日本人と日本語と日本国、これって曖昧の三乗?

 日本人も日本国も、はじめはなにもなかった

 ひとことで言って、学校の道徳教育は「主体性のある日本人を育成するため,その基盤としての道徳性を養うことを目標とする」という。文字面だけをみると、へえ、そういうことかという印象をもちます。「主体性のある日本人」の基盤となる「道徳性」の育成、それが「道徳教育」なのだと。さらに「日本人としての自覚を身に付けるようにする」とも。(現行「中学校学習指導要領『道徳』など)

 まずもって、「日本人とはなんだろう」と問わなければなりません。いったい、日本人とはだれのことか、あるいはなにをもって日本人というのだろうか。自明のように思われますが、そう単純ではなさそうです。どのような観点から「日本人」、あるいはそれを育ててきたと推定される「日本歴史」というものをとらえたらいいのか、この点に関してはさまざまな見方やとらえ方ができます。これしかないというかたよった立場を取らないようにして、すこしばかり「日本人」および「日本歴史・文化」の風土・背景を考えてみてもいいのではないでしょうか。

 言葉は便利であるだけに、それに寄りかかり過ぎると、大きな陥穽に嵌る危険もあります。「日本人」とか「日本歴史」といったら、たちまちのうちにその内容が了解されるというなら、ことは面倒ではない。しかし、いつどこで、「日本人」が誕生したのか、その起点すら怪しいというか、詮索は不可能だと、ぼくには思われる始末なんです。学説というものがありますが、それは不易でないのは当たり前で、朝令暮改程ではないにしても、何時でも改定・修正されてきました。「万世一系」という「家柄」を誇示させられている系統がありますが、その内実や歴史たるや、じつに解きがたい難問だらけではなかったか。まず、いつその家系がはじめられたかが、実に怪しい。そっくり神話の世界の物語です。ここでは触れませんけれど、涙ぐましい創作が施されての「万世一系」だったのは周知の事実です。

 いつの時代であれ、いきなり「日本文化」を身につけた「日本人」が、装束を付けて出現したはずはありません。また、後に「日本列島」と呼ばれるようになる、数千に及ぶ島々にはおよそ十万年以前に人類が住んでいたといわれています。その後、少しの間隔をおいて徐々に列島に人々が集まって住みだした。もちろん、それが「日本列島」と呼ばれていたわけでもなければ、「日本人」と名乗って、人々が存在していたということもできません。その土地にも、そこに住んでいる人たちにも「名称」はなかった。いまでいう「アイデンティティ」というものは存在しようがなかった。住所不定、氏名も不明。さらに、いったん両度が固定した後でも、争いによって国境線が消えたり狭めたりされることは歴史が示しています。つまり「国土」ですら一定不変ではないのです。

 おそらく国号「日本」が作られた(使われた)のは七世紀以降のことですが、そのときただちに「日本人」が生みだされたのでもない。その当時は外国(随・唐など)から「大和」(倭・ヤマト)などと呼ばれていましたが、日本以外の国が存在してはじめて国名が必要となるのです。近隣の諸国が「倭」と呼びならわしていたのが、ずいぶん後に「日本」となったのです。「日の本」(太陽の出るところ)と、自分自身のことを言いあらわしました。隣人との付き合いが始まって初めて、自己とはどういうものかが気になりだします。自他の歴史や文化の違いが明らかにされだすことによって、自分は何者であるか、という存在証明(アイデンティティ)が求められるようになったのでしょう。

○ やまと【大和∥倭】=狭義では奈良県の一地域,ついで奈良県全部,広義では日本全体を指した語。大和政権の領域拡大とともに日本全体を指すにいたったもの。狭義のヤマトは,《古事記》《日本書紀》に,奈良を過ぎヤマトを過ぎ葛城(かつらぎ)へ,という歌謡があるように,奈良の南方で葛城の東北方の,大和国城下(しきのしも)郡大和(おおやまと)郷,今日の天理市新泉町の大和(おおやまと)神社周辺の地とされる。このヤマトは,葛城と並んで土着の勢力の中心地。(世界大百科事典 第2版)

