「苦悩する人を支える社会を」、どうすれば?

【地軸】アルツハイマー新薬 怒りっぽくなる「春」から物忘れの「夏」へ進み、暴言、徘(はい)徊(かい)のつらい「秋」を経て終日ぼんやりする「冬」を迎える―。認知症専門医の長谷川嘉哉さんは進行具合を春夏秋冬の4段階に分け、心構えと対処法を説く▲認知症の介護にしんどさはつきもの。次に何が起きるのか事前に知っておけば、心に余裕を持ちやすい。薬の管理ができず、服を着るのが難しくなるのが夏の特徴。秋は約2年間の辛抱だ。近著「ボケ日和」(かんき出版)は介護者の負担を小さくするこつを力を抜いた文章で教えてくれる▲そんな認知症の7割を占めるアルツハイマー病向けの新薬が米国で承認された。日米の製薬会社が共同開発。症状を一時的に軽くするものしかない中、初の根本治療薬が誕生した▲病気の進行を止めることはできないが、悪化の速度を緩められる可能性があるという。薬価はかなり高めになる見込み。過度な期待は禁物だが、人類がアルツハイマー病を克服する第一歩になればと願う▲2025年には国内700万人、高齢者の5人に1人が認知症になると推計されている。患者や介護する人は珍しくないものの、病気を怖がりすぎないでとはまだ言いづらい世である▲「患者さんよりも、介護者さんの心身を守ること」を優先しようと長谷川さん。家族を介護疲れにさせてしまうのは患者も苦しい。薬の開発は大切だが、苦悩する人をしっかり支える社会を早く築きたい。(愛媛新聞On Line・2021年6月12日)

 呆ける・惚ける・暈ける・ぼける・ボケる・ボケル ー この語は「禁止」語ではないが、使われてほしくない、使いたくない語になりつつある。いやすでになっていますと、ある人たちは言う。「痴呆症」もそうです。いかにも「痴呆」という単語が災いしすぎて、いまでは「認知症」と言い換えられています。2004年に厚労省が「用語変更」を決めた。症状は少しも変わらないのに、言葉を変えたら、なんだか「軽い病気」になったみたいな効果があったのでしょうか。あるいは「人権尊重」という重みが加わったとでもいうのでしょうか。名前が変わっても病気の症状には変化のあろうはずもありません。言葉を変えても「嘘つきは嘘つき」、「ゴロツキ(破落戸)はゴロツキ」です。犬を猫といい、猫を犬と呼び変えても、呼ばれる当事者には一切の変化はないのです。しかしそれ以前とは別の名前を使う側には、著しい変化が生まれるのかもしれない。言い換えが行われたのは、「差別語」の範疇に入ってしまったからでしょう。でも、その語をつかわなくなったから、「差別」がなくなるものでもない。誰だって知っていることです。

 いたるところで「言葉狩り」が盛んです。狩った言葉をどうするのか、ごみ箱に捨てましょうということかもしれませんが、どっこい「言葉は生きている」のだ。かみさんが通院している病院では「物忘れ外来」というのがあって、かみさんも診断を受けさせられた。ぼくは傍にいて、これでほんものの「物忘れ」「痴呆症」「認知症」がわかるなら、それは診断や検査などしなくてもわかるに決まっていると直感しました。後期高齢者になっているからと、念のために外来を受診する。「今日は何月何日ですか?」「8+5=?」、これに正解できるかどうか、わざわざ外来に来て検査(長谷川式)を受け、診断結果を聞く、まるでアホみたいな時間を待つまでもなく、日常生活で、可笑しいと気が付いている。気が付かなければ、周りもどうかしているんでしょう。

 「物忘れ外来」に来ること自体が、「物忘れ」でも何でもありませんよね。年齢・性別、学歴・職業に無関係で「物を忘れる」「できることが出来なくなる」、それが人間です。間違いを犯す、失敗を繰り返す。忘れ物をしたことを忘れる、それも「正常の範囲」なんだな、ぼくの感覚では。こんな言い方をして「痴呆症」の何たるかを知らないのではないつもりです。「人間の尊厳の喪失」と、両親の「認知症」を涙ながらに語ってくれた、同僚がいました。粛然としないわけにはいかなかった。今もその記憶は鮮明にあります。そのたびに「粛然」とし、「厳然)とした現実に打たれています。

 そこー人間の尊厳云々というところまで追い込ま絵rている事態ーまでを範囲として認めたうえで、さて、「人間の尊厳」を(看る人看られる人が)互いに保持・保有するための、症状の進行を受けとめられる力を育て、それをを自らにも課していきたい。特効薬もなければ、最後の切り札というものもないのが、この世の定めだと、あきらめではなく、心底から考えています。まあ、試されているんですね。君なら、あなたなら、なんとか行けるんじゃないか、せいぜいが、そんなところか。幼児に戻るとでもいおうか。何もできない、一人で歩くことも、ものを食べることも、用を足すこともできない。それが赤ん坊なんだというなら、だんだんと何もできなくなっていくのが、歳を取るということだと、ぼくたちは、わが身に照らして受け入れることが出来ないだろうか。誰だって、そのような、なにもできなくなるような状態に帰りつこうとしているんです。生きるというのは、ルンルン気分でいられるばかりではない。

