教育と反教育の相互交渉の場を

 あえてこの「雑文の束」「駄文の集積」(ブログ)のかたまりの目当て(ねらいや意図のようなもの)になるかと考え、お題目(副題)を付けておきました。小さな声でぶつぶつと唱えるための、効き目のないお経の一種です。「教育と反教育について」(あるいは「教育または反教育について」)と。それほど分かりやすいことではなさそうですが、何か、教育作用における「往復・往還運動」とでもいいたいような、子どもと教師の間の行きつ戻りつの交渉があるように思われないでしょうか。それは両者の葛藤であり、作用と反作用であり、両者の間に立ちはだかる壁といった趣のものです。もっとわかりやすく言えば、教師は、おしなべて「教えて、教えて、さらに教えて」という方向に走りがちであり、たくさん教える教師は、何かと評価が高いともいえる。しかし、そのような教えたがりの教師の行為を、子ども(生徒)の側からとらえれば、どんなに趣向や工夫を凝らし、強権を発動して「教える」行為に専念しようとしても、ついには「教えきれない部分」は必ず生まれます。それを見逃してしまうから、いろいろな問題が生まれる。教師がどうしても関われない部分こそ、自分自身の問題であるという受け取り方を、生徒がするようになるのもまた、教育の一つの方法であり、原理でもあるのです。

 言いたいことには、教師の与えるものをそのままでは、子どもが受け取らないという意味合いもありますが、もっと深いところで、教育(授業を含みます)には、どこまで行っても教育しきれないところがきっとあります。いうならば、教育の限界です。教師の手が届かない、触れることができない部分と言い換えてもいい。ぼくはこの「限界」はかなり広いというか深いというか、なかなかこの壁や溝を越えられないという気がしていました。こんなに熱心にやって、どうしてこの子には通じないのか、という経験を、どんな教師も必ずしてきたはずです。この「はず」を、ぼくはかなり早い段階でみることにしていました。これはぼくのやる事じゃない、子どもの問題、子どもの領分だ、と。誤解を受けそうですが、教師がするべき教育を放棄しているのではありません。教師の行うところを「教育」とするなら、それに抗する子どもの「反教育」というものが、たがいに対峙するのです。そこに、実は「教育の姿」が現れているんじゃないでしょうか。教育vs反教育、これがセットになって「教育」はなり立っていると言えばどうか。

 ぼくに関して言えば、親父との関係がそうではなかったか、と父親が亡くなった後で、しばしば彼への追憶とともに、考えたことでした。口やかましく「ああしろ」などと彼は言ったことはなかったが、どういうものか、直接に言われたことはなかったが、彼の言い分だと、勝手に推測したものが受け入れられないという気になることが多かった。言われた(ような気になった)ことを諾々と受け入れられない、その気分はいつもぼくの中にあったし、その気分があったおかげで、「素直」ではなく「正直」に生きようとする傾向を深めたともいえるのです。

《 学校などなかった時代から人間の教育はつづいている。そこにかえって教育を考えるほうがいい。どのようにひろくとらえても、教育されない力というものはのこる。それは教育をはじきかえす野生の力である。教育者のおもわくどおりに、生徒の力をためなおすことはむずかしいし、そういう努力をすることは、のぞましい教育ではない。教育と反教育の相互交渉の場を、のこすほうがいい。のこすなと言っても、のこるのだから、はじめから予測にいれておいて計画をたてるようにしたい 》(『教育再定義への試み』)

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 この社会で「学校制度」がつくられたのは明治維新後です。正確には明治五年に「学制」という教育制度に関する法律が出されました。だから、たかだか百五十年ほどの歴史しか、今日の学校はもっていない。学校のなかった時代は、比べものにならないほど長かった。「教育(広い意味では、自分の内・外からの(有形無形の)善悪含めた影響といってもいい)という営み(それは、狭い意味の「子育て」を越えている)」は人間が生存を開始して以来、営々孜々として続けられている。国による学校教育の経験しかしていないぼくたちは、学校がうえつけた価値観(学校で得たものの見方)をそのまま受け入れる癖をつけてしまった。点数至上主義など、その典型でしょう。人生の早い段階で、点数が高い方が人間が上であるという、荒唐無稽な人間評価をまっすぐに進行してしまったのです。恥ずかしいことではありませんでしたか。この恥辱的行為は、今も学校で大手を振って通用している。救い難い頽廃です。