 「日本列島」に住んでいるぼくたちは、おそらく当たり前に日本語を話し、日本の学校に通い、日本の文化を身につけている(と信じている)、だから「自分は日本人だ」ということになっていますが、もともと「日本国」があり「日本人」がいたわけではなく、したがって「日本文化」というものがあったわけではないのです。いまだって、観念的には「日本」「日本人」「日本国」という抽象概念を操って、内容は明々白々だという気になっています。しかし、ぼくたちはそれらの内容や姿のどこを、どの程度知っていると言えるのでしょうか。「日本国を愛する」というのを「愛国心」というのでしょうが、その中身は多種多様であり、千差万別だとも言えます。愛し方に一定の規則や規範があるとは思われない。「国を愛する」「愛国心を持て」ということ自体、ぼくには無茶苦茶な要求であることは確かですね。狂気の沙汰というのでしょう。

 「日本」というのは7世紀以降、《 小帝国を志向し、東北・南九州をふくむ周囲の地域に対して侵略によって版図(はんと)をひろげることにつとめた、いわゆる「律令国家」の確立したとき、その王の称号「天皇」とセットで定められた国号 》(網野善彦)なんです。

○ じっ‐ぽん【日本】=日本国の呼称。「日本」の字音読みから、ヨーロッパ語で呼称されたものの一つ。※日葡辞書(1603‐04)「Iippon(ジッポン)。ヒノ モト〈訳〉東洋、すなわち日本」 (精選版 日本国語大辞典)

 にほん【日本】=[一] (「東の方」の意の「ひのもと」を漢字で記したところから) わが国の国号。大和(やまと)地方を発祥地とする大和朝廷により国家的統一がなされたところから、古くは「やまと」「おおやまと」といい、中国がわが国をさして倭(わ)国と記したため倭(やまと)・大倭(おおやまと)の文字が当てられた。その後、東方すなわち日の出るところの意から「日本」と記して「やまと」と読ませ、大化改新の頃、正式の国号として定められたものと考えられるが、以降、しだいに「ニホン」「ニッポン」と音読するようになった。明治二二年(一八八九)制定の旧憲法では、大日本帝国(だいにっぽんていこく)が国号として用いられたが、昭和二一年(一九四六)公布の日本国憲法により日本国が国号として用いられるようになった。その読み方については国家的統一はなく、対外的に多く「ニッポン」を用いる以外は「ニホン」「ニッポン」が厳密に使いわけられることなく併用されている。本辞典では、文献上明らかに「ニッポン」と記されている場合以外は、すべて「ニホン」として扱った。美称として、大八洲(おおやしま)、豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)、葦原中国(あしはらのなかつくに)、秋津島、秋津国、大倭豊秋津島など。(精選版 日本国語大辞典)

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  あなたは何人、何民族?

 網野 このままでは日本人は大変なことになるという感じは、私も同感なんです。たとえば、もし私がアイヌ民族から「お前は何民族だ」と聞かれたときに、私はなんと答えるかですね。私は何人かにその問いを発してみたんです。みんな困ってしまうんです。たいていは「大和民族」と言うんです。いま「大和民族」という言葉を、戦争中のいやな経験から歴史家はほとんど使わなくなっています。が、沖縄にいったとき、私は「ヤマト」の人といわれました。しかし私には「ヤマト」人という意識はないし、これは大変、違和感がありました。だから「私は甲州人でヤマト人ではない」といってきたのですが、沖縄の人も笑ってそうだなといっておられましたよ。

  実際、これは大和中心、つまり律令国家中心の考え方からきた言葉ですからね。この国家が七世紀末につけた国号が「日本」なのですが、それは「ヤマト」とはじめのうちはよまれていたわけです。だから「ヤマト」は「日本」と同じなのですが、この問題一つ取り上げてみても、いまの日本人の自己認識は、きわめて中身が曖昧なものだと言わざるを得ない。
 鶴見 通用している言葉で、「日本と外国」といいますね。「日本と世界」ともいいますね。このように区分するのは大変なことなんです。われわれの思想がそうなんです。もっと突き詰めていくと、「日本人と人間」ということになるんです。
 網野 そうですね。
 鶴見 それを突き詰めていくと、日本人は人間から叩かれて、滅ぼされるかもしれません。人間の外にいる日本人なんだから。「俺は人間だ」とそのとき言ってもダメですよ。「お前は日本人だろう」って言われてポカポカ殴られて殺されてしまう(笑う)。(鶴見俊輔・網野善彦『歴史の話』朝日新聞社刊。2004)(この部分は、どこかですでに触れていますが、必要な箇所だと思われたので再提示します)

