「子ども」から「大人」になるのではありません

  【余録】思春期の森 子供が大人になるには大きな森を越えなければならないのだろう。森の中は子供のころは見えなかった道が入り組み、子供のころは聞こえなかったささやきや誘いが心を奪う。ふとそんな声につられ迷い道に踏み入れば、先にどんな恐ろしいワナが潜んでいるかもしれない▲「思春期」とは、そんな子供と大人の世界の間に広がる森なのだ。「16歳」は、もう少しでその森から大人の世界へと抜け出せる年齢だったはずである。だが、その少年の一人は同級の女子生徒を刺し殺し、別の少女は母親に毒を盛って殺そうとした疑いで逮捕されてしまった▲「以前は声をかけてくれたが、最近は無視されている気がして憎らしくなった」と少年は被害者への一方的な感情を話している。誰しも思春期のかなわない片思いの覚えはある。だがそのほろ苦い無力感をとげとげしい殺意に変えたのは一体どんな迷い道だったのだろうか▲劇薬を母親に飲ませて、その様子をネットに書き込んでいたとされる少女の場合は、激情とは無縁の冷淡さが心を凍らせる。毒薬をお守りのように持ち歩いていた少女には、薬は自分を全能の神のようにしてくれた魔法のアイテムだったのであろうか▲人は思春期の森をさまようことで心の親離れを穏やかになしとげ、異性との距離の取り方を学んでいく。大人としての無力感と子供らしい全能感との間を揺れながら、自分が生きる現実をしっかりと手につかむのだ。だが2人は森の最も奥深い魔物のすむ闇に踏み込んでしまったらしい▲思春期の森に地図はない。だが耳をすませば迷い道に入り込んだ少年らの声が聞こえるだろう。そっと手を差しのべることも出来るはずだ。大人なら誰もがそれぞれに通り抜けてきた森ではないか。(毎日新聞・05/11/15)

 ずいぶんと古い新聞のコラムから。人間の世界では、子どもから大人の社会に入る手前に「大きな森」が横たわっており、思春期にそこに入ると迷わざるを得ないという。「思春期」というのは「迷い道」に導かれて入ってしまう「大きな森(迷宮)」なのだと。大人になるための「入会の儀式」のごとくに、「思春期の森」に迷い込んで恐怖に慄くような深刻な事件を生み出した少年や少女ちに、いったい何が棲みついていたのか。「人は思春期の森をさまようことで心の親離れを穏やかになしとげ、異性との距離の取り方を学んでいく。大人としての無力感と子供らしい全能感との間を揺れながら、自分が生きる現実をしっかりと手につかむのだ」と、このコラム氏は、おどろくほどあっけらかんと明言する。果たしてそうでしょうか。さまざまな物事に「心揺れながら、現実を生き抜く力を得るのだ」とも。この発言がみずからの「思春期」から得たものなら、ぼくは何も言えない。そんな見事というほかない(大人になった)人間を、ぼくは知らないからです。嘘ではないなら、まちがいですね。

 このぼくに、コラム氏の言うような「思春期」があったのだろうかと、改めて考えこんでしまう。迷妄の果てに道を失い、齷齪しながら、何ものも得られない徒労感だけを身に残した経験、それこそが「思春期」というなら、ぼくはいまだって、みごとに「思春期」を生きて苦しんでいる。人生に頼れる何かがあるとは思えないばかり、生きていくのはとてつもなく、心もとなく不安にさいなまれる、そんな明け暮れを送るばかりの生活でした。。だから、普段は、努めてそのことに触れないように、息をひそめていたり、強がりをいい触らしたりしているのです。まあ、やせ我慢です。

 なぜならば、「自分が生きる現実をしっかりと手につかむ」という、そんな手ごたえを微塵も感じないままで、二十歳以降の半世紀以上にわたって、心を揺すぶられながら生きているからです。「 大人なら誰もがそれぞれに通り抜けてきた森ではないか 」というが、ぼくには信じられない。ぼくは迷妄の森だか林だかに、いまもって右往左往している、道を失っています。コラム氏の言われる「大人」は子ども時代からきれいさっぱり「脱皮」した「新生物」、そう「新人類」のように、彼・彼女をとらえられていますが、それは違うでしょう。年齢を基準に大人と子どもを区別することは不可能だし、大人の中にも十分に幼児性や児童性は残存している。だからこそ、いろいろなことに、人それぞれの感じ方や反応を示すことができるのです。反対に、子どもの中に驚くほど「冷静な視点」、人生に対する「心眼」や「直感」は必ず存在しているのです。ぼくは、このことを何度も何度も身をもって経験してきました。「子供はちいさいのではない」

 このことを考えていると、ぼくには石垣りんさんの「子供」という詩が口を突いて出てきました。「視野というものを/もっと違った形で信じることが出来たならば/ちいさくうつるお前の姿から/私たちはもっとたくさんなことを/読みとるに違いない」「私たち」には持っていたけれども、失ってしまったものがあるのだ。子どもはちいさいのではなく、「私から遠い距離にある」ということなのだと、詩人は言う。大きいから大人で、小さいから子どもでないのは当たり前。頭が堅いのも、見るべきものが「目に見えない」のも、生きていく最中に摺り切らして落としてしまったからなのかもしれない。心のカルシュームを、脳内たんぱく質を、ね。(右写真は茨木のり子さんと)

~~~~~~~~~~~~~

 もう一つ。「地方」という詩を。ぼくの中にも「地方」があり「首都」があるのです。「人間のふるさとは」「地方、という美しい所にあった」というりんさん。生きている限り、それを見失いたくないですね。

