わたしを束ねないで わたしは金色の稲穂

わたしを束ねないで

わたしを束(たば)ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱(ねぎ)のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂

わたしを止(と)めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃(はばた)き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音

わたしを注(つ)がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮(うしお) ふちのない水

わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐(すわ)りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風

わたしを区切らないで
,(コンマ)や.(ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡(ひろ)がっていく 一行の詩

○ 新川和江(しんかわ-かずえ)=1929- 昭和後期-平成時代の詩人。昭和4年4月22日生まれ。西条八十(やそ)に師事。昭和28年詩集「睡り椅子」を発表し,翌年「地球」同人。35年「季節の花詩集」で小学館文学賞,40年「ローマの秋・その他」で室生犀星(むろう-さいせい)詩人賞,62年「ひきわり麦抄」で現代詩人賞,平成4年「星のおしごと」で日本童謡賞をうけた。その間の昭和58年吉原幸子と季刊詩誌「現代詩ラ・メール」を創刊。おおらかな母性愛ですべてをつつみこむような詩風。茨城県出身。結城高女卒。(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

○ アラセイトウ(Matthiola incana; gillyflower)=アブラナ科の多年草。地中海沿岸地方の原産で,日本には古くから渡来してストック stockの名で観賞用に栽培されている。高さ 30~60cm,全体に灰色の綿毛が密生している。葉は互生し,長楕円形で長さ約 10cm。春,茎頂に総状花序を形成して4花弁の美しい十字形の花を多数開く。花の色は紅紫色が普通であるが,このほか白色,薄い赤,薄い黄,濃い赤などがあり,また八重咲きのものもある。観賞用に切り花にしたり,鉢植,花壇などに植えられる。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 つい最近の駄文で「ファシズム」について無駄話をしました。きっかけは「絆」という言葉からでした。「絆」は、もともとは「ほだし」「ほだす」という読みに当たるもので、自由を奪う、あるいは縛る・束ねるという状態を含意しています。あるいは「ファッショ(fascio)」というイタリア語から認められるように「束」「結束」「団結」などという、強固な「結びつき」を強調するものとなり、やがて、それ自体がファシズムの基盤となるものでした。一致団結、全員一丸、この暴力そのものの雰囲気には、どうにも逆らえない、堅苦しくて息が詰まりそうな「拘束された事態」が形成されている。全体に帰一するというのは、自己を殺すこと、個々人を窒息させるものでしょう。十年前の東北大震災と福島原発事故の際に、この劣島には「絆」の大軍がものの見事に結成されました。その紐帯に入らぬものは「人にあらず」という事態が急速に醸し出された。その「絆」を際立たせる酩酊曲が「花は咲く」ではなかったか。それを企んだの「N✖K」だった。その唱和を聞くたびに、ぼくは、ゾッとして、震えが止まらなかった。「(ああ、これは第二の)国歌だ」と。それを耳にすると、いまだに鳥肌が立つ。ファッショによる「拘束」が襲ってくるという恐怖心に怯える。その状況は今もなお続いている、いたるところで。

○ ほだし【×絆し】 人の心や行動の自由を縛るもの。自由をさまたげるもの。「義理人情の絆し」 馬の足をつなぎとめるための縄。ふもだし。手かせや足かせ。ほだ。(デジタル大辞泉)

 新川さんの「わたしを束ねないで」については、何も言う必要はないと、ぼくは思っている。くりかえし読みこんでいくと、ついに詩人が届けたかった「心情・信条・真情」が重みを増して迫ってくるはずです。「わたしは終わりのない文章  川と同じに はてしなく流れていく 拡(ひろ)がっていく 一行の詩 」、そのように、たゆたう「わたし」を束ねないでくれ。縛らないでほしい。その上で、これ以上何も言わないでもいいことですが、どうしても一言だけ。彼女は西城八十氏に師事されたと言います。その意味では金子みすゞさんと同門です。それはともかく、西条という人は、詩人というよりは流行歌の作詞家で名をはせた人で、いかに時代の風潮・風波に掉さしていたかが分かります。ぼくは彼を好みません。その理由(にもなっていない)は言う必要もないほどにつまらない。

 敗戦後、彼は「戦犯」に擬せられていたのか、つねに「拘束(逮捕)」に怯え、「疑心暗鬼」「戦々恐々」だったと言われています。戦争遂行の旗振りを思い通りに担ったからで、「怯え」ていたのは、自身に責任意識があったからでしょうか。それはなかったと思う。あったとすれば「一種の後悔の念」だったかもしれません。ぼくが好まないのは、それだからというのではなく、(戦時下であろうがなかろうが)歌が🏁になる、歌を🏁にしようというゲミュート(情緒)が受け入れがたいからです。この時代の流行歌は、ことごとく「軍歌」でした。それ以外(というのは、時局を批判したり、一致・結束を破壊するような)の歌舞音曲は認められていなかったからです。西条氏は「歌は世につれ、世は歌につれ」という表現中の「歌につれ」る世の中を、みずからの「歌」を以て闊歩していたのではなかったかという、根拠にもならない理由のようなものに、ぼくは拘泥しています。同じような疑念は「露営の唄」の作曲家にも抱いてきました。ここで、だれそれを「断罪する」というのではなく、要するに、ぼくの感情が受け入れないというだけのことであります。どうしてこういうことが起きるのか、ぼくにとっては、わが身に照らして、看過していい問題ではありませんでした。

