貧と富は二つにして、一つの状態(その②)

 (この時代、働くとはどういうことか、そんなことは考えるまでもないことと、ぼくたちはやり過ごしています。その昔には「掃除・洗濯・賃仕事」などといって、家庭の主婦の家内労働を形容する表現がありました。「賃仕事」とは金銭を伴う内職をいうもので、いまの「パート・アルバイト」に当たるものであったでしょう。今日の労働(仕事)は千差万別ですが、その多くは時間仕事というか、時給に還元される労働が大部分じゃないでしょうか。この稿は、所謂、ロシアの「民話」と称されるものの小説化をトルストイが行ったもので、題して「鶏の卵ほどの穀物」(千八百八十六年二月ころ執筆)という小編、それを読みながら、生きるとか働くということが、古い時代にはどのようにとらえられていたのか、その一部なりとも知りえて、何かの種にしようという魂胆です。

 そこには、いわゆる「汎労働主義」「金銭否定」が思想の根底にあるとされます。大きく言えば、文明のたどりつつある方向に対する、一種のアンチテーゼをトルストイは示したともいわれるものです。重農主義という考えは古いし、重商主義も同様です。さらに言えば、貴族社会の地主だったものの、百姓(小作)に対する振舞いなどに看過できない問題がありました。それはこの際、脇に置くことにして、作品に読みとれる「生活・労働」観を垣間見ようとするものです。今時は「新自由主義」などと言って、適者生存、優勝劣敗、利益至上主義などという、生き死にをめぐるアリーナ状態を「浮世」は呈していると言えなくもありません。まことに乱暴な教条がまかり通っています。この「民話」を解釈することで何が見えてくるのか、ぼくにも十分にわかり切らない部分があるのですが)

 この汎労働主義に関して、早く大正時代に歌人の与謝野晶子氏が意見を述べておられます。もちろん、その根本は「女性解放」論調ではあったのですが、「人は須らく働くべし」という姿勢を明確に述べています。唐突な気もしますが、参考になるかもしれない(ならないかもしれない)と、ここに挿入しておきます。

 私は「汎労働主義」を以て改造の基礎条件の第五とする者です。これについても私は、最近に公にした種々の感想文においてかなり多く述べていますから、茲ここには只だその補充として少しばかり書いて置きます。
 私は労働階級の家に生れて、初等教育を受けつつあった年頃から、家業を助けてあらゆる労働に服したために「人間は働くべきものだ」ということが、私においては早くから確定の真理になっていました。私は自分の家の雇人の中に多くの勤勉な人間を見ました。また私の生れた市街の場末には農人の町があって、私は幼年の時から其処に耕作と紡織とに勤勉な沢山の男女を見ました。私はそういう人たちの労働的精神を尊敬する余りに、人間の中にその精神から遠ざかっている人たちのあるのを見て、その怠惰を憎悪せずにいられませんでした。私はすべての人間が一様に働く日が来なければならない。働かない人たちがあるために他の人たちが余計に働き過ぎている。その働かない人たちの分までをその働き過ぎる人たちが負担させられていると思うのでした。これは私の家庭で、私と或一、二の忠実な雇人とが余りに多く働きつつあった実感から推して直観したのでした。
 以前から私の主張している汎労働主義は、実にこの直観から出発して、私の半生の生活が断えず労働の過程であるために、これが益々私の内部的要求となったのですが、私のこの要求に対して学問的基礎を与えてくれた第一の恩人はトルストイです。
 私は文化価値を創造する文化生活の過程は全く労働の過程であると考え、人は心的または体的に労働することに由って初めて自我の発展が出来るのですから、文化生活は労働の所産であり、人間が一様に労働するということを外にして、決して文化主義の生活は成立たないと思うのです。それで私は、すべての人間が労働道徳の実行者となることを望み、現在のように不労所得に由って衣食する階級と、労働の報酬に由って衣食する階級との対抗をなくして、労働者ばかりの社会となることを要求しているのです。(中略)
 私はこの汎労働主義の立場から、女子にもあらゆる労働と職業とを要求し、またそれの準備として女子の高等教育をも要求します。私が女子の学問と経済的独立について今日までしばしば意見を述べているのは、実にこの要求を貫徹したいためです。
 リップスは労働について言いました。「我らは自己の素質と、世界における我らの位地とに由って、最も実現するに適する目的にその力を集中する義務を持っている。すべての人は同一でない。故に個人がそれぞれの地位において社会的全体の中に織り込まれ、それぞれに分業を以て全体の文化的使命に貢献する」と。人間の能力が多種多様であって、適材が適所において文化価値を創造することが望ましい事である以上、個別的に適応した各種の職業が女子にも解放されねばなりません。左右田博士もいわれたように「一切の人格が、文化価値実現の過程において、たといその中の一個でもその過程の表面以下に埋没せらるる事なく、悉ことごとく皆その表面において、それ自身固有の位置を占め」て、私のいう人類無階級的連帯責任の文化生活を実現しようとするには、職業の自由を一斉に享有することを前提としなければなりません。(以下略)(初出は『改造』一九一九年四月)

