旗下に大和魂や大和心…その時代は終わってる

 「旗を揚げる」とか「旗印にする」。この場合の「旗」には理念や理想、方針という意味があるのだろう▼東京五輪の開会式で、新たな「旗」が掲げられた。これまでは一人だった旗手を男女一人ずつの計二人で行うことにした。長い五輪の歴史の中でも初めてのことである▼過去の大会でも女子選手が旗手になるケースはあったとはいえ、大半が男子選手。国際オリンピック委員会(IOC)は昨年三月、男女平等の観点からこれを見直そうと参加国に対し男女一人ずつの旗手を選ぶよう奨励していた▼当日の入場行進を見れば、大半の国がその要請を受け入れ、男女で旗を掲げている。身長差のある男女が旗ざおを握ってともに歩くのは難儀なようで相手を引っ張ったり、引っ張られたりというシーンもあったが、これはこれでほほ笑ましい▼旗ざおを男子が握り、旗の端を女子が持つというスマートな国もあった。なるほどこれなら歩きやすい。日本は交代制でレスリングの須崎優衣選手とバスケットの八村塁選手が交互に旗を運んでいた。身長も歩調も異なる男女がどうすれば平等にそして円滑に旗を運べるかと知恵を絞る。平等な社会に向けた手本となる態度だろう▼男子が一人で旗手を務める国もあった。歴史は簡単には変わらないが、続ければ、男女の旗手が普通になっていくはずだ。その旗を巻いて逃げてはなるまい。(東京新聞・2021年7月25日)

 五輪における開閉会式の入場行進では、きっとその国の旗が掲げられます。それぞれの国には国旗がありますので、誰もそれを可笑しいとか奇妙であるとは見なさないんですね。ぼくは、いつもそれを見て、奇怪な気分になります。また、競技が始まり、優勝を争う段になると、「日本、金メダル」「日本、惜しくも金を逃す」とアナウンサーが絶叫する。これはどういうことなんですか。柔道でも水泳でも、選手個人が戦って勝ち負けを競うのですが、そこにどうして「ニッポーン」とかなんとか国の名が絶叫されるんですかな。ぼくはまったくやりませんが、競馬などはどうでしょう。国際的なレースが盛んになりましたので、各国の名馬が出走する、そのとき、馬名ではなく、「ニッポン」「フランス」「イギリス」と国の名を連呼するなんて、どう考えても奇怪でしかないでしょ。人間の闘いだと「国名」が出るのは、それなりの理由や背景があるに違いありません。

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 その元凶は「戦争」です。日中開戦、日米戦争などと、誰も不思議に思わなくても、ぼくは可笑しいじゃないかと、言いたくなる。日本とアメリカが戦うというが、全民衆がそれに参戦するわけはないのであって、ごく一部の政治家や軍人が戦争を起こしたのに、それに総ての人民が巻き込まれ、挙句には兵隊に駆り出され、「名誉の戦死」などというふざけ切った結末に終わるのです。(戦時下、反戦や非戦を言うだけ、思うだけでも国賊扱いされ、されかねない)下の写真は、ベルリン五輪の際のものです。千九百三十六年、近代五輪が「国威発揚」「国家意思の顕現」の場として政治に完膚なきまでに従属させられた「濫觴」でした。この時に、「聖火リレー」も始められた。国家の威信と金メダルは明確に結びつけられたのでした。「前畑 ガンバレ」も、この五輪で起こった、忌まわしい(ぼくにとっては)出来事でした。

 というつながりでいうなら、五輪というのは国と国の威信をかけた争いであるというのでしょう。言葉の矛盾はその通りですが、「平和な戦い」「平時の戦争」そのものであるともいえます。競技というくらいですから、勝ち負けを争うわけで、金メダルか銀メダルかをめぐる熾烈な戦闘だからこそ、個人間の競争という以上に、競技をする側も観る側も興奮し、国家の一員としての自覚というか、仲間・所属意識が高揚するのでしょう。他国(敵国でもある)との闘いだからこそ、国家の威信に殉じようとする気が湧くのではないでしょうか。ぼくには、これがわかりません。

 中高時代に野球やラグビーの試合で他校と戦った経験がありました。その時でも学校の名誉・威信をかけてなどという気概は微塵も湧かなかった。これはぼくに著しい所属意識が欠けていたためでもありますが、もっというなら、学校の名誉をかけて、ぼくは野球やラグビーなどは金輪際したくなかった。ぼく自身の好みや興味から部活動をしていただけでした。だから「~の甲子園」「都市対抗野球」と聞くと、ぼくは辟易するのでした。たまたまそこに生まれた、その学校に入った、その企業に勤めた、だからその組織のために滅私奉公せよというのは、ご免被ることにしてきました。たまたま、偶然、そこにいるとだけですから、余所に移動しても事情は変わりません。組織に身を隠したくない、奪われたくないのです。

