千里の道も一里から。さあ、初めの一歩を!

三重県の外国人イラスト、不気味 差別批判受け、サイトから削除

(⇦ 外国人の不法就労や不法滞在の防止に関する三重県のウェブサイトに掲載されたイラスト)

 外国人の不法就労や不法滞在に関する三重県のウェブサイトに掲載されたイラストが「不気味な表現で、外国人への差別や偏見を助長する」との指摘を受け、県が削除したことが28日分かった。県は「県民が不快に思うイラストは削除すべきだと判断した」と説明している。/ イラストは、灰色の肌に黄色の目をした土木作業員や接客業、工場作業員とみられる男女3人が「在留資格無資格」などと書かれた紙を掲げて薄ら笑いを浮かべている様子が描かれている。/ 県広聴広報課によると、イラストは県警の依頼で、出入国在留管理庁の「不法就労外国人対策キャンペーン」の期間に合わせて6月から掲載を始めた。(共同通信・2021/6/28)

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 このような問題がいつでも生じているし、その証拠を列挙するのに苦労はしないのです。地方公共団体のHPに掲載されたというのは、そのイラストを何十人何百人もの人が目にした挙句、ということでしょう。このイラストは、かなりヤバいと見た人がいたろうし、いやそれ以上に「不法就労等の問題」を指摘しているからOKだという人もいたのでしょう。その結果、賛成する側の意向が強かったから、問題なく県のネット広報に出たというのでしょうか。発信元は県警というようですから、大本の偏見醸成は県警にあったとも言えます。このようなストレートな表現が具象化されるというのは、普段からの「理解」「認識」がそのままイラスト化されたわけで、もし別の方向でとらえられていたら、これとは異なったものになっていたはずです。それにしても、なんとも意地悪く、侮蔑感満載のイラストです。

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 以下の伊勢新聞の記事、書かれている内容が事実であるとして、いかにも県庁職員の自覚というか、問題意識が希薄であり、さらにそれの上手を行ったのが警察です。「 (炎上は)想定外だった」だって。この程度の問題理解だから、偏見はいたるところに充満しているのでしょう。氷山の一角というのか、なんともお粗末で、恥ずかしい限りの事案ではなかったか。 ことは、けっして三重県だけではありませんね。

 三重県HP イラストに「悪意」と指摘 外国人不法就労の啓発 ネット炎上で削除

 三重県が外国人の不法就労や不法滞在の防止を目的としてホームページ(HP)に掲載していたイラストを削除したことが28日、分かった。イラストを「悪意がある」などと批判するコメントがインターネット上で相次いだため。県に掲載を依頼した県警は「(批判は)想定外だった」としている。/ 県が削除したのは、作業着や防護服、ドレス姿の男女3人が「在留資格 無資格」や「在留資格 留学」などと書かれた紙を手にしているイラスト。3人の肌は灰色、目は黄色で描かれている。

 削除のきっかけは稲森稔尚県議(草の根運動いが、2期、伊賀市)の投稿。25日夜、このイラストと共に「差別や偏見があおられると考えないのか。官製ヘイトだ」などと、自身のツイッターに投稿した。/ イラストを知った人からは「あまりにひどい」「悪意がある」などと批判が続出し、リツイート(引用)は千件を超えた。HPの管理を担当する県職員が〝炎上〟を発見し、26日にHPから削除した。

 県によると、県警からの依頼で、出入国在留管理庁の「不法就労外国人対策キャンペーン」に併せて今月上旬からHPに掲載。雇用主に対し、在留資格の確認や不法就労の情報提供を呼び掛けている。/ 県庁内では掲載に慎重な声もあったが、最終的には「県警の判断」として掲載したという。広聴広報課は「ツイッター上の指摘を踏まえ、差別を助長しかねないイラストだと考えて削除した」としている。/ 県警によると、イラストは県外の警察関係者が作成したフリー素材だったという。生活環境課は「あくまで不法就労の防止を啓発するためのイラストで(炎上は)想定外だった。今後は使用しない」としている。(伊勢新聞。2021/06/29)

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 数年前にシリア難民を中傷したポスター(イラスト)が問題視されたことがありました(⇧)。詳細は省きますが、「言いたいこと、書きたいことを表現して、どこが悪い」という開き直り、一種の確信犯の所為ではなかったか。指摘されれば無理を通そうとする、あるいは見苦しい弁解に逃げ込む(「本当に救われるべき難民に紛れてやってくる偽装難民を揶揄したもの」)。その実、けっして問題の根本をみようとはしない。だからくりかえされるのです。

