深まったのか。「一問一答)ほど無意味な、時間の浪費にしかならない愚行はありません。ぼくに言わせれば、ほぼ問答無用ですから。どこかの国の国会でも「質疑」といいながら、事前に質問事項を相手に伝える。あるいはソーリの記者会見と称する愚劣番組でも、あらかじめ質問内容を相手に渡し、現場で、質問者はそれをくりかえす。誰かが書いた愚答を、いかにも面倒くさそうにソーリが垂れ流す。そこには一分の真剣味も感じられない。八百長(出来芝居)が大きな顔でノサバッテいる。

 この「一問一答」を教室でやると想定したらどうでしょう。質問内容や順番を決めておいて、他の子には発言させない。これならなんとか、教師の一人芝居(子どもの支援を得て)は演じられよう。でもそこから何が生まれますか。一方で、子どもたちは事前に教師に訊きたいこと(質問)、学びたいこと(要望)を教師に伝える、教師はそれを懸命に受け止めて教材研究する。それを持って教室に臨む。台本通りに行くと考えるのは愚かです。ライブというのは「生」「息をしている」ということですから、どのような展開になるか分からない。だからこそ、授業は「真剣勝負」になるのです。

 これが「一問一答」(問いと答えがパックになっている)なら、どうでしょう。ぼくは直ちに教室から逃げ出すでしょう。当たり前に考えれば、問いは、それを重ねるうちに、だんだん深くなる。問題がどんどん深化していく、それが「考える」ということです。しかも、国会の八百長などと決定的に違うのは、子どもは一人ではないということです。質問するのは一人であっても、その問答に参加するのは十人、二十人、三十人です。なかには、割り込んできて、とっぴな問題を持ちだす子どもがいるでしょう、まるでかつての、ぼくのように。でも、教師にとって、思いがけない問いをしてくれる子どもこそ、大事にしなければ。その子がそんな大問題、難問題を出してくれるから、教師の思考力は鍛えられるのですからね。

 その昔、ラジオ番組「子ども☎相談室」というのがありました。回答者はかなりインチキなことをいっていた。子どもはそれ(インチキ)を知っていたように思います。「この大人はでたらめを言っているな」という具合に。無著成恭氏なんてその典型、代表格でした。なだいなださんなどもいたはずです。だから、子どもは、結局は「自分で考えなくちゃ」と自覚したのでしょう。いまの「科学☎相談」は、それとは別番組だったかも知れません。この「科学☎相談」番組は、偶然に聞くことはあっても、普段は「等閑視」しています。たまに耳にしても、ここでも回答者は「教え過ぎ」「専門家だぞ」といわぬばかりの態度です。ダメですね。そんなことぐらい、自分で調べろ、どうしてそう言わないのか。「人生相談」なるものがありますが、訊く方も答える方も、いい加減とは言いませんけれども、深刻ぶっているようにさえ思われます。誰かに大事なことを、簡単に訊いてはいけないのではないですか。露悪趣味一杯の「ヤラセ」だと思ってしまいます。

 霧島市の女性の場合はどうでしょう。彼女は、訊かなくてもいいことは訊かなかった。 「書だけは続けて」といわれ、 それをどこかにしまっておいた。「接筆(線と線の接し方)さえうまくなれば、あなたの字は素晴らしい字になる」と刺激されて、本当なのかなあと、自分の才能に関心を持ちだす。その結果、彼女は自分の「したいこと、するべきこと」を見出した。それもこれも、彼女はいつでもずっと胸中に「難問・課題・宿題」を持ち続けていたからでしょう。 「人が何か道具一つを持って生まれてくるなら私は筆だったのかも」 と、この人は半世紀以上に及ぶ「自問自答」を重ねて、自分自身の「星座」をはっきりと見定めたのです。ここまでくれば、彼女は、どうでもいいことですが、まぎれもない「哲学者」でしょ。「哲学者」とは、「自問自答」を止めない人です。誰かに教わろうという安易な心持がない人です。自問自答を、別の表現で言えば、問いが答えになり、答えが問いになるという循環する思考作用のことです。

 いつも言うことですが、教師というのは「質問する子」を贔屓(ひいき)し、可愛がります。くだらない、訊くに足りないことでも「訊かれるとうれしい」というか、「その子がかわいくなる」もののようです。それが高じると、教師の歓心を買うために「質問する」という嫌味な子どもが生まれるようになる。こんな教師と子どもたちの「馴れ合い」の場を授業といっていいのですか。教師は教えない人、ぼくはそればかりを言い続けてきました。助けないから自分で歩こうとする、教えないから自分で考えようとする。「這えば立て、立てば歩けの親心」などというのは、あまり感心しない。あるいは「転ばぬ先の杖」とも。親心は、一見、子への愛、いかにも親切そうですが、子どもを甘やかすことにしかならない。「転ぶといけない」、だから、自分で前もって注意する、準備するなら、それは大事なこと、でも教師や親が子どもの「杖」「補助」になるようでは、依頼心の強い、いじけた人間をつくるだけでしょう。これはぼくの、実に狭い経験から学んだこと、だから、すべてはこうあるべし、と言いません。教育には、こういう一面もあるんじゃないですか、その程度のものです。

 自問自答、この姿勢が「自分をつかむ」確実な方法でしょう。自分で問題を出して、それに自分で答える。答えは見つからないかもしれない(見つからない方が多い)。それでいいんじゃないですか。答えというのは、よく吟味された「問い」なんですね。「問題のなかにこそ、答えはある」と、経験からぼくは学んだ。自分で問題を出し、自分で答えようとする、このプロセスが「考えること」を指す。ある問題に、教師が答えを出す(与える)。すると、相手は考えなくなる。考える必要がないからです。教師や親は「カーナビ」じゃありません。つまり、親切に教えたつもりが、相手から考える力を奪っていることになるのです。こんなことにも気が付かないなんて、だらしないことかぎりなし。

 これが学校の日常だとしたら、どんなに残酷な仕打ち。、一生懸命に金と時間をかけて、「無思考人間作り」を学校がやっていることになります。あるいは、それが学校教育の狙いだったのだとすると、どういうことになるのか。犬や猫だって、自分でやりたい、やろうとする「意志」を持っています。安易に頼りたがる人間を「養成する」のが、学校教育の狙いだったんですか、いまさらのように、そんな途方もない、どす黒い問いが湧いてきます。しかし、現実の社会相を見れば、この出鱈目な学校教育の成果は甚だしく挙がっていると言えるのですから、何をかいわんやです。

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 ある人が歩いた後に、その人の「思想」が残される。人々が歩いた後に人間の往来する「道」が生み出される。それが道徳であり、倫理でもあるのです。「徳は弧ならず」、と古人は言いました。

○ とく【徳】 は 孤(こ)ならず必(かなら)ず隣(となり)あり (「論語‐里仁」の「子曰、徳不孤必有隣」による) 徳ある人またはその行為は、孤立することなく、その感化を受けて追慕する人または追従する人の行為を生み出すことになる。道義を行なうものには、必ず理解者と助力者が集まるの意。徳の隣。(精選版日本語大辞典)

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