学校がなくても教育はおこなわれてきた

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 学校や学校教育になにができるか、いや、なにができないかというところから始めなければ、事態の進み具合を見誤るでしょうし、その結果、またぞろ教育亡国の道をたどることになるでしょう。すでにその方向に相当進んでいるようです。嘘八百をテキストにして(この島社会の伝統)、今まで通りの「教育行政の歴史」にのっとって、「世界平和を願いましょう」「人権を尊重を謳いあげましょう」とお題目が一列重態です。金権と利権に塗れた魑魅魍魎たちが暗躍する現実を、教科書を通して隠蔽し捏造し、「美しい友情」だの「公正公平の尊重」だのと、実に不毛の教育を、どの面下げておこなっているのでしょう。

 今も昔も、「官僚や政治家」と称される・する者たち、あるいは、その取り巻きたちは「学校教育」を弄び、蹂躙しているのです。ひょっとして学校教育は自分たちの「手の内にある」ので、どうにでも好き放題にできると、固く信じているのかもしれません。「無観客五輪」への「学童動員」を目論んだのが、破綻しただばかりでした(一部は続行するそうだ)。教育基本法を勝手に弄りまわし、果ては憲法までも都合のいいように変えようと狙っている。憲法(も教育基本法も)は権力者のものではないという、立憲主義のイロハのイを知らない・知っていて無視する輩が、この島の政治を牛耳っているのですから、いずれ破局に至るまで、この「道行」は止まないのでしょう、人民が謀反(異議申し立て)を起さない限り。

 《 教育は、それぞれの文化の中で生き方をつたえるこころみである。それは、あたらしく生まれてくるものにとっては、まえからくらしている仲間をまねることからはじまる。しかし、もっとよく見れば、まねることの基礎に、それを可能にする、自分のはたらきがある。呼吸するというようなことは、他人からならう前からそれぞれの個人にある。もうひとつ。教えようとおとながこころみるときに、相手の失敗、抵抗、逸脱などから、自分の生き方へのおもいなおしのいとぐちを見つけることがある。それが、教育が連続する過程であるということだ。ここではじめの言い方に限定をつけなければならない。教育は生き方をつたえるこころみと書いたが、論証の矛盾なく言いおおせるためには、生き方の中にあるものとして死に方を強引にひっくるめてしまい、死に方をもまなぶことであり、くずれてゆく過程であると言いたい。/ 私の言いたいことは、今の日本は学校にとらわれすぎているということ。学校がなくても教育はおこなわれてきたし、これからもおこなわれるだろう。学校の番人である教師自身がそのことを心の底におけば、学校はいくらかは変わる 》(鶴見俊輔『教育再定義への試み』)  

 このことはあまり驚かれないのですが、江戸時代まで、この島には民衆教育の場は学校ではなかった。もちろん、それぞれの時代には、さまざまな政治権力の継承を絶やさないための「エリート(官吏)養成教育」と言われるものはあり、そのための教育機関は備わっていた。今に継承されている、いくつもの藩校がその典型でした。それはごく限定された「(門閥による)人材」のための官吏養成機関だった。江戸時代にはほとんどの民衆の教育機関は「寺子屋」式だったし、明治になっても、大半の子どもたちは尋常小学校卒業(それも多くは中退)で、生きていくのにじゅうぶんに用が足りていた。

 これはどういうことを表わしているのでしょうか。義務教育以上の教育機会が、社会の各方面から求められたのは確かですが、それだけで、猫も杓子も上級学校へということになったのかどうか、大いに疑わしい。工業化社会の進展が上級学校への進学を求めたのも一つの理由でしょうが、それだけだったかどうか。職業教育のために上級学校に進むというのではなく、大半は「普通課程」への進学でした。同じことは大学進学についても言えます。「普通科」「は「文化系」に置き換わりましたが。その一番大きな理由は「知識と知恵」の分離とでもいうような事態が急激に生じていたのです。生活と教育(教育内容)の分離と言い換えてもいいでしょう。ここから学校の「教育独占」時代が始まったのですが、同時に、教育と子どもの生活の遊離が明らかにされたのでもありました。学校の教育は生活とは離れた「知識」の紛い物の授与に終始することになったのです。(上のグラフを見ると、やがて何十年後か、学校教育のない時代が再来しそうな気がしてきます)

 学校で学ぶことは、実際の生活に密接につながっていないどころか、かえってそのつながりを否定するようなところで「学校教育」が成立していたのです。これはどこかで触れていますが、上田庄三郎という土佐の教師だった人が(戦前のことです)、県視学から追放されて、やむなく東京に出ていったことがありました。ある時、彼は昔の友人に出会って驚愕します。「君は学校へ行かなかったのに、どうしてそんなにバカなんだ」と。学校へ行かなかったから無知だというのではないのです。学校へ行かなかったのに、何でそんなことが出来ない・わからないのだという、その「無知」の正体こそが、問われているのではないでしょうか。