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 前回の続きです。

 

 あるとき子どもたちが谷間で「まん中に筋のある、鶏の卵ほどの」のようなものをみつけた。通りがかりの人が子どもからいくらかの金額で買って町にもっていって、珍しい品物として王様に売りわたした。王様は何人もの賢人(物知り)を集めて「これはいったい何なのか」と調べるように命じたが、だれもそれがなんであるのか答えられなかった。ところが、その不思議な物を窓際においたところ、鶏が飛びあがってつっついたので、どうやらそれはなにかの穀物の粒(種)だと見当がつきました。

「王さま、これは裸麦の穀粒でございます」

 このように答えた物知りたちに命じて、「いつどこでこんな穀粒ができたのか」を調べさせました。しかし、いくら調べても、彼らにはわからなかった。

 「わたくしどもにはお答えができかねます。…これはやはり、百姓どもにたずねてみるよりいたしかたなかろうと存じます」

 それを聞いて、王さまはうんと年寄りの百姓をさがしてくるように命じた。やがてひとりの老百姓が連れてこられました。「青い顔をした、歯の一本もないその老人は、二本の撞木杖にすがって、やっとはいって来た」のです。彼は耳も聞こえず、目もよく見えなかった。

  「これじいよ、おまえはこれがどこでできたものか知らないか? おまえ自身でこんなふうの種子を、自分の畑にまいたことはないか、それともまた、どこかでこんな種子を買ったことはないか?」

 問われたことをようやく理解したその老人は、「いいえ、こんな穀物をうちの畑に播いたことはございませんし、とり入れたことも、買ったこともございません。わたくしどもが穀物を買いました時には、みんなもっとずっと小さなものばかりでございました。これはどうしても、わたくしのおやじにきいてみなければわかりません」と答えたのでした。

 そこで、王さまは人をやってその老人の父を呼びにつかわした。「このたいへんな年寄り」は、一本の撞木杖にすがってやって来た。王さまは穀粒をみせながら、前とおなじことをその「たいへんな年寄り」にたずねた。

 彼は「こんな種子はわたくしの畑に播いたことはございませんし、とりいれたこともございません。また買ったこともございません」自分たちの若いころには「金」というものはまだできていなかった。人はみんな自分が収穫した穀物をたべていたし、必要なときにはたがいに分け合っていたともいうのでした。

 「なんでも、おやじから聞きましたところでは、おやじの時代には、今よりもずっといい穀物ができて、打ちべりも少なけりゃ、穀粒もずっと大きかったということでございます。おやじにたずねてみるがええかと思いますが」

  王さまはまた人をつかわして、その老人の父親をさがさせた。連れてこられた老人は杖もつかず、らくらくと歩いて王さまの前に進みでた。目もよく見えたし、耳もよく聞こえた。

  穀粒を見せられた老人は「わたくしはもう長いこと、こんな昔の種子は見たことがございません」といって、それを噛んでみてからいった。

 「たしかにそれでございます」

  「ではな、じいよ、ひとつわしに、そんな穀物はいつどこでできたものか、教えてくれ、おまえは、自分の畑にそんな穀物をまいたことはないか、また、どこかでそれを買ったことはないか?」と王さまたずねた。

  その老人は次のように答えました。

  「わたくしの世ざかりには、こんな穀物はどこにでもできていましたです。わたくしなぞは生涯この穀物をたべてきましたし、人にもたべさせてきました。わたくしはこれを、自分でもまきますれば、とり入れもし、打ちもいたしました」

  王さまはさらにたずねた。

  そう聞かれて、老人は笑いだしました。

 「では、じいよ、ひとつわしに話してくれ、どこでおまえはこんな穀物を買ったか、それとも自分で自分の畑にまいたか?」

 自分の時代には穀物を売るとか買うなどといった、そんな罪なことはだれもしなかった。金なんかだれも知らなかったし、穀物もだれのところでも欲しいだけあったのだから、といった。

 「ではな、じいよ、おまえはこんな穀物をどこで播いたか、おまえの畑はどこにあったか、それをひとつ話してくれ」

 「わたくしの畑は、神さまの地面でした。どこでも、犂を入れたところが畑でございました。土地はだれのものでもありません。自分の地面などということは、言わなかったものでございます。自分のものというのはただ、自分の働きということだけでございました」

 そこまで聞いていて、王さまはどうしても二つのことをたずねたくなりました。

  一つは「昔はこういう穀物ができたのに、今はなぜできないのか」

 もう一つは「おまえの孫は撞木杖を二本ついて歩き、お前の息子は一本ついて歩くのに、おまえは、杖もつかずにらくらくと歩いて来たばかりか、目はそのとおりはっきり見えるし、歯は丈夫だし、言葉もてきぱきして、愛想がいい。それはいったいどういうわけか」

 そこで三人のなかでもいちばんの年寄りだった、その老人はいった―

 「その二つのことがどうして起こったかといえば、それは、人が自分で働いて暮らすということをやめてしまったからでございます。そして他人のことばかり羨ましがるようになったからでございます。昔は暮らしかたがすっかりちがっておりました 。  ー 昔は、神さまのみ心どおりに暮らしておりました。自分のものを持つだけで、ひとのものにまで目をくれるようなことはなかったのでございます」

