帰化日本人という厚い壁~異端は未来を拓く

 「差別を打破する」力とは、あるいは「方法」について

 今年のはじめ頃、私が大阪の某大学から講演を依頼されて行ったときのことである。大学のトイレの壁に朝鮮人を誹謗する落書きが書いてあった。おそらく私に対する当てつけだったと思う。曰く、「朝鮮人は帰れ」「犬を喰う朝鮮人」「朝鮮人はニンニク臭い」といった調子の昔からきまりきったこの種の差別語に、私はさして驚きはしなかったが、私を招いてくれた大学教授は恐縮しながら赤面していた。最近の若者は(OLや私大生を含めて)ラーメンにニンニクをたっぷり入れて食べている光景をよく見かける。日本人自身が食生活の中でニンニクをかなりとり入れているのもかかわらず、いまだに「朝鮮人はニンニク臭い」といっている時代錯誤に、私は内心苦笑した。もっとも差別というのは、はなはだしい時代錯誤の産物ではある。(中略)

 いまは亡き在日朝鮮人作家金史良(キム・サラン)は友人たちにつぎのようなエピソードをよく話していたものだ。戦時中、朝鮮で汽車に乗っていたとき、前の席に座っていた日本人男性が「鮮人・鮮人」と朝鮮人を「鮮人」呼ばわりしていたので、金史良は私も朝鮮人ですというと、その日本人が、「はっ、鮮人さまでありますか。失礼をばいたしました」と謝ったそうだ。この鮮人という言葉は朝鮮人から朝を抜いているわけだが、それは日本の朝廷である天皇の朝を使うのはけしからんというところから朝鮮の朝を禁忌にしたのがはじまりだという。いまとなっては、その真偽のほどはわからないが、鮮人という呼び方が侮蔑をこめた言葉であったことはいうまでもない。この鮮人という言葉は、日本のある高名な左翼詩人も一時うかつにも使っていたのである。差別語は人間のもっとも深い意識の暗闇で未分化のまま表出してくるのだ。(中略)

 問題は何か。朝鮮あるいは朝鮮人という差別的な響きを避けようとして韓国またはコリアンという別の言葉に言い替えても差別的な感情が消えるわけではない。いったんつくりだされた差別は彼我の関係をはてしなく転倒させて自己増殖を続けるのだ。このはてしない自己増殖をたち切る方法は、私自身の身体を晒(さらす)すことで相手の身体をも晒させるしかないのである。(梁石日「『朝鮮』という言葉について」『異端は未来を開く』所収。アートン刊)

 父は何を生業にしていたのかわからない。たぶん何もせずに放蕩三昧に明け暮れていたように思う。何が不満なのか知らないが、酒に酔うと必ず家族に暴力をふるって家財道具をめちゃくちゃに破壊した。私の知る限り、私の父と同じように酒に酔うと家族に暴力を振るう父親が何人もいた。そうした父親に私は腹の底から嫌悪感を覚え、ときには憎悪すら感じた。(中略)

 ある日、父が「おまえはわしの血であり骨である」と言った言葉に私は嫌悪し、同時に不思議な感動を覚えたことがある。私はそのとき生物学的本能に目覚めたと言っていい。つまり私は男としての自己顕現に目覚めたのである。このことは何を意味するのか。このことは父の身体的特徴である儒教を意識の深層において揺り動かされたのだった。(同上)

 現在、私の周辺には、幼少の頃に親の帰化によって日本国籍になっている若い同胞が何人かいる。彼らは幼い頃から自分を日本人と信じて生きてきたのだが、会社に勤めてから帰化日本人であるという厚い壁に立ちはだかられて悶々としている。前述のD氏と同じように昇進できないのである。国籍はれっきとした日本人であるにもかかわらず、眼に見えない差別に晒されて自分の居場所がないのだ。友達づき合いもきわめて不自然だという。その中の一人K氏は、こうした宙づり状態を続けるより、いっそ元の本名を名乗った方がすっきりするのではないかと考え、現在は帰化する前の本名を名乗っている。日本人に帰化しようと、問題が改善されるどころか〈帰化日本人〉という眼に見えない陰湿な差別につきまとわれて閉塞状態に陥る。三十五年前もいまも、ことの本質はあまり変わっていない。むしろ朝鮮・韓国籍を堅持している方が自らのアイデンティティを生きられるのである。(同上)

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 思い出したように、在日の作家や詩人の本について考えている。彼・彼女等から、いろいろな事柄を学んだようにも思うが、その根本は「日本人であること」とはどういうことか、そんな埒のない問題だったと言える。ぼくはいつだって「日本人としていきている」のではなく、「(か細く気弱な)人間」「寄る辺ない一個人」として、「それこそ「恥を晒して」生きてきたし、今はそれに加えて、老醜ま晒して、時に刻まみこまれている。梁さんとは、たった一度でしたが、ある変な場所ですれちがったことがあります。ある人が「梁さんを紹介しましょう」と言ってくれたのですが、ぼくは内気(小心)なせいもあって尻込みをしてしまった。「今日は他に用事がありますので」とか何とかいって、逃げ出した。いかにも「及び難し」という相手に対して、ぼくは怯んでしまう。その時の梁さんは見るからに溌剌として、いかにも「勢いのある存在」を感じたことだった。もう二十年以上も前のことになる。

 この本はいまから二十年ほど前に刊行された。「差別というのは、はなはだしい時代錯誤の産物ではある」という梁さんの指摘はその通りで、時代錯誤だと「差別の当事者」が気づかないところに落とし穴があるのだ。まるで「葵のご紋」だか「黄門の印籠」を振りかざすように、「お前は、…」といえば、相手は怯むとでも信じ込んでいる風(ふう)・雰囲気がある。つまり、ご紋や印籠を(見せびらかす)輩は、自分は風上に立っている、俺をだれと心得ているのかと、実に恥ずかしい心情を惜しげもなく晒しているのだ。「お前は裸だぞ」と教えるには、自分も裸になるということなのかもしれない。