 コラム氏も書いているように、数年後には七百万人が罹患するという。さぞかし「商売繁盛だ」と減らず口の一つもたたきたくなります。ここにも、薬屋と医者が儲ける構造が出来ているんですね。脳内たんぱく質( アミロイドβプラーク)を減少させることに成功したという「朗報」が最近、わが耳にも飛び込んできました。 一か月の治療費(薬代)が五十万円超、年間では六百万円にもなるという。どんなに高価であって、病気が治るならと、心待ちにしている人はいくらでもいるでしょう。高価であっても、保険適応や国指定の難病に組み入れればいいじゃないかという人もいるでしょう。五輪に捨てる金があるなら、さ。相見互いですから、この浮世は。

 でも、本当にそうなるのでしょうか。この「新薬承認」報道は、ある人には朗報、別の人には関係ないや、ということでもあるでしょう。この薬に限らず、「認知症」を軽減する(それはどういうことを指しているのでしょうか。物忘れの程度が改善したというのか。自分が誰であるかが、ちょっとはわかりかけて来るとか。徘徊癖が以前ほどではなくなったとか) ぼくだって「治療薬の出現」を望んでいます。しかも、ハンセン病に対する「プロミン」、あるいは肺結核に対する「ストレプトマイシン」、さらには抗菌薬である「ペニシリン」の開発(発見)などが、人民の健康と福祉にどれほど貢献したか、知らないわけではありません。そのような「飛躍の時代」にはまだあって、今に欠けているものは何でしょうかね。

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ADUHELM™(アデュカヌマブ) アルツハイマー病の病理に作用する初めてかつ唯一の治療薬として米国FDAより迅速承認を取得アミロイドβプラークの脳内蓄積はアルツハイマー病の根本的な原因
臨床試験において、ADUHELMは18カ月でアミロイドβプラークを59~71%減

2021年6月8日 – バイオジェン(Nasdaq: BIIB、CEO:ミシェル・ヴォナッソス、以下 バイオジェン)とエーザイ株式会社(代表執行役CEO:内藤晴夫、以下 エーザイ)は、本日、米国食品医薬品局(FDA)がADUHELM™(一般名:アデュカヌマブ)について、脳内のアミロイドβプラークを減少させることにより、アルツハイマー病(AD)の病理に作用する初めてかつ唯一のAD治療薬として、迅速承認したことをお知らせします。

本迅速承認は、臨床的有用性(臨床症状の悪化抑制)の予測可能性が高いバイオマーカーであるアミロイドβプラークの減少に対するADUHELMの効果を実証した臨床試験のデータに基づくものです。なお、本迅速承認の要件として、今後検証試験による臨床的有用性の確認が必要となります。

バイオジェンのCEOであるミシェル・ヴォナッソスは「この歴史的瞬間は、十年以上にわたる複雑なAD領域における画期的な研究の集大成です。このファースト・イン・クラスの薬剤が、ADと共に生きる方々の治療を変革し、今後、継続的な革新を起こすと確信しています。私たちの臨床試験に参加いただいた何千人ものAD患者様と介護者の皆様のご貢献、ならびに当社のサイエンティストや研究者の献身に心から感謝しております。私たちは、医療関係者やコミュニティと協力して、この新しい薬剤を患者様にお届けし、拡大するグローバルヘルスの危機に対処してまいります」と述べています。

エーザイのCEOである内藤晴夫は「ADの根本原因を突き止めるためのたゆまぬ追求を通じて、エーザイは、1980年代初頭よりAD治療薬の開発に取り組んできました。また、四半世紀以上にわたってAD当事者様に寄り添い、ニーズを理解することに努めてまいりました。ADUHELMの承認によって、AD治療の歴史に新たな1ページを開くことができたことを大変嬉しく思います。本承認により、グローバルヘルス、社会、そして、最も重要な当事者様とご家族の将来に大きな展望や希望をもたらす治療オプションを提供し、認知症エコシステムの進展に大きな一歩を踏み出すことが可能となります」と述べています。(以下略)(https://www.eisai.co.jp/news/2021/news202141.html)

