世の中を 恥じぬ人こそ 恥となり …

 世に報道機関は数知れずありますが、寄ってたかって何をしていたのでしょうか。指をくわえて傍観していたのか、あるいは懐手で「高みの見物」を決め込んでいたのか。とんでもない奴らがとんでもないたくらみを実行に移していたのだから、あきれるやら、怒り心頭に達するやら。どこの誰がというのではない、烏合の衆が「脅しと強請」に打って出たのだから、胆をつぶしたじゃないか。こういうことは最初から分かっていました。好き放題、勝手次第という出鱈目を、何年もかけてやってきて、しかもどこからもお咎めが来ない。もし手が後ろに回りかけたら、取り手を、融通無碍の奴らに変えれば、問題なしと、実験済みである。嘘も方便ではなく、方便が嘘なんだから、手に負えない。自制心のない輩は、行くところまで行くほかないのです。

 そこで、ぼくは切歯扼腕ということでもないけれど、各地の五十を超える新聞紙の中には、一つや二つくらいはと、ひそかな期待を持っていたんだと言いたいところですが、そんなはずもないとわかっていました。本日は、強権政治という以上に、眼中に人民なしという乱暴狼藉に「一矢報いる」新聞はないかと、かなり低い要望をもってしても、せいぜいが以下の四コラムでした。それもまず、どうしてだか劣島の西側でしたね。西高東低とは「冬型気圧配置」の如くで、東方の振るわないことおびただしい。以前から、とても気になっていたのです。これも、歴史的な経緯が起因しているのでしょう。

 ぼくのささやかな期待というか、無いものねだりです。この先、十日か二十日間の間に、それぞれのコラムが好みの論調で「内閣退陣」を(空想だけれど)、さみだれ式に書くとどうなるか。その予行演習の意味も兼ねて、四連発です。(それにしても、各紙は「上品(じょうぼん)」だし、ぼくは「下品(げぼん)」だし)コロナ感染と灼熱地獄の二重苦から、民衆を守り抜くには、政治ゴロどもを退陣させるに如くはなし。この期に及んでなお、報道は「右へ倣え」の大本営式なんですか。

 【天風録】無言責任 社内の会議で黙っていると先輩が寄ってきた。「沈黙には2種類ある。唯々諾々か、無言の抵抗か。今のはどっちだ」。駆け出しだった遠い昔のこと。何を言えばいいのか分からないと正直に告げると、諭された。「どんな発言でも、無口よりはましだ」▲新型コロナ対応の関係閣僚会合でも沈黙の場面があったようだ。緊急事態下の飲食店が酒類を提供しないよう、金融機関や酒販業者を通じて働き掛けていく―。事務方の説明に菅義偉首相も閣僚も、だんまりを通した▲飲食店の苦境に思いを致せば、会合の場でいくらでも反論できたはずだ。なのに言うべきことを言わず、筋の悪い政策を唯々諾々と追認した方々に、小欄は「無言責任」との言葉を贈ろう▲総スカンを浴びて白紙撤回に追い込まれた首相は「多くの皆さまにご迷惑をおかけした。おわび申し上げたい」。言葉は丁寧だが、なぜか陳謝の思いが響かない。さらに「具体的な内容は議論しなかった」。これでは釈明というよりも開き直りでは▲2日連続して都内の新規感染者が千人を超えた。緊急事態がむしろ日常となったためか。あるいは、国民や都民が国の政策に寄せる信頼度の裏返しなのだろうか。(中国新聞デジタル・2021/07/16)

 【正平調】「観兵式の大将」という昔の言い回しがある。平時のときには「矢でも鉄砲でも持ってこい」などと大きなことを言って、いざ難局に際しては責任から逃れようとする人のことをいう◆金融機関などを通じ、酒を提供し続ける飲食店に“圧力”をかけようとした政府方針は撤回された。猛反発をくらった菅内閣だが、「われ関せず」とばかりに逃げた首相らの足の速さには目を見張るものがある◆会見でその方針を語ったのは担当の西村大臣であり、目下、批判の集中砲火を浴びている。ところが、菅首相ら閣僚たちも、発表前に説明を受けていたことが露見した◆「具体的に議論していない」とは首相の苦しい弁明だが、関西弁でツッコミを入れるなら「議論せえよ」だろう。異を唱えなかったほかの人たちも、われ先にと言い逃れるのに忙しい。なるほどこれではいざ国難の折、大将の弁が響かないのも道理かな◆東京オリンピックを開催する意義について首相は言った。「全人類の努力と英知によって難局を乗り越えていけることを発信したい」と。その前に、である。政治の努力と英知をまずもって見せてもらえまいか◆ワクチンが足りない。補償が足りない。うなずける言葉が足りない。越えるべき難局は目の前に山とあろう。(神戸新聞NEXT・2021/07/16) 