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○ 西条八十(さいじょう-やそ)1892-1970=大正-昭和時代の詩人。明治25年1月15日生まれ。大正8年第1詩集「砂金」を刊行。のちパリ大に留学。昭和6年母校早大の教授となった。鈴木三重吉の「赤い鳥」にもくわわり,童謡「かなりあ」を発表。「東京行進曲」「東京音頭」など歌謡曲,民謡の作詞でも知られる。芸術院会員。昭和45年8月12日死去。78歳。東京出身。詩集はほかに「一握の玻璃(はり)」,著作に「アルチュール・ランボオ研究」,訳詩集に「白孔雀(くじゃく)」。【格言など】羽織だと想ったのは静かにわたしの躯(み)に積った一つの歳の重みであった(「ある大晦日の夜の記憶」) (デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

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 この感情は、西条八十さんに対するぼくの偏見です。それがまったく間違いであったかどうか。予断に根ざした偏見を振りかざすのではありません。ぼくの狭く単純な感覚=鈍感覚からして、ある意味では当然のことながら、彼は時代の要請にこたえるように「🏁になる歌」を使命感を持って作っていたと思う。だから、偏見であることを自覚しながら、「時代の要請」がどのようなものであるかの吟味なしに、次代の風潮に身を任せ、それに応じるというのは、果してなんのためになされたのであったか、そういうことに対して、ぼくは大きな疑問を持っているのは確かなんです。「一糸乱れず」「一億一心」というありうべからざる欺瞞・虚飾を実現しようとしていなかったか。流行歌の大家として「束ねる」ことに集中していたお師匠さんから、「束ねないで」と直言するお弟子が生まれたのもうなずけるような気がします。金子みすゞさんと、彼との関係についてもかなり微妙なものを、ぼくは感じている。でも、それは別の話。

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 「五輪」ではなく、「二輪ピック」開催直前に、一人の「音楽家」の大昔(四十年も前)の「いじめ武勇伝」が、紆余曲折を経ながら、異常に噴出しています。何が問題となるのか。そこには、この島の現状(弱肉強食的状態の肯定。新自由主義とかいうそうです)が如実に活写されているように、ぼくには見えてくるのです。彼が通っていたW学園は、ぼくもよく知っているところで、幼稚園から大学までの一貫校だった。何人もの知人がいたし、その教育実践については若いころには関心を寄せていた。学園の校長だった丸木政臣氏にもいろいろと教えられたし、創立者で学長も務めた梅根悟氏からもいろいろ学んだことでした。いま、非難囂々たる、かかる「武勇伝」については語りたくありません。どうしてこの手の人物たちが「東京五輪」関係者に連なっているのか。(五輪エンブレムの盗作問題、佐々木某氏のオリンピッグ事件、津久井やまゆり園における聖火リレーの採火式問題、その他もろもろ、枚挙にいとまなし)

 いずれ「D通」という企業が旗振り・コンダクターだったことが明らかになる時期が来るはず。満州事変で一旗揚げたという、赫々たるお里は知れているんです。こんな会社が今日、存在していること自体、実に恥ずかしくもあり恐ろしくもある。また、N✖Kの教育テレビも、Dに右へ倣えで、この音楽家を重用していたのに、事件が問題視されると、こっそり番組を差し替えていた。卑怯千万。クズどもがこの島の政治や経済、さらにはマスコミをも壟断しています。つまり、局部的には「ファッショ」体制が見事に出来上がっており、「結束」が強化される過程で、さまざまな課題が放棄されてきたことの表れでしょう。(いずれ、この問題についても触れるかもしれません)

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○ ろう‐だん【壟断】=〘名〙 (「壟」は岡の意)① 高い岡のたち切れた所。※島隠集(1508)扇面「雲籠台殿古招提、壠断岡横路転迷」② (━する) (「孟子‐公孫丑・下」の「有賤丈夫焉、必求龍断而登之、以左右望而罔市利、人皆以為賤」による。ある男が市場の高い場所から形勢をながめ、自分の品物を売るのに都合のよい所を見つけて利益を独占したという、孟子のたとえ話から) 利益や権利をひとりじめにすること。※太平記(14C後)一「壟断(ロウタン)の利に依て、商売往来の弊、年貢運送の煩ありとて」※条約改正論(1887)〈小野梓〉五「其一手を以て内地の産業を壟断するの患なし」(精選版日本国語大辞典)

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  正気の沙汰とは思われない「スピーチ」をソーリが世界に発信しています。その「触り」だけを少しばかり。「新型コロナ感染拡大は世界中で一進一退を繰り返しているが、ワクチン接種も始まり、長いトンネルにようやく出口が見え始めている」「多くの会場で無観客となるが、東京大会の意義は損なわれるものではない」( 国際オリンピック委員会(IOC)は20日午前、都内のホテルで総会、菅義偉首相の「冒頭あいさつ」の一部から・ロイター編集・2021/07/20)

 (まるで「狂気」の発揚です。正気を失っています。このまま一直線で、この劣島はどこに堕ちていくのか)

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