 一人のマラソン選手がいました。円谷幸吉さん。五輪のことが話題になると、きっと、ぼくは円谷さんを思い出します。もちろん一面識もなかった人ですが、国家の威信に応えられずに、みずから命を絶った人として、彼を忘れられないのです。事情はぼくのような他人には判じがたいのですけれど、寄せられる期待とそれを成就し得ないという絶望に、身を引き裂かれたのかもしれないと思うと、勝とうとする意欲、あるいは「期待に応えねば」という責任意識は、時には、人命をも凌ぐほどの破壊力を持つのだと、心は穏やかではなくなるのです。

○ 円谷幸吉【つぶらやこうきち】=陸上競技長距離走選手。福島県出身。須賀川高校卒業後自衛隊に入隊,同体育学校で長距離選手としての才能を開花させる。1963年のニュージーランド遠征で2万mと1時間走に世界新記録を樹立し,その後マラソンに進出。1964年の東京オリンピックでは1万mで6位入賞,マラソンでは先頭のアベベに次いで国立競技場に姿を現したが,トラックの最終段階でイギリスのB.ヒートリーにかわされ,3秒差の3位となった。しかしその健闘ぶりに日本中が沸いた。オリンピック後,周囲からは次回メキシコシティーオリンピックでのメダル獲得を期待されたものの,腰痛や足の故障などで成績は振るわなかった。復調へのきっかけをつかめず自信を失った円谷は,メキシコシティーオリンピックが開かれる1968年の1月,〈父上様,母上様,幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が休まる事なく……〉との遺書を残し,体育学校の自室で自らの命を絶った。(マイペディア)

 何かにつけて、人々は国を背負う、そんな重いものを背負おうとするから、押し潰されるんです。どうして背負わせたり、背負いたがるのか。ご苦労なことです。ぼくは、つねづね「非国民」でありたいと願っている人間ですから、その感情や事情が分からない。非ーー国民といいますが、それは反国民ではありませんし、国民以外の何者でもない(国民そのもの)というのでもありません。たまたまこの島に生まれて住んでいるから「国籍は日本」、それで充分です。税金滞納はしないし(本音では、したい)、憲法にも抵触しない、そんなささやかな、あるいはつつましい生き方を願っているばかりの「小人」です。それを邪魔されたくない、そのためには妥協はしないというのが、ぼくの小さな勇気(ともいえないもの)です。「国のため」という意識は稀薄というか、皆無なのかもしれません。こんな言い方をしますが、他人にそれを強要する気は微塵もない、強要されることを望まないから、同様に他者にも強いることはしない。猫にだって。気分は「鼓腹撃壌」の一老人の心境であり、それは小人の微細な信条でもあるのです。

  …老人有り、哺(ほ)を含み腹を鼓(こ)し、壌(つち)を撃ちて歌ひて曰はく、

  日出而作、日入而息。
 (日出でて作(な)し、日入りて息(いこ)ふ。)

  鑿井而飲、耕田食。
 (井(せい)を鑿(うが)ちて飲み、田を耕して食らふ。)

  帝力何有於我哉。
 (帝力何ぞ我に有らんや。」と。)(『史記』中の「五帝」章の「帝尭陶唐氏」より)

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 一枚の国旗とそこに刻されているたくさんの名前、ぼくはときにこの「日章旗」を眺めることがあります。「爲熊谷直孝君」とあるのは、学徒出陣に出た、都内のある大学の学生、滋賀県出身だったかと思う。氏名は、彼の申し出に応えた教授たちのものでした。そこに多数の名前が書かれて、また「武運長久」を祈るや切と、多くの寄せ書きも認められている。「西条八十」もある、「宇井白寿」も、「仁戸田六三郎」も、「河竹繁俊」も。なんと四十一名が記名してます。ぼくはそのほとんどを(名前だけの人も、声涙までも知っている人も)見聞きしている人(教師たち)です。直接に教えを受けた教師もいます。

 「戦争と五輪」を結び付けてよしとするのではありません。一本の旗が、どれだけ個人を殺し、個性を踏みにじってきたか、その「厳粛な事実」を歴史の中に埋もれさせるような愚行はしたくないと思い定めているだけです。ぼくは「日米」戦争が敗色濃厚になった時期に生まれていました。戦後生まれではありません。小学校に入った時には、まだ「戦争に興奮している」老教師たちがいました。大学に入ったのは、前回の東京五輪が開催された年でした。その国立競技場、神宮外苑で、この百年、どんなことが行われてきたのか。学生時代に、つぶさにそのことを記憶に留めようとしたつもりはなくとも、歴史に学ぶことを「なおざり」にしなかった。学び方は、いかにも「おざなり」でしたが。

