大切にしよう 自分のもひとのも すみっこに…

 【凡語】 戦中-戦後、一教師の歩み

 瀬戸内海の寒村に赴任した、師範学校を出たばかりの女性教師と新1年生の出会いと成長。映画にもなった壺井栄の小説「二十四の瞳」は、読み返すたびに胸を熱くさせる▼一方、京都市内の小学校に約40年勤め、2009年に亡くなった大橋まりさん。時代は十数年下がるものの、戦中-戦後の歩み、児童たちへの思いは、小説の主人公・大石先生と重なる部分が多い▼下京区の市学校歴史博物館が、企画展(8月28日まで)で大橋さんを取り上げたのには訳がある。遺族から寄せられた資料の整理作業中、1952年度に新洞小(左京区)を巣立った児童の卒業文集が学芸員の和崎光太郎さんの目にとまった▼「人の心のあたたかさにふれた時 理くつなしに涙がこみあげます もののいのちのふしぎさ」。卒業生への大橋さんの言葉だ。「大切にしよう 自分のもひとのも すみっこにあるいのちを」の詩(一節)も残している▼人の心のあたたかさ。命と仲間の大切さ-。そこには短くとも軍国主義の戦中教育を担った内面の苦しさや物がなく戦後の貧しい生活をともにした児童たちへの大橋さんの思いが凝縮されているのではないか、という▼特別でも有名でもない。展示も写真や文集などありふれたものだが、激動の時代に悩みつつ児童と正面から向き合った教師がいたのは間違いない。現状と比べるか、小説の世界に思いをはせるか。受けとめ方はいろいろありそうだ。(京都新聞・12/05/24)

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人の心のあたたかさと,理くつなしの涙~一教師・大橋まりの記憶と記録~

2012/04/28(土) 〜 2012/08/28(火)

戦前から戦後に実際に小学校教師として活動していた、大橋まりさん。一教師である彼女の歩みを通し、その人生のあゆみを辿りながら昔の学校生活のかけがえのない思い出を辿っていきます。ありふれていながら、かけがえのない思い出を宿した品々から、人の心の温かさを感じ取れる展覧会です。戦中から戦後にかけて、一教師として生涯を全うした、ひとりの女性。
その教師の記憶と記録にふれ、そこに生命を吹きこむ。

この企画展は、小学校教師・大橋まり(1923~2009)の教師人生をふり返り、そこに宿るさまざまな思いと情景を追体験する試みです。

今回展示するのは、学校に遺された貴重な美術工芸品の他には、主に卒業文集や写真、手紙など,ありふれたものばかりです。しかしそこには、大橋先生とその児童たちが残した、かけがえのない生活の思い出が宿っています。

教師就任直後の学童集団疎開、終戦後に教え子たちと離ればなれになったこと、卒業文集を通じて旧交を温めたこと、音楽を通じてさまざまな喜びと出会いがあったこと…。
この企画展を通して、戦中戦後の激動期を生きた大橋まりという一教師の歩みをもとに、学校生活の中で生まれた「人の心のあたたかさ」を感じていただけると幸いです。

大橋先生を知る方も、ご存知ない方も、是非ご観覧ください。(京都学校歴史博物館・http://kyo-gakurehaku.jp/exhibition/h24/0428/index.html)

「太平洋戦争開戦の年となる1941(昭和16)年に訓導(教師)となった大橋さん。1944(昭和19)年に第二錦林国民学校に移り、集団疎開を引率。戦後はGHQ主導の教育改革に伴う小学校の統廃合などによる離散を経験した。戦後の高度成長期には「小さくても弱くても あなたには仲間がある」一節を含む無題の詩を残している。