 その「風」「雰囲気」が時代おくれであり、アップデートされていないのだ。そこで、時間は停止している。現在も未来もみとおおすことができないからこその「差別の風」なのだと思う。その大本はイデオロギー(教条)(それを偏見ともいう)という代物で、時間が経てば経つほど、現実にはそぐわないというイデオロギー(偏見)の本来は、当人には効力を持つと錯覚させるが、それは「非現実」であるという一点で、じつに荒唐無稽でもあるにもかかわらず、そのイデオロギーの持ち主には気づかれない。過去に縛られるというイデオロギーの性質からくる、当然の帰結であろう。

 「血と骨」の作者が、激しく「日本人による差別」を撃ちつけ、その差別を乗り越えるために取る道は、ただ一筋に「私自身の身体を晒すことで相手の身体をも晒させる」以外にないという。「そう言っている、お前(君・あなた)は何者だ」と。それはこの作家の経験に裏打ちされた「詩と真実」だと思われます。「お前は裸だぞ」「こんなふうに、みっともない裸を晒しているんだ」と言って自らの裸体を晒す。そういうことか。(ただし、ぼくには難しいところ、理解の届かないところでもある)

 個人に限らず、国家や集団による「差別(暴力)の万世一系」ということをいつも考えている。夫婦の間にも問題は生まれるし、他者との間にも課題は生じて来る。国家間となれば、なおさらに長い時間の経過の中で世代は交代し、そのために「問題は輻輳化し、複雑化する」ことは避けられない。その時、この問題に対して、何か有効な手立てがあるのか。「 いったんつくりだされた差別は彼我の関係をはてしなく転倒させて自己増殖を続けるのだ。このはてしない自己増殖をたち切る方法は、私自身の身体を晒(さらす)すことで相手の身体をも晒させるしかないのである。」という方法を、徹底してお互いがとるほかに道がないのかもしれないと思いつつ、国家間の問題の核心は、個人間の場合に異ならないのではないかとも考えたりしている。

 「彼我の関係をはてしなく転倒させて自己増殖を続けるのだ」とは、どういうことを言うのだろうか。初めて読んだ際にも疑問が残ったし、これを思い出したように再読している今も、ぼくにはよくわからないのである。個人間の場合も、国家間の場合も、時に力関係は「攻守所を変える」ことはあって、新たな問題がその関係の中に放り込まれることで「差別事象の拡大・増大」が進んでいくのかとも考える。その時に、「自らを晒し、相手も晒す」というのは徹底した交わり(交流)、(時には、外交ともいう)を重ねる外に方法はないというのだろうか。(裸の付き合い?)(⇑ 朝日新聞。2015/12/08)

 さらにもう一つの問題、「帰化日本人であるという厚い壁」。差別の生まれる背景や理由は同根であるのかもしれない。梁さんはそれを「 〈帰化日本人〉という眼に見えない陰湿な差別」といわれる。確かにこのような現実があると思う。その一方でそうではない「帰化日本人」という選択を生きている「在日」もいるのだろう。日本という「狭量」を画に描いたような集団狭窄症に罹患している社会で生きるとき、「帰化日本人だから、すべて が悶々としている」というのではなかろうし、本名を名乗って生きることに違和感を持たない人もあるのだと思う。偏見と差別、それはどこにいても、どんな人にも生じる。偏見を皆無にすることは、ぼくにとっては不可能だ。誤解されそうだが、「偏見」に育てられて、ぼくは生きてきたともいえるからだ。問題は、偏見という「億説・臆見・通念・通説」を深く激しく疑うという、自らの経験がなければ、それは直ちに「差別」に通じるだろう。ある見方が「偏見」であると、どのようにして知るか。というより、ぼくは偏見で出来上がっていると言い切った方がまだ、過ちを自覚する余地が残されていると考えてきた。

 生きているということ自体、偏見に支えられているということもある、それを自覚することが肝心だと言いたい。「差別や偏見を止めましょう」というのはスローガンなのか、教育目標なのか。学校教育がきれいごと・言葉主義に終始してきた、一つの帰結が「偏見と差別」の充満する「現在・現実」ではないだろうか。「教育現場から差別を見えなくした」だけのことだったのではないか。歴史を否定することはできても、歴史事実は消えない。過去を無視することも捏造することも、あるいは不可能ではないかもしれないが、過去も歴史も「たった一人」で生きていたのはないことを認めれば、何をしなければならないか、何をしてはいけないか、誰にも判然とすると思う。ぼく個人にとっての「在日問題」とは「偏見と共存」している自らの生き方を磨く「試金石」ではなかったかと、いまさらのように考えるのだ。「在日」さらには「在日問題」に遭遇しなかったら、それこそ、ぼくは偏見の塊、あるいは偏見の闘士となって、覆いようのない過ちをくりかえしていたことと思う。

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○ 梁石日 ヤン-ソギル=1936- 昭和後期-平成時代の小説家。昭和11年8月13日大阪生まれ。美術印刷会社をおこすが失敗し,東京で10年間タクシー運転手をつとめる。昭和56年「タクシー狂躁曲」(映画「月はどっちに出ている」の原作)で作家デビュー。平成10年「血と骨」で山本周五郎賞。荒くれ者だった在日朝鮮人の父をモデルに,暴力と欲望のなかにいきる人間像をえがいて話題をよんだ。高津高卒。本名は正雄。著作はほかに「夜を賭けて」「闇の子供たち」など。(デジタル版日本人名大辞典)

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。