 何年前だったかやたらに血圧が高そうだったので、近くの内科医にかかった。まず検査をして、そのデータを観ながらの診察というのか談義というのか。そのうちに「あなたは確実に認知症になります」と励ましてくれた。いろいろな数値を基準に照らして判断すれば、まちがいなくなりますというのである。「へえっ」と思いましたが、それだけです。「今のうちに手を打たなければ」確実になると、太鼓判を押したのだ。ありがいとも思わなかったが、受診料は取られた。当の高血圧ですが、「正常範囲」は百三十だとか、それ以上だと「高血圧」症で、ぼくは、正常範囲の二倍を軽く超えていた。凄いね。これが「異常なんだ」と、変な気になりました。医者は、「この降圧剤を飲みなさい」と処方してくれた。試しに飲んでいましたが、そのあとは「歩く」「ただ歩く」「ひたすら歩く」という自主トレをやって、まあ血圧があるなあ、という程度にまで落ち着いてきたのです。高い時も低い時もある。いったい血圧の高さはどれくらいが適切か、それは人によるので、平均点では測れない。年齢・性別・体重・職業・生活の仕方、顔つきなどなど、どれも人と比べることは困難ですから。とにかく「百三十五」ありますから、「あなたは高血圧症です」と見立てて、たんまりと薬を出す。詳しいことは省略しますが、正常範囲をいじることによって、莫大な利益が製薬会社にも医者にも転がり込んでくる。それがどんなにいい加減であるか、現下「コロナ感染症」の医学的判断の出鱈目を想えば一目瞭然ですね

 医者の嫌なところは、病名を付けて薬を処方する。それだけが商売になっているところです。大半の医者がそうじゃないですか。ぼくも、自分自身では「物忘れ」がひどいとは思わないが、なにかと「固有名詞」「普通名詞」が出てこない。歳を取ったからというばかりで、何をどうすることもない。物覚えが悪いのは生来のものだし、その上にやっと覚えたものをすぐに忘れる。当たり前じゃないかという気もする。身につまされている事柄は、忘れたくても忘れられない。そんな深刻な物事ばかりだと、頭が壊れるから、忘れてもいいことはどんどんと忘れるに越したことはない、そんな調子で「認知症」を待っている、と言ったらどうか。大騒ぎしすぎるのもどうかと思うし、一切無視するのも感心しません。

(日本の学会が高血圧症の「数値」を変更するたびに、降圧剤の「売り上げ」は伸びる。その学会は、アメリカの学会の動向に影響されている。「降圧剤」はアメリカからというわけ。コロナ用ワクチンもそうですね)

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 年齢を重ねれば、身体が衰える。身体は外部(表面)だけで出来上がっているのではないから、よく見れば身体内部にも故障が出てくるのは避けられない。ぼくは「健康診断」というものを積極的には受け入れていない。いろいろと喧しく言われてきたが、健康かどうかを「藪(器械)」に診断してもらいたくないからです。どこか具合が悪くなれば、できるだけ自分流に養生する。それでもだめなら、行きたくもないけれども、医者にかかるという順番です。病気を治すのは医者や薬ではない。自分の内部の修復力・回復力(ホメオスタシス)によるところが大きいと、これまでの経験で理解しているからです。もっとも大事なことは「無理をしない」「何事も、過ぎたるはよろしくない」「早寝早起き」、まあこんな生活を可能な限りで続けることだと思っている。予防という以上に、「無理をしない」「急がない」「今日できることは、明日でもできる」「明日できることは、明後日でもできる」という塩梅です。モットーはアンダンテ、しかもレガートという歩行法で、それがぼくの健康法であり続けています。

 ぼくは「一日漫歩(万歩)」を細々と継続しています。無理をしないから、天気の具合で歩かないときもあります。歩けるときにはできるだけ歩くようにする。何時も気分と相談しながらです。「こんなに歩いた」とか、「もう何年も続けている、どうだ参ったか」というようなわけのわからない見せびらかしをしない。息をする(というか、自発呼吸が続いている)のと同じような感覚で、自己・自立歩行を阻害しないというだけの話ですニ日本の足で歩く、それに尽きる。

 「薬の開発は大切だが、苦悩する人をしっかり支える社会を早く築きたい。」と仰いますが、言うばかりなんですか。どうすれば築けるんですか。「しっかり支える」というが、いったい誰が「支える」のですか。今は死語になりましたね、「報道(新聞)は社会の木鐸である」というのは。なぜ死語になったか。それは「報道・新聞」がろくでもないことばかりを垂れ流してきたからです。「木鐸」の役目を放棄したと言えば、気が付きますか。これは大小それぞれ「当方は報道機関である」と自己詐称をしている、すべての機関の責任放棄であり、「木を見て森を見ない猟師」のような近視眼的で怠け者症のせいではないでしょうか。

 並みいる「影の薄くなった木鐸」に、拙者は言いたいですね。「言いたいことではなく、言わなければならないこと」が、尊紙や貴社に、あるのかないのか。まずそこから、問い始める必要がありそうです。

 「天下の道無きや久し。天将に夫子を以て木鐸と為さんとす」(「論語(八佾)」(それにしても「言いたいことはわかるけど、君は古いねえ」と言われそう。孔子さんは言い得て妙という「ことば」の粋を残されている。「古いけど、孔子はいいねえ」)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。