 成績至上主義はその典型です。「一番」が最高だというが、学校以外で「一番病」はつねに有効か、きわめて怪しいでしょう。さらに、成績本意主義者が「国家」「企業」の枢要な地位を占めて、どれほどのこと(悪さ)をしてきたか。「私は国家なり」という気概や矜持は立派にみえますが、他者より高い地位につくという目標しか考えられないとしたら、気の毒という以上に、それがもたらす弊害をぼくは恐れる。他と比べてしか、自分を測れないという、情けない自己評価だからです。この島の現状が目を覆いたくなるような惨状にあると、ぼく言って来たし、実際にもそうでしょう。その惨憺たる状況を作り出したのは、すべてが人間であり、その人間のほとんどは学校教育の産物(餌食)でもあるのです。学校が「教育できる」と勘ちがいした、生徒たちのきわめて矮小な部分が示した「結果」だけを過大に評価した結果、子どもも親も、学校も社会も、みんなが間違いを犯してしまったのですが、それが間違いであると気が付く感受性をほとんどの人々は失っていたのです。皆で墜ちれば、「墜ちていない」ことになるらしい。

 「立身出世」というのは昔の話ではありません。もっとも現代的な価値観であると、ぼくは考えています。一番主義、点取り競争、序列争い等々、これは先ず立身出世によって生み出されてきた価値観です。おそらく、どんな時代においても「立身出世」という社会移動・上昇移動は認められるでしょう。細かく言えば切りがありませんから、ここでは参考までに一つの辞典の解説を掲げるだけにしておきます。いい悪いという問題ではなく、社会が身分的に固定しているなら、その固定した範囲内において、なお移動を求める衝動は民衆の中から生まれてきます。この島社会が「明治維新」という「門閥打破」の大義名分を獲得し、時代の画期となって、「身分解放」的な要素を旨として社会政策がとられた結果、従来にないような激しい身分移動・身分破壊運動が将来したのです。それ以前は生まれや育ち(階級・職業)がものを言っていたのに対し、自由という価値観が標榜されるようになると、結果として激しい「立身出世」競争が現出した。その起爆剤となり、回転軸となったのが「学校教育」だったというわけです。

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○ 立身出世(りっしんしゅっせ】=社会移動には水平的移動と垂直的移動があるが,立身出世は後者のうちの上昇過程をさす。立身出世は,封建社会や村落社会といった身分社会においては,身分秩序を破壊するものとして否認された。社会分化の進んだ流動的な近代社会においては,逆に社会変動の要因として積極的にすすめられ,能力のある人間は競争によって階層上昇 (立身出世) が可能となった。日本でも,明治以降,国家的な欧化政策のもとで盛んに立身出世が奨励されたが,実際には能力主義に反する私的な人的関係も無視しえなかった。立身出世の方法としては特に教育が用いられ,学歴主義の悪弊を生み落した。また立身出世主義には,社会的不満のはけ口としても機能する側面がある。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 くりかえすことになりますが、学校のない時代にも「教育」という、広くは「世代間の文化の受け渡し」を含んだものでしたが、それは気の遠くなるような歴史時間の中を連綿と続いてきました。あたり前のように、ぼくたちは見過ごしてしまいがちですが、それをもう一度見直すというか、学校教育万能時代にあるからこそ、学校のなかった時代の教育をとらえなおす、そこからいろいろな発見があると、ぼくには見えるのです。極論を言うと、学校教育が前面に出過ぎると、「箸の上げ下げまで」教育の対象になった気がするものです。いろいろな価値観や世界観が併存・共存しているのは、きわめて健全だと言えるのに、いつしかそれは画一化し、均質化の方に向かうのです。個々人の自由な発想や価値観を尊重するという建前でいて、実際には「集団主義」に突き進んでしまう。その結果、個人中心主義を、片方で重んじている風を装いながら、集団の意志や論理を強調する、そのように都合よく「個人と集団の釣り合い」を使い分ける。こんな便宜主義が、この小さな島社会を混乱の極北に追いやっているのではないでしょうか。

 教育には、ついには教育しきれない部分は必ず残ると言いました。それを別の表現で言い換えると、誰の日常生活であっても国家や集団の支配が及ばない・抑圧しきれない部分があるということです。その支配されない部分(個人の領域)において、ぼくたちは自由な空気を吸っていけるのです。学校の「教室」で、教師と子どもが学びあうのは、以上において拙いながらも概説したような、個人の領分、子どもの持ち場が、それはどんな権力によっても支配されないし、侵略されないという「自由」、つまりは「権利」を尊重するからであるということことをさします。(同じことは、教師の場合にも妥当するのは論を俟たない。その状況を認めなければ、子どもの権利を尊重するはずはないのです)そういった「権利の行使」が、政治権力によって禁じられれば、教育されないで残った部分が大きくものをいうことになるでしょう。異議を唱える権利、それが自由という(目に見えない)価値をなり立たせるのですから。

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)