秋霜烈日も社会の木鐸も、今は昔の物語?

 【正平調】選挙カーが通るたびに、小学生の男の子が「いいなあ」とうらやんでいる。理由を尋ねると「だって、5千円もらえるんでしょう」。どうやら「ご声援ありがとうございます」が「5千円ありがとう…」に聞こえていたらしい◆放送作家、永六輔さんのおしゃべりを収録した「世間にひと言 心にふた言」(光文社刊)にみえる笑い話だが、「そんなわけないよ」と言い切れないのがつらいところである。無邪気な男の子の耳は案外鋭い◆10万円ありがとう。20万円ありがとう。中には300万円ありがとう、という人までいる。参院選広島選挙区での買収事件で、河井克行元法相から現金を受け取ったとされる地元議員や関係者は100人に上る◆全員不起訴という。一方的に現金を手渡されたことなどを検察は理由にしているが、違法なカネを懐に入れたことに違いはない。おとがめなしは小学生でも納得すまい◆永さんに選挙運動についての提言があった。自分だけが聴衆に訴えるのはもうやめにして「私はここで皆さんの話を聞きたいから、マイクをお渡しします」、そんな気の利いたことを言う政治家はいませんかと◆カネをもらった議員も、不問に付した検察も、通りすがりの市民にマイクを渡し、ご意見たまわればいかが。(神戸新聞NEXT・2021/07/10)

 【卓上四季】情状酌量の「罪」「あらゆる情実を脱し、字義通りに月評(げっぴょう)たらしめ、現在にのみ立脚すべきである」。月々に行う文壇批評の在り方について、文学者豊島与志雄がまとめた考えだ▼情実は真実を覆い隠す最も危険なる霧である。創作時の事情を酌量すれば、批評も自身の死滅を招く。そして肝心なのは現在の作品を皆同一の標準で律することだ、と説いた(「月評をして」)▼公正な姿勢が肝要なのは、なにも文芸批評に限らない。社会の規範たる司法の場においてはなおさらであろう▼河井克行元法相と妻の案里元参院議員が有罪判決を受けた公職選挙法違反事件で、現金を受領したと告発されていた100人全員が不起訴となった。東京地検特捜部はいずれも「受動的な立場だった」などとしているが、買収事件は受け取った側も処罰するのが法の定め。国民の理解は到底得られまい▼受領額は最大300万円。実際に票の取りまとめに動いた人もいれば、私的に使った例もあるそうだ。職にとどまったままの地方議員も多く、このままでは「もらい得」となりかねない。小額でも処罰を受けた過去の違反者は心中穏やかではなかろう▼批評家の最大の誤りは、名のある作家とそうでない作家の作品に同一基準を適用しないことと豊島は言う。霧が立ちこめると物の輪郭はぼやけ、色彩は輝きを失い、怪しい奇形な幻がつっ立ってくるそうだ。視界は良好だろうか。(北海道新聞電子版・2021/07/10)

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 時の法務大臣が「妻の当選のために」100人の地方議員らに現金を渡して買収したという、選挙違反事件でした。選挙結果は「見事当選」で、当初の買収目的を達したというのでしょう。法務大臣だから「公職選挙法」などの法律の裏をかくのは得意中の大得意だったか。あるいは、凄腕の指南番がいて「絶対に捕まらない」「違反に問われない」というお墨付きを与えていたのかもしれない。その凄腕はだれか。時のソーリ大臣だった、いやもっと凄いのがいた。「時期検事総長」と目され(頼りにされ)た人物だったというのは、どうでしょう。「選挙に違反はつきもの」というのは「刺身にツマ」という洒落なのかもしれませんが、法も何も眼中になく、「俺が法律だ」と嘯く人間がいて、初めて白昼堂々と盗人猛々しい法律無視がまかり通るのでしょう。