 【水や空】末期症状 「普通に考えればおかしい。(秘書官には)放っておけばいい、と言った」。自身の対応をこう説明したのは麻生太郎財務相兼金融担当相。いくら何でもそんなことができるものか-と考えたのだとしたら、その感覚自体はとても健全だ▲しかし、当事者意識が欠片も感じられないのはいったい何なのか。誰もが認める内閣の重鎮。「おかしい」と気づいたのなら、きちんとその場で止めればいい。それが止まらない▲数え上げればキリがない政府の「コロナ関連迷走」の中でも、一、二を争う大失態かもしれない。酒類の提供停止に応じない飲食店への対応に頭を痛め、金融機関や販売事業者を介した働き掛けを思いついたが、厳しい批判を受けて撤回に追い込まれた一件▲物資の供給路を断つのは戦国時代から変わらぬ“必勝法”の一つではあるだろう。だが、酒の提供を続ける店は、言葉を尽くして説得すべき相手ではあっても「敵」ではない。努力の方向性が違う。国民をカネやモノで締め上げる発想の暗さは夏なのに寒気がする▲ワクチンの接種券が少し前に届いた。予防接種が何もかもを解決してくれるかどうかは別として、ある種の節目や終わりは近づきつつあるのだと思いたいが▲延々と続く手詰まりと無策と平謝り。別な意味で末期的だと感じる。(智)(長崎新聞・2021/07/15)

 【小社会】はしごを外す 上司の指示に従って動いた仕事だった。なのに失敗すると、上司は逃げて責任を押し付けられた。「はしごを外される」。職場で苦い思いをしたことがある人もいるかもしれない。・古代中国の兵法「三十六計」の一つに「上屋抽梯(じょうおくちゅうてい)」がある。屋に上げてはしごを抽(と)る。もともとは敵の退路を断って戦えという成語だが、はしご外しを戒めるビジネス上の解説がつく本もある。集英社の「まんが兵法三十六計」には、「信頼を維持する鉄則は、上は下に約束した内容を絶対ほごにしないこと」。・政府のコロナ対応で近ごろ、この成語を思わせる動きが目立つようだ。菅首相が打ち上げた10~11月のワクチン接種完了に向け、自治体をせき立てたのに肝心のワクチン供給が追いつかない。・自治体は「国に尻をたたかれ頑張って態勢を整えたら、はしごを外された」。国は国で自治体に未接種の在庫があると言う。責任は自治体にあるかのような物言いで、国と自治体の信頼関係は大丈夫だろうか。・西村経済再生担当相は、酒を出す飲食店に対して金融機関からの働き掛けを求めるとし、世の猛反発を受けた。「承知していない」はずだった首相には実は事前報告があったとか。西村氏は「はしごを外された」とは言わないだろうが。・日本のコロナ対策は国民の協力で成り立ってきている。何かと責任を押し付けるばかりの「上」では、国民とのはしごも外れかねまい。(高知新聞・2021/07/15)

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 「狂歌」というものをよく読んできました。取り立てて言うほどのことでもないのですが、悪政や腐敗政治が続くと、民心というか人心もまた、やるせなくなり、その言いようのない怒りの矛先を向ける相手もいないとなれば、「狂歌」に遊ぶほか仕方がないようにも思われてくる。瓦版というものの流れが、今に続いているのかどうか。その昔は無手勝流で放っていた「権力への爆弾投下」でした。今の時世は、「狂歌」が笑いのめし、たたきつけたい悪政も、その「悪」「酷」のレベルをはるかに超えて、集団狂気の様相を呈しているとき、果して、狂歌ごときに何ができるかという心もとなさも感じるのです。これまでの長い人間生活で、やりきれないほどの愚政悪政苛政を経験してきましたが、この十年余、こんなに不躾な愚者がツルンで国政をかき乱して、ついには人民もろとも溝に吐き捨て、叩き込むような、そんな愚弄至極の政治は、ぼくは初めて経験するものです。(以下、数句を。詠み人知らずも、詠み人知れりも混在していますが。あえて作者は書かず。脈絡も無関係に)

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・世の中は 色と酒とが 敵(かたき)なり どうぞ敵に めぐりあいたい 

・欲深き 人の心と 降る雪は 積もるにつけて 道を忘るる

世の中を 恥じぬ人こそ 恥となり 恥ずる人には 恥ぞ少なき

・世の中に寝るほど楽はなかりけり 浮世の馬鹿は起きて働く

・白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき

・世に合うは左様で御座る御尤も これは格別大事無い事 

・まざまざと嘘ばつかりを言ひなさる 尻も結ばぬ君が言の葉

○ 狂歌【きょうか】=滑稽(こっけい),洒脱(しゃだつ),風刺を主旨とし,用語,題材とも自由な短歌形式の文学。源流は《万葉集》に求められるが,ことに近世に盛行。近世狂歌は,元禄前後から上方中心に流行の浪花(なにわ)狂歌,天明年間江戸中心に流行の天明狂歌の2流がある。明治以後すたれる。主作者は,前者では油煙斎貞柳ら,後者では唐衣橘洲,朱楽菅江(あけらかんこう),四方赤良(大田南畝),平秩東作(へずつとうさく),宿屋飯盛(石川雅望)ら。(百科事典マイペディア)

