【小社会】 新聞の葬式


香港から届く報に土佐人なら思い浮かべた人もいるだろう。1882年に行われた新聞の葬式だ。立志社の機関紙だった当時の高知新聞が、政府批判の言論で発行禁止処分を受けた。◆〈我ガ愛友ナル高知新聞ハ一昨十四日午後九時絶命候(そうろう)ニ付…〉。「高知自由新聞」が死亡広告を出す。発禁号を納めたひつぎを中心とした葬列は、高知市中心部から五台山へ。会葬者は記帳した人だけで2千人超。実際は5千人とも。◆県出身の作家、故坂東眞砂子さんは、土佐人は政府の弾圧に抵抗するか、あきらめるかの二者択一ではなく「おちょくり返した」と述べている。当時の高知新聞は現在の本紙と直接的なつながりはないが、土佐人らしい反骨精神を今に伝える逸話だ。 ◆ 中国に批判的な香港紙、蘋果(ひんか)日報(リンゴ日報)が廃刊に追い込まれた。むろん明治日本とは時代も背景も異なる。ただ、「言論の自由が失われる」と嘆き、最終号を買い求める市民の長蛇の列もまた「葬列」に見えて仕方がない。◆ 国際社会に約束したはずの一国二制度、自由と民主主義が次々に踏みにじられていく。習近平指導部は、人権弾圧への非難も「中国流の民主主義がある」と意に介さない。5月に指示したという「愛される中国のイメージ」づくりも、大国らしい振る舞いがあってこそだろう。◆ 土の下に埋葬されたリンゴの種は再び芽吹くことがあるのかどうか。芽吹かなくてはなるまい。(高知新聞・2021.06.26 )
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中国政府はどこに行こうとしているのか。圧政権力は、いずれにあっても同じような足取りをたどる。どの権力政治もが犯したまちがいや誤りをきっと繰り返すのだ。香港「りんご日報」問題は、単なる一地域に限らず、中国全体にその影響、悪影響を及ぼすはず。力を少し持てば、すこしだけ、その力を試したくなる。大きな権力を持てはより大きく、それを使いたくなる。権力は腐敗するとよく言われるが、腐敗するのが権力だと言っていい。小さな香港に対して、全国家権力を注入して「自由の息の根」を止めにかかったのが、その偽らない証拠となろう。今回はさらにその感を強くする。発行部数十万部というのは、香港では大きな新聞社に属するのだろうか。それとも、やはり中小の報道機関に過ぎないであろうか。どちらにしろ、その新聞社を全体重をかけて踏みつぶしたのである。なぜか、権力は直感的に、個々人は小さいが、「意見を持っている」人間集団を恐れたのだ。放置できないと直感したのだが、その「反応・反作用」は必ず来るとぼくは信じている。しかも、実はこの「リンゴ」は死んではいない。来年あるいは五年後に復活するか、あるいはもっと先に再生するのか。いずれにしろ、いったん死んだからこそ、生き返ることが出来るのだ。「一粒の麦、もし死なずば」を想起する。ジッドによって書かれた「伝記」は有名であるが、そのもとになった聖書の本文を以下に示しておこう。

