ことは、Black Power Salute から始まった

(時事通信社 試合前に片膝をついて人種差別への抗議を示す日英の選手=7月24日、札幌ドーム)

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(Bettmann via Getty Images1968年のメキシコシティ五輪のブラック・パワー・サリュート)

 《 トミー・スミス(Tommie Smith)氏とジョン・カルロス(John Carlos)氏は、メキシコ五輪の200メートル走でそれぞれ優勝および3位となったが、表彰式で黒い手袋をはめた拳を掲げ、黒人差別に抗議するパフォーマンスを行ったため、国際五輪委員会(International Olympic CommitteeIOC)の処分を受け、米ナショナルチームから除名・追放された。/ 2人の行為は五輪史上で最も有名な政治的パフォーマンスとして記憶されることとなる一方、「一夜にして悪者扱いされ、帰国後は職に就くことができなかった」(スミス氏)という。》(https://www.afpbb.com/articles/-/2378179)

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Keystone-France via Getty Images1952年のヘルシンキ大会の開会式に女性が乱入し、平和のメッセージを掲げた。(以上の三枚の写真はいずれ も、https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_60f7d0a2e4b0158a5edb51dd)

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 オリンピックに「政治」を持ち込まないというのは「建前」であって、政治的でない行為を、どのような立場の人間も取ることが出来ないのは火を見るよりも明らかですから、それは「寝言」としか言いようがありません。五輪憲章等でいっているのは「選手は政治的行為を取るな」ということであって、政治家やIOCなどの委員会にはそれは当てはまならないということです。今回の「東京二輪ピック」を見れば、招致運動の段階から、徹底して「政治問題」であったし、無理矢理に開催した原因も、政治家の政治パフォーマンス以外ではありえなかった。多くの民意は「開催延期」か「開催中止」であったにもかかわらず、強引に開催してしまいました。国会で追及されると「私は主催者ではない」と逃げ、何故中止しないかと問われて「止めるのは簡単、挑戦するのが政府の方針」と、まるで主催者そのものの物言いです。言辞を弄する、あるいは濁すというのか、嘘を強弁するのは「屑か芥の類」の仕業でしょう。この人を信用できないと多くの人は見入るでしょうし、何より、彼は他人を信じることが出来ない人です。不実、不誠実を画に描いたような人間。ずいぶんと長く、一大商業イベントになってしまったオリンピック。その政治性は並ぶものがないような強さを誇示しています。個々の選手の行動を規定するのもIOCです。その組織とメンバーは「政治の怪物」というべきでしょう。

 ぼくはスポーツは好きで、実際にいくつかの種目はみずから実践してきました。しかしこの五輪、勝ち負けを争うのは「選手(たち)」が建前でも、金メダルを取れば「国歌」が流される、国旗が揚がる。奇妙というか、不思議でならない。なぜ、国が表に出るのか。いつしか選手は「兵隊」で、戦いに勝った国が勝利の雄たけびを上げる、それが「表彰式」だというのでしょう。五輪憲章では「国歌」については何も触れていないようにぼくは見ましたが、いやそれは不文律で、明確に「勝利した国家」の凱歌を顕彰することになっているのでしょうか。このように、五輪競技こそは国別対抗試合であるという「政治的選択」を煽っているのはIOCじゃないでしょうか。国境を超え、スポーツを通して「世界はつながる」という画に描いた餅を踏みにじっているのがIOCやJOC、それと組織委員会です。嘘と誤魔化しがここでも大手を振って通用しています。

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 [16日 ロイター] – 国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は16日、東京五輪において、選手は表彰台で「政治的なデモ」を行ったり、個人的見解を示したりすべきではないと述べた。/IOCは今月、五輪での政治的抗議などを禁止していた五輪憲章第50条を一部緩和。一定の条件下であれば、選手が競技場で差別などへ抗議の意思を示すことが認められた。ただ、表彰台での抗議行為は引き続き一切禁止となっており、違反した場合は処分の対象となる。/ バッハ会長は英紙フィナンシャル・タイムズに対し、「表彰台とメダル授与式は、政治的あるいはその他のデモのために作られたものではない。選手の個人的見解を示すためではなく、スポーツの功績を称えるためのものだ。大会の使命は、全世界の人々が一堂に会し、互いに平和的に競い合うこと」と述べた。(https://jp.reuters.com/article/sport-idJPKBN2EN02T)

○ 50-2 オリンピックの用地、競技会場、またはその他の区域では、いかなる種類のデモンストレーションも、 あるいは政治的、 宗教的、 人種的プロパガンダも許可されない。 (五輪憲章) (国旗や国歌をこれ見よがし、これ聞けよがしと誇示するのは、どうなんでしょうか)