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 コラム氏は「歴史は簡単には変わらないが、続ければ、男女の旗手が普通になっていくはずだ。その旗を巻いて逃げてはなるまい。」と書く。なんという素晴らしいノーテンキか。何処を見ているのかしら。悠長きわまる視点に、ぼくは驚愕しているのです。この程度のことしか言わない・言えないんですか。問題の所在を見失っているんじゃないですか。「男と女」の区別は「時代おくれ」だと気が付かないんですかねえ。 

 今回の強制的な五輪開催は、人民が望んだものではないし、そもそも八年前、東京に「五輪招致」を図ったのも、一握りの「政治家」たちでしかなかった。それもおのれの地位や名誉を維持確保するためという、薄汚れた動機からでした。スポーツを踏みにじる愚挙だったと言えるし、それにつながる強行開催も、じつに不届きな公私混同であるというほかありません。コロナ禍のための外出自粛を声高に叫び、目っ中傷で救急搬送される人々が引きも切らない中で、それ横眼で一瞥しながら「五輪万歳」という、まるで狂気の二重奏だと思う。天皇に対する「不敬」が指摘されているソーリ、彼の犯した、犯している「人民侮辱」の罪は計り知れません。

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 くりかえします。ぼくは五輪開催強行と「学徒出陣」を並べて、「国威発揚」「国家威信の宣揚」を非難・糾弾しようとするのではありません。いろいろな状況に配慮すれば、いまここで多額の税金を使い、誰のためにもならない(特定の政治家や五輪マフィア、利益至上の商業主義信者あるいはメダル獲得に血眼になっている名誉欲張り「アスリート」は除く)、そんな望まれないで、呪われた「ニリンピック」は今からでも中止してほしい。戦争も国民が望んだものではない。ごく一部の悪辣人どもが公私を弁えないで、国家・国民を拉致した結果でした。ごまんと嘘を振りまき、虚偽の「平和祭典」をでっち上げてまで、「国威ならぬ、私威」を声高に主張したいだけの愚かを通り越した「狂気の祭典」は、この小さな島国が、世界の歴史に消し去ることのできない汚点(過ち)を刻印したという理由で、ながく、人民も含めて、その償いを強いられることになるはずです。

 どうして、人は「旗の下に」集まるのか、集められるのか。旗に従うというのはどういうことでしょうか。「国旗」には、「私は日本人だ」「日本のために」という気分(情念)を高揚させるものがあるのでしょうか。行進がそもそも、そのような雰囲気を盛り上げるのに大事な要素になっています。つまり、戦いの場にこそ、旗や行進が求められるのです。今回の五輪のモットーは<united by emotion>、これを初めてみたとき、ぼくはなんというモットーなんだと、驚き呆れかえる声を上げかけました。情念によってつながろう、文字通りの「絆(ほだし)」ではないかと直感したからです。

 情念というのは、理性よりも強く人間自身に働きかける。殺意を抱く、いじめをする、暴力をふるう、金銭を奪う、これを人にさせるのは「情念」です。怒りや憎しみ、愛や笑いなども入るでしょう。外からの刺激によって、突如として人間の内部で生じる、ある種の感情です。このエモーションは、第一に「利権」でつながり「私欲」でつながるのでしょう。あるいは「名誉」や「富」による「ほだし」もあったでしょう。これが思いい思いに、強くなりすぎると、たがいの闘いに行きつきます。「平和五輪」が見る影もなく雲散霧消した結果、外に現れだしたのは、利権の山分けという醜悪な分どり合戦でした。もっとも貧乏くじを引かされたのはこの島の人民です。これが、近代ごおおっりんの実態だったと、いまさらのように、ぼくたちは知ることになったのです。それに目を瞑る人が五万といるのも事実ですが。

 ぼくは、まったくテレビを見ないから、各種の競技も観ていません。ニュースで何かと結果が目にも耳にも入ってきます、けれど、関心はほとんど湧きません。国立競技場は象徴なんでしょうね。それは「闘・(戦)いの場」「闘争場(アリーナ)」です。そこに入れば、気分は高まる、敵を倒すぞ、自分の背中には「国家(の威信)」を背負っているのだから。さぞかし重たいだろうね。そんなものは背負わないで、好きなようにやるといいのに。人種や民族を超え、国籍や地域を超越して、スポーツを愛する人々の集いをこそ。(ブルーインパルスは成功したんですか。ぼくは早くから「五輪」じゃない「二輪」か「三輪」だと言っていましたが、「零輪」かもしれませんね。でも、それでいいんだ輪)

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