「問答無用」は言論圧殺の常套手段だ

 説明なき「安全安心」には納得できない コロナ禍の五輪開催に街でネットで続く抗議 

 <民なくして 2021年夏>

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コロナ禍での五輪開催に抗議して駅頭に立ち続ける清水繁子さん

 コロナ禍での五輪開催に抗議して駅頭に立ち続ける清水繁子さん 

 東京五輪開幕後の朝、東京都世田谷区の駅頭に女性が立っていた。声を出さず、五輪中止を求める横断幕を静かに掲げる。地元に住む清水繁子さん(68)が4月から週2回、1人で続けている活動で「私も五輪は嫌いじゃない。でも、コロナ禍での開催はまっぴらごめんだ」と話す。(中略)/ 五輪に固執する政府の姿は、勝ち目のない戦いに突き進んだ太平洋戦争時の日本と重なって見え、強い懸念を覚える。「後世に『なぜ五輪を止めなかったのか』と詰め寄られたら言い訳できない。中止を求める市民の意思と怒りを可視化したかった」。別のオンライン署名を行う元日弁連会長の宇都宮健児さん(74)も「あの戦争で降伏の決断が延び延びとなり、多くの命が失われた。今からでも中止すべきだ」と訴える。(中略)/ 論語に「民信たみしんなくば立たず」という格言がある。民衆の信頼がなければ、政治は成り立たないという孔子の教えだ。今の日本社会はどうか。「説明しない政治」にあきらめムードも漂っていないか。それでも声を上げ続ける人たちの動きを追いながら、衆院選を見据え、政治の在り方と、沈黙しないことの意義を探る。(東京新聞・2021年7月30日 )

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(courrier jp・2021/05/14)

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(mainichi・2021/05/15)

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 今開かれている(ことになっている)「東京五輪」、いったい誰のため、何のために催されているのか。「緊急事態宣言」というぼろ切れを出したり引っ込めたり、引っ込めたり出したり、それが何かの呪いになっているとは思えないし、これを出すことにどういう政治的意味があるのか、皆目見当もつかない。「金メダル」を獲得した選手に電話をかけまくり、コロナ問題には無言を貫く。これを茶番(farce)というんですね。やっと開いた記者会見では「質問をはぐらかす」「的外しの回答」に徹することしか念頭にないのがソーリ大臣とかいう人物のお家芸(十八番)です。訊かれた問いには黙殺ではなく、見当違いの答弁でやりすごす。答えた風を装うという擬態(mimicry; mimesis)。つまり、ごまかすのですね。これはいったい、どういう神経のなせる業か。質が悪い、悪すぎる。これ(「記者会見」という名の汚辱の垂れ流し)は、世の中に公開すべきではない、きわめて恥ずかしい「ソーリ」の底の割れた芝居でしかない。どうして、こんなに無能を晒してまで、「地位」「椅子」にしがみつくのだろうか。恥も外聞もないというのは、このことを指すし、それを見せつけられているぼくたちもまた「恥辱の上塗り」に付き合わされているのです。

 記者(神戸新聞) 首都圏や関西で医療崩壊の恐れが指摘されるが、どう対応するか。先の質問で、感染再拡大を招いた責任について答えていない。 

 首相 (感染の)波をできるだけ早く収めることが一番の責任。今年初めの感染拡大の反省に立ち、病床確保や病床間連携を行っている。重症化リスクを約7割減らす画期的な治療薬を積極的に活用して国民の命を守っていきたい。