○ 51ー2 オリンピック競技大会期間中、すべてのオリンピック関連の式典と行事では、会長、名誉会長、副会長の順で上席を占める。 IOC 委員、 名誉会長、 名誉委員、 栄誉委員については、 それぞれその選任順とし、 続いて OCOG のメンバー、 IF 会長、 NOC 会長の順番となる。(笑うべきは「五輪憲章」の時代錯誤緒というか、大時代性なんだ。筆者註)

○ 57 IOC と OCOG は国ごとの世界ランキングを作成してはならない。(五輪憲章)(率先して「懸賞の規定」を破っているのは、どこのどいつだ。筆者註)

 政治的であるほかない五輪だからこそ、政治を持ち込まないという建前を言い募るのではないでしょうか。何が「政治的か」、それを判断するのはIOCの「政治判断」だというべきです。ぼくは、もともと「五輪」と「スポーツ」は相いれないという感覚を持っていました。旗のもとに集まり、国家が露出してくるということ、それがそもそも「スポーツ精神」を踏みにじることになっているからです。国旗を背負い国家を背負う、いかにも今風じゃないですね。美しくないこと、夥しい。「個人の自立」とか「個の独立」というお題目が聞いて呆れます。スポーツを食い物にしているという野獣の見本、それがIOC、その他の関係する組織でしょう。

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 酷暑の東京五輪「ひどいうそついた」米メディア、IOCへの「理想的な」報告を問題視

 【ワシントン=吉田通夫】東京五輪で選手から酷暑への悲鳴が相次いでいることについて、米国内では、2013年に当時の東京五輪招致委員会が国際オリンピック委員会(IOC)に提出した立候補ファイルで、7月下旬から8月上旬の気候を「温暖で、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」と主張したことを問題視する報道が相次いでいる。/ ネットニュース「デーリー・ビースト」は26日、「この時期に東京を訪れたことがある人ならだれでも知っているように、報告の内容は良く言えば楽観的、悪く言えばうそだ」と指摘。「問題は、なぜIOCがそれを真実として受け入れたのかということだ」とIOCも批判した。/ 米ヤフーニュースのコラムニスト、ダン・ウェツェル氏は25日に、男子トライアスロンのゴール後に暑さで倒れ込む選手たちが相次いだ光景を「戦場のよう」と表現。「東京の真夏を『温暖』とか『理想的』と表現する住民は一人もいない」として、「日本人は、このことを謝らなければならない。ひどいうそをついたことを」と強調した。/ また、米国内で放送権を持つNBCが視聴率を稼げるようアメリカンフットボールなどと競合しないこの時期の開催が前提になったことも疑問視。放送権収入を重視するIOCが日本の「ばかげた」報告に「気付かないふりをした」と批判し、「しわ寄せを受けているのは選手たちのようだ」と書いた。/ 米紙ウォールストリート・ジャーナルも25日に、報告を指して「日本の組織委は暑さの問題を小さく扱おうとしてきた」と指摘。1964年の東京五輪が暑さを避けて10月に開かれたことも紹介した。(東京新聞・2021年7月27日 20時15分)

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 コロナ感染爆発、酷暑地獄が劣島を襲来しているこの時、関係する人間(当事者)たちがやるべきことは「即刻中止」を表明することです。フクシマの被爆状況を「アンダーコントロール」と、ありえない虚言を世界に向けて吐き、復興のシンボルとしての開催目論見、さらには「コロナに克った証として五輪開催」と、つける嘘は吐き通して、人民もろとも地獄に突入しているただ今現在、要路にいる人間は「即刻中止」、(本音のところは「五輪廃止」を即断すべき、とぼくは考えている)、一瞬の躊躇も許されない。世界に向かって「限りない虚栄・虚飾をまき散らし、虚言・空言を吹聴した」その責めの一端は、ぼくたちにもあることは、ぼく個人としては認めるものです。失われなくていいいのち、救えるいのち、それをこよなく愛おしみ、かつ尊重することこそ、五輪の精神じゃないか。あっ、ちがったか。

 唐突ですが、ぼくは当地において、今でも「満州事変(のような戦争)」が続いていると考えています。その暗闇に乗じて「魑魅魍魎」が利権や私益を漁っている。その作戦計画首謀者はD通という虚業会社。税金をいかにして抜き取るか、それに政治家や官僚が加担し取り巻き、かくして満州の地が荒れ野になった如く、無辜の民が数えられないほど犠牲になった如く、劣島もまた地獄の苦しみを舐めている。因果はめぐる。この時、「里見甫」とは、誰のことなんだろう?

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。