変わらぬ命 変わらぬ心 ふるさとの夏

<金口木舌>軍靴の足音

 新型コロナウイルスの感染拡大が続き、国中が混乱する中、土地利用規制法やデジタル関連法などが国会でバタバタと成立した。熟議とは程遠い数の力で▼いずれも国民を監視し思想・良心の自由を奪いかねない法律だ。野党は徹底的に抵抗したか。国民はその危うさを実感しているだろうか。残念ながら否ではないか▼法律が人を追い詰める。その実例を76年前の沖縄戦の前夜に見る。元県議で社会大衆党委員長だった瑞慶覧長方さんの父は社会主義者だと疑われ、自ら命を絶った。嫌疑のきっかけは社会主義に関する本を持っているといううわさだった▼特高の尋問を受け、日を追うごとに憔悴(しょうすい)していく父の姿を瑞慶覧さんは忘れない。父を死に追いやった治安維持法と2013年制定の特定秘密保護法が重なって見えた。「法を盾に権力者は国民を押さえ付ける。その怖さを骨の髄まで味わった」▼私権を制限し、言葉を奪う法律が何をもたらすか、私たちは忘れてしまったのだろうか。きょうは「慰霊の日」。犠牲者の冥福を祈りつつ、国民に問い掛けたい。本当にこのままでよいのか▼「法律ができてからでは遅いんだ」。瑞慶覧さんの言葉だ。もしかしたら、もう遅いのかもしれない。それでも、諦めるわけにはいかない。ひたひたと迫り来る軍靴の足音を止めよう。この沖縄で、誓いを新たにしたいと思う。(琉球新報・2021年6月23日)

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 沖縄が懐かしい。さらに愛おしい。ぼくは若いころに柳田國男をがむしゃらに読み、沖縄に目を開かれた。その沖縄には謝花昇という人がいた。まるで明治以降の沖縄(いうまでもなくそれ以前の沖縄の運命は明治以降に繰り返されたのだ)を、個人で体現せざるを得ないような生き方(死に方)をした。謝花という存在は、ぼくにとっては衝撃の人だった。さらに一方には、沖縄学の巨人だった伊波 普猷がいたし、佐喜眞興英がいた。柳田さんに教えられて、彼等をひたすら読んだ。謝花昇についてはたくさんの資料を集めて、一冊の本にしようと考えたこともあった。佐喜眞興英も民俗(族)学の分野に惹かれて読みだした。後年の知り合いで佐喜眞美術館館長だった道雄さんとの交友で、改めてこの碩学の「沖縄学」を学びなおそうとした。これも、すでに何年も何十年も前のことになった。

 謝花昇さんに関連付けて言えば、昔も今も、沖縄には「孤立した謝花昇」と「圧政を敷く奈良原繁」がいたし、今もいる。これを、明治期以降の沖縄の避けられない運命にしてしまったのが「ヤマトンチュウ」だったことに、変わりはないのだ。七十六年目の「慰霊の日」も、かくして暮れるのだ。

○伊波普猷(いはふゆう)[生]1876.2.20. 那覇 [没]1947.8.13. 東京 言語学者,民俗学者,歴史家。 1906年東京帝国大学言語学科卒業。沖縄学の創始者で「沖縄学の父」といわれる。琉球の言語史,文化史の研究に貢献多く,特に古謡集『おもろさうし』を中心に,琉球の古代史,古語,古俗を実証的に研究した。『古琉球』 (1911) ,『おもろさうし選釈』 (23) ,『南島方言史攷』 (34) ,『琉球戯曲辞典』 (38) など著書が多い。また,廃藩置県は島津氏の琉球征伐とは異なり,日本への隷属ではなく,日本の一県となったことを意味するとして琉球の尊厳を説き,講演や執筆でその啓蒙に努めた。その著作の全貌は『伊波普猷全集』 (11巻,74~76) によりみることができる。(ブリタニカ国際大百科事典)