 記者(ジェーンズ・ディフェンス・ウイークリー) 医療崩壊して救うべき命が救えなくなった時に首相を辞職する覚悟はあるか。

 首相 感染対策にしっかり対応することが私の責任で、私はできると思っている。

 「私はできると思っている」というが、できるのは「誤魔化し」と「虚言」と、「恫喝」ばかりではないか。この内閣になって、特に顕著になったのは「答弁を控える」という「答弁」です。大臣も官僚も、すべてが「ソーリに右に倣え」よろしく、答弁拒否、「問答無用」のオンパレードで、しかも、それを口を開けて見物しているという風情が「野党」と言われるかなりの議員さんたちです。ぼくは、野党の相当の部分は「与党意識」が充満していると見ています。体制翼賛とはいわないが、体制内野党に甘んじていることは否定できません。あるいは、心身ともに「与党」だと任じている議員がかなりいるのじゃないでしょうか。欺瞞、欺瞞、欺瞞。

 「答弁は差し控える」というのは「答える必要がない」「問答無用だ」と恣意的な判断をしていることと同義で、どうして質問者たちはひっくり返らないのか、ぼくには信じられない従順さです。面と向かって、(慇懃無礼にも)侮辱されていて、しかも抵抗も抗議もしない、それで「野党」だというのでしょうか。

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 そこのけ、そこのけ、問答無用のお通りだ 

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 ご当人は問答は無用というのではないつもりで、出鱈目な答弁で逃げ切ることしか考えない。だから、結果としては「問答無用」に徹底しているというほかありません。口下手とか受け答えが苦手というのではない。すべからく「問答無用」、「黙って俺の言うことを聞け」という態度です。これが彼の「政治手法」であり「政治思想」といえば、そう。この事実は、言論の府に属する人間が「問答無用」を振りかぶるという最悪の不幸です。国民にとっては新型コロナをはるかにしのぐ不幸であり、けっして表に出てきて(出ていて)はいけない種類の人間だと、改めてぼくは言いたい。極めつけの「不誠実」、「独善」「傲岸不遜」の典型です。なにしろ「嘘で固めた、史上最長政権」の黒子(というよりディレクターそのものだったから、その加減は手に取るようにわかっていたのだ)だったから、「俺ならもっとうまくやる」という覚悟があるのでしょうな。手口に関しては「知悉」しているのだから。

 ぼくは、初めから現在の「五輪」そのものには反対です。理由はこれまでにも書いてきました。この「東京五輪」に関しても、事情は同じです。「政治性を否定する風を装った」偏向政治・商業的イベントであり、独善的な「政治・商業主義」の強制です。観客無しの五輪とは何か。市中で感染が異常に拡大している最中、「外に出るな」と政府自らが民衆に言い置いて、「五輪開催」とは、わけのわからない「暴力」だろう。誰のため、何のため、と何度でも答えを求めたいが、「問答無用」だ。そして、人民のいのちを元手に「俺は賭けた」と博打を打つという狂気。「俺はブレない」と凄んでみせるのも、まともな神経の持ち主ではない。もう「クレージー」という言葉以外に、なにも見つかりません。

 「問答無用」は言論圧殺の常套手段だといえますが、それは「ソーリ」のなすべき方法・手段ではないでしょう。言うまでもなく、ぼくたちにとっては「常軌を逸した」、破天荒な、許容することが出来ない政治手法です。即刻、退場を願うばかり。問答無用ではない、理由は掃いて棄てるほどある。その任、地位にふさわしいとはとても思えないからです。代わりがいるようには思えないが、いないならいないで、犬でもネコでも置いておけばいい。「たま駅長」などという優れものもいたのです。人間の顔だけをしている、薄情・非人情な輩なら、そんなものはいない方がましというものです。

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 一瞬でも早く、即刻「五輪は中止」すべし。いのちを粗末にしてほしくないし、汚い靴で踏みにじられたくありません。不公平極まりない、無謀な「メダル争い(盗み)」にも終止符を打つべきだと、繰り返し、何度でもいう。「私も五輪は嫌いじゃない。でも、コロナ禍での開催はまっぴらごめんだ」 と言われる清水繁子さんに万感の思いを寄せて、熱中症の罹患を恐れつつ、ぼくも、人気のない山の中で立ち通したい。(今も、少時、草むらに立ってきました。烏が啼いて、嗚呼、うるさい!)

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