 いずれにしても、このような問題が連続して生じるのは、この島社会に厳として存在する「外国人差別上等」(烏合の)衆に支えられているからだといって、まちがいありません。やりきれないとはこのこと、「日本には日本人だけが住んでいる」と思い込んでいるのですかね。あるいは「日本には日本人だけしか住んではいけないんだ」とみているなら、開いた口が塞がらない。おそらく、そのような(観念的)国家・国民至上主義の発現なのではなく、ただ、感覚的な「外国人に向ける偏見と、そこから生まれる差別意識」の発露になっているのが、今流のネット社会だというのでしょう。どちらにしても、悍(おぞ)ましいし、許しがたいハレンチ行為であると糾弾する必要があります。

 日本は日本人だけのものであり、理由のいかんなく、そうでないものは居てはいけないのだという、まるで戦時下の「一億一心」の再現ですし、「日本人は、たがいに助けあうが、外国人は助けるに及ばない」という、壊れた排外意識が闊歩するのです。今はそれを通り越して日本人の間にすら「自助」だか「新自由主義」だか知りませんが、醜い生存競争が演出(煽動)されているし、それを政治権力が後押ししているという、狂気の事態も進行しています。だから外国人への偏見や差別が、一層強固に叫ばれるのでしょう。

 個々人の意見表明の結果がもたらした差別現象も看過できないが、それが公共団体や官庁によって堂々と顕示・堅持されているところに、この島社会の閉塞状況が現れていると、ぼくは見ています。何気なく揶揄したのではなく、気に入らない、気に喰わないから、漫画やイラストで侮辱したのだと、あるいは少し舞い上がった神経のなせる業、さらには確信犯的な輩の仕業かとも思います。

 人間は「進歩の歴史」を歩いてきたのではありません。こと人間性に関して、進歩は無縁であるとさえぼくは考えているのです。犬猫にも劣る、あるいは「鬼畜」などと言われるように、人間存在そのものは、まことに取りつく島のないような無防備であり、手がかりも、標識もまったくないような曲折した道を歩いてきたのでしょう。今でも歩いているのです。野球の打者の成績で「打率」「打点」というのがありますが、「人間の歴史」の歩行は、さしずめ「打率」です。どんなに優れていても四割の成功は、まず覚束ない。せいぜいが二割五分。上首尾は四回に一回程度、残りは過ちであり、失敗です。何かの拍子にだんだん悪くなることさえある。人間全体がスランプに陥るということだって、過去には数えきれないほどあった。

 人間というのは「ドクタースランプ」じゃないですか。その中には個人の一方的な過失もあれば、人間集団の過ちもある。「偏見と差別」という反道徳観は、どうあっても認めるわけにはいかないし、そのために何をすべきか、すでに答えは出ているのです。あとは、その答えを自らの胸中に育て上げることばかりです。「千里の道も一里から」という、気の遠くなるような行程がまっているのですが、なに、かなりの部分がその行程に足を踏み入れているのだと、他者に励まされる、そんな冷静な心持を失いたくないですね。

 「県民が不快に思うイラストは削除すべきだと判断した」 と当局は、暢気でノーテンキなコメントを出しています。実に奇怪なものいいだし、まことにいい気なものですね。「県民が不快に思わない」なら、削除はしない。県民以外が何を言っても相手にはしないということですかね。三重県は、まんざら無縁の地ではありませんから、なおさら、この程度の「問題意識で」行政をやっているとは、見上げたもんだなあ、というほかありません。三重県に限らず、島社会にはさまざまな「差別事件・事象」が続いてきました。まだまだ続くでしょう。「人間意識」は進歩なんかしないんだ。進歩ではなく変異、まるでウィルスと同じレベルですね。もとより、「脳細胞」の成り立ちは、どれだけ歴史がかさねられようとも、まず変化はないんですから。一人一人の「自我意識」の育ち方のほうこそが問題にされなければならないんでしょうね。

 「差別はダメ」「偏見は持たないで」と言って、どういうことになるのか。それでうまくいくなら「警察はいらない」のですが、その警察が今回の事案の発信元。何のことはありません、「元から絶たなければダメ」と、出発点に戻ったのです。(大多数が偏見に毒されていると、それが差別を生む、差別そのものだという判断は働かないのです。社会通念というか、社会常識と言われるものの多くは、そのような危険性をもって出来上がっているのに、大多数がそれを受け入れているので、偏見や差別と自覚されてこなかったのです)(「なんか問題があるんですか?みんなそう言っているじゃないですか」という具合に)(みんなが「偏見と差別の実践者」あることを知ろう・認めようとしないままでいるから、このような問題や事件はいつでも起こるのです)(ぼくにも多くの「偏見」がある。それをまったくもたないで生きることは不可能だと言ってもいい。しかし、だからといって、偏見から「差別」へ一足飛びに行くということだけは戒めてきたのです。その意味では、「偏見」は、ぼくの行動の「試金石」なんです)

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