〇註 しゅもくづえ【▼撞木▼杖】=握りの部分が丁字形になっている杖。多く老人が使う。

 すき。(または)からすき【唐▼鋤/▼犂】=柄が曲がって刃が広い鋤。多くは牛や馬に引か せて田畑を耕すのに使う。うしぐわ。(三省堂大辞林・第二版)

〇参考・引用文献  トルストイ民話集『イワンのばか 他八篇』(中村白葉訳)岩波文庫版。二〇〇六年)

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 ここまできて、さてこれがどうした、と謗られそうです。初めに断っておいたように、こんな古い陳腐な話を持ちだして、今の生活の何かの足しにしようというのではありませんでした。何の教訓にもなるわけがありません。まあ、日本で言うと「鶴の恩返し」とか「舌切り雀」のような昔話でしょう。今は昔と言いますように、昔は今であるとも言えそうで、それだけを言いたかったのかもしれません。(昔も今も「賢人」というのは「愚か」と同じ意味合いで使われていたんだね)

 ずいぶん昔に「イワンのばか」を繰り返し読んで、人間が生きているあいだに愚かになることは避けられない、歳を取るというのは「愚かになる」と同義なんだと合点したのでした。「愚か」というのは「自分のことしか見ない・見えない」ということ。やがて、自分自身が見えなくなる運命にあるのです。これを読んだのは学生時代、まだ二十歳前のことだった。そこから、ぼくは大学院に入ってジャン=ジャック・ルッソオという思想家(というか、かなり破天荒なならず者でもありました)を読みだした。彼はスイスのジュネーブの人でしたが、当時の、居住地の門限に遅れて、そのままあちこちを放浪するようになります。時には、貴族の年増(ヴァランス)夫人の囲い者にもなりました。そんな彼にあこがれたのではありません。

 「人間社会の進歩は退歩なのだ」と言う、そんなはっきりしすぎた彼の指摘(断定)にぼくは鼓舞されていました。進歩は堕落、自然は善で文明は悪、なんともわかりやすい逆説だったかもしれません。水は高きから低きへ落ちる、そのように人間は墜ちる、それは不可避だと言ったのです。「人間のふるさとは/地方、という美しい所にあった」という石垣りんさん。(石垣さんの「ふるさと」は伊豆だったように記憶しています。りんさんは東京生まれでしたが、親の田舎、それは百年以上も前の伊豆でした)文明化とは、自然の破壊であり、文化(生活の仕方)の均一化であり、違いを無視した標準化でもあるのです。

 ルッソオが書いた「学問芸術論」「人間不平等起源論」や「社会契約論」「エミール」などを、それこそ、自分でも驚くほど真面目に読んだのでした。彼の思想の眼目は、文明社会は堕落した社会であり、社会が成熟・進歩するほどに、人間の堕落・退歩はかぎりもなく深められていくという、一種の反文明論に、ぼくは惹かれていった。生まれたばかりの乳児が一番道徳的で、そこから次第に頽廃や偽善が深まっていくということだった。「神の手から出るときは善で、人間の手の中(社会)で悪に染まる」という。こんなことはだれもが言っていたのでしょうが、無知なぼくにはきわめて新鮮だった。勢いあまって、なんと四百枚ほどの論文を書いたこともありました。題して、「ジャン=ジャック・ルッソオの方法」とか何とか。それを今頃になって、記憶の方から刺激されて、こんな駄文を綴っているというわけです。

 貧富という。それは対語でもなく、反対語でもないように、ぼくは考えている。一人の人間にある「貧と富」をこそ問題にしたいのです。他人の眼からは貧だとみなされているものの中にも「富」の部分は大いにあるし、逆に「富」と言われるものの中に「貧」が紛れもなく存在しているということ、それをいろいろな面において、さらに考えるためのつたない第一歩、それがこの雑で駄なる文章の意図・動機でした。おそらく「子どもと大人」について、駄弁を弄したのと同じ気見合いがここにもあると、ぼくは考えているのです。何処まで行っても、人間には満たされない部分、欠けているところがあるというのです。社会における「貧富の格差」は、また別の問題であり、別の視点で論じるべきだと思っている。

○ ルソー=フランスの思想家,文学者。ジュネーブ生れ。貧困の中で徒弟時代を過ごし,旧体制下のフランス,イタリアを放浪した。1731年からバラン夫人のサロンに出入したのち,1742年パリに出て百科全書派と交友,《百科全書》に寄稿した。1750年《学問芸術論》がアカデミー懸賞論文に当選,文名を高めた。次いで《人間不平等起源論》(1755年),《社会契約論》(1762年)などを発表し,文学的著作として《新エロイーズ》(1761年),《エミール》(1762年),《告白録》(1770年脱稿)を執筆した。個人と集団,自然と社会,孤独と連帯など近代の矛盾に満ちた問題性を自ら生きた思想家としてなお再読に値する。(マイペディア)

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