今日もおむすび一億個分以上の食料が捨てられる

 【雷鳴抄】食品ロス コンビニの食料品棚に、「てまえどり」と記されたラベルが目につくようになった。食品ロスを削減する農林水産省などの省庁と業界団体の取り組みで、コンビニ主要4社が参画している▼店舗では、仕入れの早い順に手前から陳列する。販売期限まで余裕のある奥の物を先に買われてしまうと、期限切れとなる商品が増え、売れ残り・廃棄も増えてしまう。だから「手前から取って」と訴える▼国内では食べられるのに捨てられる食品が、1年間に600万トン発生している。テレビCMの「今日もおむすび1億個分以上の食料が捨てられている」は決して誇張ではない▼「てまえどり」が重要なのはスーパーなどでも同じで、奥にある商品に手を伸ばす客の姿をよく目にする。だが、それが悪いとばかりは言い切れない。ラベルに「すぐにたべるなら」と添え書きしてあるのがポイントだ▼頻繁に買い物に出られないお年寄りや家庭が、まとめ買いをしたはいいが、消費期限が迫った物ばかりだと、かえってロスになりかねない。生活や買い物のサイクルに合わせた使い分けが必要ということだろう▼本県は食品ロス発生量が全国平均を上回るとの試算がある。食べ残しが目立つとされ「てまえどり」とは別の問題だが、ロスを減らすための対応が必要なのは同じ。常に削減を意識したい。(下野新聞SOON・2021/06/16)

 ほとんどコンビニに出かけないので、こんな「符丁」が流行っているとは知りませんでした。「てまえどり」というのですから、後ろにもたくさんあるのでしょう。「符丁」の意味がよくわかりません。というか、それによって「食品ロス」が防げているのかどうか、実は怪しいんじゃないですか。「やってるふり」あるいは「やってる感」がやたらに目につくのも、目障りなことです。スローガンとかキャンペーンというアドバルーンは挙げるのでしょうが、それで終わりという不細工な挙動が目に付いてしようがありません。食料自給率がとみに低下しているこの社会、にもかかわらず、廃棄物としての食料は一向に減少しないというのですから、開いた口がふさがりません。「環境に優しい電力」として「原発」を、というのはブラックにしてはえげつない、冗談にもならない殺人級の悪ふざけです。原発事故は「環境に優しい」とで、も言うのかしら。

 ぼくは、あまり米の飯は食わない。じゃ何の飯なら喰うのかと聞かれると困るのですけど、まことに小食です。強いて言えば、麺類、それも日本蕎麦がほとんどです。今や「そば粉」のほとんどは輸入物(豪州産が圧倒的)で、市販のソバには「原産国(原産地)」の記述はなく、「製造元」が記されているのみのものが多くあります。「信州製」とかね。まやかしですね。日本茶も、大半が静岡産ですのに、宇治茶だと偽る。「お茶を濁す」というのですかね。まさしく「臍で(が)茶を沸かす」類の欺瞞です。別名「臍茶」とも。「おかしくてたまらない、また、ばかばかしくてしかたがないたとえ。多くあざけりの意をこめて用いる。へそがくねる。へそが西国する。へそが入唐渡天する。へそが宿替えする。へそが笑う」(日本国語大辞典)へそが宿替えして、背中に回るというのですね。背に腹は代えられないのに、さ。

 「日本産」こそ信用が置けると言っていたのはいつのことでしたか。いうまでもありませんが、ぼくは「国産」至上主義ではないつもりです。でも、自前で作れるものなら作ったらどうでしょう。「食糧安保」などと屁理屈を言う前に、自給自足の原点というものをもう一度吟味しなおす必要がありそうです。何事においても「自分の足で立つ」「自分の頭の蠅を自分で追い払う」ことが原則でなければ、独立の気が泣きます。面倒なことはしたくない、カネで済ませられるなら、それでいいという、ここにも労働を厭い、カネにものを言わせる「拝金主義」がのさばっているのでしょう。

 「食品ロス」というのだそうです。年間六百万トン余。個人一人当たり、年間では五十キロ弱の浪費であり、「ゴミ」の産出です。「食品ロス」を無駄というのですかね。無駄を省くとは、廃棄処理することだという風潮が根強く蔓延っています。かみさんと半世紀ほども一緒に住んでいますが、じつに軽薄なところがあるなあと、改めて感じさせられています。何でもかんでも捨てる。廃棄物にしてしまえば、家の中は清潔になるというのでしょうが、土台、その考えというか態度は間違っていると、言っても耳を貸さない。ものを大事にしないと言ってもいいでしょうね。古くなったから捨てる。壊れた、壊れかけてきたから捨てる。また新しいのを買えばいいじゃんん、というお気軽さです。ぼくは恐怖を感じながら同居しています。やがて「お前は壊れかけている」「役に立たなくなった」といって、「粗大ゴミ」として捨てられるんじゃないかと。そんな態度がどこから生まれたのか、よくわからなかったし、気が付かなかった。典型的なサラリーマン人生でしたから、朝早く、夜遅く、それがぼくの日課でした。「朝は朝星、夜は夜星」の明け暮れでした。長くいっしょというけれど、実質は驚くほど短かったともいえそうです。だから、根っ子のところでは理解が行き届かなかった。こうして山中で、四六時中いっしょだと、お互いに「あら」が目に付くんだ。