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 麻生大臣「放っておけで普通は止まる」酒停止の金融機関働きかけ

 酒類の提供禁止に応じない飲食店に対し、取引先の金融機関から順守を求めさせる方針を政府が撤回したことについて、麻生太郎財務相は16日の閣議後会見で、「混乱を生じさせ、おわびを申し上げる」と陳謝した。一方で、「事務方としては特に問題ないんだというような考え方が共有されていた。大臣が『放っておけ』と言えば、普通は止まる」といい、自身は止めたとの認識と述べた。/ 13日の会見で麻生氏は、金融機関による働きかけを「普通に考えておかしいと思わなきゃおかしいだろうが」と指摘し、「放っておけ」と事務方に指示したと明言していた。16日の会見で記者から「おかしいと思ったのなら、大臣は止めるべきだったのではないか」と質問が出た。 麻生氏は「言われなきゃ止められないなんて、役所はそんなレベルかね?それほど、金融庁はレベルが低いところと君は思ってるのか」と逆質問。「どう考えてもおかしい、放っておけと言えば自然と止まるよ。ほっとけと言われたら、外に出て行くとことは通常考えられないけどね」と述べた。(東京新聞・2021年7月16日)

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 この人物( ⇧)が、この程度の人物が、いったい何年にわたって国政を壟断しているのか、それを思うだに、反吐もでるし、欠伸もでる。「 言われなきゃ止められないなんて、役所はそんなレベルかね?それほど、金融庁はレベルが低いところと君は思ってるのか」と逆質問。「どう考えてもおかしい、放っておけと言えば自然と止まるよ。ほっとけと言われたら、外に出て行くとことは通常考えられないけどね 」と、まるで驚く科白を口外する大臣閣下。この人にして「通常」という語をご存じだったんだね。でもそれは世間で言う「異常」というものだからね。

 「役所のレベル」を少しも理解していないどころか、「どうだ、財務省や金融庁は凄いところなんだぞ」と唇を歪めて宣う姿が想像できる。国税の職員が宴会をして、何人もが「コロナ感染」、「 役所はそんなレベルかね?それほど、金融庁はレベルが高いところと君(アソ―君)は思ってるのか」と逆質問したいね。「どう考えてもおかしい、放っておけと言えば自然と止まるよ。ほっとけと言われたら、外に出て行くとことは通常考えられないけどね 」 という、君がいう「通常」とは、ぼくの感覚では「異常」「異状」なんだ。君の足もとでボヤが出ていたんだぜ。「通常をはるかに超越している、まるで君のように、ね」(この会見では、彼は弁明しているんです。「おれはやめとけと、言ったから責任はないんだ」と)

 ともかく、君でも大臣が務まるんだから、「役所はそんなレベル」なんだよ。この「ミゾユー」の無責任放言大臣閣下は、現下の政治行政の面々の「右代表」だという話。この「右代表」が内閣から抜けると、内閣は瓦解するとされています。人物・人材払底、ここに極まれり。瓦解であれ倒壊であれ、現内閣が存在しなくなることは、それだけでいささかの社会奉仕にはなるのです。「積年にわたる教育の甲斐はなし」というのは、この御仁のことでしょう。内閣瓦解を無理に止めないでくれよ、この劣島社会そのものが崩壊寸前まで来ているんだから。

 経済大国だの先進国だのといい気になっている隙に、かかる頽廃・頽落の政治状況が蔓延し瀰漫してしまったのです。一蓮托生は死ぬほど嫌ですから、ぼくはわが散歩道をひたすら、おおらかにのびやかに、しかも他人に知られないで、いつもの通りに歩き続けたい、その程度のささやかな願望しきりです。酷暑に足元を掬われないように、さ。

 出かけようとした途端、役所から、後期高齢者医療保険料の払い込み通知が来ました。「役所はそんなレベルかね?」といいいたくなるほど、寄る辺ない、老い先短い年寄から、税金という名の「収奪」を繰り返している。国家が弱い者を虐めるなんて「通常考えられないけどね」といっても、この阿保莫迦政治行政天国の「間借り人」にしてみれば、「触らぬ神に祟りなし」という具合にはいかないから、いかにも口惜しい。まるで「オレオレ詐欺にかかっているようだ」といつも思ってしまう。ぼくは金持ちではありません。だから、この保険料は相当に重くのしかかってきます。泣くに泣けない「梅雨明けの日」となりました。医者に掛かりたくないし、かかれば大変だし。二進も三進(にっち(も)さっち)もいかないね。

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・世の中に人の来るこそうるさけれ とはいふもののお前ではなし(四方赤良)

(この「人」の中に、税金徴収の封筒を配達する「郵便屋さん」もはいるね、申し訳ないけど)

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。どこまでも、躓き通しのままに生きている。(2023/05/24)