「人の子が栄光を受ける時がきた。よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」(日本聖書協会刊 口語訳聖書)
「蘋果日報」(ひんかにっぽう、Apple Daily・アップルデイリー)の創業者であり発行人でもあった黎智英は「もしアダムとイブがリンゴを口にしなかったら、世界に善悪はなくニュースも存在しなかっただろう」と、「りんご日報」命名の由来を語った。一粒のリンゴはもぎとられ、地にすてられた。しかし、その「死んだリンゴの種」からまた、不死鳥の如く「りんご日報」は甦るだろうか。きっと。
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改めて政治(政府)と新聞について思いを巡らせている。アメリカの大統領だったジェファーソンは「新聞」に関して「二律背反」ともいえる体験からの感想を伝えている。一つは、新聞を読む人と読まない人の「真実への距離」の違い、そこには新聞を、明らかに愚弄する姿勢が見て取れる。もう一つは「新聞のない政府か、政府のない新聞か」という二択である。このどちらも、ぼくたちの社会の状況、政治権力と報道の関係に何かを示しているのだろうか。あるいは、それはまったく別の国の話で、この島社会は「新聞のある政府」でうまく行っているというのだろうか。(かなり旧聞となったが、なに、こんな愚かしいことが延々と「政治と報道」で続いてきたのが、この島社会なんだ、という事例として、以下に古いコラムを出しておく。この島社会に「一粒のリンゴ」は存在しているのだろうか)
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【余録】「真実もあの毒された器(である新聞)に入れると怪しくなる。新聞をまるで読まない人間は読む人よりも真実に近い」。こんなことをいう米国大統領といえば、今ならばメディアを「偽ニュース」とののしるあの人を思い浮かべるだろう▲ところがこれ、米国の建国の父で第3代大統領、報道の自由や人権を定めた憲法修正条項(権利章典)の生みの親ともいえるトーマス・ジェファーソンの言葉という。その彼にして奴隷の女性との間の隠し子スキャンダルを追及する新聞がよほど憎たらしかったのか▲奴隷制に反対しながら、大農場で多くの黒人奴隷を使役していたように白黒矛盾した面のあるジェファーソンだった。新聞についても先の言葉とは正反対の「新聞なき政府か、政府なき新聞か。いずれかを選べと迫られたら、ためらわず後者を選ぶ」との言葉もある▲こちらは一部メディアを「国民の敵」と断じ、共和党の重鎮からも「独裁者はそうやって物事を始めるものだ」と非難されたトランプ大統領だ。だがその後も報道官の懇談から一部のメディアを締め出し、記者会恒例の夕食会の欠席を表明するなど対決姿勢を崩さない▲入国禁止令を司法に葬られ、人事も迷走する新政権である。今やメディアとの対決は「トランプ劇場」の貴重な当たり演目なのだろう。だが建国の父の醜(しゅう)聞(ぶん)を追った昔からメディアの方もヤワでなかった。もうこの先、安定した政権運営は望んでも得られなくなろう▲言論と報道の自由は権利章典の第1条が掲げる米国文明の魂である。新聞をくさすのはともかく、自由を守る闘いを侮っては大統領も長くはつとまるまい。(毎日新聞 2017/2/28)
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香港の「一新聞の死」を対岸の火事とみているのが、この島の各新聞社ではないか。凄いことが起ったが、こっちは安心安全だ。なぜなら「政治や政治家を批判するなどという愚かしい(危ない)ことはしないんだから」と、同僚と、あるいは政治家と杯を傾けながら談論している図が見えてくる。挙って、五輪のスポンサーになり、人民の被害や苦しみを歯牙にもかけない屑政権に加担している「新聞社」である。芸のない話だが、ジェファーソンの顰にならうなら、今どきこの社会では「新聞を読まない人民」が多数を占めているから、いっそう事態の真実に接近しているのかもしれないと、いえるのか。ならば、どうして屑政権が何代も続くのか、理解に苦労する。さらに「新聞のある政府」という状況は、表面的には本だろう。だが、その内情・内実は、これが新聞だなどと義理にも言えない代物で、はっきり言えば、ある政党や政府の広報紙であり、機関紙ではないかという怨嗟(非難)の声もあちこちから聞こえてくる。
時の権力に「よいしょ」「ご機嫌取り」というような、頽廃いちじるしい「忖度記事」が満載とは言わないが、ツボを心得て書かれている。なぜこうなったか。その背景や理由は多々あるに違いない。そのことを踏まえて言えば、マスコミ自体が「権力の一員」だと、自己欺瞞を犯しているということだろう。「新聞は第四の権力」と言われるが、三権の堕落や独走をペンの力で指摘し糾弾しうるから、その意味では、三権に伍して(引けを取らないで)対峙しているという意味でのことだろう。それをいかに誤解しているとはいえ、「自らが権力の側にいる」という、そのおのれを知らぬ恥ずかしい自己認識が諸悪の根源ではないかと、ぼくは見ている。ぼくは、とっくの昔に、この島の新聞は死んでしまった、そう確信していた。いまでも、そのことを微塵も疑っていない。今回の「五輪」騒動やコロナ禍に際しての、時の政府の不手際・不誠実・不真面目・不謹慎・不明朗…、後に続く言葉がないほど、出鱈目のかぎりをつくしている惨状を目を開けてみていられない。なれ合い、同じ穴のむじな、人民の苦しみを放置する汚さでは、仲良く隊列を組む「政府と新聞」である。そんな新聞も政府も、ぼくは、まったく存在価値も認めていないし、その必要性すら感じないのだ。新聞のない政府のない社会、それは果たしてなり立つか。まるでアナーキーで、それで結構と言いたい気もするのだ。

現下、アメリカを凌ぐ国家となった中国当局は、たった一人であっても「知恵の実(であるリンゴ)」を口にする人間がいることを恐れたのだ。多様性が崩れると、単一の価値観が強いられる。「同じ景色を見ろ」「右に同じといえ」と言われることは必定である。しかし、やがて、その単一性はほころびを見せるのだ。政治という暴力で人間の心根を押しつぶすことが出来そうで、実はそれは不可能だということを、(これまで何度も繰り返し見せられてきた政治劇だ)またもや中国当局は全世界に向かって、(当事者は望んではいないだろうが)教えているのだ。この暴挙をやらなければ、「自ら」が危ないという、内部の「権力闘争」の一端・一齣なんだろう。
この世に「善と悪」があると知る知恵は、善と悪を判断する(識別する)力を持っているという意味になる。知恵は感覚であると同時に、経験から学ぶ謙虚な姿勢(思想)を指す。自ら獲得しようとしなければ、得られないものなのだ。その判断力こそが、自らのよって立つ基盤でもあり、根源でもあると、ぼくは考え抜いてきた。
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