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教育は一人一人を育てるということ
ものにはいろいろな「学び方」があります。ここでいう「学び方」とは子どもの側の方法(姿勢・態度)であり、それを教師の側からいえば、子どもが「学ぶ力」を育てる方法、「育て方」「教え方」(教育方法)となるでしょう。教師が育てたいと考える「子どものある力」を育て、子ども、はそれを自分の力で学ぼうとする、そこに阿吽の呼吸というか、与える・与えられる(教えたい―学びたい)という一瞬の果たし合いが成立するのです。両者の呼吸が合わなければ、強制になったり、徒労になったり。だから、学ぶものの内容に応じた「学び方(育て方)」があるし、学ぶ者の段階に応じた「学ばせ方」があると言った方がいいかも知れない。唐突に聞こえそうですが、子どもを教育するという行為の、もっとも根っこの部分に「子育て」の要素が欠かせないんじゃないですか。子どもを出産するとか育児をするということは、まるで夫婦(それに類する人たち)の特権のように見られがちですが、それはどうか。自分自身の「子育て」の有無にかかわらず、子どもを教育するというのは「子育て」に他ならないのです。
でも、「子どもを育てる」のだから、親や教師の側の問題ととらえると間違いを犯すことになる。どんな場合にも子ども自身が「自らが学ぶ」という経験をすることが大切ではないか。ほんとうに何かを「学んだ」あかしは、自分が変わるということで明らかになります。わがままが思いやりの心を育て、意地悪が意地悪でなくなる。飽きっぽい者が注意力を育てる、嘘つきが正直になる。このように変わることが、ものを学んだ成果なのだと、ぼくは経験してきました。性格の弱点や短所(の矯正)に届かない学び方もあるが、それは深いところで学んだということにはならないのではないか。だれのためではなく、自分のために「学ぶ」。そのための練習が〈授業〉というものなのでしょう。だから、そのような〈授業〉を作ることこそが、教師といわれる人の務めじゃないか。そんなことばかりを長年にわたり、ぼくは夢見てきました。(右上、黒板の前に立たされているのは、うんと無知で蒙昧の、若いだけが取柄みたいだった小生)
では、子どもは自分から学びたいもの(興味・関心)をもっているのか。そうであるともいえますが、そうではないともいえます。子どもの興味というものはあるようでいて、当人にも明確ではないのがほとんどです。ここに、教師の出番というか仕事があるのだと思われます。なにを「学ばせるか」、どんな力を「育てるか」、という目当ての把握です。子ども自身に明確ではなかった「興味・関心」を明らかにすること、それが教師の大切な役割でしょう。「興味を持たせる」のではなく、曖昧な状態の「興味」「関心」を、子ども自身がハッキリと自覚するところまで導くということじゃないか。

「子どもと一緒にいる教師なら、子どもがどんなことを話しているかとか、そういうことからみなさんお察しになるかと思いますが、それにも限度があります。そういう捉え方はだれもが長くやってきたことですけれども、しかし、その他にこういうことに興味を持つべきだということ、持たせたいということが、教師の方にはっきりしていないと指導ができません。子どもの興味を大切にしない教師は、もちろんいないと思います。こういうものに興味を持つべきなんだ、考えるべきなんだということを、押しつけないことはもちろんですが、何も指導しないということではないと思います。適当なヒントを適切に出して、方向をつけていかなければ、何も教えていない、指導していないことになります。ほんとうは教師が与えているのに、子どもからみると、まるで自分が発見したような感じであるようにしたいのです。自分のやりたいことが、ちょうど教師のさせたいことであったという調子になるわけです。押しつけられたとか、教師が言うからとかの感じでないようにリードしていくことを、嫌いなことばですが、『導入』と言っています」(大村はま『日本の教師に伝えたいこと』)
大村さんんの指摘されているのは「教職の奥義」「謎」ともいえるようなことです。子どもが何を学びたいか、その道筋をつけて子ども自身にはっきりさせていくこと、それが「教える」というものの本意でしょう。教師は教える人であり、子どもを育てる人であるというけれど、ほんとうにそうかどうか。すこしは疑ってもいいのではないか。教えるとはどういうことか。その解答は意外にめんどうです。あることを知らない子どもに、なにかを教えるといいます。よくよく考えてみれば、それは「(答を)与える」ことをさして、教えるといっている場合がほとんどです。算数や社会や国語の問題の答を教師は知っているからです。別のいい方をすれば、それは教えてもいなければ、育ててもいない。教師自身が自分を育てようとする心がけがないと、どうしても与えるばかりになってしまう。その方が楽であるし、子どもからもありがたがられるからです。なぜなら、子どもも教えられた気がしますから。
教師には何が求められているか