 言いたいことが次々に出そうですから、ここで止めておきます。要するに、都会風生活に毒されているんでしょう。家のゴミは廃棄、それは徹底しているんですね。ぼくはものもちがいいというか、ものを簡単に捨てられない性分だから、どうしてもぶつかりますね。戦争が起こるのですが、宣戦布告なしです。でも、ぼくは「連戦連敗」、これがぼくの「てまえどり」ではなく、「あとどりの法則」というか、一貫した、対かみさん作戦。「負けるが勝ち」です。金で済ませられるなら早く始末したいという生活観・生活感覚は、ぼくにはない。燃やせるものはティッシュ一枚でも燃やそうとする。ゴミ袋には入れない。かみさんは「てまえどり」なら、ぼくは「てまえどらない」です。冷蔵庫があるからと、何でもかんでもため込む癖に、「てまえどり」なんだから、わけがわからなくなります。

 「 本県(栃木)は食品ロス発生量が全国平均を上回るとの試算がある。食べ残しが目立つとされ『てまえどり』とは別の問題だが、ロスを減らすための対応が必要なのは同じ。常に削減を意識したい。」「てまえどり」に加えて、「食べ残し」というのだから、始末に悪いですね。そもそも「食品ロス」の発生因は明白です。需要を超えた供給があるからです。作り過ぎなんですね。必要以上に作ったり売ろうとしたり。食料品や飲食店の「売れ残り」はどうしているのか。これは一週間前の「売れ残り物」ですと正直な店があったら、とっくに潰れているだろうね。いずれも今日や昨日仕入れたものだというなら、「話半分」に、です。とにかく偽造や偽装が大流行、いやもうそれは、この島の「文化」になっています。第一「政治」が「イカサマ」「如何物/偽物(いかもの)」ですから、他は推して知るべし。政府や官庁の公文書や統計はおっかなくて近寄れません。昔から、「眉に唾」してみることにしていた。「嘘を真と偽る」のが政治であり行政になっています。見下げたもんですね。

 「 常に削減を意識したい 」というコラム氏。人がいいんですかね。削減ではなく、余計なものを作らない、売らない。売り切れご免、それでじゅうぶんじゃないですか。ぼくがよくいく「蕎麦屋」は、「売り切れご容赦、またのご来店をお待ちしています」という主義です。「ご免」と言われたことはないのですから、それなりに商売熱心なんだと感心します。「賞味期限」とか「消費期限」とか、なんとも紛らわしいし、それを無条件で信用できるんかという気分が、何時でもぼくの中にはあるんです。つまり、食料品は新鮮一番でなければというのではなくても、あまりにも神経質になり過ぎている気がします。実際にはどうなんですか。「焼くか煮るか」するつもりなら、それで結構日持ちがいいんですよ。

○ 期限表示【きげんひょうじ】=食品の消費期限に関する表示。加工食品には従来は製造年月日が表示されていたが,食品衛生法とJAS法(農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律)の改正により,1995年4月1日から〈消費期限〉と〈品質保持期限(賞味期限)〉を表示する〈期限表示〉になった。2003年の法改正で〈品質保持期限〉という用語は廃止され,〈賞味期限〉に統一された(2年間は猶予)。

 加工技術の進歩や変化にともない,製造年月日をもとに消費期限を判断するのが難しくなり,期限を表示することになったもので,製造・加工日を含めて品質が保持できる期間がおおむね5日以内のものは〈消費期限〉として年月日が表示される。それ以上の保持期間があるものは〈賞味期限〉として,3ヵ月以内のものは年月日が,それ以上数年以内のものは年月が表示される。数年以上の保持が可能なものは,表示は省略してもよい。これらの期限表示はその食品の製造者や輸入者が設定することになっている。なお,東京都など一部の自治体では食品により製造年月日の併記を義務づけており,業者の中にも製造年月日を表示するところもある。(百科事典マイペディア)

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 期限設定は「業者」がするんですね。だから、どうも用心しなければ、とはいいません。中にはラベルを偽る輩もいるから、始末に悪いんですが。だから、何よりも業者の信頼度が問題にされなければならないのは言うまでもありません。ただ、小売りでもなんでも、「売らんかな」主義が蔓延して以来、食糧危機が、とみに差し迫っているとさえ、ぼくは見ています。ホントに大丈夫か、当人たちが「安心安全」だというから、余計に「危険」だと思ってしまう。あんなに喧しく「安全安心」と言いまくっているから、実はとんでもなく「ヤバい」んだと。これは科学的根拠もあると言えば言えますが、要は「直観」「直感」です。あいつは嘘をついているな、顔に書いてあるのが「まざまざ」と読めるんですよ。暖簾とか看板に偽りや欺瞞があっては、何事も始まりません。

 「てまえどり」で結構、でもいつでも「てまえどり」用に置かれるものが決まっている、それはどういうことかと調べないんですか。調べなくてもコンビニを信用しているから、他よりもよさそうだから、他によさそうなものがないから、とまるで「内閣支持率アンケート」みたいな、いい加減で嘘くさいものとそっくり。それもで大丈夫。食べたって、滅多に死なない(という意味は、たまに亡くなる人もいるということ)、まず「中毒」にはならない。仮に、そうなったら運が悪かったんだ、ワクチン接種と同じだよ、とでもいうのかしら。因果関係が分かりませんと、放置するばかり。それとも、空港検疫の「麻薬探知犬」でも連れていくか。なによりも、相手を信用できなければ話にならないのに、「証明書(品質表示)」で肩代わりさせている、この軽薄な時代の風潮こそ、「賞味期限切れ」にしたいですね。業者ではなく、腐敗政治(賞味期限も消費期限も切れてしまって何十年ですから)の方を処理する、駆除する、廃棄するのが先決ですが、「信用できそうだから」と、また、「嘘つき」の「無味乾燥」な輩を選ぶんだね、きっと。そうして、やがて国の「賞味期限」も「消費期限」も切れてしまうのです。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。