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 「日本民族、日本語、日本国家、この三つに属しているのが日本人」だという感覚をほとんどの人がもっているでしょう。でも、そうでない人もいるんですね。日本国籍をもっているけど、日本人じゃないという感覚(感受性)は否定できない、そのような感覚を無視したくないし、無視されたくないのです。男か女か、白でなければ黒、といった議論がみられますが、狭いなあと思います。あえていえば、自分を男性とみなしている女の人やその反対もいる、いてもかまわないどころかいなければまずいとさえ、ぼくは考えていますよ。なんでも「二分する主義」というのは、まことにおおざっぱだし、切り捨ててしまう部分が多すぎます。四捨五入ではなく、二捨八入、それぐらいがいいような気もしているんです。

 「日本人」でなければ夜も日も明けないといった時代はずいぶん昔にあったのかもしれないけど、今はいろいろな「日本人」がいる時代です。まさに多様多彩です。アジア系日本人だったり、アメリカ系日本人、ブラジル系日本人…、といった具合に、です。群馬系日本人、静岡系日本人…こんなカテゴリーも作られてもかまわないでしょう。ぼくは、日本系の日本人じゃないかという自己認識を持っています。あるいは「在日日本人」だとも。
 この列島に人類が定住しだしてからまだ2万年もたっていません。その段階からつづいて、さまざまな人びと(人種、のちには民族と呼ばれるようになる人びとも)が方々から、様々な生活の方法を身につけてやってきたにちがいないんです。どんな集団も、その意味では、他民族・他言語です。

 日本列島の住人にかぎっても、仮にそれを「縄文人」といってみたり「弥生人」といってみたり、さらには「縄文系弥生人」と呼んでみたり「渡来系」と呼んでみたまでのこと。実態(ルーツ)はよくわからないというほうがいいんですね。それでかまわない。というより、事実はその通りなんです。そこに、無理にある図式を作ろうという作為が働くのです。それを自己規制するのは簡単ではないようです。「これが日本人だ」、「日本人なら、こうすべき」とかなんとかいうように、ついには「型」にはめてしまいたいんですね。学校の行う道徳教育とやらの「主体性のある日本人」なんて、教師の、あるいは教育長の、文科大臣の頭の中にすらないにもかかわらず、ありもしない、できもしないことを、強弁するから、いたずらに間違えるんですよ。

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 たしかだと思えるのは、私たちの現在にまで連綿とつながる「生き方の流儀」(生活・文化)をリレーしてきた無数の人々(庶民・常民)がいるということです。

 「(日本人とは)日本の国籍をもつ者。日本国民」(大辞林)

 ①国家単位による分類=日本の国籍を有する者。日本国民。

 ②人類学分類=モモンゴロイド。皮膚は黄色、虹彩は黒褐色、黒色直毛。言語は日本語。

 ③民族(学)的分類=「日本民族」という意味で、文化・言語を共有する。

  こんな具合に言ってはみますが、果して、肯綮に当たっているか、と問うこと自体が窮屈ですね。仮にそのようにまとめてみただけで、そこから外れるものがあるのは当然です。「日本人」とは? 法律で定められても、直ちに例外が生まれるのですから、明確にこれが「日本人」ということもできそうにありません。

 曖昧を以てよしとする、それが「国際化」された時代の「人間=一個人」の位置づけではないでか。もっと言えば、「人間」という、その一点で、渡り合えるような器量を持ちたいものだと、ぼくは念じている。そのためには、まず「国際」という言葉から、越えていきたい。例えば「人際」ということを本気で考えてみてもいいんじゃないか、とね。(それぞれが旗をかざさなければ、旗あのもとに立たなくなるなら、まだ五輪には救いがあるかもね。どうでもいいことですが)

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)