 これはどういうことを示しているのでしょうか。総計何千万円もの買収資金を、それぞれが分に応じて、実際に受け取ったまま、事件が発覚する(公然となる)まで、だんまりを決め込んでいた「議員さんたち」も見上げたものです。お歴々よ、怪しい金なら貰いなさんな、無理矢理受け取らされたのだから、というなら、その後にどうして返金しなかったか。仕返しが怖かったから、というのでしょうか。票の取りまとめの依頼だとわかっていてもらったという、正直者もいました。その人にはきっと、神が宿ったのでしょうね。事件が起こるには、どんな事件でもそれなりの理由がある。その理由を一々斟酌や忖度などしていたら、警察も検察も裁判官もいらない、そういうことでしょ。今回の「金をもらった側は、全員不起訴」はそれを暗示も明示もしています。堂々とではなく、嫌々でもなく、無理矢理に貰わされたからと。検察がそんなことを斟酌したとしたら、世の中はどうなるの?これが通用する時代になっていたんですね。

 検察が意外にも、優しく、穏やかに「被買収側」を不起訴にしたのには、大きな背景・理由があると言われています。ずばり、「前首相の逮捕」です。そこまでいくのだから、小さな石ころは無視していいじゃないかというのかもしれません。「前ソーリ」は、それを知ってか知らずか、やたらに露出しているのが気になります。こんなにいい加減な男が「ソーリ」を史上最長期間に及んで務めていたというのが、この島の最大の「現実」「核心」ではないかと、ぼくは見てきました。若いころから、新聞等でしか知らなかった人間ですが、とにかく「軽薄そのもの」「自己肥大症」「劣等感のカタマリ」等々、外からだけの印象ですが、当たらずとも遠からずだと思っています。「あんな奴でも務まるんだら、俺だって」という門戸開放の功績はあったか。

 神戸新聞が書く、「五千円ありがとう」と聞こえたという少年は、あるいは今頃は、それなりの政治家になっているか。ひょっとしたら、政治家の子どもだったかもしれない。どうしてというに、「五千円ありがとう」などと聞こえるというのは、相当に選挙に熟知しているに違いないからです。この小話を語っていたのが永さんだから、「眉唾」ですがね。北海道新聞も、同じネタを扱っていますが、「あんたが言うか」という白けた気になりました。道新に関しては、例の道警の裏金つくりの事件以来、まだまだ信頼回復の兆候が見えていないという気がするからです。つい最近も、同社記者が問題を起こしたことが報道され、それに関して道新の調査報告書が出されましたが、なんともいい加減なものだと、ぼくは呆れています。(詳細は省略します)いったん腐りかけると、その部分を切除しても腐敗は進む、あるいは小さながん細胞を、薬か何かで誤魔化している間に、致命的な規模のガンにまで再生(再発)していたという事例になるような、新聞堕落の典型です。道新の腐敗は、全国紙と言われる五大紙などと同列に扱われるレベルに格上げされてきたように思います。「東京二輪」の「スポンサー」になっているんだね。(写真上は道新・六月二十六日朝刊)

 五十歩百歩、目くそ鼻くそ、どっちもどっち、どっこいどっこい、…。過ちを犯したかもしれない検察を、別の件で過ちを犯した新聞社が(自分を棚に上げたうえで)「嗤う」「揶揄する」「非難する」というのでしょう。同病相憐れむとは、このことだったんだ。でも、今どきの劣島では、こんなことは有り触れているし、溢れているではないか、そんな断末魔です。現ソーリや元ソーリが「希代の嘘つき」「重度の虚言癖症」であり、なおそのそうな「正常から逸れていること、甚だしい人物」をソーリの器にふさわしいという支持者(こちらも相当に重症です、病名は不明だが)が雨後の筍の如くに叢生しているのですから、この島の明日は真っ暗というほかありません。もちろん、今日は、もう真っ暗暗ですよ。

 信賞必罰、その言うところは「功績があれば必ず賞を与え、罪があれば必ず罰すること。賞罰のけじめを厳正にし、確実に行うこと」(デジタル大辞泉)このような不文律が働かなくなれば、「石が浮いて葉が沈む」という破天荒な事態が当たり前になり、人道は廃れること必定です。我が社会のただ今は、まさしくこの事態に当面しているのです。信罰必賞、凄い時代になりました。江戸時代の悪代官宜しく、権力に周りが靡く、その周りがまた靡く。靡いて靡いて、留まるところを知らないという事態じゃないでしょうか。それを一言でいえば「忖度」であり、「おもてなし」であり、「阿諛追従」であり、「おべっか」であり、「ゴマすり」であり、その他何でも言える、というんじゃないですか。それなしでは、「世の中が回らない」とかなんとかいうのでしょうね。

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)