~~~~~~~~~~~~~

 「子供」と「地方」を合わせて読むと、何か詩人は、両者における暗示的な同質性を示しているように、ぼくには読めてくるのです。「地方には/自然と共に成り立つ生業があったけれど/首都には売り買いの市場があるばかり」「子供。お前と私の間に」何があるというのか。それを見る目や感じる心を失ってしまった「私」。

 もう一つついでに、石垣さんに関する、鷲田清一さんの一文を。「いま在る/あなたの如く 私の如く/やすらかに 美しく 油断していた」というのは「子供」にも「地方」にも濃密に記されている詩人の、深く悔いる思念ではなかったか。あるいは「生の心情を忘れてしまったという、記憶」でもあったように、ぼくには思われてくるのです。「やすらかに 美しく 油断していた」のは、いつものこととして、ぼくたちはやめようとはしないのではないでしょう。ついうっかり、ではなく、安らかに、美しく、油断して、取り返すことのできない喪失を嘆き悲しむのではないでしょうか。

○ 石垣りん(いしがき-りん)1920-2004=昭和後期-平成時代の詩人。大正9年2月21日生まれ。昭和9年日本興業銀行に入社,50年までつとめる。その間の34年「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」を発表,社会と生活をみすえた詩風で注目された。44年「表札など」でH氏賞,46年「石垣りん詩集」で田村俊子賞。54年「略歴」で地球賞。平成16年12月26日死去。84歳。東京出身。随筆集に「ユーモアの鎖国」。(デジタル版日本人名大辞典+Plus)

*****

 子ども時代は年齢とともに消えるのではない。深く静かに、あるいは、荒々しく、その人の深部に蓄積されていくのです。事あるごとにそれは浮上する。感情・情念という炎はいつでも「熾(お)き火」のように、残り続けているのだ。人間という一つの山は「火山」でもあるのでしょう。「休火山」あるいは「死火山」と見えたものが、ある瞬間に突如噴火し爆発する。これは年齢には関りがなさそうです。九十になって憎しみから人を傷つけ殺すこともあろうし、十歳の子だって、他人を切り殺すという、そんな現実にぼくたちは震撼させられ、翻弄されているのです。(変な言い方でありますが、ぼくたちは「人間として」生まれるのであって、「男として」「女として」生まれるのではないように、「乳児として」生まれ、やがて「大人になる」というのではなさそうです。一応は便宜的、社会通念から、そのように言いますが、まずは「人間として」というところに視点を据えることが大事じゃないですか。「男」「女」「子ども」「大人」というある種の「表徴」にばかり目を奪われると、いつしか物事を見る際に「近視眼」「視野狭窄」に陥ってしまうでしょう。

 ある事柄でも、子どもが起こすから衝撃を受け、大人が犯すと、そうは思わないというのは、どうしてでしょう。大きな過誤を犯すのは、人間のなかの「未発達の部分」ともいえるし、未熟な部分であるともいえるでしょう。未発達や未塾だから子どもであり、そうじゃないのは大人だからというのではなく、一人の人間存在の「全体の一部」が、子ども的であったり大人的であったりするのだと、ぼくはこれまでも考えてきたし、今もなおそのように理解している。そうなければ、何のための「子育て」「養育」「教育」「修養」「自省」というものが必要とされるのか。間違いを犯しやすい部分を、別の能力に育てること、それを教育と言っているにすぎない。子どもを大人にする、子どもから大人に導くなどという表現は、したがって比喩的でもあり、表面的でもあるにすぎないのです。

=====

 (余話ながら 昨日、昨年の十一月以来、久しぶりに東京から年下の知人が来てくれました。Fさんは、都下の公立中学校の教師です。教職歴は、かれこれ五年くらいだったか。石の上にも十年、あるいは十五年かも。それなりに周りも見えて来るには、時間をかけないとね、そういうことかもしれないと思っています。時間(歴史・経験)は人間を鍛えてくれますね。たしかに本筋でない業務、事務仕事で教師は忙殺されている。それは今も昔も変わらないし、変えようとはしないのが行政だろう。「小人閑居して不全を為す」と見下している風が、小人集団の教育委員会などにはありますから。教委にも、教育官僚がいる、それらの人たちはいったい、「子どもの教育」を根底において、どのようにしたいのでしょうか。教師に求められるのは、当たりまえの感情・感覚でしょ。それ以上何が必要ですか。可笑しいことは可笑しい、正しいと思えば正しいという、そんな普段着の心もちが消えないようにと、わがこととして念じています。行政も一緒になって、その道を歩こうとしなければ。

 ぼくは多くの教師の献身を知らないわけではないが、それが「戦争に献身する」ような、恐るべき蛮行でないことを、切望するのです。もしそういうことであるなら、それは「徒労」では終わらない愚行、罪でしかないのです。昨日は、北海道の友人も長野も友人も、ラインだかテレビ電話とかというものに(正確にはSNSというらしい。ぼくはスマホも携帯も持っていないので、用語とその表わす内容には無知です。なぜ持たないか、必要がないからですね)参加して、愉しく無駄話に時間をつぶした次第。何年離れていても、一瞬にして往時に立ち戻るというのか、間隔がきれいに元の距離におさまるというのは、交際や交流のよさであると、ぼくは奇妙に感心している。そして思う、人それぞれに、自分の足で立つ、自分の脳細胞で考える、それで何の不足や不満があるものか、そんな心意気を、またぼくは教えられた、と。若い人たちの飛躍と精進、さらには心身の健康をも祈るや切です。「若い人」と言いましたが、彼や彼女たちは若くない、しかし、ぼくが歳を取った自覚を持たないから、「若い人」などと言っているんですね、それもまた、いいじゃないですか)

________________________________________