若い人たちとつきあいを重ねて、およそ半世紀が過ぎるところまで、ぼくは教師の真似事を来る日も来る日も重ねてきました。あくまでも「真似事」だったとはっきりと言います。時を経るにしたがって、教師の真似事を止めてからなおさらに、「教職」の難しさを痛感しています。教師になりたいという奇特な若者に出逢い、「いい教師」になってほしいと願わざるを得ませんでしたが、今もその気持ちは変わらない。そういう若者のほとんどは、子どもが好きで、小学校や中学校で習った・教えてもらった「先生」のようになりたという希望を熱心に語りました。今日でもそれはあまり変わっていないでしょう。教育に向かう情熱や真心が必要ではないというのではありませんが、しかし、それだけでは足りないといわなければなりません。
「熱心と愛情とそれだけでやれるということは、教育の世界にはないんです。子どもがかわいいとか、よく育てたいとか、そんなことは大人がみんな思っていることで、何も教員の特権ではないと思います」と大村さんは言う。 資格を取れば教師になれるのではありません。教師になるための闘いは日夜つづく。まるで際限がないのです。
「とにかく、子どもが一生懸命に勉強していないようすを見て、あの子はどうもなんて、平気で見ていられる先生は教師に適さないんじゃないかと思います。教室で、私は子どもをかわいいなんて思ったことはない。もちろん、かわいくないと思ったこともありません。かわいいとか、かわいくないとかの世界ではないのです。教えることが忙しくて、そんなことを思っている暇がありません。あの子にこれを、あの子にこれをと手をとらなければならないことがいっぱいで、ほかのことを考えるひまがありません」(同上)

「無我夢中」、それが「教える人」であった大村さんの真骨頂だったと思う。「教える」の深さにも限界はない。教師はしばしば「そのことを、よく考えなさい」という。でも「よく考えるということが、どのようなことなのか」、それを子どもたちがわからなければ、「考えているふり」をするばかりです。「考える力」は、いっこうにつかないでしょう。大村さんは「身をもって教えていますか」と、常に言われていたように思う。
聞く・話す・読む・書く、この基本中の基本の能力をなによりも養う・育てる。たんに「~なさい」というのではなく、ほんとうに教えることに徹する。「よく考える」「話を聞く」とはどんなことかを身にしみて子どもが分かるところまで進む。そのためには、教師自身が「よく考える」「話を聞く」を身に染みて経験することは不可欠なんですね。
「専門職教師の私のいる教室で、もし子どもが自分を情けなく思っていたり、自分はだめな子だなあと思って悲しく思ったりしているとしたら、それはほんとに私の責任です。本人は自分にちょうどよく与えられた教材で夢中になって勉強していて自分がどんなに能力的に劣っているのかなんてことを気にする隙がないくらいに、やっていくところを私は理想にしてやってきたのです」(同上)
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およそ半世紀ほど、ぼくはいわゆる「教育現場」と称される環境の周辺に屯(たむろ)するように、つかず離れずいつづけた。その結果、どんな果報がもたらされたかは、何もなし、残念でしたというばかり。「果報は寝て待て」とはいかなかったのです。でも、そんな無残な半世紀だったが、いろいろな学校や教師や子どもたちに出会い、ぼく自身が学んだという余得だけはあったと言えます。ぼくのところでいっしょに学んでいた、若い人たちの何人もが大村さんのところへ行かれたし、その経験を、目を輝かせて語ってくれたこともしばしばでした。それを聞いているぼくも、大村さんの教室に入っていたような錯覚に陥ったことでした。とにかく、現場いいですね。失敗も上首尾も含めて、現場からすべてが始まるのだった。
「無我夢中」「身をもって」、こんな言葉を大村はまという不世出の「日本の教師」は、日々実践されていたと言えるでしょう。晩年になってからも「週のうち三日、四日は徹夜で、教材研究」と言われていた。端倪すべくもない「繊細かつ細心の注意力を失わなかった」稀有の女性教師だったと、今さらのように思う。この子はこの学校に合格させる、あの子の成績を一番に、そんな目先のことは毛頭考えないというか、そんな表面の成果(それが「教育の成果」になっているところに、頽廃の核心があると、ぼくは考えている)は歯牙にもかけないで「無我夢中」「身をもって」教室に入り続けた、無類の人でした。
(昨日、京都の大橋まりさんに触れたので、今回は東の大村はまさんです。両者を比較しようというつもりはないので、この二人の教師の仕事にほとほと心を打たれ、深い感慨を催したという次第です。さらに、ぼくには未知で未聞の、このような教師がこれまでにも「いた」し、今も「いる」ことを念じています)
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