○佐喜真興英(さきまこうえい)没年:大正14.6.13(1925) 生年:明治26.10.26(1893)大正期の沖縄研究者・民族学者。沖縄本島中部の宜野湾に生まれる。一高から東京帝国大学法学部に進み,卒業後,判事として勤務するかたわら民族学の研究に没頭した。バッハオーフェンなどの進化主義人類学の影響を強く受け,短い生涯のなかで沖縄や民族学に関するすぐれた著作・論文を発表した。女権の問題を検討した『女人政治考』は柳田国男の激賞を受け,邪馬台国の女王卑弥呼の解釈に強い影響をおよぼした。<著作>佐喜真興英全集』全1巻(高良倉吉) (朝日日本歴史人物事典)

○謝花昇謝花昇【じゃはなのぼる】沖縄県の行政官・社会運動家。島尻郡東風平(こちんだ)村の農家に生まれる。1882年第1回県費留学生として上京,1891年帝国大学農科大学卒業。帰郷して県技師に任命され高等官となり,農業技術の指導や,貢糖制度の廃止に尽力。沖縄の近代化を専制的に推し進める鹿児島藩出身の県知事奈良原繁の施策にしばしば抗し,農民層の立場から県政の革新をめざした。1898年官職を辞して県民の参政権獲得運動を展開,また沖縄倶楽部を結成し機関紙《沖縄時論》を発行して奈良原批判・参政権要求等の論陣を張った。これらの活動から沖縄における自由民権運動の指導者と評されている。運動で家産を使い果たし,奈良原一派から徹底的に弾圧されて生活の道も絶たれ,1901年新任地の山口県に赴く途中に神戸駅で発狂して帰郷,貧窮と狂気のうちに死亡した。(百科事典マイペディア)

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 沖縄戦のこと、慰霊の日のこと、それを別の角度から、ぼくは学んだ。もっと有体に言えば、沖縄の置かれた(というより、そのように位置づけられた)宿命と、民衆の体内に沁み込んだ悲しみを、あたかも体感するが如く、ぼくは意図して身につけたともいえる。最近は行き来は絶えていますが、「沖縄のボブ・ディラン」と称されもする海勢頭豊さん。何度も、彼のライブを聴いた。また、ぼくの願いを聞いてくれて、多くの若者の前で歌ってくれたことも、二度三度と、あった。ちょっと気になっているのは、豊さんは酒が強いし飲みすぎる人だった、それを、遠くからだが、心配している。いろいろな方面の活躍を耳にすると、いかにも元気だな、と安心もする。映画にも挑戦し、何かと活動範囲を広げられている。何冊もの著作も出版されている。彼の本領である歌の方面で「月桃」というタイトルの曲がある。彼の作った映画「月桃の花」の主題歌であった。「慰霊の日」を銘記して作られたと聞いた。沖縄についての記憶があるところでは、このメロデをィがいつも奏でられている。素朴で誠実、しかも情が深い、そんな沖縄の民衆の心が、曲の深いところをハッキリと流れている。(https://www.youtube.com/watch?v=4EPGYSc0dkw

1月桃ゆれて 花咲けば
 夏のたよりは 南風
 緑は萌える うりずんの
 ふるさとの夏	

2月桃白い花のかんざし
 村のはずれの石垣に
 手に取る人も 今はいない
 ふるさとの夏

3摩文仁の丘の 祈りの歌に
 夏の真昼は 青い空
 誓いの言葉 今も新たな
 ふるさとの夏

4海はまぶしい キャンの岬に
 寄せくる波は 変わらねど
 変わるはてない 浮世の情け
 ふるさとの夏

5六月二十三日待たず
 月桃の花 散りました
 長い長い 煙たなびく
 ふるさとの夏

6香れよ香れ 月桃の花
 永久(とわ)に咲く身の 花心
 変わらぬ命 変わらぬ心
 ふるさとの夏
 (作詞・作曲=海勢頭豊。1982年)

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)