 登校拒否を起して小中高校に通学しなかった人はたくさんいます。でも、学校へ行かなかったから「かしこいままだった」という人がすべてではなく、むしろその反対であるのかもしれない。ここでぼくがいいたいのは、生活上に必要とされる「知恵」と、学校が求める「知識という名の言葉のかたまり」が相交わらない、異質なものであるということです。だから、学校教育を長く続ければ続けるほど、「生活に裏打ちされた知恵」は忘れ去られる運命にあるのです。江戸時代や明治時代には学校教育はほんのお飾り程度で、その大半は現実の生活が「人間教育」を施していたと言えるでしょう。けっしてその時代は、今よりは「時代おくれ」だったのではありません。

 いま、学校で求められるのは「試験の点数だけ」というのは、ぼくに言わせれば、できのよくない喜劇です。でも、ある子どもたちにとっては、実に深刻な「悲劇」なんですね。ここでも再説しておきたいのは、学校という組織や制度がなかった時代にも「教育」は行われていた。遥かな昔から、文化・生活のバトンタッチという意味における「教育」は断絶することなく行われてきたのです。それが「学校制度」ができた段階から「文化・生活」の伝承という意味での教育は途絶えてしまい、かろうじて「点取り競争」という堕落した教育機能の残滓が教育の名として重用されてしまったのです。学校がなかった時代の方がはるかに長く続いた。でも、多くの人は、学校教育の出現は「人類の進歩」だとでもいのでしょう。ほんとうにそうか。「進歩」ではなく「変化」であり「変異」なんじゃないですか。

 ともかくなにがなんでも、自分たちの思うとおりの「学校教育の再生」を推進するのだというのが、現下の「空虚権力」がねらっている野望ですが、それはまた、とおからず「教育破壊」への近道(バイパス)にまっしぐらなんでしょう。「五倫は世界平和の礎」だとかいう「オリンピック教育」が実施されてきました。現実には呆れかえるばかりの展開で五輪が葬られようとしているのに、です。そこへ、嘘八百の徳目一杯に並べた「嘘教育」がこの間も実施されてきた(ことになっている)のです。なんでもいい、内容は問わない、「これをやる」と、当局がいった、そのことが教育の実際なんでしょうね。

 道徳というのは、「左側通行だ」というようなことをいったのは芥川龍之介だったと思うが、権力が「これこそ道徳であるぞ」と強引に押しつけるなら、きっと禍々しいことが起きますね。デモクラシーからファシズムへと、まっすぐな一本の道が通っている。この道は一方通行です。逆走は不可能ですね。今、そのとば口にぼくたちは立っていないか。

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 《 道徳は便宜の異名である。「左側通行」と似たものである。道徳の与えた恩恵は時間と労力の節約である。道徳の与える損害は完全なる良心の麻痺である。我我を支配する道徳は資本主義に毒された封建時代の道徳である。我我は殆ほとんど損害の外に、何の恩恵にも浴していない。/ 強者は道徳を蹂躙するであろう。弱者は又道徳に愛撫されるであろう。道徳の迫害を受けるものは常に強弱の中間者である。/ 良心は道徳を造るかも知れぬ。しかし、道徳は未だ嘗て、良心の良の字も造ったことはない》(芥川龍之介『侏儒の言葉 ― 修身より』)

 ある日を期して、「道徳は右側通行である」と、様変わりするが、誰もそれに抵抗しません、きっと。まるで「国家主義」「全体主義」が一夜にして「民主主義」に変貌・変異した如くです。今度は「民主主義」が一夜にして…、ということにならないかどうか。「道徳の与える損害は完全なる良心の麻痺である」という芥川さん。

 今、学校に通っている子どもたちよ、「道徳」というのは、君たちの考えようと思案している、その「思考のさなか」「考えの中」にこそあるんだ。親や教師が「してはいけない」というから、そのようにはしない、その程度の堕落した行動や判断は間違いだと、ぼくはいいたいね。親も教師も多くは「左側通行」だと言われたから、そうしているにすぎないんだからね。いつだって、「右側通行に決まってるだろ」と言いかねないし、そう言って、恬として恥じないのですね、かわいそうというほかありません。「自分の足で立つ」「自分の頭で考える」、それが、きっと「道徳」といものに近づいていることなのかもしれない。

 「デモクラシーがあって、国家の宣伝を真に受ける国民ができたときにファシズムがおこるんです」(俊)

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