 展示は、大橋さんが教材に使った教科書や卒業文集、写真を時系列に展示して、大橋さんの生涯を追体験できる構成を取る。展示品の一つ、新洞小学校の1952(1952)年度の卒業文集では、「人の心のあたたかさにふれた時 理くつなしに涙がこみあげます」と寄せている。「この言葉を資料の中から見つけて多くの人に知ってもらいたいと企画を立てた。『かくあるべき』と諭す先生たちとは違ったメッセージ。きっと、生徒と過ごした学校生活の中から生み出された言葉だと思う」と同館学芸員の和崎光太郎さん」(烏丸経済新聞・https://karasuma.keizai.biz/headline/1664/)

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 すぐ上の右写真は、教師たちが卒業生に送った言葉でしょう。それぞれが思いの言葉を書いたのですから、何かを言う必要もありません。これだけのものでも、なんだか教師の心持というか、人情が垣間見えるようで、怖いですね。大橋先生の「人の心のあたたかさにふれた時、理くつなしに、涙が こみあげます、もものいのちのふしぎさ!」と。この展覧会の案内を見るまで、ぼくは大橋まりさんについては、まったく知らなかったし、だから、それに関して何かを言う気もないのです。このような当たり前の感覚や感情を失わなかった教師は、この島の学校にどれほどいたか分かりません。それこそ、数限りなく、というほどのものだったと思います。数は限りないけど、そんな先生に出あえる子どもたちは、びっくりするほど少ないのではないでしょうか。学校の不思議の一つです。

 善意と熱意と、ぼくは言ってしまいますが、そのような感受性が通じ合う時代や社会はきっとあったと信じているし、これからだってあるに違いありません。いくつかの資料を見る限りで、大橋まりという一女性教師は「傑出した存在」などではなかったことが偲ばれます。それこそが肝心なのですが。教職は、特別の稀な才能を必要とする仕事なんかではない。だれでも「他人の親」になれる、それと異なる所はないんです。ただ、そこから大きな違いが生まれるのも事実なんですが。東の大村はまさんを思うにつけて、大橋まりさんをもっと知りたくなりました。当たり前が通じる学校、それを作るのも維持するのも、たくさんの人々の力が必要なんですね。人同士の交わりの中に、人と人の間に「教育」は生まれるんだ。

 何時の時代から、教師が「監督」「管理」の任を引き受けさせられてしまったのか。教育が競争に成り下がってしまったというのは簡単ですが、そこから、学校・教育の質が変わり、「いのちのふしぎ」を実感できる教育は生み出せるのでしょうか。そのような道はどこに切り開かれるのか。「学校教育不毛の時代」というにはあまりにも残酷に過ぎる人間の出会いの場に、もう一度灯りを取り戻すには何が求められているのでしょうか。一人でも多くの「大橋まり」の誕生や実在を祈るや切ですね。

 大橋さんの、残された「短歌」いくつかを。(「折々に その二」)

・梨の芯つと拾いあげひそかにも 見まわしかじりて行きし男の子よ

・それそこに水車めぐるを見出しと 電車の窓にさわぎ立つ子ら

・つり橋の揺るるをおそれ女童は 我にいよりて離さず渡る

・男の児等が勇み渡ればつり橋の いよいよゆらぎてゆらぎやまずも

・問題の和夫が今日はほほえむよ 舌出しつつも笑みかけてくるよ

・このあした受持ちの児らにいささかの強みあるらし窓開き居らず

・白き大きなダリヤが欲しいとふと思う 職員室に秋の陽浴びつ

・ガラス戸は並みとざされし夕映えの 空うつし居り校舎音なく

 「余韻嫋々」というのではありませんが、そこはかとない、地熱のような温かさが、こちらにも静かに伝わるように思われてきます。大橋さんはほんとに子ども(他者)の心持が、よくわかる人だったと、まことに注意深い人であったと、いくつかの短歌を読んだだけですが、ぼくには感じられたのです。地熱とその余熱が「人の心のあたたかさ」です。

 叶わなかった夢ではありますが、こんな教師に、一度くらいは出会っていてもよかったのになあ。

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